桜のアパート201号室
2017.09.11 本文の一部を変更。また読みやすくなるように適宜空白行を挿入する等調整しました。
「はい。お姉様。――いえ、そうでは。――わかっています。でも私は……」
華ちゃんは電話中。
テーブルの上のお茶は手を付けずほぼ湯気が上がらなくなってきた。
……取り替えてあげようかな。
結局、後ほど事務所で。
と言って別れたあやめさんとは時間が合わずに会えずじまい。
仁史はアイリスさんの護衛の元、電車では無く彼女の運転する車で家に帰った。
その後、華ちゃんと二人で家に帰ってご飯を食べたところであやめさんに電話した。
内容としては明日駅前で待ち合わせをしましょう、と言うだけの話だっったんだけど。
『電話をお借りして申し訳ありませんが。華さんと、代わって頂けますか?』
と言われてから既に三十分はこうしている。
――立場的には文句を言わなくてはいけないですから。とは確かに言っていた。
補習を受けることに対する叱責なんだろうけどさ。
なにもここまで文句を言わなくたって。
華ちゃんの答える声しか聞こえないが、なにを言われているかは聞かなくたってだいたい分かる。
――わざわざ自分の試験勉強の時間を押してまで、あなたの勉強を見て頂いたのでしょう?
――落第点はお二人の力で脱したとはいえ、結局補習を受ける事になるなど、お二人に申し訳無いとは思わないのですか?
――それにあなたが補習を受けている間は桜さんと二十四時間同行しろ。という会長からのご指示までをもないがしろにすることになるのですよ?
――いったいお二人から教えて頂いたことを何処に置き忘れてきたのです。
――わたくしは横で聞いているだけでしたがあれ程に分かり易く、あなたのレベルにあわせて優しく教えて頂ける家庭教師など、他には絶対に居ません。それは間違いなく断言出来ます。
――そもそも……。
こんな感じでほぼ間違いない。
これを電話で延々と聞かされる……。
そして携帯は昨日、アイリスさんの手引きで連続通話時間七時間を誇る最新機種に変更が完了したばかり、しかもバッテリーは満タン。
電池切れでお説教が終わることはあり得ない。
……なんかゴメンね、華ちゃん。
「今回だけは許して下さいお姉様。――はい、もちろん問題があるのは私なのであって、桜と仁史君は何一つ悪くないです。どうかそこだけでも良いですから私の話を聞いて下さい! ――はい、ありがとうございますお姉様。――はい、もちろんです……」
結局あやめさんのリモートお説教はその後四十五分にわたって続いた。
振興会の関係者に電話をかけた場合、どういう契約をするとそうなるのか知らないが電話代は振興会持ちになる。
だからいくら長電話しようと家に怒られることは無いんだけど。
「はい、ではおやすみなさい。お姉様」
そして華ちゃんががっくりと肩を落とした姿勢のまましばらく動かなくなり、電話をちゃぶ台においた。
画面には
“通話が終了しました 月仍野あやめ 通話時間82分”
と表示される。
そうか、電話は目上の人が先に切るんだったよね。
前に華ちゃんに教えて貰ったんだ。
まぁ、なんで華ちゃんがそれを知っているのかなんて、聞くまでもない話だけど。
そして、電池残量はまだ75%だった。凄いや、最新機種……。
で、その後。
先ずは拗ねてお風呂に入ろうとしない華ちゃんから何とか服をはぎ取ってお風呂場に放り込み。
ボロボロのタオルを引っ張り出して下着だけで玄関のたたきで寝ようとする彼女をなだめすかし。
せっかく似合うのに勿体ないよと持ち上げて何とかパジャマを着せて。
もう今日は時間的に電話はかけてこないから大丈夫だよと言ってちゃぶ台の前に座らせ。
そして今、やっと牛乳の入ったコップを彼女の前に置いた。
赤点は免れたのになんでこんな苦労を……。
