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日常生活者  作者: 五郎八
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面倒くさい客

  とあるラーメン屋。








 駅前、メイン通りに面している、某有名大学を含む2校の最寄り駅。


 しかも「体育」が学校名に掲げられている大学と、駅伝などで常に上位をキープしている大学の2校である。


 豚骨スープをベースとしているにもかかわらず、汁まで飲み干しても不思議とさっぱりしているラーメンに、うっかり出来心でトッピングを頼むと経営を心配する程山盛りにし、無愛想で神経質な店主が残さず食えと不出来な笑顔で食を薦める、そんな店主を幸せそうに見つめる美人妻とふたりで切り盛りし、妻の出産時期等はバイトをひとり程雇う事もある。


 開店は11時半から夜の23時まで。11時前には若干名の列ができる。


 そんなラーメン屋の、とある日の1コマ。






 そのお客さんは、2、3日に一度のペースで食べに来る。

 時間はまちまちで、好きな時間に来る。

 顔は浮腫(むくみ)、目は肉に埋もれ、半袖のTシャツはクタクタによれ、片袖からは巨乳を支えるのに疲れ果てた肩紐がだらりと出ているのに直すこともせず、ズボンはどう贔屓目にみても薄汚れ、草臥れ過ぎた冬用パジャマにしか見えない。


 ふらふらふわふわと真っ直ぐに歩けないその覚束なさは、ざりざりとツッカケを引きずり歩く様式に心配するよりも眉をしかめ疎い者を視るような視線を招く。

 そんな彼女が、入口すぐのL字カウンター右手奥に何時ものように腰掛け、いつもの注文をする。


 いつもの注文に何時ものように山盛りにしたラーメンを提供し、いつものように皿を出して何時ものようにピッチャーにたっぷりの水と氷を入れてカウンターの上に置く。


 何時もの事だ。


 具を半分ほど皿に移し、顔を器の上に据え置き、ズルズルと犬食いを始める様を、汗が滴り豚骨スープを飛ばし、水を浴びるように飲み、また汗を滴らせピッチャーのおかわりをもらう場景を、常連客は誰も視界に入れようとしない。


 以前、ちらちらと見ていた大学生にくってかかり、あわや乱闘の騒ぎにまで発展。それが一度だけではなく幾度か繰り返され、何度出禁を言い渡しても入り口で土下座し泣き喚き終いには警察まで出動する騒ぎに発展させる面倒くさい女に、誰が関わりたいと思うのか。


 けれどもその日は少し違った。何時も席2つ分開けると角席になるのを良いことに、天然隔離となっていた席に、初めてのお客様がひとつ間を空けて腰掛けたのだ。

 最初は訝しがり、いつこちらを観るのかとちらちらと警戒していた面倒くさい女も、注文した時に店主と顔をあわせ、美人妻に水入りのグラスを席に置かれた際にお辞儀をする程度で、あとは店内の注文書にすら見向きもせずにスマートフォンに意識を集中させる初めての客に、警戒を解いたようにまたずるずるとラーメンを啜りだす。


「はいよ、お待ち」


 注文のラーメンを手前に下ろしながら、出来の悪い笑顔で提供する。

 出てきたラーメンを驚きの顔で迎え、スマートフォンを鞄に仕舞い、割り箸を掴んだ手を合わせて小さくいただきますを言うと、乾いた音を立てて箸を割り、空いた手に蓮華を持ち、上手にラーメンを食べ始める。

 麺を一口分食べ、スープを啜り、幸せそうに微笑むと、野菜をたべ、大きく切り分けられたチャーシューを堪能してから、また麺を啜る。


 見ていて気持ちの良い食べっぷりに店主の顔が自然に笑むと、美人妻が釣られたように笑顔になる。



 初来店の女性を気にかけて居たのは、店の従業員だけではないらしく、ひとつ空けただけの席に座る面倒くさい客も、水を飲み、ちらちらと視線だけを向ける。

 正面から見ると顔は正面で目線は初来店の女性という、まるでカンニング中の行動は試験監督も一発で発見できる程大変不気味に見えるが、店主も美人妻も正直女の事は総てが面倒なので完全スルーを心掛けている。が、面倒くさい女が気にかけている初めてのお客さんは、嬉しい反応をしてくれ、なかなか見所のある人材なので、絡まれる前に助けたいと店員ふたりは気を揉む。

 言って良いのならば大声で言いたい。『お客さん逃げて、超逃げてー!!』と。



「そういえば、お客さんは初めてですよね?」

「はい、ガッコに行くときに何時も気になってて」

「どうでした?」

「美味しかったです。最初に見た時野菜とか全部は無理だと思ったんですけど、不思議と全部食べちゃいました」



 美人妻が小さく椅子を引き出して、一人分空けた席に腰掛けにこやかに話し掛けると、はにかんだように顔を綻ばせながら初めてのお客さんがテンポよく応え、会計を織り込み会話の締めと帰りの一歩に向かって最後の一押しをする。



