特殊技術産業振興会の二階応接室
2016.09.27 本文、台詞の一部を変更。読みやすくなるように適宜空白行を挿入しました。
2017.09.03 本文の一部を変更。また読みやすくなるように適宜空白行を挿入する等、再度調整しました。
替えの服が、とクロッカスは公園で言った。
でも、まさかここまでとは……
「似たようなサイズを見繕ってくれとは言ったけれど、サイズは良かったかしら?」
「……はい」
「良かった。サイズの合わない服は落ち着かない、って言う人を知っているものだから。……じゃあ、二人共、応接室に。温かい紅茶を用意してあるから。――このあと、私の上司にあって貰うのだけれど。でも心配はしないで? 面倒くさい人だけれど噛みついたりはしないから」
ここについた時、仁史のブレザーは焼け焦げ、私の属性はずぶ濡れに変化していた。
だから服を脱いで着替えろと言われれば、はい、そうですか。と従うわけだが。
なんでここまでサイズの合うウチの学校の制服が用意出来るんだろう?
「で、なんでお前も着替えてんの?」
「うるさい!」
「……なんで怒るんだよ」
ゲロまみれになったから。と言うのは伏せておこう。気が付いてないんだし。
いかにもな狭いロッカールーム。
タオルをまいてシャワーから出たところで起き出してきた仁史と共に、男子も女子もないから取りあえずロッカーを挟んで二人でお着替え、と言う次第。
仁史に見られて困る事も無いのだけれど、一応私も女子高生。
隠れる場所がある以上は、わざわざ見せる必要もないだろうし、もちろん意味も無く見せる必要なんかあるわけ無い。
結局シャワーまで借りた上に、急遽買ってきて貰った下着まで一式まるまる着替えることになったわけだが、さて。
これからどうなるんだろう。
「なぁ、桜。ここは何処なんだ?」
「財団法人特殊技術産業振興会東京本部、だそうよ」
公園から車で揺られること15分。駅で言えばうつくしヶ丘駅から三つめ。
地味な三階建ての建物の地下駐車場に迎えに来た黒いミニバンは止まった。
場所の名前はクロッカスからそう聞いたのをそのままオーム返し。
「で、なんでここに?」
「さぁ、さっぱり」
そこは本当だからこう答える他にない。
シュル、とネクタイを締める音が聞こえる。
「桜さん、クロッカスです。――もう入っても大丈夫ですか?」
「あ、はい。――良いよね?」
「なんで事後承諾だよ!」
だからまぁ、これから何がどうなっているのか確かめる。と言う事になるんだろうけど。
それ以前に、果たして本当に無事に帰れるものなのか。
彼らの目的は私と仁史を尋問すること。これ以外に考えられない。
どうやら私が気分を悪くしたのは“結界”を見つけて生身で強引に突破したから。
仁史が黒焦げにならずに服が焼け焦げただけですんだのは火の玉の魔法を“相殺”したから。
車の中でクロッカスからザックリ説明されたのはこういう感じ。
……でも、何か聞かれたところで何一つ自分で答えられる事柄が無いんだけど、その辺はどうしよう。
誰にも言ったことが無かった自分のブラのサイズさえ、既にさっき喋ってしまった。
もう私が答えられることは何も残っていない。
答えられなきゃ家には帰れないのではないか。どころか最悪……。
「あなたの服はクリーニングに出したから明日以降返すわ。南光クンのズボンは直して貰っているけれど、上着とワイシャツ、ネクタイはもうダメだったから、差し支えがなければそれと交換、と言うことで良いかしら?」
クロッカスの話を聞いている限り、拷問されたりはしなさそうだけども。
「お二人共、力の大きさはトップクラス。なのに発動については無自覚で、更に魔法的性もそろって陰性。世界規模でも報告されたことのない超レアケース。……あなたはどう考えているかしら、クロッカス」
ソファの後ろに面白くなさそうな顔をしたクロッカスが立つ。
あの子、あんな顔も出来るんだ。
しかし、当たり前だけどしかめっ面でも美少女なんだな、うらやましい……。
「そんな事を私に聞かれても……。だからここに来てもらったのではないですか」
