俺の周りの人はあまり話を聞いてくれない
「まったく、高校生など俺は世界で一番嫌いな生き物です。もう義務教育をはずれた大人なのに、中学生以上に怠ける。下手に色気づいて、ピアスをあけたり、髪を染めたりする。そのくせ、大人を馬鹿にしてなにかにつけて反抗。そして、馬鹿な行為をして、自分だけならまだしも、周りに迷惑をかける.だから俺は教師になりました」
俺は岩本源氏。今年教師としてこのこの高校に赴任することになった。
ついにこのときが来た。高校生を好きに扱える日が。
「君は教師になったんだろう。ならば、子供は好きなはずでは?」
俺を案内してくれているのはこの学校の校長。しかし、どうも俺を勘違いしている。
「大嫌いです。大嫌いだから、俺が指導するために教師になったんです」
俺の高校生活を語ると、野球とテスト。たったこの2つに尽きる。
高校生活をたったこの2つにささげてきた。
俺の学園生活に笑顔はなかった。だからこそ、高校生が憎らしい。
そんな気持ちでずっとすごしていたら、いつの間にか高校生の教師となっていたわけである。
「それは大変でしたね。いじめとか受けていたんですか?」
「いいえ、学園祭や体育祭の開催日を当日に教えられるとか、卒業写真にのっていないとか些細なことでしかありません」
「そうか」
校長はその後何も言ってこなかった。些細すぎてコメントもなかったか。
「今日からこのクラスを受け持つことになった岩本源治だ。何か質問はあるのか?」
新任の俺だが2年生の担任を受け持つことになった。
どうやらこの学校はできてから日が浅いらしく、ベテランの教師がほとんどで、若手育成のため早めに担任をやらせることも多いらしい。
なんという幸運。これも神のお告げかもしれない。
「はーい、先生の好みのタイプは教えてください!」
なんとあほらしい質問だろうか。見渡してみると茶髪にしてるやつもいるし、化粧してるやつもいる。そもそも寝てるやつもいるし、空席まである。
2年生は最も中だるみする時期とは言え、ひどいもんだ。
しかし、こちらから質問をふっておいて無視をするのはよくないな。ここは『大人』である俺の対応を見せておこう。
「好きなタイプはない。嫌いなタイプは高校生全般だ。教師という立場を利用してお前らみたいな高校生を追い詰めていこうと思う!」
完璧に決まった。俺のあまりの剣幕に声も出ないようだ。
「とりあえず俺は新任だから、いろいろと手続きがある。今日は自己紹介だけで終わりだからとっとと帰れ。明日から覚悟しておけよ」
俺はそう言って教室を後にした。
俺はその後、校長に生徒指導室を案内された。
何でもこの学校では、新任教師というか、1番生徒に年齢が近い教師が生徒指導を行うらしい。
生徒指導の係とは、なおさら俺に都合がいいではないか。笑いが止まらんね。
コンコン。
ん? 校長が何かまた話しに来たのか まぁいいか。
「どうぞ」
ドアが開くとそこにいたのは校長ではなく、ましてや他の生徒でもない。俺の嫌う高校生であった。
しかも、高校生には見えないほど小さい中学生に見えるような容姿。よけい嫌いだ。
その割には髪は茶色で、背が小さいくせにスカートの丈は短い。教壇のすぐ前にいたから覚えている。
妙に目立っていたからな。
「失礼するぜ先公」
言葉遣いもやたら荒いな。不良か?
「お前は確か中村だったか。何のようだ」
「さっきのなめた態度がちょっと気になって仕方ないんだ。どういうことだ?」
不良に目をつけられたか。だが、こんなことで俺の野望は費えない。
「先公の担当する教科は何なんだ?」
まずこっちの手の内を探りに来たか。
「社会だ。それがどうしたんだ」
「分かりにくい授業や変な授業をやるようじゃ困るからな。そんなことをしたら、私が黙ってないぜ」
ん? ちょっと言ってることがおかしいぞ。
「お前不良だろう」
「見りゃわかるだろう。お前の目は節穴か。茶髪にこの制服の着こなしだぜ!」
茶髪は分かるし、スカートの丈も短いが、上がぶかぶかでまったく威厳を感じない。
「まぁいい。不良のお前がなぜ授業の内容を気にするんだ?」
「何言ってるんだ。学校は勉強するところだろう」
変なやつに目をつけられたかもしれない。
「変なやつだな。とりあえず用事がそれだけなら帰れ。俺は新任なんだ。忙しいんだぞ」
「いいのか。私はあのクラスの委員長だ」
「不良の癖に委員長やってるのか」
「あそこは私が率いるクラスだからな。皆私の言うことを聞くぞ」
「どうやってだ」
「私が何かすれば、みんな協力してくれる」
もうなんとなく分かった。こいつめちゃ真面目でしかも好かれてやがる。
「私の気はきちんと引いておいた方がいいぞ。私に好かれれば皆に慕われるぞ」
「俺の話を聞いてなかったのか。俺がお前らに好かれたいわけないだろう」
俺がそう言うと、ずっとちょっとニヤニヤしていた中村が急に真顔になる。
「え? 私に好かれたい気持ちはないの?」
「ねぇよ」
さらに絶望の顔になる。
「な、ならば私が先公の気を引いてやる!」
「なんでそうなる!」
こいつは馬鹿か?
「なんで俺にかまうんだよ。俺のこと好きなのか? それでやたら絡んでくるのか?」
とんでもない冗談をわれながら言ったもんだ。これなら逃げるなり怒るなりするだろう。
しかし、中村はその場で止まり、頬を赤らめた。
「ば、馬鹿やろう……」
顔を赤くして部屋を出て行ってしまった。え? まじか?
「私は真面目に生きてきた。しかし、先公は私のことなどかまわず、悪いことをしていたり、成績の悪い生徒ばかり気にかけて私のことなどかまってくれなかった」
そのあとすぐに戻ってきて勝手に何かしゃべりだした。
こいつめちゃ真面目そうだもんな。手かからなそうだし。
「私も先公にきちんと怒ってもらいたかった。私は子供だし、今のうちに間違っていることをきちんと知りたい。だから、悪いことをする不良になったが、それでも私は怒られることはない。だが、これだけ私の話を真面目に聞いてくれて、私にかまってくれたのは先公が始めてだ」
「お前が勝手にしゃべったんだけどな」
「とにかくこれからはよろしくな。先公と生徒の付き合いには弊害も多いが」
「こらまて。誰が付き合うって?」
「え……、こんな若い生徒と付き合えるチャンスをふいにするのか? 信じらんね」
「若すぎんだよ。お前に手を出したら俺が終わるわ」
「そうか……、分かった」
「分かったか。じゃあとっとと帰れ」
「ああ、私が大人になるまで待つ。そういうことだな。じゃあな」
「おい! 変な誤解をしたままもどるんじゃねぇ!」
その日は彼女は下校してしまったらしいが、次の日から教室での暖かい目線が俺を見てきやがった。
あいつメールで流しやがったらしい。
その後俺は校長に呼び出されてこんなどうでもいいことの弁明をする羽目になった。
やっぱり高校生は俺の敵だ!
「まったく、あいつらは」
2日目は普通に授業を行ったが、真面目に聞いているやつの少ないこと。
社会の授業は確かに興味ないやつには退屈だから仕方ないが、俺の授業がつまらないみたいで俺がつまらん。
授業でこっそりしゃべったことをテストに出してやろう。俺の学校にも100点を取らせないために意地の悪い教師がそういうことをやってきたからな。あれ? これやると俺も意地悪いみたい?
