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2 朝露


 先だって里を騒がせた破天党、里炎組の組頭・源修一とその弟・源悠一の処刑が報じられたのは、萌月の終わりの事だった。

 その報に煽られたのか、破天の連中がここしばらく活気づいている。里炎と少なからず関係のあった組なのだろうか、彼らは澪月の初め、憤りに任せ乾壱班の屯所に特攻をかけた。それが昨日の事である。

 大半の者はその場で捕らえたが、数名を取り零した。丁度壱班に詰めていた紫呉と影虎と、壱班員の数名で彼らを追った。

 木屋に逃げ込んだ男女二人は捕らえたものの、残りの何人かは夜陰に紛れ見つからず仕舞いだ。捕らえた二人はまだ口を割らない。

 紫呉は乾壱班の屯所で朝を迎えた。仮眠用の寝台の上、身を起こして眠い目をぐしぐし擦る。

 うんと伸びをして、大きな欠伸を漏らした。滲んだ涙を拭い、枕元の袴に手を伸ばした。

 まだ眠い頭でもそもそと支度をする。黒の単の上に白の袴を着け身形を整えると、多少はしゃんとした気分になった。

 手ぬぐいと歯刷子(ハブラシ)を持って井戸に向かう。雨はいつの間にか止んでいた。草木に溜まった水滴が、朝の眩い陽光にきらりと光る。

 井戸には先客がいた。莉功だ。眠たげな顔をして歯を磨いている。

「……おはようございます」

「……んー」

 お互いに半分閉じた目で挨拶をする。

 井戸には木板が被せられ、その上には最新式の喞筒(ポンプ)が取り付けられている。紫呉は欠伸しつつ、喞筒の取っ手を押した。

 噴き出す水を手で受け、顔を洗う。冷たい水が心地良い。手ぬぐいで顔を拭き、軽く口を濯ぐ。濡らした歯刷子を咥えた。

 莉功が歯刷子を咥えたまま、もごもごと何かを言った。彼の身振りから、そのまま水を出しておいてくれと言いたいのだろうと察しをつける。

 莉功は口を濯ぐなり「眠ぃ」と呟き大きな欠伸をした。銀鼠色の髪は乱れに乱れ、髭は不精に伸びている。制服も汚れや皺が目立つ。実にくたびれた様子だ。いつもかけている眼鏡はかけていない。

「眼鏡はどうしたんですか?」

「ああ、昨日の特攻のおかげでさあ、ひび入っちゃって。おかげでちょー見え辛い」

 喞筒に手をかけ、莉功は細めた目で紫呉を見る。

「見えてるんですか?」

「何とか。ちょーぼんやり視界だけど」

「普段眼鏡をかけてる方が眼鏡を取ると、顔の部品が足りない感じですよね」

「部品て」

 莉功は苦笑した。会話はとりあえずやめにして、紫呉は歯磨きに専念する事にする。

 ずいぶん目も覚めてきた。歯を磨きながら腕だの腰だのを動かして、ついでに身体の方も覚まさせる。

「そいや影虎くんは? あ、や、ごめんちん。後で良いよ」

 もごりと不鮮明な説明をしようとした紫呉を止め、莉功は喞筒を押した。もごもごと礼を述べ、噴き出る水を手で受けて口を濯ぐ。

「影虎は僕ら駐在の弐班員以外の者に、今回の件を知らせに行っています。おそらくもうこちらに班員は来ているかと。あと、元気がありゃついでに逃げた奴ら探しに行くわー、と言っておりましたが」