「今の質問で怒る必要も無いと思うのだけれど。……ならば最初に、あなたが見たことを否定するつもりは毛頭ないと言っておきましょう。それに何より今回のレコーダー、大葉さんの採取した客観データもあなたの証言を完全に裏打ちしているわ。勘違いをしているのかも知れないけれど、わたくしはあなたの報告をを疑っているわけでは無くてよ? ……本当に。このような事例はこれまでにも全く例が無い、と言う事なのです」
ソファに姿勢良く浅く腰掛けて。ちょっと小首をかしげて胸の下で両の肘を軽く抱く……。
お嬢様だ。漫画とかアニメでしか見たこと無かった、いかにもなお嬢様が目の前に。
「先ほどもお話しした通り。現場で、私と大葉さんだけでは到底判断が出来ないので、だから桜さん達にわざわざ一緒に来て頂いたんです」
「それは当然わかっています。あなたがそう判断してくれなければ、後々こちらが困るところではあったのですけれど」
癖も枝毛もない碧の黒髪をロングにして、それをやや低い位置でまとめる印象的な白いリボン。
やや険しく見えるクロッカスと対照的に下がった目尻。優しいお姉さん的な雰囲気を漂わせる彼女。
これまた何故か私と同じ、うつくしヶ丘高の制服を着ている。蝶タイの色は2年生。彼女は、
「わたくしは東京本部執行部長を勤めますアヤメと申します。以降お見知りおきを。……クロッカスは執行部統括、わたくしはそのクロッカスの行動を所管するものです。今のところわたくしの上司が外出より戻っておりませんので、現状わたくしが責任者と言う事になります」
――ここまでのクロッカスの言動に何か失礼の段がございましたら、どうか現場での事と平にご容赦を頂けますように……。さっき彼女はそう言って私達の向かいのソファに収まった。
彼女の前ではクロッカスのキャラが若干ぶれて見える気がするけども。
もしかすると嫌いじゃないけど苦手な先輩、と言う感じなんだろうか。
「時にクロッカス、大葉さんが捕縛した野良の処理はその後、どうなっていますか?」
「お姉様の指示通り、超限定封印で魔法の無力化は完了、催眠術による記憶の処理が進行中、だそうです」
この二人の話し方、しかもお姉様と来た。
どんだけアレな雰囲気を醸し出すのよ、この人達……。いずれクロッカスは立場も人間的にもキャラ的にも。この人、アヤメさんには勝てないんだな、
これはだけはこの会話で確定。
「そうですか。わたくしが言うのもなんですが、お若い方の様ですしあまり遅くならないうちに解放が出来るよう処理を急がせなさい。いつぞやの様に親御さんから警察に捜索願などを出されてしまったら、その後が厄介ですからね。……あなたの担当する案件はいつもそう言った……」
「わかっていますお姉様。15分以内には身なりも整えて、その後うつくしヶ丘の駅前に放り出してきます」
「今回は車に乗せるところまでで結構。ですが、そこまではあなたの仕事です。間違いのないよう確認ののち、わたくしに報告をなさい」
「自分の役目ぐらい、いくら私でもわかっています!」
ソファに背を向けて出て行こうとするクロッカスに、アヤメさんが振り返りもせず更に声をかける。
「それと。……わかっているでしょうが、暴走しがちなあなたの為に、せっかくわたくしが手づから作ってさしあげた魔力減衰封印を、事もあろうに手も使わずに、怒りにまかせて粉々にふき飛ばした事はどう考えているものかしらね。……これについては、後日改めてこの件で査問委員会を設置したうえで、正式にあなたからもじっくりとお話を伺いますからそのつもりで」
健康的で褐色の顔を真っ青にしたクロッカスが回れ右をする。
「え? いえ、あのお姉様っ? ……それは、き、緊急事態でしたからその辺は」
「お黙りなさいっ! クラスレス、しかも野良魔法使い如きにリミッターを飛ばすなどハイランカーのプライドは何処においてきたのです。それはあまりに無様で不細工、わたくし個人としてならば降格もやむなしの事案だと思っているくらいです。ですが今のところ、その緊急事態があったが故に処分保留となっているのだと、その事は努々(ゆめゆめ)忘れず心にとめおきなさい。よろしいですね? ――あら? お返事が頂けないようですが、わたくしの見解に対して何かしらの意見がある、と言う事なのかしら?」
「も、もちろん、そんな事は。……当然、深く反省しています」
「まぁ良いでしょう。……いずれにしろ具体的になにか申し開きをしたい事があるならば、それは後日の査問委員会で会長や理事の皆さんを交えてじっくりと伺いましょう。それまで頭を冷やしておくことです。――その他、この場でわたくしに言いたいことはありますか?」
