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散歩

 口の中に脂臭さが広がる。侵入を許した舌が冷めきったせいで、気持ち悪く感じる。早く終われと願いつつ、彼の求めに応じていた。




 昼間は暖かいために薄着で出かけてしまったが、朝方で歩くには少々肌寒さがあった。先程出ていった家から上着の一枚でも借りてくればよかった。今頃ベッドでやることやって満足した男は、私物が失くなっていることさえ気付かないだろう。体が冷えていくのと比例して、暖かい布団で安らかに寝ている男への怒りが増していく。


 その時だった。ズボンのポケットに入れてある携帯のバイブ音が伝わった。すぐに取り出して、通話のボタンを押した。


「もしもし」

『お前今何処にいるんだよ』

「帰る途中の道だよ。もう十分くらいしたら着くんじゃないの」

『マジ。ならさコンビニ寄って、買ってきてもらいたい物があるんだけど』

「自分で行けよ。家からの方が近いだろ」

『寒いんだよ。それに一々着替えるのも面倒臭いだろ』

「…分かったよ。何買ってくればいい」

品を言った後、『ありがとう』という感謝の言葉もなく、向こうはそそくさと電話を切った。文字に出来るくらいの大きな溜息を吐き、直行で家に帰る予定を変更して、コンビニへ寄り道することになった。


 一つ歳の離れた兄は今年受験生だった。学年が上がったばかりで、受験本番までまだ月日があるというのに、兄は既に緊張感に呑まれ、力み過ぎている節があった。兄が頑張るのも無理はない。二歳年上の彼女と同じ大学に入るため、そして浪人が出来ない環境のせいで、必死に猛勉強をしている。その姿を目撃しているから、多少のパシリは目を閉じているが、少しは気を使っている方にも心遣いを見せてほしい。

「いらっしゃいませ」

 覇気のない声が店内に渡る。大きなレンズの眼鏡をかけて、頬が少しこけ気味の青年が一人レジの仕事をしていた。目が合うとすぐに反らしてしまう青年を見て、彼を思い浮かべてしまう。大きな身体を持っている割に気が弱く、弱さを見せないように表情を固くしている。


 しかしその彼が先日、話し合いの最中に笑みを漏らした。周りは特に気にした様子がなかったが、引っ掛かりを感じた。笑うにしても、泣くにしても、怒るにしても、彼の口許はそれを許さず引き締めてた状態だ。目だけが正直で、あの顔の筋肉は引き攣っていることが当たり前だった。その彼が自然に笑ってみせた。今までにない柔らかい表情なのに、しっかり捉えると目尻に力が入っていたことが分かった。奥を覗けば、かすかに瞳が涙で滲んでいた。





「ありがとうございました」

 コンビニから出れば、最初に比べれば太陽は昇っていたが、風が強く吹き始めていた。寒いと思いながらも、熱を持ってしまった自身を冷やすのには程よかった。

 久方和喜は普段より歩く速度を遅くして、自分を待つ兄がいる家へと進んだ。



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