まぁ、彼女にとってわがままを言える相手はきっと私しか居ないんだし、そう思えばその辺は仕方が無いのかも。
学校では口数少なくおすまし顔で通しているし、仕事中のクロッカスはそれこそ任務以外はどうでも良い、といった具合。
そんな彼女の誰も知らない本当の、十五歳の女の子の顔、そう思えば嬉しくもある。……かな。
「桜、あの……。いろいろ。……ごめんなさい」
「まぁ先ずは牛乳でも飲んで落ち着いて、ね。それと持っているだけでコンクリの上で眠りたくなっちゃうんだろうから、そのタオルはもう捨てなさい。――仕方ない所だってあるからさ。あやめさんだって言いたくて言ってるわけじゃ無いと思うよ。言葉だけでなくてお姉さんなんでしょ? だったら悪かったら呵る役なんだもの。わたしだって家に帰ったら弟に対してはそうなんだし」
「その辺は、まぁ。――それと。タオルは、その。お願いします、勘弁して下さい……」
普段寝る時も大事に握ってるしね、そのタオル。
背も高いしちょっと大人びて斜に構えてて、言わなきゃ同い年に見えないくらい。
そう見えるんだけど、そういう見た目に反して変に子供っぽいトコが結構残ってて。
だから見てるこっちはそれに気が付くたんびに、ドキっとするんだよ。
女の子同士なのにさ。なんかズルい。
「あとね、私は凄くがんばったと思ってる。……嘘じゃ無いよ?」
「本当に?」
それは本当だ。何一つ基礎の無いところでいきなり言った通りに答案用紙に書け、と言われたって。
そもそもテストがどういうものなのか、それが良くわかってない以上。
そんなのちょっと考えたってわかる。
どうにかなる。と思う方がおかしいのだよ、そんなもん。
「私じゃ無理だったよ」
「そんな事は……」
「普通に学校に行ってれば優等生だよ絶対」
2日目以降は明らかに効率が良くなった。
つまりはテストが何をする場なのか初日で理解したということだ。
間違いなく華ちゃんは地頭も要領も良い。
それが証拠に、あんな状態から本当にどうにかなっちゃったんだから。
……英語以外全教科で補習のおまけが付いたけど。
それだって先生達の好意、今後のことを考えて理解度を確かめておきたい。と言う側面の方が強いのはわかる。
先生達だっていじめよう、なんて思ってるわけじゃ無いのだ。
「ありがとう。……でも補習というのは成績の悪い人が受ける罰のようなものなのでは」
「違うよ、違うの。あのね華ちゃん、落ち着いて良く聞いてね? ……良くわかっていないところをもう一回、改めて教えて貰うの。それを休みの日にするのは、良く分かってなかった人だけ集めて、少ない人数でもう一回授業するからだよ? こないだ事務所で漢字にはそれぞれ意味がある、って言ったよね、覚えてる? おーけー、んじゃこのプリントの補習って字を見てみ? はら、習ったことを。補う。って書くでしょ?」
「漢字の意味は逆に読むこともあるの?」
右上に【普ⅠB・サフラン 華】とちょっと曲がったはんこが押されて、
【理由無く下記の補習を欠席・遅刻した場合、単位の取得が出来なくなる事がありますから必ず出席し補習開始前に担当教諭より出欠の確認を受けて下さい。出欠の確認が出来ない場合は欠席とみなす事があります。……】
等と恐ろしい文言が書かれ、当然全ての教科に出席のマークが付いた補習の時間割のプリントを見ながらそう言ってみる。
……間違って無いよな? 補習ってこうだよね。
「だからさ、ちょっと人数の少ない授業だと思って?」
「本当? 何かしら縛られて水をかけられたり、鞭で叩かれたり。ごめんなさいを半日言わされたり。そう言った事をされたりするわけでは無いの?」
「断言する、かけても良い! 補習はそうじゃ無いっ! それは拷問っ!」
一体、学校側が拷問にかけようとするような、何の秘密を握ってるの……?