「わた…………、いえ、口答えしたりしてごめんなさい、お姉様」
「わかっているなら初めからそうなさい。……ならば予定通り作業進捗の確認に回って貰えるかしら?」
「り、了解しました。……失礼します。――では桜さん達には、後ほどまた」
あの公園で見た自信満々、怖いものなしの少女は何処かに影を潜め、クロッカスはがっくりと肩を落として応接室を出て行った。
……どんだけ怖いんだろうアヤメさん。確かに
「お黙りなさいっ!」
の一括だけで私もキモが縮んだ。
物静かな人が起こるとそのギャップもあいまって通常の3倍以上怖い。
「クロッカスは程なく戻りますからご心配はなさらずに。……さて、お二人には悪かったのですけれど、身支度をしている間を利用して魔法適性その他、リモートで調べることが出来るところは調べさせて頂きました。結果は先ほどの話通りに適性無し。ここまでお話を伺った所でも、力の発動は完全に自覚無し……。正直、あなた方をどう扱って良いものか、困ってしまっている。と言うのが実際のところなのです。――すみません、お茶のおかわりを」
「あの、アヤメさん。で良いんすか? ――はい、えぇと。あの火の玉見たいのを防いだのは体ごと、だと思ってたんですがそうじゃ無いって事ですか?」
仁史がおずおずと、と言う言う感じで胸の前に小さく右手を挙げてから喋り始める。
「直径30センチ、三千度弱の火の玉を素手で防げる人が居たならば、それはそれで凄いことだとは思いますが、きっとそれが出来るなら人間では無い何者かでしょうね。……南光クンと仰いましたね? あなたは明らかに9割9分、何をどうしたのかはわかりませんが、炎を相殺したのです。それは間違いありません」
仁史は自分の両手を見ながら黙り込む。三千度……。
ちょっとピンとはこないけれども、いずれにしろそうさい。
どんな字を書くのかは置いても、それをしなければ。
私か仁史、あるいは両方が黒焦げの焼死体になっていたのだ。と言う事を言っているのはわかる。
「魔法適性を持つものは約一万人に一人の割合で生まれます。その中でも目に見えるほどのパワーで魔法を行使出来るものはごくわずか、通常は早い段階でわたくし共が保護、育成をする事になっています、ですが数の内には網の目から漏れるものが出る。もっとも漏れたとしてもそれは本来、騒ぎ立てる程の事ではありません。適性がある、と言うだけでは魔法は使えませんからね。但しそれが自然に使えるレベルにまで覚醒し、それを悪用するとなれば話は別になります。必然、それなりに手を打たなければならない。それが先ほどお二人がご覧になった野良魔法使い狩りの……。失礼。――お入り下さい」
そこまで話したところで扉にノック。アヤメさんの返事を待って事務服を着たお姉さんが新しいカップとティーポット、そして皿の上に乗ったお菓子を運んでくる。
「特に桜さん、クロッカスから伺っています。お茶だけでなく、何かお腹に入れておいた方が良ろしいですよ。……消化が良さそうだとも思ったのですけれど、もしかしてマカロンはお嫌いでしたか? スコーンの方が良かったかしら。用意をさせましょうか?」
「あ、いえ」
お腹の中身は内蔵以外全部出しちゃったから、のども渇いてるしお腹も空いてるんだけど。
……そもそもこのマカロンって、本当はいったいどんなお菓子なんだっけ。
甘いのかしょっぱいのか、それすら見当がつかない。
きっと紅茶のお茶うけに出すくらいだし、この見た目なんだから甘いんだろうけど。
スコーンってのは、ビスケットみたいなヤツしか知らないけど、それであってるんだろうか?
お金持ちの先輩の家に来たわけでなくって、ボロい事務所ビルだったよなここ。
天井を見上げる。黒い模様の入った天井の板に逆三角形の照明が無機質に並んでついている。
応接室とは言え、無理矢理壁で区切ってそう言う形にした、と言うのはモロ判り。
いかにもホームセンターで購入した風の会議テーブルと、そして本式のお茶のセット。
なんなんだこのギャップは。
