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神の子を宿した追放巫女は守り神が愛する天縁ノ神花に返り咲く

作者: 四片霞彩
掲載日:2026/03/29

 ドクドクと自分の中で静かに脈打つ鼓動を感じる。

 国のために消えたはずの命、邪神を鎮める供物として捧げた身体が熱を帯びて、“生”への渇望を求めていた。


(いったい、どうして……)


 やがて意識が覚醒すると少女は長い睫毛に縁取られた両目を開ける。

 まだ眩暈がする身体をゆっくりと起こすと、その弾みで巫女装束の上に積もっていた数枚の木の葉が落ちて少女の足元に広がったのだった。


「ここ、は……?」


 掠れ声で呟くが答える者はいなかった。乾いた舌を舐めて湿らせると慎重に辺りを見渡す。どうやら寝かされていたのは白い石造りの祭壇らしい。

 人の気配が一切感じられない深い森。時折鳥の囀りと風に吹かれた木の葉が立てる葉擦れの音だけが響く蒼林がどこまでも広がる陰森が広がっていたのだった。

 長い眠りから目覚めたように身体の節々が痛むが、目立つような大きな怪我は負っていなかった。


(装束は汚れたけれど……怪我は無いみたい……)


 ボロボロの白衣と緋袴の巫女装束を一通り見て、ホッと安堵の息を吐く。

 覇気を感じられない垂れ目がちの黒目、艶を失った漆黒の髪、あかぎれを始めとする細かい傷だらけの手、そして病的なまでに青白い顔と痩せぎすの身体は年頃の娘というよりも墓から蘇った死人という言葉が似合いそうであった。

 身につけている巫女装束に付いた土汚れと裂けた袖も少女を屍に見せるのに一役買っていたのだった。


(早く社に戻らないと……あの神様がどうなったのか気になる……)


 そんなことを考えながら歩き出したところで、清涼感のある心地よい新緑の香りと頭上から聞こえる葉擦れの音で頭上に目を向ける。そこには太古の時代を生きた大樹が少女を守るように枝葉を広げて陽光を遮ってくれていたのだった。

 その場で足を止めて頬に当たる清風に身を預けていると、やがて美しい偉丈夫のように立っている玉樹の根元に苔むした石祠が祀られていることに気付く。

 擦り切れた草履が枝葉を踏む音を聞きながら古びた石祠の中を覗くと、壊れた扉の奥では御神体と思しき割れた神鏡が少女を映していた。

 空林の隙間からわずかに差し込む天光に輝く神鏡とその破片をゆっくりと覗き込んでいれば、死屍のような少女の後ろに白銀の青年が音も無く姿を現したのだった。


「目が覚めたのか」


 怒気を含んでいるかのような低声で振り返れば、目が覚めるような白銀の美青年が少女を見下ろしていた。

 新雪のように輝く白銀の長い髪と雪白の肌、そして目鼻立ちが整った顔立ち。

 切れ長の翡翠色の瞳を不機嫌そう細める姿は、遠い昔に目にしたこの国を守護する守り神の絵姿そのものであった。


「あの……わたし……」


 許しも無く石祠に近寄ったことを咎められるのだろうかと、及び腰になった少女が慌てて立ち上がったところでくらりと眩暈がして倒れそうになる。

 そのまま転倒しかけた少女だったが、よく鍛えられた逞しい身体に顔を埋めただけで済んだのだった。


「病み上がりの身体で無理はするな」


 気遣うようなその声で頭を上げれば、身体を支えてくれたのは白銀の美丈夫だった。青年は品定めるように少女の頭から爪先までじっくりと見つめると、やがて口を開く。


「貴様、名は?」

千紘(ちひろ)と申します」

「身体はどうだ? 苦しくは無いか? 痛むところも」


 愛おしむように少女――千紘を労る青年に「いいえ。ありません……」と首を振れば、青年は眉根を寄せて何かを考え込んでしまう。


「うむ。それは妙だな……少し聞かせてくれ」


 そう言って青年はその場で膝をつくと千紘の身体に耳を付ける。驚いた千紘が声を上げれば「うるさい」と一蹴されて腰に腕を回されてしまったので、ただされるがままにしているしか無かった。

 やがて青年は「やはり……」と呟くと、そっと千紘から離れる。そして立ち上がると頬を撫でたのだった。


「どうやら貴様は特別な存在らしい。それ以前に邪神に堕ちかけていた俺を助けて、未だに見聞きして会話が出来ている時点でそのような気はしていたが」

「では貴方様が、わたしが身を捧げた邪神ということになりますか?」

「人の世ではそんなことになっていたのか。まあ、良い」


 意味深に息を吐き出した青年は千紘の顎を掴むと上を向かせる。冴え冴えとした笑みを浮かべる艶のある美貌に目を奪われていると、青年は宣言したのだった。


「これより貴様は俺と生きるのだ。この国の守り神――碧樹(たまき)の『天縁(てんえん)神花(しんか)』として」

「『天縁ノ神花』……? 守り神様の巫女になんてなれません! だってその役目に選ばれたのは義妹(いもうと)で……」

「『天縁ノ神花』は巫女では無い。守り神である俺の子を宿せる唯一無二の花嫁のことだ。それに貴様はまだ気付いておらぬのか、その弱り切った心臓の代わりを果たしているのが俺の子供だということに」

「心臓の代わりに貴方様の御子を……?」


 反射的に自分の腹を押さえてしまう。掌に巫女の力を集めて意識を集中させれば、身体の奥底からドクドクと静かに脈動する気配を感じたのだった。


「そっ、そんな……」


 背中を嫌な汗が流れたところで、遮るように手首を掴まれてしまう。不機嫌そうな顔で千紘を見下ろす碧樹と目が合った瞬間、悲しそうに翡翠色の瞳が揺れたのを千紘は見逃さなかった。


「それくらいにしておけ……腹に子がいる状態で巫女の力を使うな」


 そうして千紘が答える前に先程まで寝かされていた祭壇まで引っ張られるが、千紘の肩を支えるように肩に回された手には力が込められておらず、身体を慮ってくれているのが伝わってきた。

 依然として仏頂面は変わらないが、碧樹なりの不器用な優しさに心が温かくなったのだった。


「命尽きかけた貴様の命の代わりとして俺の神力で子を宿らせたが、相性が悪ければ塗炭の苦しみを味わった後に貴様の命は尽きていただろうな。そうならなかったのは、貴様が『天縁ノ神花』である証に他ならない。選ばれた運命に感謝することだ」

「ですが、神聖な守り神様である貴方様の子を産む役目を担うのは、『神ノ巫女』に選ばれた義妹のはずです。私はただのなりそこないで、家から追放されて生贄として捧げられた巫女なだけです……」

「それが間違っていたのだ。そもそも俺は貴様の義妹を『神ノ巫女』に選んだ覚えが無い」

「そんなはずはありません! 守り神様が下した神託では義妹を差していましたし、現に義妹は貴方様の子を身籠ったと申しておりまして……」

「何度もくどい!」


 碧樹が張り上げた声に身を縮めた千紘が言葉を噤んでいる間に石の祭壇まで戻ってくると、碧樹は石の祭壇に千紘を座らせてその前に膝をつく。国を守護する守り神を跪かせるわけにもいかずに立ち上がろうとすれば、目だけで「座っていろ」と圧を掛けられてしまう。


「良いから、よく聞け。貴様は邪神に堕ちかけた俺を身を挺して救ったが、その代償として死に瀕した。そこで俺が心の臓の代わりとして神力を分け与えたところ、貴様自身が持つ巫女の力と混ざり合って子として形を成したのだ。そうして貴様の胎内に芽吹いた子が貴様の止まりかけた命の代わりを果たした。それが出来るのも貴様が俺の子を宿せるたった一人の花嫁――『天縁ノ神花』に他ならない」


 そして碧樹は千紘の傷だらけの手を取ると顔を寄せる。囁くように言葉を紡いだのだった。


「故に俺は誓おう。貴様――千紘をたった一人の『天縁ノ神花』として愛し、至上の者として誰よりも大切にすることを。存在を脅かす者がいれば、俺は正にも悪にもなろう。どうか俺を受け入れてくれ……」


 戸惑う千紘が返事をする間も無く、碧樹は手の甲に口付けを落とす。柔らかな唇の感触を感じた途端、千紘の身体が大きく震えると身体の中で激しく脈打つ鼓動を感じて落ち着かない気持ちになる。


「わっ、わたしに、そんな価値は……」


 無い、と言い掛けた言葉は真剣な顔で手の甲に口付ける碧樹の姿で飲み込んでしまう。代わりに出てきたのは自分らしくない言葉だった。


「貴方様の御子を産んだのなら、まだ『誰かの必要な存在』でいられますか……? 貴方様の『神ノ巫女』にもなれず、何の役にも立たない『無能力者』の私でも……」

「無論だ。貴様が産むのは神である俺の子。この国を統べる次の統治者でもある。その母となる貴様が不要なはず無かろう。その腹の子と共に俺が守護する国を千年の安寧に導いてくれ。愛しい『天縁ノ神花』よ」


 そして碧樹が握ってくれた手を千紘は握り返す。満足そうな顔で微笑む碧樹に答えるように、千紘も微笑したのだった。


 ◆◆◆


 環海に浮かぶ極東の国・天縁国(てんえんこく)