校長先生の愛人の名前とかなのか?
「でも、本当に先生がわざわざもう一度、前と同じ事を教えてくれるの?」
「そう。だから安心して真面目に授業を受けてきて。人数少ないから、わかんないところも先生に聞きやすいだろうし」
漸く表情から少し不安の色が消える。
知らないって、怖いなぁ。
「それに明日、私は補習の間はあやめさんと一緒に居るからそれの心配もなし」
「さっきお姉様からもそう言われたわ。桜がお姉様と一緒なら私と居るよりも安全だし。そこだけはよかった」
「だからね、明日あやめさんに会ったらもう一回ゴメンなさいってちゃんと謝って、ね? そしたらお互いそれでお終い。もしもあやめさんが引っ張るようなら私から言ってあげるから。……良い?」
「……はい」
……で、当然気になるのは。
「ところで補習を罰とか拷問とか、そんな風なものだってどうして思ったの?」
「それはもちろん、お姉様がそう言う……」
「おっけーわかった、この話お終いっ!」
やっぱりか! ……心配してるのか面白がってるのか、どっちなんだ! あの人は……。
「桜。改めてごめんなさい」
「謝ってばっかり。……今度は何?」
「今まで気が付かなかったの。せっかくお休みなのに、桜まで学校に……」
「気にしなくて良いよ。初めから学校には行くつもりだったんだ。それにあやめさんが来るなら仁史も来るだろうし」
簡単に職員室の前の立ち話を教える。
「確かに、監視には絶好の場所だけれど、お姉様では移動が出来ないわ」
「移動?」
「そう、前に校内を案内して貰った時、あそこから問題の場所が見えるのはわかってた。けれど建物を出た上で回り込まないといけないから全力疾走でも7分、お姉様でも4分はかかるわ」
確かに図書室、二人でほんのちょっとだけ見に行った。
それだけなのに大葉さんの話まで取り込んでロケーションをキチンと把握してた……。
頭が良いってレベルじゃ無い。普通に凄いわ、この子。
「でも、それは華ちゃんでもそうなんじゃ無い? 飛び降りるわけには行かないんだし」
図書室は4階、確かにただ走るなら華ちゃんの方が足は速そうだけど。
「結界師にもランク付け、グレードがある。と言う話は前にしたと思う。そして時空のエレメンタラーはその延長線上にあると言う話もいつだったか、した事あるよね?」
「聞いたよ? どうして?」
唐突になんの話だろ? まぁ、彼女の気晴らしになるのならそれで良い、聞こう。
……それに普段、聞いても中々魔法のことは教えてくれないから実は凄く興味はある。
「バリアマイトグレードは四段階。魔法のクラスレスに相当するグレードは無い。つまり意味のある結界を晴れるという時点でかなり力がある、と言う事なの。グレード4は最低ランクだけれど、結界師ほぼ全員がここになる」
「大葉さんは? 結界師ではエースなんでしょ?」
「彼は全国で一五人しか居ないグレード3。かなり複雑な結界術が使えると言う証。分けても人払いや、魔法使いの力自体を封印する超精密限定魔法封印の使い手としては多分日本一でしょうね。4+1全てのエレメントを封印できるのも彼一人」
凄いとは聞いていたけど日本一なんだ。
当人を見る限りそんな風には全然見えないんだけど。
――だけど日本一なのに下から2番目なの? どういうこと?
