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1 夜陰


 黄昏時に降り出した雨は、夜半を過ぎて霧雨に変わった。暗い森を静やかに濡らしては、時折風に舞いサアと音を立てる。

 紫呉は頬を濡らす雨を制服の肩口で拭った。しかし身を包む壱班の制服も雨に濡れており、結局のところ頬の水滴は拭えず仕舞いである。それに少しばかりの苛立ちを感じつつ、眼前の木屋を眺めた。

 灯りは無い。しかし、確かな人の気配を感じる。

 紫呉は腰帯に差した警棒に手を伸ばしかけて、やめた。懐から取り出した小刀を抜き、鞘を腰帯に差す。

 木屋の戸に耳をつけ、中の様子を窺う。男の声と、女の声。低くぼそぼそと語る声が聞こえてきた。

 一つ、息を吐く。唇を濡らす雨粒を舐め取り、戸を蹴り破った。

「な、何だ!?」

 身じろぐ人影に、素早く身を寄せた。

「動くな」

 男の首に刃を突きつける。男が唾液を飲み下す音がした。

 積み上げられた材木に紛れるようにして、もう一人のはこちらを窺っている。女だ。暗がりの中、女の目だけが光って見えた。

「に、逃げろ」

 男は掠れ声で言った。女の視線が揺れる。こちらとは逆方向、材木の奥を見やった。あちらにも戸口が有るのだ。

「動くな」

 もう一度告げれば、奥へと足を向けかけていた女はぴたりと動きを止めた。

「他の仲間はどこです?」

 僅かに刃を皮膚に食い込ませると、男がぐうと呻いた。恐怖の為に荒くなった息の合間、男は言葉を紡いだ。

「い、言うものか」

「さっさと吐いた方が身の為ですよ」

 女は、男と紫呉を順に見やった。

「お前も言うな、言うなよ。逃げろ」

 男は荒い呼吸に肩を上下させている。女はこちらをじっと見ている。

 そして、踵を返した。

 紫呉は男の腿に小刀を突き立てた。男の悲鳴がこだまする。

 紫呉は女を追った。木屋はそう広くない。すぐに追いついた。

 襟を掴んで引き倒す。仰向けに転がし、腹の上に乗り上げた。

「僕は動くなと言った」

 投げ出された女の掌を右の足で踏んで床に縫いとめ、喉には弓手の五指を食い込ませる。

 男が倒れる音がした。呻く声が聞こえる。

 女は目を見開き、紫呉を見上げている。紫呉の髪から滴り落ちた水滴が、女の顔を濡らした。

「吐け。仲間はどこだ」

 紫呉は懐からもう一つ小刀を取り出す。鞘を咥えて刃を抜き、女の首に突きつけた。

「い、言う、な」

 叫びに枯れた声で、なおも男は女を止める。

 女はひいひいと細く荒い息を漏らしている。紫呉は女の首を拘束していた手を離し、咥えていた鞘を取った。腰帯に鞘を差す。

 濡れた髪が頬に張り付いて煩わしい。そういえば制帽をどこに落としてきたのか。気がつけば無かった。

「……こ、殺すなら殺しなさい」

 震える声で女が言った。紫呉は鼻で嗤い飛ばす。

「虚勢を張らずとも結構。素直に助けてくれと言ったらどうです? 命乞いの作法はご存知でしょうに」

 女は歯の根が合わぬようだ。かちかちと歯が鳴っている。

 女の頬を雫が滑り落ちる。雨粒なのか涙なのかは分からなかった。

 ふと、静けさに気がついた。男の呻き声が聞こえない。

 女もそれに気がついたようだ。男の方を向こうとするが、喉元の刃に邪魔をされ首を動かせない。必死に眼球を動かすも無意味と悟り、紫呉に目を据えた。

「人殺し……っ」

 紫呉はちらりと男を見る。どうやら気を失っているだけの様だ。だが、女の言う事は確かにその通りなので黙っていた。

 それに、死んでいると思い込んでいるならば好都合だ。自棄になって仲間の居所を吐くかもしれない。

 女は、食い縛った歯の間から搾り出すようにして息をしている。大きく瞠った目で紫呉を見た。

「何も言うものですか。……こ、殺しなさいよ。怖くないわよ」

 女の吐く息は震えている。相変わらず歯はかちかちと音を立てていた。

「……そうですか」

 紫呉は溜息混じりに言った。小刀を女の喉元から除けると同時、女の体から力が抜けた。安堵に瞳は緩み、ほっと息を吐く。

 だがすぐに女はまた体を強張らせた。紫呉が刃を振りかぶったからだ。

「ひ」

 女の耳のすぐ真横に振り下ろした。床に突き立てられた刃は、ビィンと音を立てながら揺れている。

 固く閉じた目をゆるりと開け、女は横目でそれを見た。途端に呼吸は更に浅くなり、胸は忙しなく上下する。

「……僕は、お前のような輩が嫌いだ」

 女の上から降りて、紫呉は蹴破った戸とは逆方向の戸口へ向かった。

 戸の外に控えていた影虎に顎をしゃくって中を示し、拘束するよう目顔で伝える。影虎は片手を挙げ、返事に代えた。

 中に足を運ぶ影虎を見送り、紫呉は木屋の壁に背を預けた。

 妙に煙草が恋しくなり、懐に手をやる。しかし残念な事に制服だ。煙草は無い。

 せめて口寂しさを紛らわせようと、夜空を仰いで口を開ける。舌を伸ばし霧雨を受けるが、不味いばかりで余計に虚しくなった。


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