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12 饅頭

 崇は満面の笑みで人の間を縫い、こちらにやってくる。頭に巻いた手ぬぐい、前掛け、そして襷がけ。いつも悠々館で見ている姿だった。

「兄貴、どうしたんだぜ? だって今日は」

 言いかけて、崇ははっとして自分の口を押さえた。身を寄せ、耳元でこそこそと囁いてくる。

「舞は良いんだぜ? 代わりにするって聞いてたんだけど……」

「崇、私を無視するのはおやめなさい。聞いているのですか」

「あちらに向かう前に、祭の雰囲気を味わいたいと思いまして。少し我儘を言って抜けさせてもらったんですよ」

「うん。兄貴祭の時いっつも警備してるし、今日はちょっとくらい羽伸ばしても良いと思うんだぜ」

「こら、二人とも聞いているのですか!」

 洋が少し声を荒げる。ようやく気付いたという素振りで、崇はわざとらしく驚くフリをした。

「洋! いたんだぜ?」

「いますよ! 何なのですかあなたは! 私がお嫌いなのですか!」

「嫌いじゃないけど鬱陶しいんだぜ」

「少しは歯に衣を着せなさい!」

「まあまあ。僕もそう思っていますよ、二人に対して」

「兄貴ひどいんだぜー」

「何なのですかあなたまで! ま、まあ私はあなたを嫌っておりますがね! 鬱陶しいとかそれどころではなく!」

 洋は大仰に顔を逸らし、勝ち誇ったように眼鏡をいじった。

 崇は洋を気にする様子も無く、ごそごそと懐をあさっている。

「ほい。兄貴これあげるんだぜ」

「何ですか? 饅頭?」

 包み紙を開く。手に乗せられた饅頭はまだ温かく、出来立てのようだった。薄紫色のそれは、どうやら紫陽花を模ったものであるらしい。

「うん。オレん家も屋台出してて。それ、今から屋台に並べる試作品なんだぜ」

 食べてみるよう勧められ、紫呉は饅頭を二つに割った。白餡だ。

 口に運ぶ。上品な甘さが広がった。美味だと素直に告げると、崇は琥珀色の目をきらきらと輝かせた。

「それ、オレが作ったんだぜ」

「へえ……。すごいですね、美味しいですよ。見た目も綺麗ですし」

 崇はぱあっと笑顔になって、諸手をあげて喜んだ。

 割った片割れを洋に勧める。洋は仕方がないといった体で、饅頭を口に運んだ。もそもそと咀嚼する。

「……まあ、悪くはございませんね」

 崇が拗ねたように唇を尖らした。

「洋はそういう所が可愛げ無いんだぜ」

「別に、可愛げなぞ必要ございませんよ。余計なお世話です」

「あ、そういうこと言うんだぜ!?」

「こら、眼鏡を触るのはおやめなさい! 皮脂がつくではありませんか!」

 ぎゃわぎゃわと二人が言い争う。しばし傍観していた紫呉だったが、だんだんと周囲の人目が気になり始めてきた。人々は遠巻きにこちらを窺っている。

 そろそろとめるか、と紫呉は二人の肩に手を置いた。

「うるさいですよ」

 ぐっと手に力を込めると、二人はぎゃあと叫んで紫呉の手を払った。

「な、何をなさるのです!!」

「うう……兄貴握力半端ないんだぜ……」

 二人は肩を押さえて、涙目になっている。

「野蛮なお方ですね! 痕ができたらどうしてくれるのです!」

「申し訳ございません。ではお詫びに、一つ良い事を教えて差し上げますよ」

「……何です?」

「蛙のね、目の後ろ辺りに丸いのあるじゃないですか。あれ、蛙の鼓膜なんですよ。鼓膜むき出し」

 洋は己の腕を抱え込むようにして、紫呉から身を遠ざけた。鳥肌が立っている。

「兄貴物知りなんだぜ!」

「でしょう。ちなみに蛙は肋骨が無い種がほとんどで、もし異物を飲み込んだ時は胃袋ごと吐き出して洗浄するらしいですね」

「兄貴すっげー!」

 洋を窺えば、青ざめて唇をわななかせていた。

「あ……」

「あ?」