「空間や時間を直接いじれるようになるとグレード2。これは国内では四人。ここから時空使い、時空のエレメンタラーを名乗って良い事になる。魔法使いであれば私のようにランクに+が付いてる人達。日本では全員が魔法ランクとしてもC以上の高位魔法使い。お姉様もグレードとしてはここになるわ」
大葉さんは言っていた。
――時空使いが国内に何人居ると思ってる。つまり本当に時空のエレメンタラーは数が少ないんだ。
だから面が割れてる。とも言っていたが、その辺はなんとなくわかる。
大葉さんの言い方では反政府組織的なものもあるような感じだったが、魔法使い同士なら何処かで顔を合わせるだろうし、直接会わずとも力の痕跡を見れば存在だけはわかる。
完全に秘密のまま強大な力を持つことなどあり得ない、と言う事だ。
「あの人は特に時間を伸縮させる技を得意にしている。ねぇ、桜。お姉様がやたらに行動が早いと思ったことは無い?」
言われてみればいつの間にか先回りをしていたりすることが多い。
勘が良い上に気が利く人だなぁ、とは常々思っていたけれど。
「自分の周りの時間と空間をねじ曲げて、見た目がおかしく見えないように結界を張った上でただ普通に歩く。その中で走る事は出来ないらしいのだけれど、でもそれだけで一時間に軽く30キロは移動できる。言葉で言うのは簡単だけどそんな複雑な事は普通出来ないのよ。私も出来ない。――あぁ見えて意外にせっかちなあの人の性格が良く出ていると、思わない?」
そう言うとやっと口の端に笑みを浮かべるが、またきりっとした“クロッカス”の顔に戻る。
――それでも図書室に居る時に何かあったなら、その時は私しか間に合わないの。そう言うとコップに残った牛乳を飲み干す。
「緊急対応という面から行けばそのお姉様でも間に合わない」
「どういうこと?」
「私は日本でただ一人のグレード1。あなたが進入して気分を悪くしてあげてしまった結界は、アレは多分世界でも公式には私しか作れないと思う」
「すごっ。……え? あれって破っちゃ行けないものだったんだ、なんかごめんね?」
「謝られても困るというか。だってあれは、理論上破るどころか触れないはずなの。……だから素手で進入したあなたに護衛に着けと、会長直々に言われたのよ。桜には魔法だけで無く、不思議な力があると私も思う。きっと後々、あなたや仁史君が存在する意味が出てくるのだと」
重要人物だと言われる度に感じる違和感はどうしたら良いんだろう。
周りは日本屈指や世界有数ばかりだというのに。
私ときたら、素手で結界を破ったゲロ女。それこそ他には何も無い。
「そして私にはもう一つ、次元近道がある。2カ所に時空断裂を意図的に作って繋げて30m前後なら近道を作る事が出来る」
「だから間に合う?」
「そう。私が居れば何かがあっても発動時間込みであそこまでなら30秒で着く」
自分の魔法には自信満々で、それが実際に実力でも評価でも裏打ちされ、しかも決してそれを笠に着て驕ることの無いクロッカスだからこそ。
実力と機転を併せ持った実力派魔法使いであるからこそ。
そして自己犠牲を選ぶ事に全く躊躇のない正義感あふれる女の子だからこそ。
何よりあやめさんから見ても大葉さん見ても、可愛い妹だからこそ。
もちろん私だって大事な友達だからこそ。
だからこそ、当然文句の一つも言いたくなるのだ。
「それはあなた一人用でしょ? 他の人はそのトンネルはくぐれない。違う?」
「え? ……えぇ、まぁ」
あなたは危なっかしいのよ、本当に!
みんな彼女に言いたくなるのは当たり前だ!
絶対に単独行動をするなよ? と。
ちゃぶ台の上に手を伸ばし、彼女の手を取る。
「ならば別の手を考えましょ? 大葉さんが私達はバディだって言ってくれて、私は凄く嬉しかったのに。……相棒って、華ちゃんの中では、それは言葉だけ?」
「もちろんそんな事、絶対に。……でも、魔法については桜を巻き込んでは……」
「単独行動は絶対にダメ。――だから私も華ちゃんに本気で言うの!」
――お願い、私の手を絶対放さないで! どっか行ったりしないで……!