「では話を続けましょう。――もしお嫌いでなければつまみながらで結構ですよ、お茶のおかわりもありますし。南光クンも遠慮せずにどうぞ。……我々は日本で起こる魔法関連の案件について政府から一任されているのです。もちろん、どの文書を探しても誰に聞いても公式には一切そんな話は出てきません。特殊技術産業振興会自体も、表向きには同じ名前で別の仕事をする財団法人として魔法とは無関係の仕事をしている事になっています。……つまり、ここに居る我々は俗に言う、政府系秘密組織なのです」
「……秘密組織」
「ですか……」
「そう。お二人とも魔法使いの存在など、先ほどまではご存じなかったでしょう? 秘密にしてあるのです。必要以上に目立たぬように、ね」
今度は私が小さく右手を挙げる
「あ、あの……」
「どうしました? 桜さん」
「それを知ってしまった私達は、えーと、お家に返して貰えなかったりしたり、とか言うような事は……」
「ふむ……。実はね桜さん」
そこで扉にノックの音が鳴る。
「火急の用件でなければ後にして頂けますか?」
「お姉様、クロッカスです。戻りました」
「ふぅ。……お入りなさい」
ごく普通に、――失礼します。と言いながらクロッカスが戻って来るが、その後ろ。扉が閉まりきる前に、いきなりノックと共に扉が全開になる。
「ただいま! アヤメちゃん、お客さんはもう返しちゃった?」
「思ったよりも遅くなっちゃったよアヤメ君、すまないねぇ。……政治向きの仕事はこれだから。私の勤務時間は10時7時だと何回も言っているのに……」
ふわふわのウェイブのかかった金髪にパンツスーツのお姉さんと、スーツにネクタイの人の良さそうなおじさんがドアをくぐる。
「お待ちしておりました、会長、本部長。お帰りなさいませ。……わたくし一人ではどう対処して良いものか、対応に苦慮しておりました。助かります」
アヤメさんは立ち上がってお辞儀をするとそのままソファの前からどけて、クロッカスの隣へと下がる。
「アヤメ君、色々ご苦労様。――話は来る道すがら聞いた。キミ達が神代さんと南光くんだね。私がここの責任者、会長の松埜だ」
「私はアイリス。一応ここのナンバー2になるのかしらね、その辺の序列はウチは適当なんだけど。一応役職は東京本部長、経理と総務の部長も兼ねるってことになってるの、よろしく。――ところでアヤメ、カキツバタは?」
「今のところは戻られてはいません、状況から鑑みてまだ京都なのではないかと」
「昨日終わったって言ってたのに。まだ何かやってんのかな、あの子。――ところで会長、早く段取りを付けて仕舞わないとさっきも言ったように時間が……」
金髪碧眼でナイスバディ、と言うとなんかけばけばしいイメージだが、実際の第一印象は白い肌も相まって逆に質素、なんでだろう。顔立ちが東洋系だから……?
とにかくそのアイリスさんが目の前、会長を名乗った松埜さんの隣に座り、背もたれに体を預けて足を組む。
やったのはそれだけ。行動を取り出せば全くおかしくない。
のだけれど、目の前にいるのはナイスバディのアイリスさん。
中のシャツはボタンが二つ開いているのにそれでもまだ窮屈そうだし、上着の会わせも完全に浮き上がってる。仁史の目はもう釘付け。
なんなんだ、ここんちは!
美人に美少女のテンプレートを次から次と出してきてさ。私になんか恨みでもあるわけ?
私の心を直接へし折りに来てるの……?
ここはモデル事務所かなんかじゃないの? 本当は。
「あぁ、そうだね。――もう今日はこんな時間だ。アヤメ君、まずは車、2台用意して。二人を家まで送ってあげる段取りを。細かい話は明日以降で良いだろう」
「但し。……クロッカス、あなたはたった今から神代さんに同行して24時間体制で護衛をお願いするわ。――アヤメも構わないわね? 予定を前倒しして先ほど入学手続は済んだから明日から学校も一緒。ごり押ししてクラスも一緒にしておいた。寝る場所は、護衛なのだし取りあえず当面、神代さんのアパートの玄関でも貸して貰いなさい」
「はい、その辺りはどうとでも。――でも。しかしアイリス、桜さんの都合も……」
「暫くは諦めて貰うほかないわ。ごめんなさいね神代さん。――クロッカス、直ぐに準備を始めなさい。そうで無いと神代さんが帰れなくなってしまうでしょ?」
「あ、あの私は全然……」
玄関って、犬じゃあるまいし。
……2dkの我が家。昨日たまたま掃除しておいて良かった。
お客さん用の布団なんか無いけど、どうしよう。
でも。……護衛?
