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13 不在

 薄闇が空を覆い始めた。赤く火照っていた雲は宵に抱かれ、色彩を失いつつある。

 紫呉は人通りの少ない裏道を通って、舞台の裏手まで歩いた。表の通りには提灯が並び吊るされているが、こちらの裏道には灯の類は一つもなく、喧騒も遠い。

 やがて舞台の裏手についた。周囲には壱班や赤官の姿があった。

 その中に、知った姿を見つける。彼は紫呉を見とめると、気さくに片手をひょいと上げた。

「よう。うちのアホはまだか?」

「という事は、こちらにもまだ帰ってきていないんですね」

「ああ。……何やってんだかな」

 と、彼は顎鬚を手のひらで擦った。鮮やかな山吹色の瞳が、不安と焦燥のためか僅かに曇る。

 彼の名を草薙影鷹(かげたか)という。影亮・影虎姉弟の叔父だ。妻帯はしていない。

 彼は姉弟の父であり雅由の影であった影隼(かげはや)の病没後、姉弟を育てつつ雅由の影も務めている。

 紫呉は左手首の影虎の黒器・清姫を逆の手で手首ごと握りこんだ。

 祭までには帰る、と影虎は言った。だがまだ影虎の姿は見えない。

「……もし、今日帰ってこなければ俺が見に

「帰ってきます」

 影鷹の言葉を紫呉は遮る。

「帰る、と影虎は僕に告げました」

 影虎は確かに言った。祭までには帰ると言った。

 嘘を吐くなど、許さない。

「……ああ。悪い」

 影鷹は紫呉の頭を叩くように、軽くぽんと撫でた。

 しかし影鷹の瞳には、今も不安が色濃く宿っている。それほどまでに危険な場に影虎は忍んでいるのだろうか。

 もしや、という思いがよぎる。

「……いっ」

 ふいに左の手首に痛みが走り、紫呉は僅かに声を漏らした。清姫がまるで紫呉を責めるように、肌を食んでいた。

「……そうですね」

 清姫を撫でて、宥め詫びる。

 今し方、影鷹に大きな口を利いたくせに情けない。己が己の影を信じずしてどうするのだ。

 そうだ。自分はただ信じ、待てば良い。

 ふと、よく知る気配が近づいてくるのに気がついて紫呉は顔を上げた。

「おかえりー。ね、屋台どうだった?」

 黒色の晴れ衣装に身を包んだ須桜が、こちらに駆け寄ってくる。片手に篠笛、もう片手に目元のみの狐面を持っていた。

「盛況していましたよ」

「そっか」

 清姫がまだ紫呉の元にあるのを目に留め、須桜は少しばかり眦を吊り上げた。唇が小さく「馬鹿」と動く。

 だが紫呉を見上げた時には厳しい表情を消し、常の明るい笑みを浮かべていた。

「紫官の皆さんが探してたわよ。着付けしなきゃー、って」

「分かりました。すぐに行きます」

「あっちの方にいるわ」

「はい」

 須桜が指差した方角へと紫呉は向かう。背後を窺えば、影鷹と須桜が何か話し込んでいた。おそらくは影虎のことだろう。

 しばらくの後に、二人は紫呉の隣に並んだ。

「じゃあ俺は持ち場に戻るよ。ま、安心して舞いな。鷹の目がついてるさ」

 影鷹は己の目を指差し、茶化すように笑った。

「頼りにしております」

「任せとけ」

 ぽんと紫呉の肩を叩くなり、影鷹は薄闇に紛れた。ほんの一瞬の間に彼の気配は遠ざかり、すぐに一片も感じられなくなった。

 須桜は手にした面を顔にあてがいながら、紫呉を覗き込んだ。

「ね、似合う?」

「おそらくは」

「何よそれー」

「見慣れていないので、何とも言えません」

 面を外し、須桜は頬を膨らませた。

「そういう時は、とりあえず似合うって言っておけば良いのよ。紗雪がここにいたらぼろくそに怒られてるわよ。女の子の繊細な気持ちを汲み取ってやれない男なんて糞よ糞、みたいな」

「糞は勘弁願いたいですね」

「あと影亮さんにも怒られると思う。女の子に優しくするのは、男が生きていく上での知恵よ、って」

 笛を帯に差し、須桜はしたり顔で人差指をぴんと立てる。

 紫呉は違和を感じた。

 何だか須桜が変だ。いや、変なのはいつもの事だがそれは置いておいて、妙に多弁で妙にはしゃいでいるような気がする。

 紫呉は須桜の横顔を窺い見た。笑顔は笑顔なのだが、どことなくぎこちない。

「もしかして緊張していますか?」

 紫呉の言葉に、須桜はぎしりと体を強張らせた。

「いや別にそんな事無いわよ」

 早口な台詞とは裏腹に、飴色の瞳がそわそわとあちらこちらに泳ぐ。

 その様子を見て、紫呉は人の悪い笑みを僅かに浮かべた。

「……先程も言いましたが、屋台の辺りは中々の盛況ぶりでしたよ。あの人たちが皆舞台の方へ訪れるとなると、まあ、結構な人数になりそうですね」

 須桜が足を止めた。見れば、面じみた硬い笑みを浮かべて紫呉を見上げている。

 そして、紫呉の顔面を両手でもっちりと挟み込んだ。

「ちょ、手汗気持ち悪いんですけど」

「何なの、何なのよもう。そんなに緊張させて楽しいの。緊張してるあたしがそんなにおかしいの。何なの」

「分かった、分かったから離して下さい」

「むしろ何で紫呉はそんなに普通なの。紫呉だって舞台とか舞とか滅多に出ないししないくせに何でそんなに普通なの」

「ああもう、手汗を塗りたくるな!」

 頬をもちもちしてくる濡れた手から、必死で顔を背けようとしたその時だ。

「……何をやっているんだいお前たちは」

 由月の呆れた声がして、紫呉はほっと息を吐いた。


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