ちゃぶ台の上、お互いに手を取り合ってしばらく静かに涙を流した。
なんで泣いていたのかは自分でも良くわからないけれど。
だけど二人で泣いていた事だけが事実。
なぜか、なんて事はどうでも良いことなんだろう。
ただ私と華ちゃんは相棒。
それがお互い確認出来たんだから他のことなんかもう、どうでも良い。
「ごめんね、なんか変な空気になっちゃった。お茶入れてくる」
「いや、お茶くらい私だって入れられるから。だから桜は座っていて?」
そろそろいつもなら寝る時間だけれど。
補習は9時半からだし、あやめさんとの約束は9時。
少し寝坊したところでご飯さえ炊いておけばお弁当もで含めて十分間に合う。
「でも華ちゃんが一番なんだね」
「え? なんの話?」
「時空使い、ただ一人のグレード1、つまり国内ナンバー1!」
少なくても時空魔法はあやめさんよりも上、それは素直に凄いことだと思うし、なんか嬉しい。
……しかし帰ってきた返事は違った。
「いいえ。やはり上には上が居る。グレード1の、その上がグレードA」
「え? 数字じゃ無いの? Aって反則じゃ無い?」
「反則って……。えーと、考えた事が無かったのだけれど。――だけど魔法のクラスだってAの次はSなのだし」
つまりは特別って事か。
でも時間と空間を好き放題操れるような人がもしも人格破綻者だったとしたら……
「世界に一人しか居ないグレードA。……実はアイリスがそうなの。彼女は物の時間を巻き戻す事が出来る、人体でさえも」
「それって」
何でもありか! 魔法使い……。
「去年、新共和国連合で暗殺未遂事件があったのだけれど。知ってる?」
「あぁ、大統領が演説中に殺されそうになったってやつでしょ?」
「いえ、アレは完全に殺されたわ。普通のSPの他に各国から招聘された魔法部隊も控えていたのだけれど、完全に隙を突かれた。そしてアイリスが治した。……死亡数分以内であれば時間を巻き戻して死者さえ生き返らせる事さえ出来るの。本人も他はともかくその魔法についてだけは、ロジックが自分で完全にわかっていないと言っているけれど。でも結果として彼女にはそれが出来てしまう」
「まさか!」
「世界でも50年ぶりのグレードA。最強最後の時空使い。本来呪いや呪詛以外、人体には直接影響を及ぼせないはずの魔法を、まして生死に直接かかわるような魔法を。それを行使出来る世界でただ一人のグレードA、ウィッチの称号を持つフルエレメンタラー、それが彼女」
「でも結界師はそう言う意味では直接影響与えてるよね?」
「結界師だって意識をそらすのがせいぜいで。限定封印だって直接根本を封印するわけでは無く、名前の通りに魔法が発動出来ないようにいわば出口を封印するだけ。脳を爆発させたり、血の流れを逆流させたり、思考をコントロールしたり。そういう事は魔法使いも結界師も絶対に出来ないはずなの」
こないだの野良魔法使い戦をみるかぎり、体を燃やしたり、首をちょん切ったりはできるっぽいけれど、体のなかは駄目。と言うことらしい。
それが出来るただ一人の魔法使いがアイリスさん、と言う事か。
だから基本的に野良魔法使い狩りとかには出ないし、事務を取り仕切る経理部長として事務所に籠もっているのだが、反面、政府系の仕事として会長と一緒に出かけていることも多い。
華ちゃんはそう言った。
日本政府の裏外交、最後の切り札がアイリスさん。人は見かけによらない。
「とは言え普段は、戦闘で怪我をした部分の時間を巻き戻して怪我を治したりしてるの。だから事務所に居る時が多いのよ。執行部は怪我をして帰ってくる事も多いから」
……そこまで行くと、もう何でもありだな。
魔法使いに喧嘩売っちゃいけないのだけはわかった。