「それとアヤメ」
「なんでしょう」
「あなたも編入手続き書類の受理が間に合った。明日からうつくしヶ丘へ通学しなさい。あなたは南光君の登下校時の護衛と、学校に居る時は当初の予定通り、諜報課とは別行動で内定を。接触の必要は無い。むしろ避けて」
「わかりましたアイリスさん。……時に会長、もしかすると会長は、このお二人の事を?」
「まさかね。知らんよ。……ただ二人の様な存在が顕現するという予言、と言うか予想はだいぶ前からあった。まさか我が国のこの時代、此所とは思わなかったが」
会長と呼ばれた優しそうなおじさんは口元に手をやって考え込む。
「それと二人は一応、明日からここに“アルバイト”に来てくれないか。――申請すれば学校には無条件で通るから心配はしなくて良い。5時から8時までの3時間だ。基本的に何も仕事は無いのだがね。当面はなるべく我々の近所に居てくれた方が良い」
「あの、会長さん。……さっきの護衛というのは」
「言葉の通りの意味だよ。聞いたと思うがキミ達は希有な存在なんだ。まだ誰も力の発現には気が付いているまいが、ウチに慣れておいて貰わないと有事の際に守り切れない。キミ達はある意味VIPなんだよ。キミ達に守って貰う局面だって最終的にはあるかも知らんしな。いずれみんな顔見知りの方が良い」
「何かがあるとも思わないけど、先ずは魔法使いのいる環境に慣れておいて貰わないとね。――そうだ。アヤメ、紙とペンを二組、――ありがと。……二人共、ここに住所と、電話は携帯で良いわ、あとメールのアドレスね。それと漢字で名前を書いてふりがなも。口座番号とかはわかるかしら。二人共銀行のカードは今持ってる? あぁオーケー。んじゃ、その数字と支店の名前だけ書いてくれれば良いから」
なんとなく二人共、アイリスさんの勢いに押されて名前と住所をコピー用紙に書き込む。
「これは、いったい」
「実法学院はうるさいから、アルバイトを雇用した報告をお役所ではんこ貰って学校に報告しないといけないの。何よりお給料、払わなくっちゃいけないしね。15日締めでお給料日は23日ね。実労は今日からカウントするから。一応事務方のトップなのよね、私」
二部屋あるとは言え、広いとはいえないアパート。
テーブルを挟んで、私と、そして背筋を伸ばして正座する美少女クロッカス。
途中でラーメン屋さんに寄ってもらってしかもおごって貰って。
黒い車でここまで送って貰ったのは良いものの。
……何をどうしたもんだろう、この状況。
ちなみに仁史にはアヤメさんがついていった。
行き帰りは完全に一緒にいると言う事で、あいつが彼女と並んで歩いていたら。
きっとまた明日から盛大に噂になるだろうな。
「狭くしてしまって本当にごめんなさい。どうせ寝るだけだし私は別に玄関でも……」
「そう言う訳には行かないでしょ?」
小さめのコロコロバッグと通学カバン一つだけ持ってここにやってきたクロッカス。
喋り方と見た目でちょっとアレにも見えるけど、実際には高慢でも高飛車でもないんだよね。この子。
それに二人で並んで男子に意見を求めたら、私が玄関で寝ろって言われるのは確実。
「暫くはここに居るんだろうし、今度の土日でかたづけて二人用の部屋にしようね。あなたの机とかも入れなくちゃ。隣の4畳半は寝る部屋専用にするとして、お布団とか凄く豪華なヤツだったりする? ベッドとかあんまり凄いのは狭いから入らないよ? ――えーと、クロッカス。で良いの?」
「布団は初めから持っていないので。――それにクロッカスはコードネームみたいなもの。本名、と言うか。華・サフラン。……そう言う名前で学校に届けてあるらしいので、だからお互い混乱しないように普段からそれで呼んでくれた方が良いと思うわ。……この安直なネーミングは多分お姉様でしょうけど」
「何処が安直?」
「お花のクロッカスは、……別名ハナサフラン。あの人はすぐ面倒くさがる」
「なるほど。でも悪くはないじゃない、可愛い響き。――だったら華ちゃん。……とか」
「……設定上はもとから仲の良い知り合いになっている。とはアイリスも言っていたので、むしろその方が自然なのかも知れないけれど、……私にその辺の判断は付かない」
「じゃ、改めてよろしく華ちゃん。桜だよ。呼び捨てで良いから。どうせずっと一緒にいるんだったら敬語とかおかしいし、同じ年でしょ? それに、……守ってくれるって」
「もちろんあなたのことは命に代えても守ります。……はい、ならばよろしく。……その、桜さん」
「そうでなくて」
「……桜、でいいの?」
「うん」
テレビではバラエティの笑い声が聞こえるが華ちゃんはそれには無反応。
ただ私が入れたお茶の湯気を見つめる……。
「あの、さ。華ちゃん」
「……?」
「お茶、じゃ無い方が良かった? もしかすると」
お番茶に塩せんべい。一応最大限のおもてなしではある。
……他になかったとは言え、どう考えても華ちゃんには似つかわしくないと言うのはわかるけど。
「そういう事ではないの、気に病んだならごめんなさい。……設定上とは言えお友達が私の為に入れてくれたお茶。そしてお菓子。なんて幸せなのだろうと、そう思って」
「あのぅ……」
「家族の団らん、兄妹げんか、友達と携帯でメッセージのやりとり。……桜の部屋から学校に行けとは言われたものの、私には知らないことばかり。……ご飯を食べさせてくれて、魔法を教えてくれた振興会とお姉様。今の私には、他には何も無い」
「良く分かんないんだけど、――なら、先ずは私が友達。……ダメ?」
「でも、桜のことは実質私が巻き込んだようなもので……」
「華ちゃんのことは私は知らない。……でも私を助けてくれたでしょ?」
「……助けたのは仁史君、私ではないわ」
「火の玉だって体を張って止めようとしてくれた。ハンカチも貸してくれたし、汚れたままなのに手だって握ってくれた。服を洗ってから上着も貸してくれたし、魔法で地面も流してくれた。顔洗ってからリップだって貸してくれた。着替えも下着まで手配してくれたし、シャワーだって周りの人が見えないように更衣室から廊下までカーテンしてくれた。私、ここまであなたに助けられてばっかりだよ……」
「困っている人は助けるものでしょう、いくら私が莫迦だろうとそれくらいは誰から教わらずともわかる。それに桜は特に困っていた。あげてしまったのも、顔が汚れてしまったのも、服がダメになったのも、それは桜のせいではないから、だから……」
「そう言う台詞がサラッと言えるのってカッコイイと思うよ!」
思い切ってがばっと後ろから首に抱きついてみる。
良い匂いで頭がいっぱいになる、ほっぺも見た目通りにスベスベ。髪の毛もふわふわでサラサラ。
でも、見た目を裏切り結構筋肉質な彼女は正座の形から微動だにしない。
……もしかすると、怒った。かな?
