二時十七分
深夜、二時十七分。
町は、異様なほど静かだった。
虫の声もない。風もない。ただ、遠くの工場の低いうなりだけが夜を支えている。
そんな中、突然防災無線が響いた。
「こちらは、防災行政無線です。」
どこにでもある、女性の機械音声。
眠っていた私は目を覚まし、時計を見る。
二時十七分。
こんな時間に?
窓を開けると、同じ声がぽつぽつと聞こえる。
「住民の皆様へ、お知らせします。」
数秒の沈黙。
「音を立てないでください。」
それだけを伝えて、放送は終わった。
翌朝、町中がその話題に包まれた。
役所に問い合わせた人も多くいた。
だが返ってきた答えは、
「そのような放送記録はございません。」
だった。
その夜。
二時十七分。
また放送が響いた。
「こちら、防災行政無線です。」
「住民の皆様へ、お知らせします。」
「音を立てないでください。」
「聞かれています。」
ブツッと、荒々しい音を立てて、そこで放送は途切れた。
誰も意味が分からなかった。
分かることは町が少しおかしくなったことだけ。
犬が吠えなくなった。
野良猫は消えた。
赤ん坊は夜泣きをしなくなった。
誰かが命令したわけでも、示し合わせたわけでもない。
ただ、みんなが静かになっていった。
三日目。
初めてあの放送が流れてから、三日目の夜を迎える少し前。
スマートフォンが鳴った。
緊急速報、画面いっぱいに赤い文字。
【緊急速報】
音を出さないでください。
マナーモードでは不十分です。
呼吸音にも注意してください。
送信元は存在しない。
通知を閉じても消えない。
スクリーンショットは取れない。
電源を切っても画面は点灯したままだった。
その日のニュース。
アナウンサーは不安を隠しきれないようで、少し震えながら原稿を読んでいた。
「政府は、昨夜から発生している全国的な……」
突然、画像が止まる。
画面が砂嵐になる。
決して大きくはないはずの無機質なホワイトノイズが部屋を満たし響き続ける。
ザー……
ザー……
ザー……
頭の中で跳ねまわり増幅していくそのノイズの中に、小さな声が混ざっていた。
「みつけた。」
テレビは二度と映らなくなった。
四日目。
街から緊急車両のサイレンが消えた。
誰も助けには来ない。
通勤ラッシュでひしめき合っていたサラリーマンは鳴りを潜め、電車の駆動音だけが発車の合図となった。
信号の音響案内も停止した。
「音」そのものが減っていた。
世界から少しずづ音が削除されていた。
五日目。
ネットには奇妙な動画が投稿され始めた。
タイトルはどれも同じ。
record_00017.wav
画像はない。
音声のみの動画。
この動画を再生しても、大音量のホワイトノイズばかりが再生され続け、聞けたものではない。
再生時間は一時間ぴったり、誰もが首を傾げ連日の放送との関連性を疑ったが、何の根拠もない考察だけがコメントに書き込まれていく。
ただ一つ、あるコメントだけが妙だった。
「54:13で名前を呼ばれた。」
何人のも人が質問をしたがコメントをした本人が答えることはなかった。
七日目。
今夜も防災無線が鳴り響く。
「こちらは、防災行政無線です。」
「発見数が基準値を超えました。」
「静かにしてください。」
「まだ気付かれていません。」
最後の声だけは、いつもの機械音声ではなかった。
男とも女ともわからない、まるで何百二ん者声を重ねたような音だった。
八日目。
街から人が消え始めた、争った跡もない、血もない、荷物もそのまま。
ただ、ひとだけがいなくなる。
近隣の住民の証言によると、唯一共通していたのは、家の中で何かがなっていたことだった。
目覚まし時計。
電子レンジ。
洗濯機。
スマホの通知音。
体温計。
タイマー。
電子音が鳴った家からは、人がいなくなった。
十日目。
政府が全国へ緊急速報を送信した。
送信音もバイブもなしに送信されたそれは、画面に文字だけ表示していた。
【緊急行動指針】
・会話を禁止します。
・電化製品を停止してください。
・時計を破壊してください。
・音声を再生しないでください。
・あなたが今聞いている音は、周囲の人には聞こえていません。
・返事をしないでください。
・もし、あなたの名前を呼ばれた場合、もう手遅れです。
十四日目。
好奇心から家の中の音を調べるため、夜中にスマホで録音するようにした。
最初は静かだった。
十五日目。
何かが混ざっていた。
カチ……
カチ……
カチ……
時計は捨てたはずだ、少なくともこの家の中にはない。
それでも、スマホは音を拾っていた。
十六日目。
今日もあるはずのない時計の音が響いていた。
録音の最後。
防災無線の機械音声が入っていた。
「あと一日。」
私は一睡もできなかった。
十七日目。
二時十七分。
防災無線が響く。
「こちらは、防災行政無線です。」
「○○市在住。」
私の住んでいる街。
「〇丁目〇〇番地〇-〇〇〇号」
私の住んでいるマンション。
「○○〇〇さん」
私。
「返事をしてください。」
口を押えた、息すら漏れないように。
返事はしなかった。
何も言わなかった。
跳ね上がる心臓を恨んだ。
放送は終わった。
助かったのか?
分からない、まだ呼吸を止める。
視界が白んだ、星がきらめいている気がした。
それでも、息を止めた。
意識を手放す直前、部屋の奥から声がした。
私の声。
「はい」
その返事は、私ではなかった。