「似てね」

「うるさいですよ」

 憮然と言い返し、紫呉は手ぬぐいで口元を拭った。

「何つーか、しばらくは面倒くせえ事になりそうだな。時期が時期だし」

「そうですね」

 毎年澪月初めの田植えの時期に、里は祭りを行う。土着の倉稲魂神(うかのみたまのかみ)である稲荷に、如月の血筋の者が舞を奉納し豊作を祈願する祭りだ。

 祭りを間近に控えたこの時期は、里はただでさえ浮き足立っている。良くも悪くもだ。

「何もこの時期に処刑しなくてもよくね? って俺は思うんだけどねえ」

「見せしめではないのですか? もしくは示威の為か」

「逆らうとこうですよー。お前らの動向気にして祭りやめたりしませんよー、処刑時期も気にしませんよーってか?」

「だと僕は思いましたが」

「あーあ、偉い人ってなあ怖ぇ怖ぇ」

 莉功は腕を撫で摩り、ぶるっと震えるふりをした。

「そうだ。お前さん祭りにゃ如月側で参加したりとかはねえの?」

「兄様からは特に何も仰せ付かっておりませんが……。おそらくは前年と同じく警備に当たると思いますよ」

「ふーん。今回は警備しんどそうだなあ」

「ええ。破天の方々が、盛大に騒いでくれそうですね」

「それをぶっ潰してこその示威行為ってわけかね。つか『示威』って響きがやらしいわー」

 莉功はもじもじと身をくねらせる。

「思春期ですか」

「いやいや、俺の言いたい事すぐに分かっちゃうお前さんも十分思春期だべ?」

「いやらしいという事はつまり、手淫の意味での自慰と判断したまでです」

「確かにじいさんの爺だの、二番目で次位だのはやらしくないわな」

「まあ実際僕は思春期ですけどね」

「やだもうこの子ってばー。朝っぱらから下ネタとか元気ねえ」

「今のって下ネタに入るんですか?」

「んー? んー……。まあ、さておきだ。一旦帰んのか?」

 さておき、と何かをどかせる仕草をして、莉功は紫呉の格好を眺めて言った。

「はい。少し調べたい事が有りますから」

「こないだの事か?」

「ご名答」

 結局、あの男――影虎に聞いたところ瀬川拓也という名らしい――の遺骸は見つからなかった。付近を捜しても見当たらず、紫呉の虚言ではないのかと勘ぐられた。証明する手立ても無く、事件として取り扱われてすらいない。

 だが拓也に襲われた事も事実で、拓也が誰かに殺された事も事実だ。それを知っているのは紫呉と、楓と――やはり影虎に聞いた――、殺した本人か。

 しかし何故、楓は壱班を頼らないのか。恋人を――これも影虎に聞いた――殺されたと訴え出るのが、順当であるように思えるのだが。

 しかし、そんな訴えは未だに無い。そして、楓の消息も掴めない。

「別に、莉功殿を始め壱班の皆様に、僕が虚言癖の持ち主であると疑われるのは良いんですよ」

「拗ねんなよー」

「拗ねてません」

 少し皮肉っただけだ。

「……不可解でならないんです。何故僕は襲われたのか、何故あの男は殺されたのか、誰が殺したのか、目撃者は何故訴えないのか。僕はそれらが気にかかって仕方がない」

 先日、楓の生家を調べ出して訪ねてみた。しかし楓はいなかった。両親は「娘は出かけています」と言っていた。何かを隠している様子は見受けられなかった。

 悲壮な様相もしていなかった。娘婿が殺された事を知らないのだろうと思える。

 それに『娘は出かけている』と両親は言った。つまり、失踪だの失跡だのとは思っていないという事だ。

「……おかしな事ばかりだ」

 どうにも腑に落ちない。紫呉は大息すると共に髪を掻き乱した。

「お前さんが嘘吐いてるとは思ってねえんだけどさ、証拠が無いとどうにもなあ……。俺も自由にゃ動けんし壱班も動かせんし」

「ですよね……。いっそ、傷の一つや二つ貰っておけば証拠になり得たんですが」

 ありがたい事に無傷である。

 両親が楓の不在を壱班に届けているのならば、また話は変わってくるのだ。別件から今回の事件を浮かび上がらせる事も出来るだろう。

 しかし両親は、娘の不在に事件性を感じていない。

「八方塞がりですね」

 紫呉は溜息混じりに言った。

 どこかで鶏が鳴いている。その呑気な鳴き声に、苛立ちと和みを同時に掻き立てられた。



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