 国を守護する守り神の加護と大神に仕える大小様々な神々の息吹に包まれた小さな国は、約二百年にも及ぶ鎖国を経て異邦の国々へ門戸を開いたのだった。

 長きに渡る閉ざされた年月の間に独自の文化を誕生させた天縁国には、他に類を見ない独特の方法で次の統治者を誕生させていた。

 それが古の時代より国の守護者たる守り神の神託によって指名された巫覡(ふげき)一族の巫女が次代の統治者となる御子を産むというもの。

 守り神に選ばれた「神ノ巫女」と呼ばれる巫女の娘が産んだ御子が、この国の次期帝として国を治めることになるのだった。

 この血統による世襲制ではなく神のお告げによる神に委ねられた代替わりというのが諸外国では物珍しいようで、開国から三十年が経過しても未だに「神ノ巫女」を一目見ようと、他国から来日する使者や研究者の足が途絶えることは無かった。

 そんな「神ノ巫女」を代々輩出する巫覡一族の常盤(ときわ)家では、今宵も国が信奉する守護神に選ばれた「神ノ巫女」を照覧しようと、西の大国より来訪した使者をもてなす小さな宴が開かれていた。

 屋敷の中庭に作られた即席の舞台では、「神ノ巫女」に選ばれた少女の巫女舞が間もなく終盤に差し掛かろうとしていた。

 小夜を切り裂くように豪奢な舞扇を翻せば、白生地で仕立てられた千早と背中で一本にまとめられた艶やかな黒髪が宙を舞い、反対手に握る神楽鈴は少女の動きに合わせて軽やかな音色を響かせながら、時折天頂の白い月を照らして眩いばかりに輝きを増す。

 舞台を囲むように設置された数本の蝋燭の灯された夜火が、薄く白塗りして紅を引いただけのあどけない少女が舞う舞台ごと屋敷全体をますます幻想的な世界へと誘ったのだった。

 顔や額に浮かぶ玉の汗さえ魅力の一つに変えて舞い続ける少女に誰もが息を止めて見守る中、やがて少女は腰を落とすと持っていた舞扇と神楽鈴をそれぞれ控えていた侍女に渡す。

 巫女舞に添える雅楽の一切も鳴り止むと、庭に植えられた守護神が宿るとされる樹齢千年を超えるほぼ朽ち木となった神木に向かって、天冠を付けた頭で深く拝礼したのだった。


「掛けまくも畏き大神に『神ノ巫女』が奏上いたします。御国を脅かす諸々の禍事、罪、穢、有らむをば祓へ清め給えと。(まを)すことを(かしこ)(かしこ)みを(まを)す……」


 静寂が辺りを包む中、やがて神木が少女に答えるようにわずかに残った葉を大きく揺らして葉擦れの音を立てると、それを合図に少女が音も無く立ち上がる。

 そのまま優雅に舞台を立ち去る少女に西洋国より渡来した金髪碧眼の来訪者たちは惜しみ無い賞賛の拍手を送り、宴席から見守っていた少女の両親は鼻高々に満足そうな笑みを浮かべたのだった。

 やがて少女が宴会の席となっている中庭に面する座敷に姿を見せると、その姿を見付けた来訪者の一人が上機嫌のまま自国の言葉で何かを捲くし立て、通訳官として同行していた洋装の中年男性が少女と少女の両親へと言葉を伝えた。


「エスターク様は、大変素晴らしい舞で感動しました。『神ノ巫女』の捧げる舞がこの国の大神をも魅了する天上の舞だという噂は本当だったのですね、と申しております」

「まあ、お褒めいただきありがとうございます。さあ貴女からもお礼を言いなさい、寿々葉(すずは)

「勿体なきお言葉、恐れ入りますわ。異国からの使者様」


 母親に促されて先程まで舞を披露していた寿々葉が一礼する。柔和な笑顔を見せれば、エスタークを始めとする使者たちは頬を赤くしてあからさまに寿々葉から目を逸らしたのだった。そして会話が途切れたのを見計らって、寿々葉が傍らの母親の腕に触れる。


「お母様、わたくしはそろそろ……」

「あら、そうだったわ。勝手ながら、娘は一度着替えのために退出をさせていただきます。引き続きご歓談くださいませ」


 そうして寿々葉と母親は宴席の場を出て、奥の座敷へと向かう。人の気配が無くなると、先程まで顔に貼り付けていた人の良さそうな笑みを取り払って、奥座敷で舞台の後片付けをしていた侍女の一人の元に向かったのだった。


「この装束はどういうことよ! 千紘っ!!」


 奥座敷中に響き渡るような怒声で千紘と呼ばれた侍女がギクッと大きく肩を震わせる。怯えたように身体を揺らしながら、その場で平伏したのだった。


「……お呼びでしょうか。寿々葉様」

「この装束を見なさいっ! 袖に汚れがあるじゃないっ!! しっかり洗うように言ったわよねっ!?」


 寿々葉が示した右袖には薄っすらとだが泥汚れの跡があった。先日、糠雨の中で催された大神への感謝を捧げる舞を披露した際に付着した泥を含んだ雨滴が落としきれずに残っていたのだろう。今日のように月明かり以外は限られた蝋燭の灯のみというほぼ薄闇の中でよく見つけたものだと感心しそうになるが、とにもかくにも寿々葉はただひたすらに冷たい木目の床に額を擦り付けて、謝罪の言葉を口にし続けたのだった。


「申し訳ございません、寿々葉様、奥様。伝統ある常盤家の装束を汚れたままにして申し訳ございません……」

「お前、何でも謝れば済むと思っているのかい?」


 挑発的な屋敷の女主人たる寿々葉の母親の言葉で、千紘は「とんでもございませんっ!」と叩頭したまま謝罪を続ける。


「これも全て私の管理が至らぬばかりに起きた次第でございます。どうぞ如何様にもご叱責ください」

「そう。じゃあ汚れを落としておいてくれるかしら。次に使う時までは汚れ一つない状態で着たいもの」

「承知いたしました。すぐに洗濯をいたします」

「罰として汚れを全て落とすまでお前の食事は抜きよ。そう女中長にも申し伝えておきますからね」

「……ありがとうございます。奥様、寿々葉様」


 ますます地面に額を擦り付けて礼を述べる千紘に寿々葉の母親は背を向けて奥座敷を後にする。残った寿々葉と言えば、「そろそろ頭を上げたらどうなの?」と侮蔑を込めて千紘に声を掛けたのだった。


「部屋に来て着替えを手伝いなさい。巫女舞の装束の扱い方は知っているわね?」

「……脱ぎ捨てずにすぐに畳んで、その上を跨がず、物を置かないです」

「さすが! やっぱり分かっているわね、()()()()はっ!」


 弾むような足取りで部屋に向かう寿々葉の後ろを粛々とついて行く千紘。手は装束の泥汚れ落としと水仕事で傷だらけであり、襤褸切れ同然の擦り切れた着物や艶を失った流し伸ばしの黒髪と青白い肌がますます千紘を貧相に見せていた。すれ違う下働きの者たちは寿々葉たちに道を譲って一礼しつつ、寿々葉の影に隠れて暗い顔で歩く千紘に哀憐の眼差しを向けるが、それがますます千紘を不憫に思わせたのだった。

 この常盤家に引き取られた遠縁の娘にして寿々葉の義理の姉でありながら、下女として働かせられる日々。これも全てこの国の守り神が下した神託による結果であった。

 そんな千紘の姿に他の女中や下男たちの誰も憐憫の情を禁じ得ないが、同情心や哀れみから手を差し伸べようとは思わない。この家で「神ノ巫女」たる寿々葉とその両親の命令は絶対だった。

 千紘を助けて彼らの機嫌を損ねてしまえば、今度は自分の首が飛んでしまう。それ故に千紘は孤独の中で一人耐え忍ぶことしかできなかったのだった。


「さあ、早く装束を脱がせてくれる? ずっと着ていたから疲れちゃった」


 贅を尽くした自室に入るなり、千紘に巫女装束を脱がせるよう寿々葉が頼んでくる。千紘は短く返事をすると、寿々葉が身に纏う千早の胸元の紐を解いてゆっくりと脱がせると手早く畳んで行李の中に仕舞う。

 寿々葉が白衣と緋袴を脱いでいる頃、千紘は着替えの用意をしていたが、千紘が装束から目を離した隙を見計らって、寿々葉が行李に仕舞われた装束を鷲掴みする。

 そんな寿々葉の行動に気付いた千紘が制止するより前に、中庭に面した部屋の窓から放り投げられた装束は宵の空を舞って池の中に落ちたのだった。


「なっ、何をするのですか……っ!?」


 窓から身を乗り出すように千紘が池に落ちた装束を見るが、穢れなき白生地の装束は見る見るうちに池の水を吸って沈んでいった。すぐさま擦り切れた足袋で窓から闇夜に包まれた玉砂利の庭に飛び出して濡れるのも躊躇わずに池の中から装束を拾い上げるが、その瞬間を寿々葉の取り巻きである女中の一人に見られてしまった。