「オーライオーライ!」
外を歩いていると運動部の掛け声が耳につく。
どうやらあれは野球部のようだ。
野球はいい。俺が青春時代を捧げたものの1つだ。
周りの俺を崇める視線がたまらなかった。1つのプレーで何人もが歓声を上げる。小さい頃勉強付けであった俺はプロのプレーを見て一瞬で野球が好きになり、野球を始めた。
両親も勉強付けで根暗な俺が、スポーツをしたいということで、賛成してくれて協力してくれた。
高校まで野球を続けて、大学では勉強に打ち込んだから特にやらなかったが、今でも野球を見るのは大好きだ。
子供は嫌いだが、ちょっと覗いて見よう。
「おう、源治先生。今帰りか?」
そこにいたのは、中村だった。
「なんでお前がこんなところにいるんだ」
「私がいるのはおかしくないだろう。野球部なんだから」
「そうなのか。お前野球好きなのか」
「ああ、大好きだぜ」
女性である彼女が男子に混ざって野球をやっているのは珍しいことではない。
少子高齢化が進み、子供の数が少なくなって、女子野球の人口は圧倒的に足りなくなった。
また、高校球児も減り始めている状況が続いた。
そこでついの女性の甲子園出場を許可された。これは俺の頃も既にそうで、一緒に野球をやった女子もいた。皆俺の敵だったが。
昔は女子が男子に混じって野球を出来るのは中学生までで、高校生ともなると男子と女子の体格の差が顕著になり、女子が勝てる要素がなくなる。
なので、昔一時期はやった低反発球と、飛びやすい加工を加えたバットの使用を女子のみに認めた。
いろいろな試行錯誤を加え、不正が行われないように工夫を重ね続け、現在の形に落ち着いた。
そして、ついに女性のプロ野球選手が最近生まれたことで、その人気に火がつき、野球をやる女子が増え始めて、今では1つの学校に多少女子の選手がいることは珍しくなくなった。
初めは俺も抵抗があったが、女子が参戦することで、また面白い戦略が見れるようになったので、今は楽しく見ている。
今は高校野球がメインだが、後々プロも増えていくのだろう。楽しみで仕方がない。
「源治先生。どうしたんだ?」
おっと、つい気を抜いてしまった。
「お前みたいに小さい奴はどうせ球拾いだろう」
女子が野球を出来るようになったとはいえ、やはり体格は必要である。
男子でもレギュラーを張るような人間は体が大きい。
150センチもないこいつが活躍できるとは思えない。
「フフフ、私はショートのレギュラーだ。恐れ入ったか!」
本当に恐れ入った。レギュラーは100歩譲っていいとしてもショートだと……。
「惚れ直すなよ」
「そもそも惚れてねぇよ」
いつもの感じに戻ったので、突っ込んでしまった。
「おういけねぇ。練習にもどらねぇと、じゃあな源治先生」
そう言って中村は戻っていく。
ちなみに源治先生はいろいろ妥協した上での呼び方だ。
最初はダーリンとか呼びそうだったのだが、それは却下。
がんちゃんも却下。そのあだ名は元ファイターズのあの人だけだ。
下呼び捨ても却下で、最終的に源治先生で許可した。
他のやつも源治先生と呼ぶようになり、特別感がなくなったので中村はえらく不満そうだったが、俺にこれ以上は求めないで欲しい。
俺の生徒指導室はちょうど野球部の練習する場所の目の前にあり、窓側を見て仕事をすると練習が見れる。実にいい場所をもらったな。どうせ家に戻ってもすることはないし、仕事をしながら練習を見ていよう。
「おお、中村うまいな」
ちょうど守備練習をしていた。小柄だが、打球判断が速い。打ったときにはもう動き始めているし、肩もわるくない。元マリーンズのあの人みたいな守備職人といった感じだ。
そして、ピッチャーも女子。今日全員いるとは限らないが、この野球部には女子が2人いるようだ。
「ん? 顧問は休みか?」
ノックをしたり、練習指示を出したりするのは、キャプテンらしき男子生徒がやっていて、先生らしき人間がいない。
「まぁ新学期だ。忙しいんだろう」
俺もかなり忙しい。くそ。鎌倉幕府とか今になって年数変えやがって。
いいくにつくろうでいいに決まっている。いいはことか意味が分からん。
1192年で不正解にするようなテストはつくらん。
歴史はそこに起こった事実が正解で2つ以上正解があるなど許されない。
英語や国語は多少正解がずれても納得できるが、歴史はそれがあってはいけない。
1192なんだから1192なんだ。教科書の改訂などくそくらえだ。
歴史は流れだから、きちんと教える順番を決めて、小テストも時々行っていくか。
その小テストで本テストの点数にも影響をだすようにすれば効果は高いと思うし。
「しまった。いろいろ考えすぎた」
外がやけに静かだと思ったら、もう宿直の先生以外人がいなかった。
さ~て、帰って野球を見よう」
4月の序盤ということで開幕してまだ10試合未満である。
まだまだ見ごたえのある試合が見れるに違いない。
「おう、源治先生!」
中村だ。こんな時間まで練習とはがんばっているようだ。
「私を待っていてくれたのか。くぅ~にくいね」
「待ってねぇ。俺は仕事があるんだよ。教師なめんな」
「照れなくてもいいぜ。今はいわゆるツン期ってやつなんだろう」
こいつは本当に話を聞かないな。
「そもそも俺は子供が嫌いだといっているだろう。近寄るな」
「遠距離恋愛ということか。それもまたいいぜ」
話を聞かないというよりも、思考回路がちょっとちがうみたいだ。自分の考えが正しいと思っていやがる。
高校生にもなって自分をここまで肯定的に考えられるのは逆にすげーな。
「それに、私はもう16歳。卒業さえ迎えちまえば結婚もできる。すぐに大人になるぜ」
「ハッ、高校生は子供だよ。法律が認めようが、俺の対象にはいらねえ」
「そうか……」
少し寂しそうな顔になる。ここまで言えばさすがのこいつもあきらめるか。
「源治先生の好みにあうよう、いい女になれるように自分を磨いておくさ。そして、むしろ源治先生がほっとけないほどの女になるさ」
こいつメンタル強いな~。あきらめるって選択肢はねえのか。
「じゃあな、私は帰って野球を見なければならない」
「お前も野球を見るのか。どこのファンだ?」
「私は大戸タイガースのファンだ。決まっているだろう! 源治先生もそうなんだよな」
「……、俺は尾張ドラゴンズファンだ」
「え……」
何いってんのこいつ信じらんねみたいな顔で見られた。
「そんな、源治先生はそうだと思ってたのに……」
「いや、だって俺岐阜生まれだし」
「そんな感じしねぇよ!」
「岐阜生まれっぽい感じなんてないだろうが」
住みやすくていいところなんだが、いまいちアピールポイントがない。毎日飛騨牛でも食ってれば分かるのか?
