陣宮家-1
大富豪の家に生まれた。その気になれば、アジア全土を買い占める程度朝飯前ってくらいに金を持っている。俺の人生において特筆すべき点なんて、今のところそれくらいだ。たったそれだけのことを、他人は羨ましがる。くだらない。
例えば、中学の頃の友達、更井が「お前は金持ちでよかったよな。うちは貧乏だから」なんてことを言ったことがある。「金持ちの反対は貧乏ではない」と返した。『金持ち』というのは『金を持っている人』という意味なのだから、一円玉一枚でも持っていれば、それだけで『金持ち』だ。『金持ち』の反対を言いたいのであれば、『無一文』と言えばいいのだ。『貧乏』の反対は『裕福』だ。
「はっ、それは金持ちだけが言えるセリフだな。ああ、あやかりたいあやかりたい」
「そんなに言うんであれば、俺の小遣いを分けてやろうか?」
「陣宮、調子に乗るなよ。武士は食わねど高楊枝だ」
「すまん。でもさ、そうなんだったら、『貧乏だから』なんて言うなよ」
「誰にだって、武士にだって、愚痴りたくなるときはあるものさ」
そう言って、更井は遠い目で窓の外を見ていた。
「ちなみに、くれって言ったら幾らくらいくれるんだ?」
ボソッと呟く更井。
「なんだよ、武士。やっぱり欲しいのかよ」
「そんなんじゃないさ。君がどれくらい友達思いなのかを計りたかっただけさ」
「ふーん」
そこで会話は終わった。中高生には有り勝ちな、どうでもいい取り留めの無い話であった。
そういえば、更井は貧乏じゃないことに今更気付いた。俺が言うのは烏滸がましいかもしれないけれど、そこそこ裕福な家で育っていたはずだ。夏休みと冬休みは毎年ハワイに行っているという話を聞いたこともある。
人は皆、他人の幸せばかり羨んで、自分の幸せを等閑にするものなんだろう。俺も然り、更井も然り。
「金があることに価値なんてない。金を使うときに金が価値を得る」
父親の言葉だ。実際そうなのだろう。無人島に百万円の束がいくつあったとしても、それを金として消費することが出来ないのであれば、ただの紙屑でしかない。人間はそんなものを稼ぐのに躍起になって、人生を浪費してしまう。一兆円持っている人も、一円も持っていない人も、死んだら何も変わらないのに。
俺の家の外観は普通だ。ごくごく普通の一軒家。これは富豪の価値観ではなく、一般的な価値観で。少しズレているかもしれないことは、この家は本当に、言葉通りの意味で『俺の家』であることだ。『陣宮幹也の家』であることだ。つまり、この家には俺しか住んでいない。姉と兄は別の家に住んでいる。両親に至っては別の家どころか別の国に住んでいる。
家があるのは親の私有地の中で、その土地は十ヘクタール、東京ドームで言うと二個分ちょっと。南北に二百メートル、東西に五百メートル。家族全員が集合したとき用の家(便宜上、両親の家ということになっている)、姉の家、兄の家、テニスコート、プール、図書館、使用人宿舎がある。
外には、住宅街、商店街、小学校、中学校、駅などがある普通の町だ。この町と他の町とを比べて、唯一普通じゃないのは、十ヘクタールもあるうちの私有地があることくらいだ。しかし、それももうこの町の中ではごく普通のことになっている。
「やっぱりお前の家は大きいなー。この家にお前一人しか住んでないとか、どんだけ贅沢なんだよコノヤロー」
私立葛城高校の同級生、桜林大己が言う。家の隣にある駐輪場に自転車を停めながら答える。
「それ、来る度に言ってるよな。語彙の少なさが表れてるぞ。もっと本を読め」
「お前よりは読んでるし、語彙だって豊富さ。だけど、それを日常生活で使う必要がないってだけさ」
「あっそ」
これも取り留めのない話。
「じゃあ、着替えてくるから待ってろ」
「へーい」
家に入り、従業員宿舎に内線をかける。家全体にあるスピーカーとマイクが起動する。
「もしもーし」
『幹也様、お帰りなさいませ。どうされましたか?』