 女中はニヤリと嫌らしい嗤笑を浮かべた後に、周囲に聞こえるように声を張り上げたのだった。


「誰か来てっ! 千紘様がお嬢様の装束を池に捨てているわっ!!」

「私は寿々葉様が窓から放り投げた装束を拾っただけで……っ!!」


 その言葉で他の女中たちが集まってきて千紘を疑うように見つめだし、やがて女中長に呼ばれたのか寿々葉の母親が姿を現わす。


「これは一体どういうことですか? 説明をしなさいっ!!」

「寿々葉様が着替えた装束を窓の外から庭に向かって投げたので咄嗟に……」

「違いますわっ! お母様。お義姉様が嘘をついているのです。わたくしはお義姉様が自棄になって装束を乱暴に扱ったのを止めようとしただけなのですっ!!」


 わざとらしく泣き出した寿々葉を取り巻きの女中たちが慰める。寿々葉に同情して、千紘を非難するように向けられる視線の数々。

 やがて千紘は屈辱で唇を噛み締めて手足を戦慄かせながらも、その場で両膝をつくと「申し訳ございません」と玉砂利の地面に額をつけて深く陳謝をしたのだった。

 誰かが息を呑む声が耳に入って、羞恥で顔が赤く染まっていくのを感じる。池に入って水に濡れたはずなのに体温が上昇して、燃えるように熱くなったのだった。

 この場から逃げたい気持ちを押さえて、ただ許される時まで頭を下げ続けていると「騒がしいぞ」と中庭に面する廊下の一方から低声が聞こえてきたのだった。


「まだ宴会が続いておる。これは何の騒ぎだ?」

「まあ、お父様!」


 常盤家の主人たる寿々葉の父親まで現れたことで、場は水を打ったように静かになった。

 譲られた道を悠々と歩いて、未だ寿々葉の母親の前で叩頭する千紘の元にやってきた寿々葉の父親は不快そうに眉根を寄せて千紘を睨み付けたのだった。


「……騒ぎの原因はお前か」

「……そうでございます」

「もう聞いてよ、お父様っ! お義姉様が大切な常盤家の巫女装束を窓から捨てたのよ! 装束に汚れが残っていたことを()()咎めただけなのに……」


 部屋から出てきた寿々葉は父親の腕に抱きついて経緯を説明すると、静かに怒り心頭に発する父親を宥めるように猫撫で声で話し出す。


「でもあまり怒らないで。装束から目を離したわたくしにも非はあるもの。常盤家に名を連ねるお義姉様なら装束の大切さを分かっていると思い込んだ、わたくしの考えの甘さだわ。たとえお義姉様が――『神ノ巫女』に選ばれなかった役立たずだったとしても」

「お前は優しいな、寿々葉。しかし義理とはいえ、曲がりなりにもコレも我が家の娘。常盤家が大神の加護を受けた特別な一族であるという自覚をもってもらわねばならん……『躾』が必要だな。全く先代の遺言さえ無ければ、こんな無能を何処へなりとも放逐できるというのに……」


 グチグチ言いながら唾棄するように「コレ」と呼ばれた千紘はわずかに身体を震わせるもこの場で平伏し続ける。そして玉砂利の道を歩いて下男が持ってきた杖を受け取った父親の姿が視界の隅に写ったのを見て、心の中で呟いたのだった。


(ああ、またか……)


 舌を噛まないようにグッと歯を食いしばり、これから起こる杖での殴打と痛みに耐える覚悟ができたところで、千紘の頭上で空が一際強く光り輝く。

 そして稲妻のような白い光が中庭の地面に落下した瞬間、地面が大きく震えたのだった。


「なっ、何よ。これは……っ!?」


 グラグラと年季の入った屋敷が揺れて、寿々葉の母親が声を漏らす。瀬戸物が連続して割れる鈍く重い音が屋敷内に響き渡り、宴席からも混乱と戸惑いのざわめきが聞こえてきたのだった。

 揺れはすぐに収まったのものの、今度は女中たちが中庭を指さしてにわかに騒ぎ出す。


「まあ、見て。御神木が光っているわ……っ!」


 その声で寿々葉の父親が弾かれたように駆け出し、寿々葉の母親と寿々葉も後を追い掛ける。どさくさに紛れて千紘も顔を上げると、寿々葉たちの後を追い掛ける女中や下男たちの群れの中に混ざったのだった。


「おぉ……見ろ、天啓だ!! 守り神の天啓が下ったぞっ!! 寿々葉が守り神様の御子を産む! 我が家も安泰だっ!!」


 最初に中庭の捥ぎ木も同然の神木に辿り着いた寿々葉の父親が色めき立って声を上げると興奮がさざ波のように広がる。寿々葉の母親は「本当に……」と目尻に涙を溜めながら声を震わせ、寿々葉は「やったわ! お母様!!」と無邪気に母親に抱きついたのだった。


「やっぱりお祖父様の遺言が間違っていたのよっ! 守り神様に選ばれたのはこのわたくし。『神ノ巫女』として神託を受けたわたくしなのよっ!!」

「ええ、そうね……やはり『神ノ巫女』になれるのは正統な常盤家の娘だけ。あんな下女以下の傍系卑属の娘が選ばれるわけ無いもの。そうよね、あなた」

「親父が勘違いしていたのだろう。あんな役立たずが『神ノ巫女』に選ばれる訳がない。我が家の務めを果たせるのは私たちの娘の寿々葉だけだ」


 嬉々として喜ぶ寿々葉とその両親たちに対して、千紘は何も考えられなくなって目の前が真っ暗くなるような錯覚を受ける。千紘の存在に気付いた下働きの者たちが向けてくる労しむような、憐れむような目線がますます惨めな気持ちにさせて、絶望の底へと叩き落とす。

 やがて千紘の存在に気付いた寿々葉たちがにんまりと嫌らしい冷笑を浮かべるとゆっくりと近付いてくる。ヘビに睨まれたかのように身体が竦み上がって動けなくなった千紘に向かって、両親を後ろに伴った寿々葉が宣言しただった。


「残念だったわね。でも悲しまないで。常盤家のお役目は守り神様の子を産むだけじゃないもの。国を脅かす邪神を鎮めるために身を捧げることも常盤家に連なる娘に課せられた立派なお務めよ」


 ◆◆◆


 この国の守り神より天啓が下った日は常盤家が祝福に包まれて、朝まで祝いの宴が行われた。貴重な天啓を直接見た西洋国の使者たちは一躍時の人として国の内外でもてはやされて、下働きの者たちは正式に「神ノ巫女」に選ばれた寿々葉の寵愛を受けようとますますすり寄るようになった。

 寿々葉自身もそれを当然と言うように受け入れて、守り神の御子を産む身体を過保護なまでに心配する両親と少しでも気に入られようと取り巻きのように従う女中たちと共に贅を尽くした日々を送り、懐妊の兆しが表れるのを待ち続けたのだった。

 一方の千紘は寿々葉が正式に『神ノ巫女』に選ばれたことで、常盤家の籍から除外されて「千紘」の名前しか持たないただの下女になった。

 本来千紘が選ばれるはずだった「神ノ巫女」になれず、常盤家の一員から追い出されても常盤家の使用人として置かせてもらえているのは、寿々葉たちが言っていたように邪神への貢ぎ物としての使い道に加えて、数年前に亡くなった先代の常盤家当主の遺言によるものだろう。

 常盤家の遠縁に当たるものの、巫覡一族に必要な「異能」を持っていなかった千紘は、本来であれば常盤家とは縁もゆかりも無い生活を送るはずであった。

 しかし先代の常盤家当主である寿々葉の祖父が自身の異能である「未来予知」によって、「千紘が『神ノ巫女』に選ばれる」と宣言をした。その直前に流行病で両親を亡くしていたこともあり、千紘は常盤本家に引き取られると「神ノ巫女」として修業に励んだのだった。

 千紘が引き取られて一年も経たない内に先代当主が身罷ると、当主の座を継いだ寿々葉の両親の元で異能を開花させる日を待ち続けたが、先に異能を得たのは千紘の一歳下の義妹である寿々葉だった。

 寿々葉は先代当主と同じ「未来予知」の異能に目覚めると、常盤家の発展に貢献した。

 当主でありながら異能がほぼ皆無の父親を支えて、寿々葉を産んだ際に異能を失った母親の心に寄り添った。

 そして「神ノ巫女」として一目置かれていた血の繋がらない姉妹の千紘とは違って、巫女として他の巫覡一族と協力して人を襲うあやかしの調伏や穢れを受けた著名人たちの修祓、巫女として神事への従事に精を出して、周囲から名声を得たのだった。

 やがて未だ異能に目覚めず巫女の役目さえ果たせない千紘よりも、異能を持って人々の役に立つ寿々葉こそが「神ノ巫女」に相応しいと思うようになった。

 常盤家の人間が異能に目覚めるのは十六歳まで。それまでに目覚めなければ、異能を持たない「無能力者」に分類される。「神ノ巫女」に選ばれるには異能が必要不可欠なため、十六歳を過ぎても異能を得られ無かった千紘は「無能力者」の烙印を押されたのと同時に「神ノ巫女」の資格さえ失った。

 千紘が「無能力者」だと確定してからは、誰もが寿々葉こそが「神ノ巫女」だと考えるようになったのだった。

 天啓の翌日、複数人の役人と寿々葉の父親が立ち合いの元で「寿々葉が『神ノ巫女』に選ばれた娘」なのか再度神木を通して守り神に問いかけたところ、「其方を『神ノ巫女』に命じる」というお告げが守り神より下されたと寿々葉の父親が語った。

