第四話 裂傷
少し短いです
耳障りな甲高い警告音とともに、黒い鳥が一鳴きし、羽ばたく。黄色と黒の縞々の棒がゆっくりと目の前で落とされていく。
事件現場である踏切付近から、明海の言葉を裏付けるように、微かに妖気が残留していた。それは鴇守だけでなく、隣の悠姫も感じたようだ。意識を研ぎ澄ませて、線香の残り香りのようにか細い妖気を探る。その集中力をかき消すように、電車が機械音を発しながら通り抜ける。
「体を物にぶつけても触れてもいないのに鎌で切ったような切り傷ができる現象か……風……かまいたちかな?」
飛行機雲のように軌跡を残しているそれは、次第に薄まって行ってしまって、跡をたどれない。ゆっくりと上へあがっていく棒につられて空を見ると、空が学校を出たときに比べだいぶ紫がかっていた。
「かまいたちって現実に存在していたんですか。少し驚きました。かまいたちって、狐や天狗、竜に比べて知名度低いですし、もっと科学的な何かだと思っていました」
「実際に妖怪を見て話を交わしている割には、悠ちゃんってこういうの信じないよね」
ここは、あの森と違い木々も人以外の生き物の気配も極端に少ない。避けるのではなく、殺してきて人が、自分たちの住みやすいように排除してきたせいだろうか。
「いえ、前に民族関係の資料を読んだときに、急激な筋肉の使い方によって生じるものであるものと呼んだ記憶がありまして」
「でもさ、かまいたちは、基本的に三人組なんだよな。はじめの神が、突っかかり、次の神が切り、三番目の神が薬を付ける。だから、痛みがないんだけど……それならもっと妖気が色濃く残留していてもおかしくなさそうだしな~」
直接的に切ったのが、妖怪であると仮定して、それが妖怪の意思なのかそれとも術で縛られているか、主がいるか、そういったことまではすぐにわからない。もっと熟練した術者なら、わかるかもしれないが、まだまだ鴇守は未熟者だ。自分のこともままならないのに他の人のことにまで手を出そうとするなんてできるわけないのに、気づくと視線は彼女に向けられている。
「とりあえず、明海さんにはかまいたちが犯人である可能性も踏まえて、ためしに古い暦を黒焼きにしてしたものを傷口につけてもらおうか。傷がついた当初は平気でも、次第に激痛と出血がひどくなるかもしれないしね」
「わかりました。そのように連絡しておきます。そういえば、この場所って十字なんですよね」
「え、あ、そうだね。四辻だ。えっと、まって……犯行現場ってもしかしてほとんどそんな感じ?」
悠姫が、スマホから現場写真を取り出し、順番にスライドさせていく。川、池、踏切、神社、四辻……時間帯と言い、場所と言い境界線だ。
「私は、弓を持っていますが、鴇守くんは錫杖を持っていませんよね」
札は何枚か制服に仕込んでいる。弓道部の悠姫が弓を持ち歩くのと違い、錫杖を持ち歩くわけにはいくまい。いや、これはただの言い訳だ。シイばあさんに忠告された時点で、なんとしてでも盛ってこればよかったのだ。剣道の剣が入っているのだとか、適当ないいわけ考えておけばよかった。
「まずいよねぇ~。あぁ、なんで忘れたんだろう」
思わずしゃがみ込んでうなだれる。今どんな顔で、悠姫が自分を見ているの見たくない。こんな情けない男に役目だからとはいえ、そばにいなければいけないのは苦痛でしかないだろう。
「何してんだ。おまえら」
「「え」」
突然の聞き覚えのある声に、びくっと肩が震えた。悠姫の高い声と、鴇守の低い声が同じタイミングに同じ音を重ねる。
「そこまで驚かれるとこっちもさすがに驚くぞ」
真新しい交渉入りのボタン。首元をしっかり占めた学ラン。ほどよく日に焼けきりりとしまった顔に、濃い眉毛。授業中、何度も盗み見ていた転校生。
「わりぃ。なんで、藤沢がここに?」
「授業についていけてるかとか、先生と話していたんだが、おまえらは何でまだここに? 森下は、ここらに住んでるのか」
ならなぜ、駅の改札口であったのだろうかと不思議そうに首をひねっている。
「いや。酒井だけど」
「奇遇だな。俺も酒井なんだ。忘れ物でもしたのか?」
「まぁ、そうなんだけどね。ちょっとね」
忘れ物は忘れ物でも、学校に忘れたのではなく家に忘れてきて困っているとは言えない。不吉なほどに真っ黒な黒猫が、目の前をぽてぽてと横切る。
「ん? なら、帰らないか」
「あ、あ、うんっと、悠ちゃんどうする?」
ぐっと突風が吹き荒れる。
ザザッと木々が唸り声をあげる。
しゃん、しゃん、しゃん、鈴が鳴る。中身のない、鳴らないはずの鈴が、騒ぎ立てる。視覚と聴覚を遮られた世界で、
どん、と突き飛ばした。
とん、と突き飛ばされた。
反転した身体、耳鳴りのように啼く風の声。日々の入った灰色のアスファルト。排気ガスとガソリンと鉄の臭い。無残に散らされた木々の葉。持ち上げた瞼が移す黄昏の世界。
一陣の風が吹くごとに、灰色のキャンバスに赤が飛び散る。ぴしり、裂傷が悠姫に襲うごとに強まる空の茜の色。自分の身体を抱きすくめるようにして立ち尽くす細身の影。
「悠姫」
名を呼ぶ。
傍らにずっとあった女の子の名前を呼ぶ。肋骨の奥に氷を押し込められたように心の臓が冷え込む。何処も怪我をしていないというのに、全身が引きちぎられるような痛みが走る。
ゆっくりと傾く身体。
地面を蹴るようにして、体を起こし一目散に、倒れこむ彼女を抱き留める。寿命が縮まるかと思った。確かに感じる人肌のぬくもりと、少し色を失っている唇からこぼれる吐息に胸が詰まる。
「はい。鴇守さま。ご無事ですか」
硬さのない、ずっと見たかった柔らかな笑顔。心の底から満足しているような笑みと、悲しみをため込んだ今にもうるみ始めそうな瞳。喜びと悲しみ、矛盾した感情が、そこにあった。何に喜んで、何に悲しんでいるのかまで、さとりではない鴇守には読み取れない。喉に詰まったものを吐き出すように問いかける。
「どうして」
「それが、お役目だからです。悠か昔から、守様に使える女の臣下、それが代々悠姫の務めです」
滔々と語る言葉に胸の内で何かが軋んだ音を立てる。悠姫を、藤沢が投げ飛ばされた緑色の金網に有無を言わさず寄りかからせる。
「っ、なんなんだ。今の突風。おい、森下。あと、もう一人も無事……か」
意識を取り戻した藤沢が、複数の裂傷を負った悠姫を見て、目を見開く。
何か言いたそうに、こちらを見るが、ポケットから尖った水晶の原石を四つほど取り出すと、二人を囲むように四方へ配置して霊力を流し込む。結界が、問題なく張られていく。