「桜。――こんな時にありがとう、って言ったら、……おかしい、かな?」
首に回した私の腕に、そっと彼女の手が触った。
一緒にテレビを見て、一緒にお菓子を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝る。
女子だったらそんなにおかしな事でな無い様な気もするが、華ちゃんは嫌がった。
特にお風呂を。
確かにアパートのお風呂である以上広いわけでもないのだけれど、華ちゃん曰く、
“桜に裸を見られるのは恥ずかしい”
とのことで、当然裸にひん剥いて風呂場へと放り込んだ。
その彫刻のような見事な姿態を恥ずかしがる態度と共に十分に堪能したのち、湯船につけ込んでおいてから私も服を脱ぐ。
彼女が体を洗う様を湯船から眺めつつ考える。
こうしてみる限りただの女の子なのに、どうしてあんなに凄い力が使えるんだろう。
そして、そうで有りながらあんなにも優しく出来る。
ゲロまみれの見知らぬ人に普通に手を差し伸べたり、立場が逆でも私には出来なさそうだ。
と、体を隠すのを諦めてスポンジで腕を洗いながら華ちゃんが言う。
「こうして裸になってみると、改めて桜がうらやましい」
「ん? どこが?」
「……真っ白でふわふわの肌。それに比べて私は黒いし、どこもかしこもゴツゴツしていて柔らかく見える部分が何処にも無い。一般的な男性の思う女性のからだ、それはお姉様や桜なのだろうと、そう思うの」
――だからあなたの前で服を脱ぎたくなかった、もう良いけれど……。なるほど、こちらとは180度逆の事を考えていた。
しかも地黒なのは気にしてたんだね、ちょっと意外。
まぁ、毎日アヤメさんとは顔をつきあわせているのだろうし、気持ちはわからないでも無いけれど。
華ちゃんの場合、黒いと言っても多少日に焼けた程度にしか見えないし、裸になればなったで、まさにその肌の色が背中からお尻、太もものラインを際立たせる。
余計な肉がなくスッキリとした体のラインも彼女から見るとコンプレックス。
――色の白いは七難隠す、私の孫なのにねぇ。どうしてこんなに白いのかしらねぇ。昔良くお風呂に入る時おばあちゃんがそう言って私を褒めてくれたのを思い出す。
現状はきっと七つを超えて難があるんだろうな。隠れきってないよ、おばあちゃん……。
だいたい、ただ白いだけならアヤメさんは日に当たった事無いような白さだったし、アイリスさんなんかどうする、と言う話だ。あの人達なら五十難くらい会っても隠れ切りそう。
それを毎日見ていたらコンプレックスにもなるか。
ホントに肌の色も含めてカワイイのになぁ。
ふむ、華ちゃんのレベルであってもなお、自分にないものを求めるのだな。
彼女は洗い場で立ち上がると、石けんの泡を流し始める。
「基本的には細いのにおっぱいもくびれもあって、その上おお尻もちょうど良いふっくら加減でしまってるし、太ももだってそれこそカモシカのようなって感じ。男子はそう言うの凄く好きだと思うんだけど。――わぷ」
華ちゃんはお尻の辺りを私の目から隠しつつシャワーヘッドを持ったままジタバタし始め、風呂場中に盛大にお湯をまいていく
「先日雑誌で読んだところに寄れば、それは下半身デブなのであって、男性はあまり好かない体型なのでは!?」
「基準を何処に、ぼ、置くかの、ぶぼ、問題べ……、華ちゃん、一回シャワー置いて!」
「あ、ごめんなさい! 大丈夫?」
「ま、お湯に濡れて死ぬ人は居ないんだけどね、はは……」
……。なにもそんなに取り乱さなくても。
もしかすると男性の目というのを必要以上に気にしてるのかも知れないな。
あんまり免疫無さそうだし。
「……からだ流したら私も頭洗うから、もう一回入ってくれる?」
「ごめんなさい。いま、すませる」
いつもはシャワーだけだから湯船というのは珍しい、二回入るのが正しい作法なの? と言う華ちゃんが今は湯船からこっちを見てるんだろう。
まぁ、じろじろ見られてると思えば落ち着かないかな。頭を洗いながらちょっと反省。
だいたい気になるとすれば日本人でも普通にいる程度のその肌の色ではなく。
でも髪の毛とか目の色の話なんか、聞いても良いのかなぁ。それこそ余計なお世話だし。
「気になる? 髪の毛と、目の色」
「え? ……うん、まぁ」
「ふふ、ずっと聞きたそうにしていたのはわかった。みんなそう言うし……。桜は優しいんだね」
……バレてた。