「私は見て分かるとおり京都生まれだ」
「いや、ぜんぜん分からなかった」
京都どころかしゃべり方にまったく関西生まれを感じない。
「京都で生まれて育ったのはここだ。パパは京都人だが、ママはこの辺りの生まれで、私を京都の病院で生んだ後パパがこっちに来て住んでいる」
「本当に京都で生まれただけなんだな」
「ああ、だがパパが大の大戸ファンで、私もそうなった。私は1人っ子で息子のいなかったパパは私に野球を見せてくれて私が興味を持ったと思ったら、野球を教えてくれた」
なるほど、それで大戸ファンというわけか。
「源治先生よ。まさかこんなところで敵対するとはな……、あんな世代交代に失敗した落ちぶれ球団のファンなんて哀れで仕方ないぜ」
それはドラゴンズファンにとって踏み込んじゃいけない。
「おいおい、10年以上優勝していない上に、日本一にも30年なってない球団が何だって?」
「おいおい、それは愛する源治先生でも言っちゃいけないことだぜ」
無駄に火花を散らす俺たち。
しかし、これは相手が子供でも譲れない。
野球のファンというのは、そう言うものなのである。
「まぁいい。ファンというのはそれぞれだしな。だが、いくら優勝していなくても、ここ最近の成績はタイガースがドラゴンズより優秀なのは間違いない。過去の栄光を引きずるのは、負け犬のすることだぜ」
「見てな。今年のうちは違うからな」
そんなこんなで意外と楽しく話せてしまった。
くっ、子供と野球で相殺されてしまったか。
まぁ野球に罪はない。罪があるとすれば子供のほうだ。
「おう源治先生。今日も決まってるな!」
今日も中村が声をかけてきやがった。
「おう、わざわざ俺にチャンスを与えに……」
そういう彼女はスカートが以上に長くなっていた。
「どうだ、似合ってるだろう。短いスカートだと先生怒るからな」
「ふざけんな校則違反だ」
指導室へ強制連行。
次の日。
「おう、源治先生。どうだ、高級な素材の制服だぜ。これで先生にとって特別な感じにしてやったぜ」
「ふざけんな、校則違反だ」
指導室へ強制連行2
さらに次の日。
「おう源治先生、どうだ、スカートの下に長いジャージだ。これでいくらでも動けるぜ」
「ふざけんな」
今日も指導室へ連行しようとすると。
「まった! 私の大切な中村ちゃんをよくも!」
後ろから思い切り高い声で止められた。
振り返るとそこにいたのは女子。見覚えがないから俺のクラスではないようだ。大きな声で叫んでいたが、おっとりした優等生のような奴だな。
「武田! 武田じゃないか!」
中村がその少女を呼んだ。
「中村ちゃん、目を覚まして。あなたは真面目な生徒だったはずなのに、その男が来てから変な行動ばっかり。毒されてるわ!」
「これは私の愛の形だ。いくら親友の武田の頼みでもこれだけは譲れねぇ」
愛の形だったのか。知らなかった。
「な、中村ちゃん、もう完全に毒されちゃってるんだね。ならしょうがない。私の手で……」
お、これは中村をこの子が止めてくれる流れか。それは助かる。
こいつが絡んでくると、とにかくその対応でろくに時間が取れなくなるもんだから、残った時間で授業の準備とかをしていると、こいつらをこらしめる作戦を考える暇がない。
しかも、あれ以来俺が野球の話か、風紀に関係することだと無視しないと気づいたか、やたら俺をあおってきやがるから性質が悪い。
ここで、一旦距離をとってもらうのは俺にとって好都合だ。がんばれ武田。
「いつも岩本先生を監視するしかないわ!」
「なんでそっちに向かうんだよ! こいつを止めろよ!」
余計ややこしい方向に向かいそうなのでつい叫んでしまう。
「先生……、中村ちゃんが好きなのに知らないのね」
すごくあきれたような顔をされる。まず俺はこいつのことを好いてない。きちんと説明したはずなのだが、変な噂が残っているものだ。
「中村ちゃんは1度決めたことは簡単に曲げないの。どういう手を使ったか知らないけど、中村ちゃんが先生に惚れた以上は簡単には覆せないんだよ」
こいつの中では俺が中村をたぶらかしたことになっているのか。
「本当なら先生をクビにしてもらうのが1番いいんだけど、そうすると授業をやってくれる人と、中村ちゃんのクラスの担任がいなくなっちゃって大変になっちゃうし」
ちなみに俺は担任をしている2-2と、武田のクラス2-1の社会を担当している。残りの2-3と2-4は別の年配の先生が教えている。
「だったらせめて中村ちゃんに先生が変なことをしないかチェックしているしかないじゃない」
もうほっとこう。こいつはこいつで俺の話を聞く気はないようだし。
「もういいから授業だ。次は武田のクラスの社会だから、とっとと教室に戻れ」
2-1で授業をしていると、やたらと目線を感じる。
まぁ授業をしていれば、黒板に何か書いているとき以外は基本的に教師は注目されるものである。
2-2と比べると、2-1の生徒は真面目なやつが多いのかそれを強く感じることが多い。
しかし、今日のは明らかに違う。
教室の真ん中当たりに位置する座席に座っている少女の目線を感じた。
今中村はとなりの教室で授業を受けているわけだから、今の俺を観察して何になるのだろうか?
とはいってもこれだけ観察されて目があうと、自然にそっちに目がいってしまう。
武田、とにかく目立つ女子である。
中村もかなり目立つやつだったが、それとはベクトルが違う。
やつは高校2年生にしては小さすぎる容姿と変な口調で目立っていたが、中村は身長も165センチはあり、決して大きくはないが、周りの女子からは跳びぬけており、一部の男子生徒よりも大きい。
それ以上に、学生離れしたスタイルが、こいつを非常に目立たせていた。
俺は子供に興味はないが、これは同級生にはなかなか刺激が強いだろう。
しかも、中村と違って、確かに俺を見てはいるが、じっと睨む感じではない。逆に気になる。
一見見た目はおっとりとおとなしい清楚な女という感じだから、人気もありそうだな。教室では中村みたいな暴走をしないからおとなしいし、見た感じ授業を真面目に聞いているように見える。
まぁ、俺には関係のないことか。彼氏がいる様子ではなかったが、早くそういうのでも作って俺の邪魔はしないで欲しいものだ。
青春にときめいている男子高校生がんばれ。
「まったく、危なかったわ。また中村ちゃんと2人きりにさせるところだったわ」
「お前はまったく……」
そんなとある日、俺の生徒指導室には武田がいた。
また一騒ぎした中村を指導室につれてきたのだが、その様子を見ていたのか武田がついてきた。
「ところでだな」
「何かしら?」
「もう中村いねーけど」
「え!?」
本来用事があったのは中村なのだが、今日は彼女は日直で次の授業の準備を別の教師から頼まれているということで、説教は後にして開放していた。
「ふ~んそっか」
「さっさとお前も帰れ。俺はこれから提出課題の添削と、ここの片づけがあるんだ」
教師の仕事は授業というイメージが強いが、実際に授業をしているのは半分くらい。残りは、職員会議や、書類作り、授業スパンを考えたりととにかく忙しい。
加えて俺は生徒指導の立場にもなっているので、実質休みなしで仕事をしている。
「散らかりすぎでしょ。先生って片付けられない男子なの」
「俺が散らかしたんじゃない。ここにきたらもう散らかってたんだ。」
俺が生徒指導室に来たときは、必要な書類が全部ダンボールに山積みになっていた。
まだ歴史の浅い学校とはいえ、そこそこの数の卒業生を出しているのだから、書類はかなり多い。
歴代の生徒指導の教師の負の遺産。こういうの俺大嫌い。だけど、片付ける時間がなくて、3分の2くらいまだ残っている。
「変に触るなよ。特に1番奥のダンボールにはたくさんモノが入っているっぽいから……」
そう言う前に、既に武田がそっちの方に行ってやがった。
「中村ちゃんが本当にいろんなところを散らかすから、私はいつも片付けてたの。だから散らかってると気になるわ」
「お前らって付き合い長いのか」
「いわゆる幼馴染っていう関係よ。教師なのに、そんなことも見て分からないのね」
「新任だって言ってんだろうが」
こいつ最近しゃべり方とか態度が明らかに俺と2人のときだけ悪いな。普段の授業中おとなしいのは猫をかぶっているのか。普段のこいつクラス違うからそこまでは知らねえけど。
「私は中村ちゃんの成長をずっとそばで見守ってきたから、幸せになってほしいの」
「あいつ成長してるのか? 見た目小学生みたいじゃねえか」
「それは言っちゃいけないの。それよりもあんないい子をあなたみたいに子供が嫌いとか危ないことを言っている人間にとられるわけにはいかないわ」
「いらねえよ。あいつのことはお前にやるから止めてくれ」
「あ、あんなかわいい子に好かれてるのにいらないって……。もしかして!」
「ようやく分かったか」
「私みたいな大人っぽいスタイルの方が好みということになるから……。私を狙うために親友の中村ちゃんに狙いをつけたってこと!?」
どんだけ遠回りやねん。
「なんでそうなるんだよ。そもそも俺は中村とお前が知り合いであることをお前と会うまで知らなかったんだからそんなわけないだろう」
きちんと正論で説明したはずなのだが、武田はスカートの裾を押さえて、後ろに後ずさりする。
「おい馬鹿! そんなに下がったら!」
ダンボールが積みあがったところに武田がぶつかる。
「あ……」
後ろを振り向くが、武田は動けず止まってしまう。ダンボールに何が入っているかは確認していないが、揺れ方を見れば軽いものではないことは分かる。
もしそれが頭にでも当たったら……。
そう思ったときには、武田の体を軽く押した。
このとき相手が中村みたいに小さければ、自分の方に思い切り引き寄せればよかったし、相手が男子ならば、思い切り押しても良かった。