 こうして「神ノ巫女」の座は寿々葉で確定し、万が一にも備えて残してもらっていた千紘の籍ごと常盤姓と先代当主が遺した「神ノ巫女」に関する一切の財産を返納した。他に行き場が無い孤児の千紘はこの家で置いてもらうために「千紘」という名前以外は何も持たない、使用人の一人として働くことを選んだのだった。

 今の千紘は「常盤家がいずれ邪神の生贄として捧げるために屋敷で雇った遠縁の下女」という立場になっており、これまで以上に水仕事や汚れ仕事を押し付けられて、夜が明けきる前から日付が変わる時まで仕事をさせられたのだった。


「千紘、来なさい。奥様とお嬢様がお呼びです」


 その日も屋敷裏の井戸で水仕事をしていた千紘は女中長の言葉で家族が集う座敷へと連れて行かれた。

 かつての家族と顔を合わせるのは天啓が下された日以来だったが顔ぶれに変わりは無く、ただ寿々葉の帯の位置が変わっていた。

 天啓の日まで寿々葉の着付けをしていた千紘には寿々葉の帯がお腹を圧迫しないように工夫された着付け方に変わっていることに瞬時に気付き、そして一瞬の予感めいたものを感じた。

 そしてそれを裏付けるようにかつての養父から寿々葉について告げられたのだった。


「『神ノ巫女』寿々葉が守り神様の御子を身籠った」

「……おめでとうござっ」

「口を開くなっ!」


 間髪入れずに飛んできた怒号で千紘は「申し訳ございません」と機械的に叩頭するが、当の寿々葉は「あーあ。お父様に怒られちゃった」と愉快そうにほくそ笑んだだけであった。


「『神ノ巫女』が産む御子は次なる帝。これはまだ内密の話である故に誰にも話してはならん。最もお前の話を聞く者などこの屋敷にいるはずも無いが」

「あなた、あまり言わないであげて下さいませ。現実を突きつけるなんてあまりにも酷ですわ」

「そうよ、お父様。こうして下働きの誰よりも先に守り神さまの御子の懐妊を教えてあげただけでも幸せよ。常盤家の親戚という立場に感謝しなきゃ。そうでしょ? そこの()()?」

「……左様でございます」


 この国の次代の帝となる守り神の子供を宿せるのは「神ノ巫女」だけ。寿々葉が懐妊した以上、守り神に選ばれた「神ノ巫女」であることは、これで決定打となった。

 自分が「神ノ巫女」になれなかったことを悔しいとは全く思わない。

 異能に目覚めず、無能力者だと判明した時から、遅かれ早かれこうなることが予想できていたからだろう。

 ただ家族の縁を切ったはずの千紘を呼び出してわざわざ教える意図が理解できない。他の下働きの者たちと同じように教えなかったのは何故か。

 そんな疑問に答えるように、かつての養父が口を開く。


「国の北方に常盤家が管理する社がある。知っておるか?」

「かつて守り神様と常盤家によって封印された邪神が眠る場所、として存じております」

「左様。その邪神が目覚めたと報告が昨晩もたらされた」


 ゾクリと千紘の背中に鳥肌が立った。守り神が封じた邪神の話は昔から有名で市井の子供でも知っている。

 太古の時代に北方の村の半数を滅ぼした悪しき堕ち神。守り神と三日三晩の戦いの末に、常盤家が中心となって封印したという国を脅かす邪神であった。

 定期的に封印は施されているらしいが、近年は封印が弱っていると噂されていた。目覚めるのも時間の問題だろうと言われていたが、まさかこんな時に封印が解けるとは想像もしていなかった。


「再び邪神を封じるには常盤家の血を引く生贄が必要だ。異能の有無は関係ない。清らかな血肉を持つ常盤家の乙女――丁度お前のような」

「……わたしで、ございますか」

「常盤家で生贄に手頃な娘は少ない。うちの寿々葉は『神ノ巫女』につき、最初から除外されている。最も御子を身籠った今となっては生贄の娘と並べることさえ無礼に当たる」


 寿々葉がクスリと含み笑いをする。その嫌な微笑みに千紘の身体から血の気が引いていく。


「しかし寿々葉からうってつけの娘を教えてもらった。それがお前だ、千紘。今こそ我が家に育てられた恩を返すべきであろう」

「……他の娘ではいけませんか?」

「他の娘は親が生贄に差し出すことを拒んだ。しかし孤児のお前が生贄になることを拒否する者はおらん。遠縁と言えども、お前も常盤家の血を引く。我らもお前が生贄となることに賛成なのだ」

「『神ノ巫女』どころか異能に目覚めなかった『無能力者』のお前が未だにこの家に置かれている意味を少しは考えたかい? 全てはこの時のため。邪神を鎮める贄となるためさ」

「たとえ『神ノ巫女』になれなくともこれまで我が家と私たちがお前を育てたのだ。最期くらい尽くされた礼をするべきではないか?」


 言葉の応酬をするまでもなく、かつての養父母の言葉を受け入れるしかない千紘は「承知いたしました……」と力無い声で呟く。


「これまで育てていただきありがとうございました……ご当主様、奥様、寿々葉様」


 自分の命さえ思い通りになれず、全てを諦めて床板に額を擦り付けるように平伏した千紘の耳に入ったのは寿々葉の嗤笑だった。


「お前のために巫女の装束を用意させたわ。わたくしの着古だけど、今の襤褸よりは断然まともよ。生贄とはいえ常盤家の家格を下げないために、少しでも着飾らなくてわ……あなたもそう思うわよね?」


 お腹に手を当てながら我が子を愛おしむように声を掛ける寿々葉の軽やかな声に胸が痛む。

 その言葉と態度がわざとらしく見えるが、千紘には言い返す気力さえ無かった。

 ただ承諾というように、深く頭を下げ続けたのだった。


 ◆◆◆


 そうして迎えた千紘が生贄に差し出される日。その日は朝からどんよりと灰色の高層雲に空が覆われていた。


「ぐずぐずするな。場所は遠い。早く俥に乗れ」


 朝未だきの常盤家に響く養父の声に急き立てられた千紘は長年住んだ屋敷への別れもほどほどに俥まで連れて行かれる。

 寿々葉の着古である白衣と緋袴の巫女の装束姿に着替えた千紘を待っていたのは、屋敷の前に停められた俥と車夫、そして案内役と思われる巫覡の若い男であった。千紘と思しき巫覡の青年に小さく会釈をしていると、養父に「これが此度の贄です」と軽く肩を突き飛ばされてよろめいてしまう。危うく転倒しそうになった千紘を抱き留めて支えてくれたのは、巫覡の青年であった。


「大丈夫ですか、お嬢さん?」

「ええ、ありがとう、ございます……」


 青年の手を借りて体勢を立て直すと背後で養父の舌打ちが耳に入って居心地が悪くなる。すると屋敷の方から誰かが駆けてくる足音が聞こえてきたかと思うと、鈴のような軽やかな声を響かせながら「永久(ながひさ)様っ!」と寿々葉が青年に抱きついたのだった。


「ひどいわっ! せっかくお屋敷に来たというのにわたくしにも挨拶しないなんて!!」

「申し訳ない、寿々葉殿。押し明け方に君の元を訪れるのは良くないと思ってね。それに君はもう『神ノ巫女』だ。他の男と気軽に会ってはならないよ。万が一にも腹の御子に触ったらどうするんだい?」

「永久様は他の殿方とは違うわっ!! それにお腹の御子も喜んでいます。ほら、守り神様の清浄なる力を感じません?」

「本当かい!? どれどれ……」


 千紘の前で繰り広げられる寿々葉の腹に手を当てる永久と無邪気に笑う寿々葉の姿にどんどん熱が冷めていくのを感じる。永久が少しばかり千紘に優しくしてくれたからといって、この屋敷の人たちと違うと思いかけた自分が恥ずかしい。

 手を握り締めると二人に背を向けて、車夫に手伝ってもらいながら俥に乗り込む。すると養父が含むように言い聞かせてくる。


「良いか。永久は常盤姓を名乗る巫覡の中でも一、二を争う実力者だ。足手まといにはなるな」

「……心得ております」

「相変わらず可愛げのない奴だ。必ず生贄として役目を果たしてこい。失敗したとしてもこの家にお前の居場所は無い。後はどこへなりとも行って朽ち果てると良い」


 鼻先で笑った養父と引き換えに寿々葉と話し終わった永久が隣に乗り込む。まだ別れを惜しむ寿々葉を引き離すように寿々葉を取り巻く女中たちが寿々葉の肩を抱いて、一人が「お嬢様と御子に触ります」と恭しく羽織を掛けたのだった。

 数日前に寿々葉が守り神の御子を懐妊したと公表されてから何度も見飽きた光景。寿々葉から目を逸らすと遠く屋敷の中庭から天頂に向かって真っすぐに伸びる老い木の神木を見つめる。子供の頃は寿々葉や嫌がらせをされて、養父母から激しく叱責される度に神木の根元で泣いていた。その時は不思議と神木に守られているような気になったのだった。

 かつて常盤家が最初の守り神の子を身籠った時に下賜された苗木は遥かな長い時間を掛けて巨木として成長し、激しい暴風雨や雪風巻にも負けずに悠久の時を生きて常盤家を守ってきた。幾重にも伸びた五百枝からは青々した碧緑の葉を生やして、春から夏の時期にかけては白い花を咲かせる花木として親しまれてきたのだった。