「実際には私も知らないと言うのが本当なの。ついこの間まで某国のマーケット周辺に居たのよ、私。日本語は普通に喋れた以上。多分父か母、どちらかは日本人なのだと思うし戸籍も実はちゃんとあるらしいのだけれど、それも個人としては興味が無い。私は野良だったのよ。魔法使いとしてでなく、人としてね」
華ちゃんは、脱衣所で体を拭きながらとんでもないことを言い始める。
「あの、ちょっと待った! あのね」
「誰にもこんな話は絶対しないと思っていた。――桜、あなたは不思議な子ね。……今日始めてあったのに。それなのにあなたには聞いて欲しいって、私はそう思う」
某国の屋台が並ぶ広場。
パンを咥えて果物や野菜を両手に抱え、全力疾走する子供と追いかける大人達。
そんな映画のワンシーンのような生活を、彼女は物心ついて以来ずっとしてきたのだ。とそう言う。
「だから私はお嬢様などではなく。今となっては恥ずかしい話なのだけれど、ただのコソ泥だったの。でも、そうとしてしか生きていけなかった。と言い訳させて欲しい。……他の生き方を知らなかったし、それよりもまず死にたくなかった」
にわかには信じがたい話ではある。
「それもお姉様に捕まるまで、の話なのだけれど」
シングルのベッドにシングルの布団、私と華ちゃんが無理矢理収まっている。
さっきも思ったが基本的には筋肉質で背も高く、その上。こうして密着すると良く分かる。
細いのに出るとこがキッチリ出ているものだから、想像以上に狭いけど。
本当に玄関で寝るつもりだったらしい彼女は。
学校指定ジャージとタオル。それ以外寝間着の類を一切持ってこなかった華ちゃんには、だから一応部屋着にしていた長Tとジャージのズボンを貸した。
そしてそんな格好でさえ様になる、
なんかチラシに載ってる新機能Tシャツ広告のモデルみたいにみえる。神様は不公平だ。
「アヤメさんに、捕まった……。の?」
「日本語を喋る魔法使いの泥棒が居る、と聞いてわざわざ日本から出張してきたの。あの人が中学3年生の時だったかしら。……あのお姉様だから、当然だいぶ手荒に」
「アヤメさんが、手荒?」
「お姉様は強いのよ。……そう言えば魔法のランクわけ、誰も説明していないわよね?」
「公園でBとかなんとか言ってたヤツ?」
「あなたや仁史君のように魔法的性が完全にゼロの人はアンクラスド。……魔法使いとしての最低ランクはクラスレス。力を使えない人だけでなく、さっきのヤツのように力の制御が出来ない人もそこに含まれる。だいたい9割以上はこのランクなの。その上がクラスD、これはどちらかと言えば力の大小よりキチンと力の制御が出来る人って言う事ね」
彼女が襟元のピンズを飛ばすまで苦戦していた意味がなんかわかった。
彼女の10%の力とあの学生風の全力がほぼ釣り合っていたんだ。
アヤメさんがなんで怒っていたのか理由もそれならなんとなくわかる。
正規? の魔法使いが力の制御も出来ないような人を相手に苦戦するなんてみっともない!
と言う事を言っていたんだな、あれ。
「じゃ、華ちゃんみたいなキチンとした魔法使いってほとんど居ないの?」
「キチンと、の定義を何処に置くかでしょうけれど。――国内ではクラスDで100人前後、Cなら30人を切る。今日あった中ではアイリスがそう。Bになると日本では3人。事務所にはカキツバタさんという人も居るけど彼女もB。自慢するみたいでなんか嫌らしいけれど、その上のB+は日本では私だけ」
なるほど。自慢みたいで、とは言ったが。
ここまで密着してたら喋り方の微妙なニュアンスは隠せない。
彼女の密かなプライドなんだろうな、クラスB+。
それは降格なんかされたらたまったもんじゃない。青くもなる。
「ホントに凄いんだ、華ちゃん」
「上には上が居るわ。お姉様はアジア地域ただ一人のA+」
「マジで? アヤメさん、アジア最強!?」
「本気になったらうつくしヶ丘くらいなら街ごと数秒で廃墟に出来るでしょうね。……お姉様がそうする理由は思いつかないけれど」
「出来る限り仲良くしておかないといけないね……」
そんな理由を考えつかれたら大変だ。
「だからなまじ魔法の使い方を知っていた私は、お姉様には絶対服従、それを心の底からの言葉で伝えたと認めて貰えるまで、それはもう大変な目に遭って。でもきっと、その顛末は桜が眠れなくなってしまうから話さない。……うふふ」
うふふ。じゃないよ……。
そんな話。絶対聞かない、聞きたくない!