しかし、相手は高校生女子。思い切り押して怪我をさせるわけにも行かず、なんとなく嫌われているっぽい彼女を自分の方に引き寄せて抱きしめる感じになるのはためらわれた。
押す力が弱かった分、俺があまり前に出られず、俺は大量の荷物の下敷きになった。
「せ、先生! 大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
初めに大きな衝撃が頭にあったが、どうやら中に入っていたのは紙の書類がほとんどで、束ねられていたわけでもなかったので、ダンボールの重量そのものはあったが、うまくバラけて衝撃を抑えられたようだ。
「まったく、これは歴代の反省文とか修学旅行の予定表とかお知らせの紙か……。いらないのが多いな」
反省文とかは必要だろうが、お知らせの紙など古いものでは5年前のものもあった。絶対これはイランだろう。
いい機会だ。整理するついでにいらないもの処分しておこう。
「おい武田」
武田に声をかけた。今回この部屋が大幅に散らかったのは武田の不注意のせいもある。というかほぼ全てがこいつのせいである。
しかし、武田は青ざめた顔で俺を見ていた。
「なんだ? そんなに怖かったか?」
「せ、先生……、頭から血が……」
「へ?」
そういえば頭が濡れてるな~とは思ったはいた。汗かと思ったら血だった。
「うわぁ、やべえな」
「ど、どうしよう……、救急車呼べばいいんですか」
武田がかなり慌てていた。教室では常に余裕があって、俺と2人のときはかなり強気だったから、どちらにしても珍しい表情であった。
「あれが落ちてきたのか……」
散乱するプリントに混ざって大きなファイルが1つだけあった。それだけは唯一プリントがきちんと綴じられて、そのファイルの角が俺の頭に当たったようである。
「頭の怪我は傷が開きやすいから血がたくさん出るもんだ。たいしたことはないと思うぞ。武田は大丈夫か? ちょっと押しちゃったけど」
「私は大丈夫ですよ! それより先生が!」
「いいってこれくらい。でも一応保健室だけは行って来るな」
「わ、私も一緒に……」
「武田はここにいてくれ。俺はこのプリントを片付けないと帰れないから、少しでも俺が速く帰られるように、片付けをしておいてくれ」
「はい……」
すごく不満そうだったが武田はうなづいた。
生徒指導室を彼女に任せ、俺は保健室に行った。
「ふぅ、やっぱりたいしたことはなかった」
保健室に入ったときは先生に驚かれてしまった。
自分の顔は見えないものだが、意外と出血多量であったようで、顔まで血まみれだったそうだ。
軽く消毒して、10分ほど止血するとすぐに止まったので、傷は浅かったようである。
ただ、俺の陰湿な顔に眼鏡に目元まで隠れた前髪と血まみれではホラーにしかならないので、かなり注意されてしまった。ちょっと理不尽じゃないか?
生徒指導室の前まで歩くと、武田となぜか中村もいた。
「源治せんせーい! 怪我したって本当かー! 大丈夫なのかー!」
俺の姿をみるやいなや、中村の突進を喰らった。
普段なら体重の軽い中村の体当たりくらいは大丈夫なのだが、少し血を出したからか、倒れてしりもちをついてしまう。
「ああ、大丈夫だ」
「武田をかばって怪我したんだってな。さすが私が見込んだ男だけのことはある。惚れ直したぜ。しかし子供が嫌いとか言いながら生徒を助けるのは矛盾しているんじゃねぇか?」
「矛盾してねえよ。俺の意思できちんと指導したいだけだ。こんな事故で子供が痛い目に合うのは俺が気に食わん。それ以前に人として助けないわけにはいかないだろうが」
俺が生徒指導室に生徒を呼んでその生徒が怪我をしたら間違いなく俺がPTA的な何かに攻められる。
今回の場合は勝手に武田が来たんだが。そんな事情が通らないのが大人の世界。
「本当に頭大丈夫?」
「ああ、大丈夫だぞ」
学生時代俺はよく頭大丈夫といわれたからな。俺の頭は優秀だぞ。
「怪我は本当に大丈夫か」
「うん、先生が助けてくれたし」
「ならいい、実は怪我してたとかいうなよ。お前は女の子なんだから怪我でもしてたら俺は責任が取れん」
「うん、ありがとう」
ずいぶんと敵意がなくなったな。今回の件がかなりショックだったようだな。
助けた俺が確かに怪我をしていては仕方がない。心配されると余計うるさくなりそうだからな。
その後中村も手伝ってくれたおかげで掃除は早めに片付いたのだが、2人が部活に遅れたため俺は校長に怒られてしまった。
その後、中村だけではなく、武田もやたら俺に絡んでくるようになり、ただ単に2倍俺の迷惑になるやつが増えただけである。
中村は幼馴染がライバルになっていい展開になってきたとか意味のわからんことを言ってたが。
そんなとある日、俺は教頭に呼び出され、野球部の顧問を頼まれた。
理由は、俺が特定の部活の顧問をしていないこと、野球部の女子2人と仲が良いこと。武田も野球部だったらしい。
そういうことで、顧問を頼まれていた。
断ろうとしたが、断ると明日から職安に並ぶことになるという脅しという名のパワハラを受けた。
まぁ強いて何かしなければならないなら野球部だろうし。それで我慢しよう。
明日から様子を見に行くことをするか。
「と、いうわけで、待望の顧問の先生だ。ありがとうございます。岩本先生」
キャプテンらしきやつが俺を紹介する。
キャプテンの名前は小林というらしい。俺より背も高くてイケメンのさわやかなやつだ。
いかにも青春楽しんでます的な感じが気に食わない。しかも俺よりかなり背が高い。
「よろしく、俺が岩本源治だ。生徒指導もあるからあまり来れないかもしれないが、まぁ好きにやってくれ」
俺の発言を知っている2年生はやや訝しげな態度で俺を見ている。
もちろんそこには中村と武田もいて、その2人だけはやたら嬉しそうであった。
今日はとりあえず生徒指導室においてすることはないし、野球も今日はやっていない。
子供は嫌いだが野球を見れるのは悪くない。
というわけで、まずは全員の動きを見るため、特にメニューの指示などは出さず、みんなの動きを見ることにした。
まずは軽くランニングからの体操とストレッチ。
体を解す運動をした後はポジションごとに分かれて練習をしている。
キャプテンである小林はキャッチャーのようで、とりあえずノックをする関係で、小林がノックをするようだ。
それぞれのポジションには2人くらいの選手がついていて、中村はショートについている。
野球部の人間は比較的背が大きくて、女子としても小柄なあいつは目立つな。
投手は4人で合計すると23人いる。
投手は別メニューをやっているようだ。武田は投手だったのか。
まずは守備練習を見に行ってみるか。
小林は非常にノックがうまく、単調なゴロから、きわどいゴロ、ライナーにフライもうまく打っていて捕るほうもやりがいがありそうだ。
しかしこう見てみると、中村がレギュラーをとれているのがよくわかる。
前は窓越しだったが、あらためて見ると本当に初速が速い。
体の小ささは反射神経できちんとカバーできているし、ショートバウンドやきわどい球際も落ち着いて処理できている。
そして小回りの利く体のバネを全力で利用して投げる肩力はなかなかのものである。
他の内野のやつと比べて明らかに中村の動きは違う。
女子の選手らしきやつはほかにも外野に1人いたが、そいつは目立った感じはしない。
やはり中村は別格なのか。
ノックを見た後は投球練習を見る。
男が3人に武田。
男は右投手が2人に左投手が1人。全員スタンダードなセットポジションからの投球で、球が速かったり、コントロールがあったり、変化球がうまかったり多種多様に粒ぞろいであった。
武田は右投げサイドスローであった。
しかし女性のサイドにもかかわらず、140近い球速にスライダー、シンカー、シュートを投げ分けていた。
彼女の投球を始めてみたが、他の3人に何の遜色もない。ただ、投球練習にもかかわらず、コントロールがひどい。
キャッチャーの構えたところにまるで向かっていない。いわゆる荒れ球投手というやつである。
お嬢様キャラにまるで会わない投球スタイル。野球では猫をかぶる気はまるでないのか。
キャッチャーは小林以外に2人いて、その2人が順に4人を受けていた。
その後はトスバッティング、シート打撃、実戦練習、走塁練習などを行い、1日の練習はそれで終わりであった。
「おう源治先生。お疲れさんだぜ」
「先生。私の投球見てくれた?」
練習が終わると、中村と武田が向かってきた。
汚れたユニフォーム姿で抱きついてこようとしたので思い切り避けた。
その結果、2人とも地面にぶつかった。
「私の愛を受け止めてはくれないのか!?」
「汚れてるから近寄るな。せめて着替えてからにしろ」
「着替えたらいいの?」
「そういうわけじゃねえよ。ただ、俺は今日汚れていい格好してねぇんだ」
今日俺はスーツを着ている。決していいものではないが、2着しかないスーツの1つだ。汚れてクリーニングに出すのが面倒くさい。
「野球部の顧問がそんな小さいことを気にするんじゃない!」
「顧問だろうがなんだろうが、面倒くさいのが大嫌いなんだよ」
「まぁいいぜ。私たちは着替えてくるから待っててくれ」
「覗いたらだめですよ」
もちろん俺は見捨てて帰った。
その次の朝は、HR前の1時間前に登校したが、2人に待ち伏せされ、朝から疲れる羽目になった。
「はぁ、朝から疲れる。やっぱり子供は嫌いだ」
「朝からとんでもないことを言わないでもらえますか」
話しかけてきたのは若い女性教師であった。
この学校には本当に年配の教師が多く、あまり話が合わなくて、職員会議以外では、俺への注意くらいしか絡みがなかった。
もちろん俺もそんなに話したいわけではないので、むしろ好都合であったが。
この女性教師の名前は確か宮西とかいったか。2-1の担任をやってるはずだ。
今日まで俺が何を言っても理解できないようで無視をし続けてきて話しかけるようなことはなかったのだが、どういう風の吹き回しだ?