「華ちゃんの器用さと、あやめさんのパワー、そしてアイリスさんの時空魔法。三人入れば簡単に日本なんか征服できちゃうんじゃ無い?」
――数で攻められたらひとたまりも無いわ。だって魔法を使えば当然疲れるもの。お茶を啜りつつ華ちゃんが続ける。
「それに高度な技にはリスクは当然有って、例えば彼女の場合半径90センチ以内に魔法使いか結界師が2人以上居ないと高位結界術が発動しないの。魔法使いとしてはフルエレメンタラーだけど基本的にはクラスCの水使い。でも、彼女に限っては半径3キロ以内の人の意思を全て使えるというのに」
アイリスさんは馬鹿力があると言っていたな、そう言えば。
「細かい制御を考えなければ、単純な破壊力は誰も彼女にはかなわない。それこそ、その気になれば地方都市くらいなら一撃で更地にできるはず。そこまで本気なのは私は見たことが無いけれど。大葉さんは見たことがあるそうで、あぁ見えて結構怖がっているわ」
人は見かけによらない、と。アイリスさん専用の言葉みたいになってきたな。
「リスク、か」
「もしかして、何か間違った言葉の使い方をした?」
「そうでなくて。……例えばよ? 校舎裏で結界を張って何かを隠した人が居るとする」
「話をまとめれば、使ったのは収斂結界か次元切断を利用した移送、若しくは空間転移」
「それって超高度な技なんでしょ、多分」
「知っている限り全部使えるとなればアイリスくらい。私でも痕跡を残さない形での完全空間転移はそもそも無理だし、そのまま維持するとなれば3日で気が狂うと思う。グレード3の結界師の目さえ誤魔化せる収斂結界なんてアイリスでも張れないだろうし」
それに。……相変わらず言葉の端々から拾う他ないし、あまり具体的な話では無かったが。
魔法を使えば肉体的にか精神的にか知らないが単純に疲れるものらしい。
そしてリスク、と言う言葉を使う以上は疲れるどころか、とんでもない"副作用"だってあるのかも知れない。
今だって気が狂う、等と彼女にしては珍しい表現を使うほどに術者には負担がかかるんだ。
「ね? もしそんな術を使った人が居るとして、無事で済んでるのかな?」
「……なるほど、そういう事ね? 桜の言う通り、高位魔法は使うだけでもかなりの疲労がくるし、失敗すれば大ダメージを受ける、発動を失敗するだけで、場合によっては一週間寝込むような事もあるわ」
「大葉さんが鳥肌を立てるような魔法を発動状態で隠す、となったら?」
「そうなると普通は高位結界師複数による多重位相結界くらいしか……。なるほど。さすがは桜だわ。考え方を変えた方が良いのかも」
何かに気が付いたらしい。
何に気が付いたのか私には全くわからないけれど。
華ちゃんの普段の授業中ってこんな感じなんだろうか。
……私もノート、取った方が良いかな?
「桜は初めからアイテムを使ったのでは無いかと言っていたわね?」
「私だっけ? 言ってたの」
「言ったのは誰でも良いのだけれど、私は桜だったと思う……。おほん、例えば杖とかランプ、もっと直接的に魔方陣。こう言ったものは物だけあっても、ほぼなんの効果も発揮できない。何故だと思う?」
そう言いながら私のスマホを指さす。
ロック画面には
“現在の残容量98%/充電完了まであと7分”
と表示が出ている。
「ん~。……充電?」
「その通り、桜はもっと魔法を勉強してアイテムクラフタを目指すべきだわ」
「んーと、それって魔法道具職人見たいの?」
「そう! それならアンクラスドでも大丈夫だし、振興会はアイテムクラフタが極端に少ないからいつでも募集中! ハイランカーとクラフタの組み合わせは理想的だけど世界でもあまり居ないの。――桜と仕事でもコンビが組めたら、そしたら私……」
なんか就職先があっさり決まりそうだけど、お給料は良いのかな?