 しかし千紘が生まれた頃から枯れ枝が目立つようになり、今ではわずかな若枝に未発達な葉を残すばかりとなっていた。見た目を重視する養父は御神木として役割を果たしている間は残すだろうが、完全な枯木となった時は伐採するつもりだろう。役に立たなくなったら切り捨てられるというところは千紘の境遇と似ていて、どこか親近感が湧いていた。

 ただ異能にも目覚めず、「神ノ巫女」にもなれなかった千紘とは違って、神木は今でも常盤家を見守るという役割を果たしている。

 いつかまた葉を茂らせて幾万の花を咲かせてくれるだろうが、それをこの目で見られないことは残念でならない。


(今までありがとうございました。さよなら)


 心の中で神木に別れを告げて、千紘たちを乗せた俥は国の北部へと走り出す。

 目指すは邪神が眠る土地。千紘が最期を迎える場所であった。


 ◆◆◆


 目的の邪神が封印された社に着いたのは子の刻近くであった。

 車夫に支えてもらいながら俥から降りた千紘は、社に続く荒れ果てた石段の前に立つ永久の元に向かう。


「ここからもう少し歩きます。夜も深いですがこのまま向かって良いですか?」


 千紘がこくりと頷くと永久は行燈を手に先を歩き、千紘もその後に続く。行燈のほの暗い明かりが生い茂る草木を照らし不気味な陰影を作り、幾つもの生き物の息遣いが聞こえてくる。その度に目の前の永久は肩を震わせて足を止めるので、千紘は永久とぶつからないように歩かなければならなかった。

 永久はそんな自分を隠したいのか虚勢を張って千紘に話しかける。


「邪神様に捧げる祓い詞は僕……私が唱えます。生贄様は社に向かって跪拝したままその場でお待ち下さい。他の供物はもう用意されております。数日後、常盤家の精鋭が封印を施しに来ます。供物を受け取ったかの確認も含めて」

「邪神様が供物を受け取らなかったこともあるのですか?」

「過去に一度だけ。その時は生贄の娘を追加したと聞き及んでいます。しかし今回は生贄様しかおりません。何が何でも受け入れられて下さい」


 そうして到着した邪神が封印されているという社はあちこちが苔むして朽ち果てた廃社も同然の建物であった。参道の石畳はところどころ崩れて雑草が生え、本殿の茅葺屋根は風雨に晒されたことでいつ倒壊してもおかしくないといった状態だった。拝殿の注連縄らしきものは当の昔に切れたのか断面が黒ずんでいた。そんな拝殿の前には真新しい祭壇が供えられていたが、そこだけ荒らされたかのようにいくつもの生々しい傷が走っていた。

 祭壇の両端には獣除けの香が焚かれた形跡があるので、獣以外が荒らしたと考えるべきだろう。人間が踏み入るには人里から離れている。


「ま、まさか、ほっ、本当に邪神様がお目覚めに……」


 引き攣った声を出した永久に釣られるように拝殿の奥には黒い煙を纏う人型が立っていた。獣のようにゆらりと左右に揺れながら近づいてくる様子に千紘まで足が地面に生えたかのように動かなくなるとその場に立ち竦んでしまう。

 そんな千紘を鬼気迫る顔で振り返った永久は千紘の腕を掴んで強引に祭壇まで連れて行くと、突き飛ばすように腕を放り投げる。千紘が祭壇に身体をぶつけると、祭壇の上に残っていた供物らしき米が散らばって酒が入っていたと思しきいくつもの升が音を立てて落下した。


「ぐっ……!」

「邪神様、供物の娘です!! 常盤家の血を引く乙女を連れて来ましたっ!! だからだから……僕を喰わないでっ!!」


 祓え詞も唱えずに永久は脱兎の如くその場を後にしてしまう。尻もちをついたまま「待って……!」と蚊の鳴くような声で手を伸ばした千紘にさえ気が付かずに、永久の背はどんどん遠ざかってあっという間に見えなくなったのだった。

 恐怖で腰が抜けて歯の根が合わなくなる。これからどうしたらいいのか何も聞かされていない。邪神に丸呑みにされると思っていたが、生きたまま身体を喰われるのだろうか。血肉を喰まれる痛みと恐怖に耐えながら――。

 そうこうしているうちに宵闇の中に紛れてしまいそうな黒い煙を纏う邪神が祭壇越しに真上から千紘を覗き込んで舐めるように全身を眺める。千紘は生唾を飲み込むとその場で両足を揃えて深く頭を下げ、寿々葉を真似にして祓い詞を口にしたのだった。


「掛けまくも畏き邪神に常盤家の娘が奏上いたします。御国を脅かす諸々の禍事、罪、穢、有らむをば祓へ清め給えと。(まを)すことを(かしこ)(かしこ)みを(まを)す……」


 拝礼をしたまま次の瞬間を待っていたがしばらく待てど何も起こらず、恐る恐る顔を上げた千紘だったが息が掛かる距離に邪神の顔を見付けて反射的に後ろに倒れてしまう。バクバクと心臓が音を立て始めて、全身から血の気が引いていく。

 そして次の瞬間、邪神は鉤爪のように長い爪の生えた手で千紘の首を掴むと頭上に持ち上げる。地面から足が離れて、息が詰まってしまう。涙目になって痛みに耐えているとどこからともなく声が聞こえてきたのだった。


 ――タスケテ、ク、レ……


 息苦しさで意識が朦朧とする中で助けを求める声を耳にした千紘が目を開ける。そして千紘の首を締め上げながら、血のようにギラギラ輝く邪神の赤い目から一筋の涙が流れているのを見つけたのだった。


(いまっ、のはっ、邪神の声……っ!?)


 唸り声を上げながら千紘の首を掴む手が弱まることは無いが、それでも声は確かに邪神から聞こえた気がした。

 邪神とて元は人々から信仰を集める神の一柱。それが何らかのきっかけで堕ちて邪神になっただけに過ぎない。


(そうだよね。邪神だって、なりたくて邪神になったわけじゃないよね……)


 千紘は息を吸うと、「神ノ巫女」として修業を受けていた際に覚えた祓いの詞を頭の中で唱える。

 自分のことはどうでも良い。ここで助かったところで行く当てもない身。

 それならここで邪神のために命を捧げた方が、苦しむ邪神のためにもこれまで育ててもらった常盤家のためにもなる。


(大年神、御年神、若年神、邪を祓い清め給えっ、白すことを、恐み恐みを白す。常盤の娘っ、千紘が恐み恐みを白すっ……!)


 首を掴む邪神の腕を掴み返すと触れたところから火傷のようなじくじくとした痛みが広がる。「穢れ」という言葉が頭に浮かぶ。

 死や病など人に伝染する不吉なものは全て不浄の「穢れ」として扱われ、「穢れ」に侵された者は身体中が赤く爛れて膿み、やがて死に至る。

 人に限らず「穢れ」に汚染された身体を放置すれば、枯れ枝のように色褪せて崩れるどころか、周囲にも「穢れ」を振り撒いてしまうので、「穢れ」に触れたらすぐに清めや祈祷師や巫覡による祓いが必要と言われていた。

 そんな「穢れ」の塊とされる邪神に触れられたのなら唯人はひとたまりも無いだろうが、千紘には巫覡一族の巫女が身体に宿すとされる祓いの力――巫女の力がわずかに流れている。

 今は千紘の持つ巫女の力がかろうじて「穢れ」と拮抗して持ち堪えていられるが、それも長くは続かない。早く祓い詞を唱えて、邪神を「穢れ」から解放しなくては。

 そうは思いつつも首を絞められたままの千紘の口は魚のように何度も口を開閉させるだけで言葉にならず、空気が足りない頭では祓い詞を思い出すのも一苦労だった。

 酸欠で意識が朦朧としてくる中で千紘の頭の中に浮かんだのは、ただ純粋な願いだけ。

 この堕ちた神を救いたいという、曇りなき想いのみ。


(お願い。この方を救って――)


 その瞬間、千紘の身体から抜け出るものがあった。()()は手を通して邪神へと流れ、邪神は千紘を離すとその場で顔を覆って苦しみ始めたのだった。

 急に空気が口の中に入ってきたことで咳き込んでいた千紘だったが、やがて苦悶の咆哮を上げる邪神の元に這々の体で向かうとそっと身体を抱き締めたのだった。


「大丈夫だよ。もう大丈夫。私が力をあげるから」


 幼子を落ち着かせるように邪神と堕ちた神に身体を摩りながら千紘は囁く。


「大年神、御年神、若年神、邪を祓い清め給え、常盤の娘、千紘が恐み恐みを白す……」


 乾いた唇で祓い詞を唱える度に力が抜けて脱力していくが、それを堪えるように身体に力を入れると千紘は詞を口にする。

 意識が朦朧とする中、邪神から「穢れ」が消えたのを確認して微笑を浮かべたところで千紘の意識は沈んだのだった。


 ◆◆◆


「ここに居たのか。今日は起き上がっていいのか?」

「はい。おかげさまで悪阻も落ち着いて……きゃあ!」


 縁側に座っていた千紘は軽々と碧樹に抱えられて、膝の上に座らされると、愛おしむように耳たぶに口付けられる。

 端麗な顔立ちながらも男らしくたくましい身体付きの碧樹の腕の中で紅潮している間に、碧樹は千紘の腹を撫でながら「良い子だ。順調に成長している」と呟いたのだった。


「身体を起こすのも辛い時は横になっていると良い。必要なものは届けさせよう」

「もう充分にいただいております。これ以上は必要ありません……」


 膝に乗せた千紘の身体を支えながら、壊れ物を扱うように千紘の腹を撫でる碧樹の手は止まらない。耳元にかかる吐息に時折身体を揺らしながら、千紘は考えたのだった。


(どうしてこうなったんだろう……)