「なんですか。いきなり話しかけてきて」
「教師が教師に話しかけて何が悪いんですか?」
正論だ。
「まだ俺に話しかける教師がいたんですね。他の教員はまったく俺に話しかけてきませんよ」
俺の野望をいつも話すと距離を置かれる。どうも意見が合わないようだ。
「それは当然でしょう。どこの教師が職員室で子供嫌いとかいうんですか。ずっと他の人は止めてましたけど岩本先生がやめないからあきらめてるだけです。はぁ、何であなたが野球部の顧問なんかになってるんですか……。子供嫌いなら断ってくださいよ」
「野球は嫌いじゃないですし、教頭からの命令では仕方ないでしょう。それにあなたには関係ないでしょう」
「関係あります! うちの野球部は結構強いんですよ!」
それは知っている。俺が昔甲子園に出たときもここの名前は見たからな。野球部の歴史は決して長くはないが、甲子園には春夏あわせて3回でていて、べスト4に残ったこともあるらしい。ここ最近は少し甲子園から遠ざかっているが、十分全国狙える戦力は残している。
「それが何か? 先生はバスケット部の顧問との兼任をされてて大変と聞きました。むしろ感謝されてもいいと思っていますが」
教頭に聞いたところ、ここには顧問がいないわけではなく、宮西先生が兼任していたらしい。ただこの人はバスケの経験はあっても、野球の経験がないため、試合の遠征などを除いてはバスケ部に行くことが多くて、週2回くらいしか顔を出していなかったらしい。
うちはバスケ部も強いらしく、なかなか大変だったらしい。
「私がなぜ教師になったと思います?」
「子供がお好きなんでしょう?」
「はい、子供はもちろん好きです。特に、大人でありながら子供、子供でありながら大人である高校生。そんな彼らを正しく導く高校教師はとてもやりがいがあると思います」
その瞳は純粋でまっすぐな気持ちが伝わった。俺とは考えが根本的に違うようだが、まともな考えを持った人のようで安心した。
俺にかまってくる子供は人の話聞かないし、教頭はうざいし、周りは年配の教師ばかりであまり問題を起こしたくないのかどうも冷めたやつが多い。
俺とはベクトルが異なるが、熱い思いを持ったきちんとした教師がこの学校にもいて安心した。というか、まともな人間がいて安心した。
「そして、高校生ともなれば、将来性がそろそろ分かりだす時期でもあります。若い有望な子に声をかけておいて、進学や就職以降も関係を持ち、優秀な子を捕まえてものにするのが私の教師としての夢です。かなったら教師やめるかもですけど」
訂正。ちょっとまともじゃなかった。
「あんた、高校生と付き合うつもりで高校教師になったんですか?」
「違いますよ、高校生に手をだしたら犯罪じゃないですか。今のうちに目をつけておくだけです」
「残念です。やっとまともな人と話せると思ったんですが」
「あなたにまともじゃないと言われる筋合いはないですよ」
「ですが、今の話と俺の野球部顧問になることは関係しないでしょう。むしろ時間が取れていいのでは?」
「違うんですよ、岩本先生。野球部は私の狙いの1つなんです」
「というと?」
「日本でお金を稼げるスポーツは野球かサッカーです。でもこの学校サッカー部はあまり強くないので、野球部の将来有望な子には声をかけまくっています、顧問ですから自然にかけれましたし」
「はぁ……」
「そして、ついに今年の野球部は私の好みどストライクなんです」
そろそろ聞くのが面倒になってきた。どうせ小林とかだろう。
「私好みのかわいい子である、中村さん。あの子は将来有望ですよ!」
おおう、まさかの大暴投が来た。
「宮西先生、まさかそういう性癖があるんですか?」
「いいえ、別に男の子でもいいですよ。でも高校生男子は教育しがいはありますけどかわいくはないんですよ。それこそ1学年に1人いるかいないかです。それと比べると、女の子はかわいい子から綺麗な子までたいてい幅広くいます。中村さんみたいな高校生とは思えないくらい小さい子は私の好みで、しかもあの子は将来有望。是非モノにしたいですね……、あれ? 岩本先生?」
話の途中で逃げた。かなりあれはやばい人だ。
今後できるだけ無視しよう。
それでは、これから岩本くんと宮西くんによる野球部顧問を決める対決をする!」
俺はなぜかジャージ姿でグラウンドにいた。
仕切っているのは教頭である。
~少し前~
「岩本先生はどこ!?」
授業中こそ邪魔してこないものの、授業の合間にやたら絡んできた。
彼女のお気に入りである中村に好かれていること、野球部の顧問を奪ったことでとにかく恨まれていた。
何とか逃げていたが、ついに今日追い詰められてしまった。
「フフフ、逃がしませんよ……」
この人は身長がほんのわずかだが俺よりもでかい。しかも体育教師ではないが、女子バスケ部の顧問であるため、フットワークがとにかく軽い。
追い詰められると、逃げようがなかった。
「源治先生。やっぱり子供よりも大人がいいのか? そんなにいちゃついて」
またそのいいタイミングで中村が通りかかり、絡んでくる。
「お前にはこれがいちゃついているように見えるのか……」
「ち、違うのよ。私が好きなのはあなたよ」
混乱して告白してやがる。
「残念だが、私は既に源治先生のものだ」
「いつ俺がお前をものにした」
「ひどいですね岩本先生。生徒をものにするなんて教師としてどうなんですか?」
「生徒に告白するあなたもいかがなものだと思いますよ。しかも女子相手に」
「話は聞かせてもらった!」
そこに教頭が現れる。
「教頭先生?」
「悪いね、宮西くん。あなたが忙しそうだと思ったから岩本くんに頼んだんだが、余計なお世話だったか」
「いいえ、でしたら岩本先生を女子バスケ部の顧問にすればいいじゃないですか?」
「そんなうらやましいことは私が認めん。男子が多い部活は男の顧問。女子が多い部活は女の顧問がやるように私が決めている。高校生はデリケートだからな。相談とかがあるときも何かと同姓の方がいいだろう」
一見まともなこと言ってるけどこの教頭さらっとうらやましいとか言わなかったか?