いつか働くようになったらお父さんにマッサージチェアを買ってあげたいって、そう思ってるんだけど。
「あのさ、私の将来設計は良いとして。――充電の話は?」
「話の腰を折ってごめんなさい。――つまり出来上がったアイテムには魔力を注入、充電しなくてはいけないの。……みんなはアイテムが発動したと思って居るけれど、例えば加減がわからなくてオーバーフィリングの反応だったとしたら」
そう言う用語なのか、英語が喋れるから自動で翻訳してしまうのか。
どっちだかわからないけど、単語だけなら意味は取れる。
「過剰充填、って訳していいの? 入らないであふれちゃったみたいな事?」
「そうなら反応は魔法使いの方、アイテムは発動していないなら隠すのは簡単」
「でも目立っちゃうんじゃ無いの? なんか魔方陣なんかぴかぴか光ってそうだし」
「そこの電話と同じ。強力な魔方陣だって電池が切れたらただの紙切れ」
華ちゃんのスマホは電池切れのまま自分の机の上に置いてある。
だからあやめさんから私に電話を代わってくれって言われるんだよ……。
今日のこの状態については文句を言われる側、言いたい側。お互いわかってやってるんだろうけど。
……ともあれ、確かに今の状態なら。
アレはなんの役にも立たないただの平べったいガラスとプラスチックで作った板。
「充電、しておきなさいよ? 電話やメッセが来るの、あやめさんだけじゃ無いでしょ? 補習になったって聞いてみんな心配してたんだから……。全く、華ちゃんさぁ、わざと午前中に机の中でカメラ起動して電池使い切ったでしょ? ……見てたよ?」
スマホについている機能はもちろん、SNSでのクラスメイトとのやりとりにゲームはおろかアイテムのやりとりまで。
意外にもスムーズに使いこなしているのは良いとして。
電話が繋がらなかったのは、電源を落としたのでは無くてあくまで電池切れでした。
元からそんな言い訳が通用する人じゃないでしょ、あなたのお姉様は。
「ごめんなさい。今、する…………」
スマホをスタンドに立てる。ピピっ。と音がして画面がつく。
“充電中 バッテリー0% 起動できません”。
……全く。
「それで何処まで話したのだっけ? ――そうでした。はい。……結界術はね、基本的には他人の意識から隠したい物をそらして、見えなくするだけなの。紙切れを隠したいなら、桜ならどうする?」
「ビニール袋に入れて土に埋めるとか?」
「もっと簡単に置いた場所の前に衝立を置くくらいで良い。簡易封印なんて考え方としてはその程度なのよ。その状態で魔力吸収防止の対策を施せば、もう普通は見つからないわ。――アイリスに推薦しておくね! アイテムクラフタ向きの人材を見つけたって」
……いやいや。みんなそうするでしょ、普通。……んー。普通、か。
ふむ。紙切れと言うからピンとこないけど。
例えば人には見せたくないけど大事な写真があるとする。
それを隠すならどうするか。
少なくとも私なら校舎裏に埋めたりはしない。
もう開き直って手帳に挟んで持ち歩くのが一番だ。
人の手帳なんか覗かないのがそれこそ普通だし、持ち物検査があったところで手帳の中身まで見られたりはしない。だからきっと取られたり見られたりする可能性は限りなく低い。
体育の授業の時は流石に手元から離さざるを得ないだろうけど、それでもその辺に埋めておいたりするよりは百倍マシ。
だって更衣室は授業のある女子、約三〇人限定でしか使わないし、当然個人の荷物はまとめてロッカーに入れるから、他人の荷物とは混ざらない。
ジャージに着替えて部屋を出る時にはカギだってかかる。
どう考えても私なら、大事なモノを第三者が普通に通る校舎裏になんか埋めない。
「道具職人はともかく。――華ちゃんはアイテムだとして、モノはなんだと思う?」