百十三番執事の藍沢真義さんが出てくれた。
ウォークインクローゼットで制服を脱ぐ。
「あ、藍沢さん。ただいま。これから大己とテニスするから、コート開けて。あと、三咲さんに、制服のアイロン掛け頼んどいて。今、洗濯機回すから、二時間後くらいかな」
『かしこまりました。しかし、只今テニスコートは基也様が使われております』
青のテニスウェアを着る。
「えー、ホント? あいつアメリカに出張中じゃなかったの?」
『お昼頃に帰国されまして、時差ボケを治す為にテニスをすると仰って、四時間ほど前からずっと』
クローゼットから出て、脱衣所に行く。
「なんだよそれー。頭おかしいんじゃねーのあいつ。相手は誰?」
『アメリカで知り合ったという、カナダ人のレナード・クロル様と』
洗濯機に制服を放り込む。
「あいつの相手してるなんて、そのカナダ人も大変だな」
洗濯機のスイッチを入れる。
『私から基也様に連絡致しましょうか』
「いや、俺から話してみる。サンキュー藍沢さん」
内線を切って、外に出る。
「敷地全域でWi-Fiが無料って太っ腹だよなー」
大己は自転車のサドルに座って、スマホをいじっていた。
「何やってんの?」
「ツイッター」
「面白いのあった?」
「豪志と華園さんがデートしてるっぽい」
「華園さんって誰?」
「知らないの? 二組の。野球部のマネージャー」
「ふーん」
「見たことないか? 長ーい黒髪で、眼鏡の。身長は百六十くらい。学校内で指折りの美人だぞ」
「んー、あるような……ないような……」
「成績優秀で容姿端麗な華園陽香さんだぞ。聞いたことくらいあるだろ」
「ある気もするし、ない気もする」
「お前さー、そんなんだからモテないんだぞ。折角こんな金持ちの家に生まれてさ、そこそこ頭良くてさ、どちらかと言うとイケメンでさ、テニスだけなら結構上手いしさ。なのにそもそも女子に興味がないってんだから悲しいよな」
「興味がないって訳じゃない。ただ、この家に生まれた俺に近寄ってくる女たちは、みんな金目当ての上辺だけの奴らだろうと思ってるから」
「はーはー、なんとも贅沢なことですねー。でもよ、愛は金じゃ買えないんだから、女だって金が全てって訳じゃないだろう?」
「確かに、はした金じゃあ愛は買えない。でも、そうだなー……俺の一年間の小遣いくらいポンと渡せば、どんな女でも振り向くと思うけどな」
「いくら?」
「十桁」
「…………。さっすがー。一般人とは桁が違う。てか、そんだけありゃ振り向くくらいじゃ止まらねーよ」
「どうでもいい。その内『運命の人』ってのが見つかるさ」
収納庫から取り出したテニス用具を背負う。
「さ、行こうぜ」
自転車に乗り、テニスコートに向かう。
「一年に十桁も貰ってたら、贈与税どんだけ払ってんだよ」
「贈与税? そんなのかからねーよ。毎年一月一日に一年間の小遣いまとめて父さんから手渡しされるから」
「十桁? 現金で?」
「いや、小切手百二十枚。ひと月十枚として、一枚一千万。多分、小切手でも贈与税かかるだろうけど、書類とか通帳とかに残らないからセーフ。もしバレても税務署のお偉いさんに幾らか包めばいいだろうし」
「俺、この家の私有地にいるのが怖くなってきた……」
「今更だろ」
すぐにテニスコートが見えてきた。駐車場にはあいつの黒い外車が停まっている。ここは日本なのに、外国の車に乗るのは馬鹿だ。
むかついたから、車を蹴った。それくらいじゃへこまないようになってることぐらい、分かっていたはずなのに。むしろ蹴った足のほうが痛むことを知っていたはずなのに。しかし、一つだけ知ることはできなかった。あいつがテニスコートから出てきたところだったことは。
初めまして、月暈です。名前が一発変換できませんでした。
ノリと勢いで書いているので、不定期です。ノリがとてもよければ2、3日後、ノリが悪くて尚且つ多忙なら、ひと月程かかると思います。
完結目指して頑張ります。