 自分が助けたはずの邪神に堕ちかけていた国の守り神――碧樹から命代わりの子供を授けられて数ヶ月が経った。

 碧樹は千紘を自らの神域に連れ帰ると、普段暮らしているという庵に住まわせてくれた。

 茅葺き屋根の簡素な作りの庵の中には最低限のものしか置かれておらず、連れて来られた時は世捨て人の住まいのようだったが、千紘が来てからというもの、碧樹は配下の神々に命じて人の世から様々な物を取り寄せてくれた。

 仕立ての良い着物や可愛らしい小物、これまでは生きていく上で必要な分しか与えられなかった日用品から、退屈しているだろうからと書物や手芸の道具まで。

 神々は飲食が不要というのに千紘のために食事も毎食届けられて、至れり尽くせりの日々。

 これも千紘がこの天縁国を守護する守り神である碧樹の子を産める唯一の人間――「天縁の神花」であるから。誰もが宝物のように大切にして、目に入れても痛くないというように寵愛してくれる。


「ところで先程まで笑い声が響いていたが、誰か来ていたのか?」

「お休みのところ騒がしくして申し訳ありません。その、下級神の皆様が話し相手になってくださいまして……」

「下級神が……お前たちも姿を見せるといい」


 その言葉で木の葉が音を立てて大きく揺れると、蛍火に似たいくつもの白い光が二人の前に姿を現す。

 下級神と言っても千紘の目には全て同じ色と形をした光の球にしか見えないが、人と同じで一柱ごとに話し方や性格が異なっていた。得意不得意もあるようで、話す内容や視点も全く違っていて飽きない。

 千紘を笑わせようとするモノ、身体を気遣ってくれるモノ、「天縁の神花」への純粋な好奇心だけで近寄ってくるモノ。本当に人のようだと千紘は考える。

 それでも嘲笑や恥辱を受けないだけ、常盤家に居た時よりずっと心地良い。陰湿な嫌がらせに心を擦り減らすことも、「『神ノ巫女』になれなかった無能力者」と陰口を叩かれることも無いのだから。


「あの、下級神の皆様を怒らないでください。私がお願いしたのです。外の空気を吸いたいと言ったら、散歩にも付き合っていただいて……」


 たとえ見た目が違っていても、これまで友人らしき友人もいなかった千紘にとって彼ら下級神たちは貴重な友人。いつの間にか見分けられるようになり、それぞれの感情まで読み取れるようになった。

 そんな彼ら友人たちが碧樹に怯えているのなら、千紘が守らなければならない。

 外の空気を吸いたいと言ったのは事実だが、千紘について来て縁側で話し相手になってくれたのは下級神たちの意思によるところが大きい。千紘もそんな好意に甘えて長居をしてしまったのだから、一緒に怒られるのは当然のこと。

 そう身構えたつもりだったが、当の碧樹は顎に手を当てて何やら考え始めてしまった。


「うむ……無断で神の斎庭(ゆにわ)に侵入した罪は大きいが、神花に寄り添うべき俺が側にいなかったのも事実。今後も出入りを許そう。俺の代わりに神花の無聊を慰めてくれ」


 この国の最上神である碧樹の許したからか、下級神たちは安堵したように球形の身体を上下させながら白い光を明滅させたので、千紘もそっと微笑む。

 元々彼らが千紘の元にやって来た所以というのが、この国の最上位の神である碧樹が「天縁の神花」を迎えたと聞いて興味本位で様子を見に来ただけというものだった。

 それが肝心の「天縁の神花」である千紘が暇を持て余していると知るなり、下級神たちはこれまで見聞きした人の世の歴史や過去の偉人の話をそれぞれ聞かせてくれた。

 いずれ「神ノ巫女」になるものとして最低限の読み書きと計算だけは教わったもののそれ以外は無知の千紘にとって、人の世の歴史や人の世に影響を及ばした著名人の話を物語のように語り聞かせてくれる下級神たちと過ごす時間は、この国や人の歴史に触れる貴重な時間であり楽しみとしていた。

 自分の知らない世界を知って想像を巡らせることは、悪阻の苦しさに耐える中での励みにもなっていたので、碧樹が出入りを認めてくれて安心したのだった。

 碧樹が姿を見せた時は蜘蛛の子を散らすように木々の間に隠れてしまう下級神たちだったが、許しを得たのが嬉しかったのか今は千紘の周りをくるくると旋回する。すると蛍のような白い光たちの身体は縦長に伸びて、二本の触覚と大きな翅を生やした蝶へと姿を転じたのだった。


「すごいっ! 貴方たちはこんな力を思っていたのね!」


 嬉々として満面の笑みを浮かべる千紘の肩や頭に留まった下級神たちを「ほう……」と感心したように碧樹は呟く。


「どうやら俺の神花は“心眼”の異能を持つようだ。彼ら下級神を見聞きするだけではなく、言葉まで交わせるのだからな」

「“心眼”の異能ですか? でも私は異能に目覚めなかった『無能力者』で……」


 両手を強く握りしめて目を伏せる。耳の奥では「無能者」と千紘を罵倒する養父母と義妹の声が反響している。

 先代当主が「神ノ巫女」に選ばれると宣言したから引き取ったのに……と。「巫女にもなれない役立たずを当て構われた」と憤りを当たり散らされたこともあった。


「“心眼”は稀有な異能ゆえ、覚醒には時間がかかる。目覚めなかったとはいえ、自分を責める必要は無い。それに相性や運もあるのだ。神花は運が良い」

「運ですか?」

「“心眼”の異能の覚醒を促進させるには強い神力が必要だ。神花は俺に神力を吹き込まれて子を成した際、一緒に“心眼”の異能にも目覚めたのだろう。邪神に堕ちかけたこの俺を助けるために身を挺して助けようとした時に……」


 碧樹は千紘が自分の身を犠牲にしてまで碧樹を助けようと解放する際、逆に神力を注いで千紘を助けたというが、千紘には全く身に覚えがなかった。邪神に堕ちかけた碧樹を助けようと祓い詞を唱えたのは覚えているが、その後のことが全く記憶に無かった。

 碧樹によって神域と人の世の狭間の祠の前に寝かされて、その時にはすでに自分が持つ巫女の力と碧樹の神力によって宿った子供が腹の中にいたが、それさえも最初は理解できなかった。

 成り行きで碧樹についていって、やがて体調の不調や悪阻に苦しむようになったことで、ようやく碧樹の話を信用できたくらいである。

 その辺りを詳しく聞こうにも碧樹はずっとどこかに出掛けていて今日まで言葉すらほとんど交わせずにいたのだった。


「邪神に堕ちかけていたと仰っていますが、そもそもどうして国を守る守り神の貴方様が邪神になりかけていたのですか?」

「……神花は『神ノ巫女』がどうやって人の世の統治者となる子を孕むか知っているか?」

「守り神様が選んだ巫女の乙女――『神ノ神花』に授けると聞いていますが……」

「はんっ。あんなのは千年前のたった一度きりだ。それに子を授けた相手というのも『神ノ巫女』ではなく『天縁の神花』だ」


 吐き捨てるように低声になった碧樹を見つめる。どこか遠くを見つめながら、碧樹が続きを話す。


「千年前、国中の巫女が集められて大掛かりな神降しの儀式が執り行われた。国を守護するこの俺を人の世に召喚するため」

「守り神様をですか?」

「碧樹で良い。今から約千年前――まだ天縁国と呼ばれるずっと前のこと。この国では災厄や疫病によって国が荒廃していた。滅びゆく自国を救うため、奴らは創世神である俺に頼ろうとしたのだ」


 当時、天縁国となる前の土地の各地では干ばつや日照り、洪水が起こり、田畑は枯れて疫病が蔓延していた。このままでは国はおろか人でさえ滅亡すると危惧した当時の朝廷の役人たちはこの土地を守護する創世神である碧樹に救いを求めたのだった。


「求めに応じた俺を待ち受けていたのは神降ろしの儀と称して各地から集められた巫女たち。彼女たちは『神ノ巫女』を名乗って俺に近付き、俺との間に子を成そうと擦り寄ってきた」

「子を? どうして……」

「当時の朝廷では神の子を授かった巫女が国の母神となり、その一族は生涯繁栄すると信じられていた。そこで役人どもは自分の娘を神に使える『神ノ巫女』に仕立て上げて俺の元に送り込み、俺との間に子を作ろうと躍起になっていたのだ。そうとは知らずに神降ろしの儀式に答えてしまった俺はとんだ間抜けということだ。どこに行って何をしても付いて回る『神ノ巫女』ども。寝所にも入ろうものなら入れ替わり立ち替わりやってくる。追い払うのも面倒だと抜け出した先で出会ったのが『天縁ノ神花』となる娘だった」


 創世神のために建てられたという社を抜け出して、夜這いにやってくる「神ノ巫女」たちから逃れた碧樹を助けてくれたのは「神ノ巫女」として朝廷に送り込まれながらも、出自と異能を理由に雑用を押し付けられていた娘の一人。

