第五話 正体
「鴇守さまっ。一人では無謀です」
まるで、こちらをおちょくるように、自分の力を誇示するように踏切注意の看板が吹き飛び、ポイ捨てされていた空き缶がバラバラに解体される。
「藤沢、悪いけどこいつの応急手当頼む」
状況が呑み込めていないにもかかわらず、悠姫の傷の深い場所の出血をすぐにふさぎにかかる。迫りくる妖気。巻き上がる落ち葉。悠姫が「後ろ」と警戒を促す声を発する。今度は誰よりも早く鴇守は動く。
「臨」
人差し指と中指を寄せ手刀で空間を横に薙ぎ、はじめの言葉に力を籠める。駄々をこねるガキのように、「違う。違う」のだと鴇守は心の中で声をあげる。風が荒れ狂う。
「兵」
次に縦に手刀を振り下ろす。
思っているだけじゃ、何も変わらない。祈っているだけでは、良くならない。それは、何もしていないことと同じで、何もしていなかったからこそ彼女が傷を負った。視界の端に、結界を出ようと暴れる悠姫を取り押さえる藤沢を捉える。
「闘」
正義なんて人それぞれ違う。人の数だけ正義の形がある。盲目的な正義は、他者にとっての害悪にもなりうる。悠姫としての役目の正しき行動が、現に鴇守の心に痛みを与えるように……。
者皆陣烈在前との掛け声に続け、縦横に手刀を振るい、素早く九字の印を作り神聖な波動を送る。邪を払うのが九字の印による破邪の法だ。九字の刀印で空中に九字を切り、場を清めたため相手の動きが鈍る。
「ダメですっ」
「おい、何してるんだ。おとなしくしてろ」
「お願いです。邪魔しないでください」
動きの鈍った隙に、悠姫を傷つけた存在を調伏しようと次の印を結ぼうと手を組む。
「このままでは、鴇くんが後悔することになるんです」
懐かしい呼び名に、はっと意識がそれる。まっすぐな目。力強く意志をみなぎらせたその目に射抜かれ、竦む。悠姫が、矢のない弓をすっと弾く。
―――ビーン
黄金の波が己の内に寄せる。血の上っていた頭に冷水を浴びせたように心が澄み渡っていく。
「鴇くん。今です」
消し去るための術でなく、拘束のための術を紡ぐ。印を結び不動明王の中呪を唱える。
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
次に剣印を結び真言「オン・キリキリ」と唱えすぐに刀印に結び変える。
再び真言「オン・キリキリ」と唱える。次に転法輪印、転法輪印を結ぶごとに中呪を唱える。外五鈷印を結び大呪を唱える。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
風を、捉えた。
「あれ? 失敗?」
あれだけ吹き荒れていた風は止まり、静けさが満ちる。
「いえ、確かに発動したのを感じました。ですが、おかしいですね」
視線を左右に巡らしても、捉えたはずの風の正体がない。確かに手ごたえを感じた。逃がしてしまったのだろうか。
「も、森下。その、なんだ。下」
下を見てくれと続ける藤沢の声に導かれ、路面を凝視する。
「かまいたち、じゃない?」
鼬に似た妖怪で、両手には鎌の様な爪を有し、つむじ風に乗って現れ、人を傷つける妖怪かまいたち。彼の者の姿を現した絵を目にしたことがある。
「狐?」
「いえ、鼠では?」
半分狐、半分鼠のような灰色の体毛を持つ生き物。肉付きが良いせいかまん丸の形をしている。手のひらほどの大きさ。動揺のせいか張った結界が揺れる。
「何だ、これ」
『それは、イズナだよ』
聞きなれた声音が、困惑の渦中にいる鴇守の耳に届く。
それは、あまりにも近くから聞こえた。森から出られないはずの見慣れた天狗の姿を探す。だが、ここには雄々しく立派な羽を広げる尋常ではない美しさをもつあの妖の姿はどこにもない。
あるのは、鴇守と、傷を負って貧血でふらつく悠姫と、藤沢の三人。鴇守はとっさに悠姫を見ると首を横にぶんぶんともげそうなほど激しく降る。霊力の源でもある血を失った状態で、梓弓を弾いたのだ。ハクを降ろすことはきついだろう。だとすると……視線を横にスライドさせる。
「藤沢?」
姿かたちは変わらず藤沢のものだが、真面目で固い雰囲気を醸し出す藤沢のものと性質も気も明らかに違っていた。