「学校に通ってみてわかったけれど、勉強に必要が無いと見なされる物の持ち込みはかなり厳しく制限される。これは教師側も一緒。だから杖や宝冠、指輪といった古道具系の如何にも、と言う物では無いと思うの。魔方陣も大葉さんの感じた具合からいけばあり得ないわ。紙では作っている最中に媒体が持たなくなって物質としての紙が崩壊する。最低限、熊の皮か何かで作らないと」
その辺に書けばそれで良いんだと思っていたが色々制約があるらしい。
魔法の強さによっては紙じゃ持たない、と言うのは感覚でわかる気がするけど。
それに、変な模様や呪文の書いてある動物の皮なんか。
学校内で持って持ってるのバレたら、そりゃ目立って仕方ない。これは無いな。
「じゃあさ、スマホとか携帯なんてどう? みんな持ってるから目立たない」
「携帯電話をアイテム化するという話も聞いた事はあるけれど、電子部品と魔法はそもそも相性が悪くてよほど腕の良い職人で無いと作ることが出来ないの。それに電話としての機能を一部失うと聞いてるわ。アンリミテッドな情報網と、基本的に術者に見える範囲でしか現象を起こせない魔法、確かにそう考えると相性が悪い気がするわね」
「……使えない電話は持ち歩かないよね」
携帯とスマホの2台持ちだったりする人はたまに居る。
学校備品の授業用タブレットもあるとは言え、作るのが難しいのでは簡単に足が着く。
大場さんは調査員としても優秀なのだとそう聞いているが、校内に入り込んでいるのは彼一人。
だけど、当然調査にあたっているのは、見えてる大葉さんだけでは無いわけで。
2週間以上探しても何も手がかりが出てこないのだ。ならば電話の線も無いか。
他に高校生が持っていても目立たない物と言えば……。例えば。
「魔道の書みたいな物って、アレはアイテムとして使えるの? それとも教科書とか参考書みたいな感じなの?」
「モノにもよる、としか言えないのだけれど。けれど本という形を取れば媒体としての容積は紙単体に対して数段大きくなる。日本には言霊、と言う概念があるけれどその考え方は理にかなっていて、言葉の……。ごめんなさい。私の話は回り道ばかりでわかりにくいね。――桜の問いに対する答えとしては、アイテムとしての魔道書は存在する。よ」
「そういうのってさ、漫画とかアニメだともの凄くデカかったり重そうだったりするけれど。本当のところってどうなの?」
「最近は文庫本みたいなサイズが一番多いわ。大きいと持ち歩きに不便だし」
それはちょっと意外。ま、イメージだしね。
「古いヤツでも?」
「ふむ。……でも、古来から一番多いのは教科書くらいなサイズね」
「そんなに古いヤツでも使えるんだ。痛んでボロボロだけど凄い魔法! みたいな感じ?」
「強力なアイテムだというなら価値があるでしょうから。魔法的に対劣化コーティングくらいはなされているでしょうね。2,300年前の物なら少し黄色くなってるくらいで今でもよく見かけるわ。日本語で無くて良いのなら活字印刷だし、そう言う意味では普通の本と何ら代わらない」
「なら、カバー掛けちゃえば普通の本と混ざったらわかんないかな?」
持ち物検査をパスするのは大変そうではあるが。
中身を見られても、少なくても漫画では無いから、市の図書館で借りた、とか選択授業の資料だ。
と言い張れば取り上げられることはなさそうだ。
小説の類はバスや電車で通学する人達は普通に持っているんだし。
カバーを掛けてカバンの中に入れておけば、目立たないし近くに置いておける、かな?
「強力なアイテムをチャージングアウトの状態で持ち歩いている、……その可能性は考えていなかった。……やっぱり桜は凄い。もう今からでもアイテムクラフタとして公式にわたしのパートナーに、その。……どうかな?」
「確か公式の相棒って大葉さんだったんじゃ、それにあやめさんも上司だろうけど組んで仕事してるでしょ?」
「桜は、……私じゃ、イヤ?」
ちょっとちょっと! 涙目になって何言ってんの!?
良いも悪いも、今までそんな話じゃ無かったでしょ!
そして私の進路は、どんどん華ちゃんによって狭められていくのだった……。