「女子バスケ部は教えがいはあるんですけど、みんな背が大きくてかわいくないんです。私の興味ある子がいないんですよ。野球部の女子は3人中2人が小さくて可愛らしいです。唯一大きい永川さんもとても顔はすごく好みでかわいいし、165ならまだ可愛いラインだもの」
この人も何を言ってるんだ。
「あなた中村みたいな子がいいんじゃなかったんですか?」
「本命は中村さんよ。でも武田さんもいいのよ。クールそうに見えて、意外と抜けてるところもかわいいわ」
可愛けりゃなんでもいいのか。そして確かもう1人小さい女子がいたな野球部には。野球部の女子はこの先生に狙われているのか。
「というわけで、宮西くんは野球部顧問を譲れない。そして、岩本くんを女子バスケ部顧問にするのは私が認めない。というわけでお互いに譲れないというわけだ」
「俺の意思が介在してませんけど?」
野球部のほうがいいといえばいいが、別に勝負してまではやりたくない。
岩本くん。これはもう君だけの問題ではないんだ。君は実にモテている。既に中村くんと武田くんを落したと聞いているああうらやましい。私もあの2人は狙っていたのに」
「もう本音を隠す気はないんですね」
「これ以上君に女子を近づかせたくないんだ。去年いた若い男性教員は今留学中でいなくてやっと私の時代かと思ったら、校長が君のような若い教師を連れてきてしまって」
この発言を聞いている限り、俺がいなかったとしてもこの教頭の時代が来るとは思えないが。
「大体あなたが俺を野球部の顧問にしたんでしょう」
「それは校長の命令だ! 私は嫌だった! 私も生徒とラブコメしたい!」
「おじさんがラブコメいわないでくださいよ。後そのラブコメしたい対象の2人がドン引いてますけど」
教頭が振り向くと、中村といつのまにか武田もいた。
「教頭先生……、学園の2番手ともあろう人が……」
「年上は嫌いじゃないけど、がっついたおじ様は駄目ですね」
「ほら、君のせいで!」
「俺何も関係ありませんよ」
「ていうか、みやちゃん。そう言う目で中村ちゃん見てたんだね。いつも話があうな~とは思ってたんだけど」
そうか、武田のクラスの担任が宮西先生か。仲はいいんだな。
「ええ、あなたのことも好きよ、中村さんはすごく圧倒的だけど、十分あなたも魅力的だわ」
「というわけで、岩本くん。けじめはつけてくれたまえ。君が中村くんを自分のものにしたせいで、いろんな人に迷惑がかかっている」
「主に俺が1番迷惑被ってますけどね」
「野球部の顧問をするならば、やはり野球がうまい方が正義です! 野球で勝負しましょう」
というわけで今に至る。
「対決方法は明星高校の控え5人メンバーと対決してもらって、より抑えたほうが勝ちだ。審判は教頭の私が行う。ではまず先に宮西くんやってくれたまえ」
同じくジャージ姿で宮西先生もマウンドに立つ。
彼女はバスケ部の顧問だが、まともに投げられるのだろうか? 確かに身長は俺よりちょっと大きく体格も悪くはないが、どうなのか。
1人目は小林の控えをやっているキャッチャーだ。強肩豪打の小林とは比べるべくもないが、十分レギュラーをはれるだけのスペックはある。
宮西先生の構えは特に決まっていない感じで、型にはまっていない。
足を上げるわけでもない。思い切り手投げであった。
ギュイーン!
しかしそのストレートは恐ろしい速度でキャッチャーをやっている小林に向かっていった。
球はど真ん中ストレート。だが、ノビが抜群によく、空振りしていた。
「あー、相変わらず速いですね」
小林が飄々とした感じで言う。
「いやいや、なんですかあの投げ方は。まったくなってないじゃないですか。その割りにはめちゃくちゃ
ストレート速いですし」
「宮西先生はなんでもできるんだ。スポーツなら」
後ろか中村が話しかけてくる。俺の立ち位置はピッチャマウンドのすぐ後ろ。
ショートを守っている中村とはかなり距離が近い。
「宮西先生は強いのか?」
「ああ、バスケ部時代に選抜の大会で優勝している。それからも運動を続けて、練習にも時々参加してるから、まだまだ身体は強く残っている。当時から男子顔負けの体格をしてて、スポーツなら何でも強いらしい。野球部の助っ人にも出たことはあるらしいぞ」
その後、先頭打者は三球三振。2人目は4球目を内野フライ。3人目は内野ゴロに打ち取った。
4人目は外野で目立たずにいた女子の選手だ。
「ごめんね。あなたも私のお気に入りだけど、勝負では負けられないわ」
あっという間に追い込まれていたが、その後粘る。バットコントロールがいいんだろう。
そして、7球目。きれいなセンター返しを見せた。
その後5人目も討ち取り、成績は
三振、遊フライ、二ゴロ、センター前ヒット、三振の結果であった。
野球の純粋な経験がほぼない彼女の実績としては十分であった。
「ふむ、ということは、君は2人以上に出塁を許したら明日から職安だね」
「え? 俺顧問だけじゃなくて仕事もクビになるんですか?」
「何言ってんの? この学校には顧問を絶対にやらなきゃいけない義務があるんだから、顧問でなくなったらここの教員の権利ないだろう?」
そんな義務は初耳だが。
「あんたこそ何言ってんですか? 別に副顧問とか、別の部活を割り当てるとかでいいでしょう?」
「残念だが、もう空いている部活はない。そして副顧問は私が認めない。君がいたら絶対に中村くんが振り向いてくれないだろう!」
既に無理な気がしなくもないが。
「源治先生! がんばれ!」
「先生負けるなー!」
「ちっ、応援されていい身分ですね」
「露骨に舌打ちをしないでください」
「野球部なのに元顧問である私を誰も応援してくれなかったのに……」
「落ち込まないでください。俺は先生を応援してますから」
1人気を使って宮西先生に話しかける。
「ありがとう、でも私の好みじゃない子に応援されてもあまりうれしくないわ……」
何気にひどいな。応援していたあの男子は先生のこと好きっぽいのに。
「応援してくれる人になんてひどいことを言うんですか?」
「何教師みたいなことを言ってるんです? 子供嫌いの癖に」
「俺は全ての子供を嫌ってます。先生みたいに相手によって態度は変えませんよ!」
「ねぇ、中村さん、こんなこと言ってるけど本当にこの人でいいの?」
「2人に大きな違いがあるとは思えないんだぜ」
「とにかく、さっさと終わらせます」
俺は投球モーションに入った。大学時代は実戦はしていないから、打者相手に投げるのは久しぶりだな。
「どうせあの勉強馬鹿っぽい見た目ですから、野球なんて出来ないでしょう……?」
俺の構えを見て全ての人間は驚いていた。
俺の投球フォームは右投げで、顔の少し前でグローブを構え、大きな円を描くように腕を振る。投法はスリークォーターで投げる。
あまり静止しないで、ずっと同じ感じで腕が動くようにしているので、力を入れた部分が分かりづらく、タイミングを計りにくい。
そして、少し腕が遅れるのでなお分かりにくいはず。
まずはストレート。球速はあまりないが、コントロールも自慢だ。
右打者の外角低めに完璧に決まった。これは文句なしのストライクだ。
そしてもう1球投げた後、変化球を見せる。
俺の得意球はスライダー。真横に変化する球で、俺はこの球を投げられるようにひたすら腕をケアし続けた。
本来スライダーはは手首を外側にひねって曲げるが、俺の場合は体も逆側にひねるため、よりキレが増す。体ごとひねってスライダーをなげることで手首でひねる以上にボールに回転が加わり、キレがます。そしてスリークォーターをサイド気味の投げ方をすることによって真横の回転がかかる。腕だけではなく体も使ってスライダーを投げる。
そのスライダーは相手が右打者なら、体に当たる直前からストライクゾーンへ、左打者相手なら内角をえぐる魔球になる。
久々に投げたが完璧に決まった。ちょっと大人気ない気もするが、全盛期はこれよりずっと速くて曲がる球を高校生相手に投げてたんだから、別に問題ないよな。
なんか明らかに周りからの目線が痛い気もする。
「かっけーぜ!」
「さすがですね先生」
2人だけ声援をくれた。子供嫌いの俺でも嫌われるよりは好かれた方がまだましである。