「でもそれなりに対抗出来たんじゃないの? 華ちゃんだったら」
さっきだって得意じゃ無い、全力じゃ無いと言いながら、野良の彼を簡単に吹っ飛ばしている。
「それは寝る前にするには結構面倒くさい話なのだけれど」
「もう聞かなきゃ気になって眠れないよ!」
「うーん。簡単に魔法の力のことはエレメントと言って、……土、風、火、水の4大元素エレメント、これに時空のエレメントで基本5種。魔法の理論はこれを基盤に考える。これが大原則。良い?」
「ふむ」
「時空のエレメントは結界師の使う結界術の原理でもあるけれどこれは今は除外」
「あれ? でも華ちゃんは結界も使うんだよね?」
「だからランクに+が付いているの。結界師はまた別にグレードわけがあるのよ。まあ、今のところそれはおいて。――4エレメントの4すくみって言ってね……」
――土は水を吸い込む。だから水の魔法は土に飲み込まれる。
――水は火を消す。だから火の魔法は水に打ち消される。
――火は風で勢い付く。だから風の魔法は火に取り込まれる。
――風は土を削る。だから土の魔法は風にそぎ取られる。
「公園の野良魔道士は炎使い。だから私の事を自分より少し力の強い風使いだと思って居たので余裕があった、と言う事」
「なるほど。で、実際はアヤメさんの封印破っちゃったから500倍以上の差があった」
「その話はもう……。それに、実力差はパワーだけでは無いし」
「でもお陰で私達に矛先が向かずに助かった、そう言うの、ちゃんと言った方が良いよ? 私からも言っておくよ。誰に言えば良いの? アヤメさん?」
――その時はお願いします。封印の話になると途端に萎縮しちゃう華ちゃんだった。
「そうそう。苦手な属性以外は公園で華ちゃんが言ったみたいに、フィフティフィフティなんだよね?」
「き、聞いてたの……。まぁそういう事。そうならその場合、普通は単純な力比べになるわ。当然技術介入の余地は大きくあるけれど、ね」
「でも華ちゃんは四つ全部使える、強い!」
「あそこでも言ったけれど水と火が得意で無いのは本当よ。制御が完全に意のままに出来る魔法については力の大小に限らずエレメンタラーを名乗るの。私は元々、土のエレメンタラー」
「でも風のエレメンタラーでもあるんだよね?」
「そこで私が約3年前に非道い目に遭った話に戻るの。私は風の魔法をお姉様に教えて貰ったのよ」
「土は風にそぎ取られる。だっけ? ……って事は、つまり」
「あの公園の男と同じく、あの頃の私は逃げ切る自信があった。なんなら邪魔くさいから返り討ちにしてやろうくらいには思っていたわ。自分で言うのもなんだけど素の状態でも力はかなり強かったのよ。――でも大原則は揺るがない。土は風に削られる。……お姉様は当時でもクラスB+。その頃から4元素に加えて結界まで、全てを使いこなすマルチエレメンタラーではあったけれど、大本の属性は風使い」
「つまり華ちゃんの土の魔法が効かなかったと」
「もうまるで。……あとは何処をどう話しても“恐ろしい話”にしかならないから話はここでお終い。――桜、もう寝ましょう。近いとはいえ明日は少し早めに行かなければいけないのだし、私は学校とかそう言う所は初めてだから。少し体力を温存しておきたい――それに」
すうっ。優しく華ちゃんが私の頬を撫でる。
「きっと桜は凄く疲れているはず。無理はしない方が良い。……明日も結局、私のことで苦労をかけてしまうのだし」
「そんな事無いって。……でも、確かに疲れてるんだろうな。――うん、おやすみ」
照明のリモコン。全消灯ボタンを押す。
電気を付けっぱなしで寝ることもしばしばなんだけど、
今日は華ちゃんが隣に居てくれるから真っ暗でも怖くない。
「おやすみなさい」
布団の中、そっと手を伸ばすと華ちゃんは優しく手を握ってくれた。