痛みの行く方
※実体験に基づく重い内容を含みます。読んでいてつらいと感じた場合は、無理をせず読むのをやめてください。
この話は、実体験に基づく、群発頭痛についてのノンフィクション・エッセイです。
読んでいてつらいと感じたら、すぐに読むのをやめてください。
あの痛みをただの頭痛とするなら、ほかの頭痛は違和感でしかない。
私の誕生月は十月だ。
子供の頃、私は誕生月になるといつも浮き足立っていた。大好きなホールケーキをおなかいっぱい食べられるし、プレゼントももらえると思っていたからだ。
その幸せを壊すほどのものが、のちに私の身に降りかかるとも知らずに……。
一番古い記憶。それは、小学生の頃だった。
左目の奥が押されるような痛み。片鼻がつまり、背中は張り、頭の左側の感覚は薄れていく。
それを医者に伝えたとき、医者が告げたのは「片頭痛」だった。
当時、片頭痛という言葉さえ知らなかった私は、これが片頭痛なのだと素直に思っていた。
その痛みは一回につき一時間から二時間ほど続き、それが一か月ほど過ぎたあと、痛みは消えた。
それから数年経ち、大学三年生を迎えた私は、煙草を吸い始めた。
ビールや日本酒、ハイボールやカクテルといった色々なお酒も楽しみ、いわゆる大人というものを謳歌していた。とくに何事もなく、大学生活を満喫していた。
そして、大学四年生の十月中旬。
煙草を吸っていたとき、その違和感は突然現れた。
左目の奥、目の後ろを通る血管が、眼底を小突く。
そんな痛みが数分続いたあと、「それ」が訪れた。
左目を貫くような痛み。まるで、目を直接キリで何回も脈に合わせて刺されるような鋭い痛み。
目から滲み出るものが、涙ではなく血なのではないかと思うほどの衝撃。
奥歯の神経が直接つねられているようで、意識が飛びそうになる。
しかしその飛びそうになる意識も、痛みによって引き戻される。逃げられない激痛だった。
だが、その痛みも二時間ほど続くと、次第に消えていく。
これが片頭痛というものなら、片頭痛持ちと言っている人たちは、どれだけ我慢強いのだろうと感心してしまうほどだった。
市販の片頭痛薬を飲むも、全く良くなる気配はなかった。
しかしこの痛みも、一か月ほどしてからゆっくり消えていった。
そして、そのいつ来るかわからない痛みの恐怖で、その年の十月と十一月は、外出するのが困難になり、就職先が決まっていたにもかかわらず、大学の単位を落として中退することになった。
片頭痛だと思っていた私は、頭痛のせいにすることが自分で許せず、部活のやり過ぎという道を作り、そこへ逃げ込んだ。
そして、大卒警察官という夢を諦めることになった。
中退することになった細かな経緯は、私を襲った痛みの記憶に覆い隠され、心の奥底へ沈んでいった。
それから数年が経ち、その痛みの記憶が薄れ始めた頃、私は結婚することになった。結婚するにあたって、私は煙草をやめることにした。多少のつらさはあったものの、結婚という節目でやめたかったのも事実だった。
結婚生活は順調そのものだった。喧嘩をすることはあっても、互いに尊重しあっていた。
しかしその記憶は、突然思い出されることになる。
義祖母が他界し、その葬式に出席したときのことだった。
線香の香りを嗅ぎながら、お経を聴いていた私は、徐々に強くなっていく目の奥の痛みに、嫌な予感がしていた。
身体が、その痛みを覚えていた。
少しずつ私の身体が、痛みを拒否するように前後左右に揺れていく。
葬式が終わる頃には、目が潰れそうな痛みに耐えて蹲ることしかできなかった。しかしその痛みも、ほどなくして消えていった。
次の日。義両親の家で、義母とワインを楽しむ約束をしていた。
仲良くワインを空け、その余韻に浸っていたとき、その痛みは、前日をはるかに超える勢いで押し寄せてきた。
目の奥には銃弾が撃たれたような痛みが走り、肩と背中は重りがのしかかったように硬くなり、片鼻は息ができないほど詰まり、その痛みは、動いていないと意識が持っていかれそうだった。それほどまでの強い痛みが私を襲っていた。
その光景を見た義両親と私の家族は、私の背中をさすって心配してくれた。
そして、肩と背中が凝っているなら、お風呂に入って血流を良くしたらいいのではないかと提案してきた。
その提案に納得した私は、なんとか身体を風呂場まで運び、湯船に浸かる。
しかし、その間も痛みがますます強くなっていく。
風呂から上がり、洋服をやっとの思いで着用するが、三十分たってもその痛みは、衰えることなく私を苦しめていった。
異変に気づいた家族のうち、唯一お酒を飲んでいなかった義父が、私を連れて夜間病院へ車を走らせてくれた。
義実家を出る前に見た日付は、十月二十七日だった。
車のなかで横になり、痛みに耐えながら病院についた私は、やっとの思いで身体を起こし診察室へ向かう。
医師に痛みを説明する余裕もなく、私はただベッドの上でのたうち回っていた。
義父が、お風呂に入る前に私が言っていた症状を説明したらしく、医師が私に向かって何かを言ってきた。
しかし私は、医師の言うことを理解することもできず、痛みが消えるなら何でもいいと、ただ頷くだけだった。
担架に乗せられた私は、そのままMRI検査を受けることになった。その間だけでも、私は動かないようにしたが、目の奥の痛みは決して消えることはなかった。
MRIが終わり、結果を待っている頃、やっと抉るような痛みが治まってきた。
そして、診察室で聞いた診断は、それまで聞いたことがなかった病名だった。
『群発頭痛』
医師から告げられた言葉は、残酷なものだった。
それは、目の奥を抉られるような痛み。
それは、息ができなくなるような片鼻の詰まり。
それは、重くのしかかる肩の凝り。
それは、市販薬では効き目がない。