「是非、また来てくださいね。あ、これ、よかったら使ってね?トッピングの無料券とドリンク一杯無料券と、あと初めてのお客さんに渡してるひと月以内の再来店時に普通のラーメン無料券なの」

「え?」

「うちの店主さんは気難しいんだけど、初めてのお客さんがラーメンを食べている時に幸せそうに笑って、店主さんも釣られて微笑(わら)ったら、渡してるの」

「あ、ありがとうございます。いや、本当に美味しくてついつい笑顔になっちゃったんですよ」

「それが、店主さんも嬉しいみたいなの。今日はありがとうございます。また来てくださいね」

「はい、ご馳走様でした」



 そのまま踵を返して出口に向かう瞬間、面倒くさい女が声をかけてきた。



「ねえ、私も隣で気分よくなったから、いいもの見せてあげる」


 突然湧いた声に、小さく声を洩らしたお客さんは、少し戸惑ったようにまごついてからキュッと唇の端を引き上げて、面倒くさい客に近付く。


「いいもの、ですか?気になりますね。隣に座っても良いですか?」

「あ、私も気になるから見せてもらってもいいかしら?」


 いいも悪いも言われる前にさっさとお客さんを椅子に座るように促して、これ以上絡まれないように美人妻もそれに続く。

 そうすると気分が良いのか、いそいそと何処から取り出したのか、面倒くさい客の手の中に姫系ロリデコに覆われた携帯がお目見えした。


「うわぁ、可愛いですね!」

「あら、本当。私初めて見たわ~」

「…っ」


 何か言いたげに一瞬開いた店主の口は、音を出す前に静かに閉じて眉間の皺を深くした。

 言いたいことの予想は出来るが、言ったら面倒くさい客の機嫌が底辺に落ちるのが分かっているので、言わない事にしたらしい。


「ああ、これはね、昔指名一番のホステス時代の携帯なの。見せたいのは、これ。誰だか分かる?」


 ほら、と見せられた画像には、綺麗に此方を見つめて微笑む美人が居た。

 水色のドレスと深い色のサファイアを身に付けて、服に着られることもなく当たり前のように着こなす女性がバストアップで納まっていた。


「え、スッゴく綺麗な人ですね

「本当、え?誰?女優さんかしら?」

「ね、美人さんですよね」


 少し興奮気味に問うふたりに満足そうに笑った面倒くさい客が、勝ち誇るように一言発した。



「これ、私なの」



 そこだけ時間と空間が隔絶されたように静かになり、呼吸する事も忘れられた場所に数秒してから女性ふたりの大絶叫と、声にならない分息を詰めた男の声にならない絶叫が店の外まで響き、道を挟んだ向かいのマンションから、不本意な通報がされた。




 話の顛末はこうだった。

 ホステスでNo.1を続けて居るよりも、当時付き合っていた彼と結婚を望んでいた彼女。

 結婚を切り出すタイミングで、彼から別れを切り出される。

 真剣だった分反動が大きく、弁護士まで介して何度か話し合いを持つが、彼女は「別れない」とごねまくる。

 そして、決まって言うのが「別れるなら死んだ方がマシ」「このまま死んでやる」と自殺を仄めかして脅迫し、引かないどころか押しまくりべったりと寄りかかって離さない彼女に、辟易している彼は何も言わない。

 弁護士の「一旦休憩にしましょう」との声に、黙って席を立つ彼を見た彼女は、思い詰めたように化粧ポーチを手に席を立ち、落ち着いたら再開しましょうと彼の弁護士に提示されると小さく頷き外に出た。

 そのまま覚束ない足取りで降りかけの踏切に近付き、左から来た特急の電車の先頭端と接触して片目を失った。


 執着した彼とも、弁護士の居る前での毎回の脅迫に、民事裁判で敗訴。

別れる判決に追加して精神的な苦痛を与えたとして、200万円の支払いも発生し、電鉄会社との話し合いでも支払い請求が届いているそうな。

 彼への支払いは一括で終了したが、電鉄会社の支払いがどうなったのかは面倒くさい客の胸の内だ。

 ただ、今現在彼女は生活保護を支給され、先日は寝煙草でぼや騒ぎを起こし、一階のラーメン屋にまたもや迷惑を掛け、相変わらず謝罪は一切していない事は、店主の顔を見れば明らかで。

 


 その面倒くさい客は、2、3日に一度のペースで食べに来る。


 時間はまちまちで、好きな時間に来る。けれどもたまに、面倒くさい客の1つ空けた隣の席に、明るい笑顔のお客さんが楽しそうに座っている日も在るらしい。


 相も変わらぬ日常の1コマ。

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