 初めて会った時に碧樹は直感的に悟った。この娘が自分の花嫁となる巫女――「天縁の神花」であると。


「その娘は地方の豪族の推薦を受けた巫女でありながら、異能を持っていなかった。それ故に朝廷に集められた他の巫女たちから虐められて、下働きまがいのことをさせられていたのだ。俺に擦り寄ってきた『神ノ巫女』たちは誰もが大なり小なり異能を持っていたからな。その中で異能を持たないというのは場違いに思われたのだろう。だがその娘が持っていたのも“心眼”の異能だった。俺は助けてくれた礼として娘の異能を目覚めさせる手伝いをしただけにすぎない」

「その“心眼”の異能というのは珍しい異能なのですよね?」

「人の世において“心眼”の異能というのは如何なる神霊をも見聞きできる()()の能力とされているが、真の力はまた別にある。“心眼”の異能とはその名の通り、全てを見通す力だ。過去も未来もそれ以外でさえも……過去とや未来を見るという点では他にも似た異能があるが、“心眼”の異能はまた別のものだ。強力な上に扱い方が難しい。故に発揮するまで時間が掛かる。俺を助けてくれた娘も自分には異能が無いと思い込んでいたようだった」


 そもそも守り神である碧樹の子供を懐妊できるのは「天縁の神花」となれる娘のみ。そして「天縁の神花」となる娘たちは皆“心眼”の異能を持っていることが多かった。実際にこの時に碧樹の子供を孕んだ娘も千紘と同じ“心眼”の異能を持っていたので、碧樹はこの娘との出会いに一種の予兆を感じたのだった。

 この娘が噂に聞いていた自分の「天縁の神花」となるかもしれないと……。


「だが“心眼”の異能がきっかけとなって、その娘とは深い仲になった。やがて娘が子を孕んだと知った時、正式に『天縁ノ神花』として手元に置こうと考えるようになった。しかしそれよりも先に『神ノ巫女』の一人が俺の子を懐妊したと虚偽の報告を朝廷にしたのだ」


 娘の身体が落ち着いたら碧樹の子供を宿したことを宣言して、「天縁の神花」として天界に連れていこうと考えていた矢先に衝撃的な出来事が起こった。

 碧樹から寵愛を得ようとしていた「神ノ巫女」の一人が碧樹の子供を身籠ったと公表したのだった。


「碧樹様の御子を……って。守り神様の御子を産めるのは『天縁ノ神花』だけなのに……」

「これにはさすがの俺も寝耳に水だった。その娘は俺に擦り寄って来た『神ノ巫女』の一人ではあったが、俺と一切の関係を持っていなかった。しかし朝廷は彼女を神の花嫁となれる『真の神ノ巫女』として認めて、大々的に宣言してしまった。そして深い悲しみに暮れた『天縁ノ神花』は姿を消してしまい、俺は子を孕んだ娘を『神ノ巫女』と認めざるを得なくなった。その孕んだ娘というのが常盤姓を名乗る娘だった」

「常盤姓というのは、私の……」

「ああ。お前を生贄に差し出そうとした家だ。このことがきっかけとなって常盤家は代々『神ノ巫女』となる娘を輩出して、次代の帝となる俺の子を産むようになったそうだな……実際は最初から俺の子など宿していなかったというのに」


 碧樹も後から知ったことだが、碧樹の子供を身籠ったと偽った常盤姓の娘は朝廷の役人だった父親が用意した男との間に子供を成して、その子供を神の子供と騙ったのだという。その父親は朝廷内でも多くの支持を受けており、朝廷内の大半はその親子に買収されて口裏を合わせた後であった。

 ここで碧樹か「天縁の神花」となる娘が異議を唱えたところで、朝廷側で揉み消されていたのは想像に難くなく、むしろ後ろ盾が無い「天縁の神花」となる娘が消されていた可能性の方が圧倒的に高かった。

 碧樹は「天縁の神花」となる娘と自分の血を引く子供を守れるのならと自らを納得させて、常盤姓の娘を「神ノ巫女」として認めたのだった。


「だが神聖にして真実の存在たる神が間違った判断を下した場合、それは自分に降りかかる罪過となり、やがて神の資格を失って邪神と化す。その時から神の資格を失い始めた俺の身体は少しずつ邪気に蝕まれていき、長い時間を掛けて邪神へと堕ちていった。地上で邪神に堕ちた中級神が暴れたと知って、邪神を封じるために無理に神力を使ったのも邪神化を加速させるきっかけとなったのだろう。皮肉なことに……俺に協力して共に邪神と戦った巫覡一族というのも、俺の子を成したと偽った娘の子孫だったな」


 自身を嘲笑するように碧樹は鼻先でせせら笑う。これまで知らなかった常盤家の裏側を知って、千紘は背筋が凍る思いであった。

 このことを寿々葉や養父母を始めとする常盤一族は知っているのだろうか。守り神に仕える神聖な一族が守り神を侮辱して辱める行為をしていることに。

 国を守る碧樹を冒涜する行為を黙認してきた朝廷や役人たちにもゾッとする思いであった。


「『神ノ巫女』が産んでいる子供が貴方様の……碧樹様の血を引いていないことは分かりました。それでは『天縁ノ神花』となるはずだった巫女の娘はどこに消えたのでしょうか?」

「……分からぬ。あの後、俺は娘を探して各地に下級神たちを遣わせたが、痕跡さえ見つけられなかった。そうしている間に『神ノ巫女』となった常盤姓の娘は男児を出産して、その子供が国を治める帝となった。俺は国の守り神として祀られ、『神ノ巫女』となった巫女の生家である常盤家は朝廷でも随一の権力者となり、それ以来『神ノ巫女』を輩出する役割を担うようになったらしいな。千年にも渡って同じ罪を重ねて……」


 碧樹は「神ノ巫女」となった常盤姓の娘が男児を出産した後、その労に報いて自身の神力が宿る神木の苗――碧樹を助けた千紘が目覚めた時に見つけた祠があった大木らしい、を分け与えた。

 表向きは碧樹を子を成した褒美として、実際は彼らが犯した罪を暴くために。

 いずれ「天縁ノ神花」に相応しい巫女が見つかった時に、常盤家から「神ノ巫女」の地位とこれまで不正を重ねて得た功績を奪還しようと考えたという。


「常盤家の中庭に生えていた立派な神木は碧樹様が与えたものだったのですね。義妹……寿々葉様が『神ノ巫女』だと神託を下されたのも碧樹様だったと……」

「勘違いが無いように先に行っておくが、俺はあの娘が『神ノ巫女』だと神託を下した覚えは一切ない。その頃の俺はほぼ邪神と化していて、神託を下す余裕など到底無かった」

「しかし常盤家の当主が立会人を交えて神木に尋ねたところ、寿々葉様が『神ノ巫女』だと碧樹様が神託を下したと話しておりました。その前の天啓も寿々葉様が『神ノ巫女』として選ばれた証だと……」

「確かに俺は最後の力を振り絞って天啓を下したが、それは巫女舞の装束を汚したとして罪をなすりつけられた貴様を折檻から守るためだ。その後のことは知らん」

「そんな……」

「それにお前だけは俺が託した神木を大切に扱ってくれたからな。せめてもの恩返しの意味もある。お前に乱暴していた両親と義妹は、ただの枯れ木として神木の伐採の相談までしていたというのに」


 その言葉に千紘の頬が見る見るうちに赤く染まる。羞恥で耳まで真っ赤になりながら、蚊の鳴くような声で碧樹に尋ねたのだった。


「見ていたのですか? あの、私が神木のところでしていたことも全部……」

「全てとはいかないが、自我を保てる時は見ていた。異能に目覚めなかったことで、あの家で随分と辛い目に遭ったようだな。だがこれからはもうそんな想いはさせない。この国の守り神たる俺を邪神から解放してくれた愛しい『天縁ノ神花』よ。今度こそ俺は妻子を守ろう。神花と神花に宿りし俺の子に誓って必ずや……」


 千紘と腹の中の子供に負担が掛からないように、背中からそっと抱きしめてくれる碧樹の不器用な優しさが心地良い。目尻に涙を溜めて碧樹に身を委ねると、そんな千紘の周りを蝶の姿に転じた下級神たちがふわふわと舞う。

 言葉も無く、ただ静かに抱き締められていた千紘だったが、ふと碧樹が「そろそろ行かねば」と呟いて身体を離したのを見逃さなかった。


「お前たちを神花として国に認めさせるためにも、まずはあの偽りの一族と『神ノ巫女』を騙る娘をなんとかしなくてはな」

「常盤家の――養父母と寿々葉様のことですね」

「どうやら数日前に人の世で大規模な災害が起こったようだ。朝廷が俺に救いを求めて、『神ノ巫女』に神降ろしの儀を命じたらしい」

「大規模な災害……ですか?」

「北部の海沿いの地域でな。大きな地揺れと海嘯が発生して多数の死傷者が発生した。その土地は国内でも有数の田園地帯のため、今年の収穫が危ぶまれているそうだ。このまま放置したら海嘯で侵入した病菌が生き残った人々を介して国中に蔓延して、いずれ大規模な疫病が発生する。そうなる前に守り神である俺に浄化を頼むつもりらしい。だが肝心の依り代を安置する社が朽ち果てて使い物にならなくなっている」