俺の結果は5人中4人三振。1人だけバットに当てて、ピッチャーフライに討ち取った。
あいつは確か宮西先生相手でもヒットを打ってたな。多少打ちやすいことを考慮に入れても、あいつのバッティングは光るものがあるな。
ちなみに現在プロでも女子選手が活躍しているが、これにはある理由がある。
少子高齢化が進み、男子だけでは野球を目指す人間が少なくなったことや、女子野球のように女子の人数が少ない競技は経営が難しくなった。
そのため、男女混合が可能な競技がどのようなものか実験的に行われ、それに野球が該当した。
条件は以下のとおりである。
男子投手VS男子打者 通常のボール+金属バット
男子投手VS女子打者 ラビットボール+飛びやすい加工がされたバット
女子投手VS男子打者 低反発球+金属バット
女子投手VS女子打者 低反発球+飛びやすい加工がされたバット
以上である。
分かりやすいように、飛びやすいバットは色が赤か緑に決められ、ボールもラビットボールが縫い目が青、低反発急が縫い目が緑になっている。(通常のバットは赤緑以外、通常のボールは縫い目が赤)
これ以外にもさまざまな条件がつけられたが、結局はこれが最もバランスが良いということになり、高校生以上では適用されることになった。
特に、ラビットボールに対する飛びやすいバットの組み合わせは女子打者の非力さを補って余りあり、甲子園の大会で女子選手がホームランを打つシーンも珍しくなくなっていた。
「まぁ見て分かるとおり俺の勝ちですから、現状維持でいいですよね」
あ、宮西先生が顔を真っ赤にして怒ってる。
「残念でしたね。俺の見た目は確かに運動しているようには見えないでしょう。ですが、俺は野球の経験があります。俺が負ける要因はありませんよ。野球部のメンバーも俺の球を打てないようじゃ困るぞ」
周りが俺を冷めた目で見るが、負け犬の遠吠えなどむしろ聞いていてすがすがしい。
「さすがだ。控えメンバーとはいえきっちり抑えるとは」
「先生かっこいいです。完全勝利ですね!」
2人ほど俺をほめているやつもいる、それはそれでいい。
「宮西せんせーい。どんな気持ちですか?」
俺は下から宮西先生を眺める。きっと悔しそうな顔をしているのだろうと思った。昔から、自信満々の相手を打ち負かすのは気分がいい。
「せんせー……」
その瞬間、俺は宮西先生に捕まった、顔は確かに赤かったが、その表情は悔しさに満ちた苦渋の表情ではなく、満面の笑みであった。
「岩本先生……」
「は、はい?」
「惚れました。結婚を前提に結婚してください」
「何を言ってるんですか!」
「おい宮西先生! 先生の狙いは高校生じゃなかったのか!?」
「いいえ、私ももう26歳。そろそろ高校生は厳しいと思っていた時期でもあるの。私の予定では新任のときに、岩瀬先生みたいに多くの生徒をキープにしておく予定だったんだけど」
俺にそんな予定はなかったが。
「もう卒業生の子も私より8歳下で、しかも進学校だから大抵大学に行って私のことを恋愛対象には見てくれないの。それは4年で分かったわ」
もっと早く分かれ。
「でもやっぱり私は年下の男がいいの。そしたら、初めは偏屈な理屈変態野球馬鹿しか来なかったから今年はあきらめてたの」
偏屈な理屈変態野球馬鹿というのは俺のことか?
「ただ野球を見てるだけかと思ったら、しっかり運動もできて、子供たちとも口で言うほど中悪くないみたいで、顔もよく見ると悪くなくて、十分私の好みにあっているわ」
「よし! 宮西先生! そのまま押せ! そうすれば中村くんは私のものだ!」
教頭はこの状況を止めろ! あるいは誰かが教頭を止めろ!
「みやちゃん。中村ちゃんを愛するもの同士仲良くなれると思っていたんですけど、それも今日までですね」
「ごめんね武田さん。あなたたちに向ける感情は、純粋なものだけど、今日から順位が変わるわ」
「源治先生を1番にするのか?」
「いいえ、同率1位が3人よ」
「ふふん、私の1位は源治先生だぜ」
「私の1位も岩瀬先生です。ピュア度で私達の勝ちですね」
「若いわね。私くらいの年になると、1人に絞って何かをするのはリスクがあるのよ」
「大人の事情は聞きたくなかったぜ……。というか、源治先生に決めてもらうのが1番早いだろう。そろそろ、よし……、あれ? どこ行った?」
「探しましょう!」
「私が捕まえて家につれて帰ります!」
「じゃあ早い者勝ちだな。よしいくぞ!」
「あのー、練習はどうしましょうか?」
『そのままノックをしてくれ~』
見つからないように小さい声でクラブハウスの影から指示する。
『はい、分かりました』
小林は非常に空気を読めるやつだ。きちんと小さい声で応対してきた。あいつは子供認定から除外してやろう。
「源治先生よ。私の気持ちを知っていてまさか武田に行くとはな……」
「そうですよ。生徒と先生の恋愛なんかうまくいくはずないのに。毎日毎日武田さんと2人きりで過ごすなんておかしいですよ」
「先生には私が必要なんです。関係ない人は出て行ってちょうだい」
「おいお前ら、今から補習なんだ。とっとと出てけ」
今日は武田の補習である。武田はかなり頭が悪い。
ほぼ全て赤点であり、教師それぞれで応対できないため、俺が見ている。さすがに俺も全教科は網羅していないが、補習レベルの授業なら1人でマンツーマンで教えるのが楽であり、進路指導担当の俺が任されているのだ。
だが、武田の馬鹿さはなかなかレベルが高かった。
たとえば……、
『見えないところで家や会社を支える人を縁の下のなんと言う? A 力持ち』
「剥製!」
「こえーよ!」
『長方形の面積の求め方は縦×何? A横』
「脚立!」
「どういうことだ?」
「長方家に立てかけるんですよね? 脚立じゃないなら梯子とかですか?」
「立てかけるんじゃないよ! 縦になにを掛け算すると面積がわかるかっていう質問だよ! あと長方家ってなんだ!?」
『物事を肯定的に考える思考をなんと言う? A ポジティブ・シンキング』
「ポジD!」
「…………、正解…………、ではないな……。間違ってはいないんだが」
とにかくどの教科にしてもこのレベル。一応問題と答えが微妙に整合性があるのがむしろ厄介である。これなら分かりませんの方がましだ。
「とにかく! ちっこい中村さんならともかく、見た目大人な武田さんだと間違いが起こりかねないんですよ! 私は絶対立ち会いますよ」
「宮西先生よ。さりげに私をちっこいと言うんじゃない! 私は大器晩成型なんだ」
「いいから帰れ!」
俺は2人を外に締め出し、鍵をかける。外から何か聞こえてきたが無視。
「先生~。抜き打ちテストをするなんてひどいと思う。私は先生を愛しているけど、ちょっと許せないかな」
「俺はお前の点数が許せんわ」
「テストの点が取れればえらいんですか?」
「えらいんだよ。テストの点が取れる奴はがんばってるんだよ」
「私は早く野球がしたいの」
「そのための最短ルートは俺の補習を聞くことだ。他にない」
「くっ、だったら先生に嫌がることを強要されたとPTAに訴えるしかないのね」
「お前どこまで勉強したくないんだよ」
「勉強できないんだもん」
「勉強できないんなんて甘えだ。できるまでやればできる。野球も一緒だろうが」
「野球は好きだもん」
「とにかく、俺は補習しても何も得がないんだ。でもお前のためにやるしかないんだよ。必要最低限の知識も得られない奴は社会にでてから苦労する」
「分かったわ。とりあえずがんばって見ようと思う」
はぁ、ここまで何分かかってんだ。
「とっとと片付けて俺も野球見にいかないといかんのだ。馬鹿でもいいからせめてがんばれ」
その後彼女(俺)のがんばりによって、一応課題は終わらせることができた。
「終わったー。野球に行こう!」
異常な速度で武田は外に出て行った。元気だな。
「先生、終わりましたか?」
開いたままのドアから声がして、そこを見ると宮西先生が立っていた。
「はい、何か用事ですか?」
「いえ、武田ちゃんって私のクラスの生徒じゃないですか?」
なるほど、一応迷惑をかけたことを気にしているのかな?