それは、眠っていた身体を叩き起こす激しい痛み。
それは、有病率が千人に一人程度の珍しい病気。
そしてそれは、これからも付き合っていかなければいけない痛み。
当時の私には、根本的な治療法はなく、予防療法と対症療法で対処していくしかないと告げられた。
群発頭痛だと言われたとき、私は本当の病名がわかった安堵と、これからもこの痛みがつきまとうのだという強い不安にかられた。
そして私は、この痛みの経過を見るために、二日間入院することになった。
入院した私を待っていたのは、地獄のような日々だった。もしかしたら、群発頭痛という名前を聞かなかったほうが、幸せだったかもしれない。
群発頭痛という診断は、今まで片頭痛だと我慢することで、なんとか耐えていた痛みの封を切るのに十分な言葉だった。
病院のベッドで私は、おそらく他人から見たら、薬物中毒者のように激しく暴れまわっていたのだろう。
それくらい抑えが効かないものだった。
そしてその痛みは、イミグラン注射という薬を打たないと治まることはなかった。
打ったあとは痛みがなくなるが、その代わり二時間は麻酔を打たれたかのように身体に力が入らなくなった。薬を使う代償だった。
退院したときのことを考え、点鼻薬の説明を受ける。
これは痛みがくる直前に合わせて点鼻するのだが、タイミングを誤るとまるで効かない。そのタイミングを見極めるのも大変だった。
予防薬として処方された薬もあった。
しかし残念ながら、私には全く効果を感じられなかった。予防薬という名のただの粒に何の意味も見いだせなかった。
高濃度酸素療法というのも試したが、私には十分な効果は発揮されなかったため、退院したあとはイミグラン点鼻薬を中心に対応していくことになった。
群発頭痛の定期検診で病院へ向かう。
混雑した待合室で待っているとき、いきなり発症してしまった。
私はそのあまりの痛さで我慢することができず、ただ、低く響く声とともに身体を揺らすことしかできなかった。
他の患者から白い目を向けられたり、心配そうな顔で見られたりすることに恥ずかしさを感じたが、その感情さえも群発頭痛の前では無力だった。
そして、家に帰った私を待っていたのは、「普通」を制限された毎日だった。
情報がなかったため、自分で調べたことは何でもやった。
大好きだったお酒は、禁止事項として飲めなくなった。
風呂に入ると痛みが増したため、シャワーのみになった。
チーズやチョコレートなど、自分で調べた頭痛の引き金になりそうな食べ物は、全て避けた。
逆に、ナッツやコーヒーなど、痛みが和らぐとインターネットで言われていたものは、できるだけ多く摂取した。
マグネシウムを取るといいと聞けば、サプリメントを取ったりもした。
たくさん、たくさん調べた。
自分の変化を見逃さないようにした。
医学的根拠がなくても、わずかな可能性に賭けざるを得なかった。
すがるしかなかった。
痛みが少しでも遠ざけられるなら、本当になんでも試した。
そこまでしてもこの痛みは、決して良くはならなかった。
夜中、眠っていた私を突然の痛みが襲う。急いでイミグラン点鼻薬を使うが、使うのが遅くなってしまった。
点鼻薬の強い苦みが鼻を通じて口に広がるだけで、意識が飛びそうな痛みだけが続いていく。
そして、その痛みで、私は一度気絶した。
その気絶から私の意識を呼び戻したのも、目の奥を貫く痛みだった。
どうすることもできないほどの痛みを、どうにか和らげようとした。
気を紛らわせるために、部屋中を歩き回る。動かなければ、その痛みだけのことしか考えられなくなってしまい、気が狂いそうだった。
頭を壁に勢いよくぶつけたりもした。頭をぶつけると、群発頭痛の痛みを和らげてくれるような気がしたからだ。
それだけ私は追い詰められていた。
一日に一度だけ、同じ時間に来てくれたらまだよかったのだが、私の場合は違っていた。
朝、目覚めたあとに一度。夜寝る前か眠ったあとに一度。地獄のような痛みが一日二回あった。
そして、十一月の終わり。永遠に続くと思われた痛みは、奥に潜んだようになくなっていた。
もう、あの痛みが来ないことを切実に願っていた。
しかし、季節の変わり目にふと顔を出すその痛みは、確かな恐怖とともに私の心に影を落とす。
激しい痛みはないものの、ズキズキと鈍い痛みを繰り返すそれは、忘却を許さないための鎖のように重くのしかかる。
私は、いつか訪れる、あの貫くような痛みに震えながら、今も生活している。
そして十月に入ると、私はどうしても身構えてしまう。
今まで味わったあの痛みは、全て十月から始まっていたからだ。
そして、あの痛みをただの頭痛とするなら、ほかの頭痛はただの違和感でしかないと思えるほどに、やつは私の生活を今も壊し続けているのだった。
私から皆さんへの願いは、群発頭痛について正しく知ってほしいということ。そして、この痛みに苦しんでいる人がいるということ。
それを頭の片隅にでもいいので、置いておいてほしい。
これが私の願いです。
補足 一般社団法人日本頭痛学会によると、群発頭痛の有病率は、千人に一人程度と言われています。
出典:一般社団法人 日本頭痛学会
群発頭痛
https://www.jhsnet.net/ippan_zutu_kaisetu_04.html
群発頭痛の症状や発作発生時間の性差に関する研究
https://www.jhsnet.net/zutu_topics_74.html
読んでいただいてありがとうございます。
これは実際に私が体験し、今も抱え続けている問題です。
これを読んでいただいて、少しでも群発頭痛という病気を知っていただき理解を深めて貰えたら、それだけで救われます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