「あ、あなた、私が蛙だの蛇だのぬるっとした生き物が苦手と知っていて……!!」

「おや、蛇も苦手でしたか。それは良い事を聞きました」

 洋はびくりと肩を跳ね上げた。警戒心をむき出しに、総毛だって紫呉を睨みつけてくる。

「な、何なのですか! 何故こんな嫌がらせをするのです!」

「いえ、二人が喧嘩しているのを見ていたら鬱陶しいな、と思ったので」

「ならば崇も同罪でしょう!」

「崇には饅頭を貰いましたし」

「餌付けではありませんか! 何を簡単に餌付けされているのです、安いお方ですね!」

「美味しいは幸せと言うでしょう」

「何ですかその『良い事言った』みたいな顔は! そういう話ではなかったでしょう!」

「ですが真理です」

「兄貴良い事言った! 美味しいは真理なんだぜ!」

「何を勝ち誇っているのですか! まざっていますよ!」

 ああもう、と叫びながら洋は眼鏡をしきりにいじっている。

「あなた方と話していると馬鹿を見ます!」

 付き合っていられません、と捨て台詞を残し、洋は肩をそびやかして人ごみの向こうへと足早に消えた。

「おや、怒らせてしまいましたね」

「兄貴わざとらしいんだぜー」

 呆れるように、茶化すように崇が言う。

「まあとりあえず、饅頭は美味でしたよ」

 そう告げれば、崇は照れくさそうに人差指で鼻の下を擦った。

「よーし、じゃあ自信持って売り出してくるんだぜ! 兄貴も舞」

 はっと不自然に言葉を飲み込み、崇は口を押さえる。

「兄貴も、舞頑張ってくださいなんだぜ。時間になったらオレも観にいくから」

 こそこそと耳打ちして、崇は大きく手を振り屋台へと戻っていった。

 さて、屋台をぐるりと一巡したらあちらに向かうとするか。そう思い、紫呉は歩を進めようとした。

 その瞬間、腰の辺りにぼすりと衝撃が走った。きゃわ、と小さな悲鳴が上がる。

 何事かと振り返ると、七つ八つほどの幼い女の子が鼻を押さえていた。片手に風呂敷包みを抱えている。

「すみません。大丈夫ですか?」

 しゃがんで幼子に視線を合わせ、髪を撫でてやる。鼻を赤くした幼子は少しばかり涙を浮かべていたが、差しあたって怪我は無いようだ。ほっと息を吐く。

「うん、大丈夫。こっちこそごめんなさい」

「いいえ。怪我が無くて何よりです」

 ぺこりと頭を下げた幼子につられるように、紫呉も頭を下げる。

「あっ」

 鼻を摩っていた幼子が、ふいに声を上げた。指差す方向を見れば、雲々の架け橋のような虹が見えた。

「ねえ知ってる? 虹は龍なんだって。龍と、火なんだって。この前教えてもらったのよ」

 得意げに幼子は薄い胸をそらせた。

「月には桔梗のお花が咲いてて、空には龍がいるなんてステキね」

 でも、と幼子は言葉を切り、唇を尖らせた。

「お父さんもお母さんも、そんな話は知らないって言うのよ。大人なのにね。変なの」

 小生意気な事を言う幼子に微笑み、紫呉は宥めるように肩を叩いてやる。

「知らなくても無理はありません。その話は、……玻璃の伝承ですから」

 幼子はきょとんと目を丸くした。

「玻璃のお話なの? じゃあどうしてお兄ちゃんは知ってるの?」

「……僕も、教えてもらったんですよ」

 へえ、と幼子が頷く。頷いた拍子に腕に抱えた荷物の事を思い出したのか、飛び上がるように肩を跳ねさせた。

「おつかい!」

「お気をつけて」

「ありがとう! じゃあねっ」

 幼子は慌しく駆けていく。そんなに走ってはまたぶつかる、と心配に思った。

 しゃがんだ際に少し汚れた袴の裾を払い、紫呉は立ち上がった。手庇を作って空を見上げる。

 虹が薄れかかっていく。周囲から残念がる声が上がった。

「……空駆けの、焔」

 紫呉の呟きは、群衆のざわめきに飲み込まれて消えた。



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