表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/24

18 邂逅

 楓は、その場にずるりとしゃがみこんだ。

 何故ここに、と不思議に思いはしたものの、無事でいたか、と安堵の気持ちが湧き上がる。

 楓の側に向かおうと、足をそちらに向けた時だ。

「……どうして」

 楓は呟き、辺りを見回した。そして口元を押さえる。嘔気を必死で堪えているようだった。

「……何で

 言いさして、楓は背を丸めて吐瀉した。樹の幹に手をつき、苦しそうに吐いている。

 紫呉は足を止めた。幹に手をついた彼女の親指には、屍と同じように包帯が巻かれている。

 胃の中のものを全て吐きつくし、楓は紫呉を見上げた。大きな目には確かな怒りが見えた。

「……何で、殺したの」

 震える声で呻き、楓は周囲を見回した。

「三吉さんと、舞さん、すごく幸せそうだったよ。二人目が生まれたんだ、って、……すごく……」

 楓の声が涙に飲まれる。

 さて、どれが三吉さんで舞さんだろうかと、紫呉は屍に視線を走らせた。見たところで分かるわけも無いのだが。

「……彼らは僕に刃を向けた。だから斬った。それだけです」

 先程までの激情は嘘のように凪ぎ、静穏と言って良いほどだ。平坦な己の声を聞きながら、紫呉は何だか不思議な心地を抱いた。

「それだけ? 何よその言い方、何で、何で……っ!」

「では殺されて差し上げれば良かったんですか? 真っ平御免だ」

「うるさい、うるさいうるさい! そうよ、死んじゃえば良かったのに! 何で、何で拓也を殺したの!」

 乱雑に言葉を紡ぎ、楓は拳を何度も幹に叩きつけた。

「拓也を返してよ! 返してよ……っ!」

 楓は顔を両手で覆い、咽び泣いた。悲痛な泣き声が夜の静寂を打つ。

「……瀬川拓也の一件は、僕の与り知らぬ事です。彼を殺したのは僕じゃない」

「嘘!」

 弾かれるように顔をあげ、楓が叫ぶ。

「そんな都合の良い話、信じれるわけないじゃない! だって私は見たもの! あなたの側で死んでる拓也を、私は、見たもの……っ!!  拓也もあなたが殺したんでしょう? こうやって、ものを斬るみたいに拓也を斬ったんでしょう?」

 大きく瞠った目からぼろぼろと涙を零し、楓は早口に言った。殺してやる、と低い声で彼女は呻く。

 取り出した小刀の鞘を払い、楓は立ち上がった。

「ねえどうして? 何でこんなに簡単に人を殺せるのよ。何でよ。何で、なのに、何であなたは普通に暮してるのよ。治安維持部隊の肩書きが免罪符になってるとでも思ってるの? ねえ答えなさいよ

「生き抜くと決めたんだ」

 楓が言い終わるのを待たず、紫呉は言った。

 ぽつりと、雨が地面を打つ。

 忙しなく上下する楓の肩を濡らす雨粒を見やりながら、ようやく降りだしたかと、紫呉はそんな事を考えていた。

「報いは必ずや受けましょう。いずれ、彼岸にて」

「……っ」

「だが」

 楓が何かを言おうとするのを遮る。

「今生は、生き抜くと決めた。奪った命を背負い、生き抜くと決めたんだ。その重みに押し潰され、地べたを這い蹲る事になろうとも。それでも」

 紫呉はぶら下げていた牙月の切っ先を、楓に向けた。

「生き抜く覚悟は、とうに出来てる」

 雨粒が直刃の上で弾け、細かな飛沫を散らす。

 小刀を握る楓の拳に力が籠る。親指に巻かれた包帯に、じわりと血が滲むのが見えた。

 俯いた彼女の頬に、濡れた髪が張り付いている。

「あなたを殺したいから、入天したんだもの」

 楓は顔をあげ、こちらに一歩踏み出す。

 彼女は笑みを浮かべていた。凄艶と言って良いほどの、美しい笑みだった。

「嘘の手紙まで書いて、家族も友達も置いてきて、それでも私はここにいるんだもの。あなたが仇じゃなきゃ、私、困っちゃう」

 幼い物言いで、楓はくすくすと小さな笑い声を漏らした。

 頼りない足取りで、楓はこちらに向かってくる。

 ふと、紫呉は動きを止めた。

 気配を感じる。

 視線が突き刺さる。

 ちりちりと焼けつくような視線が、背中を焦がしている。

 視線の出所を探る。

 意識を研ぎ澄ます。


 どこだ、

 どこにいる。


 この気配、

 この空気、

 この視線。


 これは、あの男のものだ。

 

 紫呉は背後を振り仰いだ。

 彼は、そこにいた。

 樹の上にしゃがみ、膝に両肘をつき、面を思わせる無機的な笑みで紫呉を見おろしている。

 彼は紫呉が気付いた事に対してか、少しだけ眉をあげて、驚いたような表情を浮かべてみせた。

 彼の蜜色の髪は雨に濡れ、普段よりも僅かばかり濃度を増している。

 だが瞳の色は変わらぬ。雨に濡れようとも、血に濡れようとも、あの色は決して変わりはしない。

 そうだ。例えるならば、炎の赤より尚も紅い、紅緋の焔だ。

 あの目はいつだって同じように、疎ましく燃える火中に在る。

 紫呉は彼の名を呼ぼうとした。

 だが出来なかった。

 腰に、痛みを感じたからだ。

 いや、痛みというよりも、ただ熱かった。燃える鉄板を差し入れられたのかとさえ思った。

 強張る首を何とか動かし、背後を見やる。

 楓がいた。薄く笑みを浮かべていた。

 楓は紫呉の腰から刃を抜いた。

(抜いた?)

 楓の手の中に、赤く濡れた小刀が有る。楓はいっぱいに目を見開き、手の中の小刀をじっと見つめていた。


 そうか、刺されたのか。


 刺したのか、

 この女が、


 こ

  の

    女、 が


 紫呉は牙月を振りかぶった。


 雨足は激しさを増してきている。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