「あの子クラスではクールな知的お嬢様ぶってますけど、本当に授業ではお馬鹿なんです。だから、きっと先生も教えるの苦労されたでしょう。それできっと疲れていると思ったので、その隙に襲って既成事実を作ろうかと思いました。さぁ、私の愛を受け入れてくださ……? あら? 先生?」
やばいやばい。冗談だと信じたいが、目が本気だった。武田を心配してる発言からのスライドがあまりにも早くて驚いた。もう少し遅かったら捕まるところだった。
「おーい、源治先生。そんなに走ってここまで来てくれるなんてやっぱり寂しかったのか?」
野球部のところに来たのは、とにかく人の多い場所にいなければ危ないと思ったからだ。
「おう、小林。今日はどこまでやった?」
「はい、キャッチボールまでです。武田さんは今ウォーミングアップをしています」
「よし、俺が昨日話したとおりの時間で終わらせてあるな」
~一週間前ほど前~
「小林。これがここの練習メニューか?」
俺はとりあえず顧問になった日から練習をずっと眺めていた。
やはり顧問が事実上不在な時期が長かったこともあり、ほとんど自主練習が中心になってしまっている。
もともと甲子園にでた実績があるので、その遺産が残っているのか意識は決して低くはない。多少談笑したり、適当にふざけている場面が見られなくもないが、怒るほどではない。
ただ、やはり課題がはっきりしない練習が目立つ。一見しっかりやっているノックも、ほとんど打ってもらって捕るだけ。投手も好きな球を投げているだけ。打者も素振りやフリー打撃ばかりでただ反復練習をこなしているだけ。
個々の技術は低くないので、見た目ちゃんとやっているように見えるが、目標や課題がはっきりしない練習は時間の無駄である。
だから、俺はとにかく初めの1ヶ月は見続けた。
ただ見てるだけでも意外と効果はあるのか、初めの一週間だけでも少し練習に緊張感が出た。
目標をきちんと甲子園に見据えてはいるので、後はきちんと課題を見てやればいい。
野球観賞暦17年、野球実戦暦15年だが、とにかく俺はこいつらのことを知らない。だからとりあえずは見る。
そして全体の課題、個人の課題を見直していた。
「まずはトスバッティングだ。ただ、投げて打つだけでは面白くない。ピッチャー役はできるだけ違う捕球方法でとってみろ。フォアハンド、バックハンドいろいろとな。で、お前はずっとスクエアスタンスで打ってるから、この練習はオープンスタンスでやれ」
「次はフリーバッティングだな。12本打ってもらうが、6本は普通に打っていい。後は外野フライ狙い2本、盗塁援護が1本、スクイズが1本で右打ちも1本。後は、2ストライク3ボールからのフリーでいい」
「走塁練習も、ただ走るだけじゃなく、ケースを想定するぞ。今日は1アウトで自分が1塁のときに、ポテンヒットが飛んだときの判断練習だ。これは経験をつむしかないから、ひたすら練習するぞ」
「岩本先生皆見違えるようになりましたよ」
「まだ1ヶ月だし、甲子園の予選開始まで後1ヶ月だ。とにかく精度を上げなければいけない」
小林が俺をほめてくるが、本気で甲子園を狙うのであればとにかく効率性が必要になる。
一応甲子園出場経験があり、選手もしっかりしているとはいえ、ここは公立高校で進学校。深夜まで練習したり朝の練習はすることができない。
PTAに文句でも言われたら、面倒なことになるのはたまったものではない。
「しかし、源治先生よ、私たちのことを嫌いとかいっときながら、きちんと武田の勉強もみてやってるそうだな。武田がサボっている様子もないし、どうやったんだ」
「ただでさえ時間がないんだ。武田には野球をやってもらわなければいけないからな。時間が無いなら効率をよくすればいい。それは勉強も野球も一緒だ。勉強は教師の思考を読み、問題を作る側の立場に立って、癖も読み込めば、90点は対して勉強しなくても取れる。ここの教師はけっこう年配の人間が多いから、6割オーソドックスな問題を作って4割難しめの問題を作る教師が多い。だから、普通に6割は読める。俺でも出す問題だと思うし。後は教師の癖から問題を読み込めばいい」
武田の成績は30点程度の赤店ラインから、平均50点くらいまで上がっていた。俺の理論で90点どころか80点も取れないとは、武田の馬鹿さをなめていたが、とりあえず50点取っとけばまず赤点になって野球の邪魔にはならないだろう。
「えへへ、先生さすがね。本当に感謝してる」
だが武田からの視線が以前以上に熱くなってしまった。教師として当たり前のことをしただけなのになぜこうなる。学生時代は無理やり勉強を教えさせてもまったく好感をもたれることなどなかったのに。
「まったく、源治先生子供嫌いじゃないだろう」
「嫌いだよ。ただ教師としての仕事をしねえと、俺がクビになるんだよ。教頭のせいで、俺はなぜか野球部の顧問を首になると教師も首になるらしいからな」
「まぁいいぜ。結果が同じなら気にしねえよ。ところで、源治先生は結婚願望はねえのか?」
「何の話か分からんが、ないことはない。お前らとはないがな」
「じゃあ、宮西先生か?」
「ねえよ」
「だったら私にも可能性はあるだろう」
「なんでだ」
「確かに私は源治先生がいうように子供だ。だが、卒業さえしちまえば後はどんどんいい女になっていくぜ。今のうちに確保しておけよ。若い嫁さんなんてあこがれだろ」
「どこから来るんだよその自信は?」
「まぁ私、見たくれは悪くねえだろ」
まぁちっこいが、きちんと整った顔をしているのは分かる。ちっこいだけではなく、可愛いからこそ、人気があるのだと思うし。
「私のママも20歳くらいから一気に背が伸びてスタイルも良くなったらしいんだ。だから後4年くらい待てば、相当先生お気に入りの女になることこの上なしだぜ」
「うふふ、そんなに源治先生は待ってくれるかしら? それに中村ちゃんのお母様がそうだからといって、あなたもそうなる保証は無いわ」
武田が横から乱入してくる。
「それよりも私をもう確保しておいた方がいいわ。既に体は大人になってるわけだし、私はもういい女になってるから、あとは本当に卒業さえしてしまえば、何でもありよ」
武田は中村とは逆で抜群の大人顔負けのスタイルが自慢で、野球部の男子連中には目の毒であろう。
「とりあえず、近々紅白戦を行ってそこで戦略を決めるつもりだ。体調管理には気をつけておけよ」
面倒なので全部無視した。
「源治先生、一緒にメシにしようぜ」
「源治先生! 私のご飯見てみてよ」
昼時になると、生徒はおのおの食事をする。
弁当を持参する生徒、購買で買う生徒、食堂で食べる生徒いろいろいる。
食堂も購買もやはり安い。だが、全員分用意するわけには行かないので、基本良いものは争奪戦になる。
それはいつの時代も変わらないようだ。だから、確実に自分の食べるものを獲得するには、弁当を持ってくるのが1番良い。
どこで食べるのかも自由であり、あまり急いで食事をするのが良くないのか、昼用の時間はかなり長めにとってある。
この時間は俺にとってものんびりできる時間だったが……。
「お前らな、昼の生徒にとって自由な時間に生徒指導室に来るなよ」
「いいじゃねぇか。将来の嫁の家事の腕を見ておくのも悪くねえだろ」
「それにどこにいても自由なんだから、ここにいたらいけないわけじゃないでしょ」
どこにいてもいいとはいえ、限度はあると思う。確かに校則には何も書いてないが。
「じゃまはすんなよ」
「はっはっは、いつ私たちが邪魔をしたんだ?」
「むしろ邪魔をしない日の方が少ないわ」
子供は本当にうっとうしい。
「先生~、私もお邪魔してよろしいですか?」
そこに宮西先生まで絡んでくる。子供じゃなくてもうっとうしい。ああ、学校にいるうちには俺には平穏は無いんだな。
だが、なんとなく学生時代にはなかった何かを気づかないうちに手に入れているようで、こんなのも悪くないのではないかと、間違えて思ってしまいそうだった。
「源治先生?」
「先生?」
「岩本先生?」
俺がうつむいていると、3人がこっちを除いてくる。
「なんでもねぇ、俺は子供を指導すんだから、邪魔すんじゃない!」
「わかったわかった。とりあえずこれを食ってくれ」
「私のもどうぞ」
「よ、よろしければ私のも」
3人も邪魔をする人間がいては、俺の野望はいつ叶うのだろうか。嫌、弱気になるな。まだまだ始まったばかりだ。障害はあった方が面白い。絶対に子供を全員まともにしてやるぞ! あとついでに変な大人も!
~完~