天使の梯子 : Ⅶ 束の間の休日
和弥は朝目覚めると身支度を済ませると階下に降りていった。そこではいつものようにリエが料理をつくっていた。
「おはようございます」
「おはよう」
この挨拶も習慣になっている。いつもと違うのはこれから和弥とあかねが二人で出掛けるということだけである。和弥はふとリエはお留守番をする、ということに思い至った。
「リエは行かないのか?」
と聞くと、ただただ冷たい視線で見られてしまったので、なにか地雷を踏んでしまったことに気付いた。おそらくリエはこれがデートであると信じて疑わないのだろう。リエが自分よりも、もしかしたらよほど人間味があるように思えてきて、ため息をついた。
ちょうどいつもは開店する時間にあかねが来た。
「…お、おはようございます」
「おはようございます…?あの、敬語はやめてくれませんか?」
「え、あ……分かったよ?」
なぜ語尾が疑問形なのか気になったが、その前に
「…っと、何が見たい?」
あかねの質問にクエスチョンマークが浮かぶが、すぐに把握して今日行く場所のことを言っているのか、と解釈してから、
「えぇっと…今秋だし紅葉とか綺麗なら見てみたいかな…。」
和弥はこの島に来てからめまぐるしい毎日を送っていたので、外へ呑気に観光というようなことがほとんど出来てなかった。
「うぅーん…それだと北の地区に森があるかな。ここは、本社オフィスがある中央地区だから3キロほど行けばつくと思う。」
そう言ってハッとした表情を浮かべるあかねは、自分の失態に思い至っていた。レンタカーをするのをすっかり忘れていたのだった。
「うぅ…どうしよう」
とつぶやくのが聞こえたのか聞こえなかったのか、和弥が呑気に、
「自転車で行けばいいよね、二台あったかな」
と言いながら、奥に入っていた。ハッとしてあかねは
「待って!……なら借りると壊すのが怖いから買わせて!」
と言った。
「いや、でもここにあるやつはどれも高いし……。」
「……買う!」
覚悟を決めたあかねはぶれなかった。和弥はしぶしぶなるべく安く、女性の体格にあったものをチョイスした。
「…これなんかがいいと思う。」
最終調整をして受け渡す。少々驚きながらあかねはその自転車に、
「可愛い…」
という印象を持って一目気に入ってしまった。すぐにクレジットカードで買い取る。その他の細々としたものも買うとかなりの金額に上ったがホクホク顔で
「早く行こう!」
ノリノリになっていた。ひとえにこんな金額をポンと出せたのは、仕事の給金を元手にした資金運用でかなり儲けていたからである。
二人のツーリングが始まるとあかねは驚いた。予想以上に、車体が軽くまるで向かい風でも前に進めるかのような錯覚に陥っていたからだ。
本来の仕事である案内役をおざなりにしてしまっていたが、風を体で感じていたあかねが、とても満足そうだったのも、それを見ていた和弥も満足していたのだが…。
二人が北地区に入ると、視界に森が見えてくる。敷地内に入ると、そこは自然を利用したレジャー施設のようだった。平日なので人は閑散としている。入っていくと綺麗に色付いた木々が視界いっぱいに拡がった。どうやら入口は常緑樹だったようだ。
「きれーい!」
舞い散る色鮮やかな木の葉を浴びるように手を広げていたあかねは、和弥の案内役であることを思い出しバツの悪そうな顔をして頬を赤らめた。その一連の動作が絵画に見えてしばし見蕩れていた和弥も慌てて、
「……えぇっと、少し歩く?」
「う、うん」
なんてことを繰り広げていると、あっという間に日が傾いていく。
その後、様々な店の集まる商店街をひやかしながらぶらぶらと眺めたりしながら過ごしていくと辺りが暗くなっていく。
「ここらでお開きにする?」
と和弥が提案すると、あかねは自分の身体に予想以上の疲労がたまっていたのに気付いて頷いた。
和弥は、あかねを送ってから家に帰るとリエが好奇心丸出しの顔で見てきので、少しだけ話すとニヤニヤしながら作ってあったご飯がのっていたテーブルに和弥を促し、ささやかな報告会になる。
その後まもなくして、あかねから仕事の依頼をするためのメールが来ていたのを確認すると、内容を見てから就寝したのだった。
その依頼が二人の関係に亀裂を入れてしまうとも知らずに………。