 碧樹は「これも管理を怠ってきた者たちの仕業だな」と溜め息を吐くが、守り神に関する土地や社の管理を担っているのは各地に点在する常盤家だと聞いている。

 代々守り神に最も近い「神ノ巫女」を輩出する一族でありながら、まさか守り神が地上に降りる際に使用される土地と社を放置していたとは思わなかった。

 静かに怒りと悔しさがこみ上げて、千紘はグッと両手を握り締める。


「それではどうされるのですか? まさかこのまま国を放置するつもりでは……」

「朝廷は常盤家に植えられた神木を依り代として俺を地上に降ろすように命じたが、肝心の常盤家には神降ろしの儀を執り行える強い力を持つ巫覡と巫女がいないどころか、依り代となる神木も枯れて使い物にならなくなっている。故に常盤家は朝廷の命令で最後の賭けに出たらしい」

「最後の賭け、ですか?」

「『神ノ巫女』を名乗る娘が神木の復活の儀式を行うつもりらしい。自身が持つ巫女の力を神木に流して神木を再生させる。『神ノ巫女』がもつ巫女の力というのは、腹に神の子がいる時は何十倍も膨れ上がるとされているからな。それを生かして枯れ木を太古のような花木にさせるらしいが、そもそも『神ノ巫女』が身籠っている子供というのは……」

「碧樹様の――守り神様の子供では無いということですよね……」


 災害に見舞われた地域も気がかりだが、神木を復活させようとしている寿々葉たちも気になる。

 神木が蘇られなかったら、常盤家や寿々葉どころか天縁国にも被害が及んでしまう。そしてそれは国を守護する碧樹の負担にもなる。邪神に堕ちてしまうくらい神力が弱まっている碧樹に力を使わせたのなら、今度こそ碧樹は邪神へと堕ちてしまう。

 力の使い過ぎで、このまま消滅してしまうことだって充分あり得る。

 ただそのためだけに常盤家に戻るのは怖い。きっとあの家は千紘が邪神を鎮めるために喰われたと思っているだろう。それなのに戻ってしまったら酷い目に遭わされる。暴力や罵倒では済まされないかもしれない。

 そんな千紘の心配や不安が伝わったのか、碧樹は膝の上から千紘を下ろすと一人で向かおうとする。

 行き先は常盤家だと悟った千紘は咄嗟に袖を掴んでしまったが、碧樹は千紘を宥めるように優しく頭を撫でてくれたのだった。


「神花はここにいると良い。下級神たちが側についている。一度目覚めたのなら、“心眼”の異能はいずれ真の力を発揮する。神の子を無事に産んだ時、貴様は神の子を産んだ母神となる。人の命を超越して神の一柱となるのだ。腹の子がいなくても生きられるようになる。俺の身に何かあっても、腹の子が俺の後を継いで次の守り神となるだろう」

「でも私には碧樹様が必要です。この身は邪神に……碧樹様に捧げました。貴方様の子を産むのが私の役目なら、私には貴方様が必要です。この子にも……」


 千紘はそっと目を自身の腹に落とす。まだ胎動を感じたことは無いが、それでも自分の中に存在するもう一つの命を意識しなかったことは無い。


「生まれてくる子には両親の愛情が必要です。人の心や温かさを知らずして人の上に立つことはできません。ですが私には両親の愛情というものが分かりません。実の両親は早くに亡くなり、養父母からは小間使いとして扱われてきました。私には親が子に向ける愛情というものが欠けています」


 尽きかけた命の代わりに碧樹の子供が腹の中に宿ったと聞いた時は驚いて、親を知らない自分が母親になれるだろうかと悩みもした。

 ただ碧樹の子供を産むということは自分の命を永らえさせるためだけじゃない。この国と引いては国を守護する碧樹のためでもある。

 異能を持たない「無能者」と罵られてきた自分にできることがあるのなら力になりたい。


「私も碧樹様から教わりたいのです。私が邪神になりかけた碧樹様を助けて、反対に碧樹様に命を救われたように、これからも碧樹様と足りないものを補い合えたらいいと……人の身で生意気なことを言っていることは分かっています。でも私も碧樹様の力になれたらと思って、その……」

「神花が言いたいことは分かった。お互いに欠けたものを補完し合える関係になりたいということだろう。腹の子のためにも、俺たちのためにも……だがこれから向かう先は貴様を生贄として差し出すような非道な奴らだぞ。耐えられるか?」

「もう私は一人ではありません。碧樹様と腹の中に宿る大切な私たちの御子がおります」


 安心させようとぎこちないながらも千紘が笑を浮かべると碧樹はハッしたように翡翠色の両目を見開く。そして「分かった」と頷いたのだった。


「俺の力でお前を常盤家に転移させよう。此度の依り代の管理不十分の報告を受けて不審を抱いた要人たちが儀式の立会人を申し出たそうだ。常盤家の屋敷に集いつつある。早ければ明日にでも神木の復活の儀が挙行されるだろう」

「衆人環視の中で儀式が行われるのですね……」

「あの家の奴らは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするだろうが、そこでお前が神木を復活させて鼻を明かしてやると良い。そうすれば俺は地上に顕現できる。国の守り神として……」

「私にできるでしょうか……」

「心配せずとも、“心眼”の異能に目覚めた神花なら上手くいく。腹の子もきっと力になるだろう。貴様はただあの一族に負けないように強く心を保つだけで良い」


 そして碧樹は掌を千紘にかざすと何やら言葉を唱える。千紘には馴染みの無い詞なので人語では無いのかもしれない。

 やがて千紘の足元が光り出すと、地面から足が離れて宙に浮いているような感覚を覚える。ふらふらと身体を前後に揺らしていたら、碧樹が手を握って支えてくれたのだった。


「神花なら成し遂げられよう。無事に帰ってこい」

「必ず戻ってきて、貴女様の御子を産みます。ですから信じてくださいませ」

「何を言うか。最初から信じている」


 得意げな顔で眉を上げた碧樹の鼻梁の整った顔立ちに小さく笑みを溢した後、千紘の視界からは碧樹が消えて手もするりと抜ける。

 次に気が付いた時には、長年育った常盤家の中庭に立っていたのだった。


 ◆◆◆


(帰ってきたんだわ。私……)


 もう帰ってくることが無いと思っていた常盤家を見渡すと背後の枯れ木を見上げる。人の世はもう夜も深い時間帯だったようで、枯れ木は暗闇の中でぼんやりと浮かんでいた。

 そこに千紘が顕現した気配を感じたのか、屋敷からバラバラと足音が迫る。侵入者だと思って駆け付けたのか、下働きの下男や下女たちは千紘の姿を見つけるとまるで幽霊を見たように顔面を蒼白にして立ち止まったのだった。誰もが邪神の生贄に差し出されたはずの千紘が生きていることを信じられないというように噂して、その話を聞いたのかしばらくして養父母だった寿々葉の両親と眠たげな様子の寿々葉がやってくる。

 寿々葉は寝巻の上からでも分かるくらいお腹が膨らんでいるが、少し違和感を覚えるような膨らみ方でもあった。


「お前はっ!? なぜここにいるのだ!? 贄として邪神の元に行かせたはずだが……」

「きっとわたくしたちを祟ろうと蘇ったのよ! わたくしが『神ノ巫女』に選ばれた腹いせに……ねえ、早く祓ってちょうだい!! このままではわたくしもお腹の子も死んでしまうわっ!!」


 碧樹が言っていたように鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする三人が滑稽でならない。寿々葉の腹の子供が碧樹が授けた子供じゃないと知っているからか、よりおかしく思えてしまう。

 千紘はあえて頭を下げると、三人に挨拶したのだった。


「ただいま戻りました。ご当主様、奥様、寿々葉様。寿々葉様が神木を復活させると聞いて、守り神様に無理を言って身重の身体をこの地に転送してもらったのです」

「守り神様? 身重の身体? 何を言っているのか分からなくてよ!」

「奥様も寿々葉様やご当主様と同じように私を邪神の生贄に差し出そうとしたのだからご存じですよね。私が命を差し出した邪神というのが守り神様だったのです。そして守り神様に助けられて命を宿しました。守り神様の御子をこの身に……」


 わざとらしく子供がいるように腹を強調するように撫でれば、寿々葉たちが息を呑んだ。「そんな……」と呟く声まで聞こえてきて、千紘は覚悟を決めて申し出たのだった。


「北の地で災害が起こり、朝廷の命令で神木を依り代に神降ろしの儀を行うと聞いて居ても立っても居られず戻ってきました。神木の復活の儀を私にやらせてください。必ず成功させて、守り神様をこの地に降ろします」

「馬鹿なことを言わないでちょうだい!! 神降ろしの儀の大役を任されたのは『神ノ巫女』に選ばれた私たちの娘なのよ!! お前なんかじゃない!! どうせ腹の子というのもでっち上げているだけでしょう……」

「真偽を確かめたいのなら、守り神様に直接尋ねてみてはいかがでしょうか。守り神様は全てご覧になっております。皆様が伐採を検討されていたこの神木から。寿々葉様が『神ノ巫女』か確かめた時と同じように。簡単でしょう?」


 千紘の言葉を後押しするように木々が騒めく。風も吹いていないのに葉擦れの音を立てる木々が不気味に思えたのか、寿々葉たちのたじろぐ姿が屋敷から漏れる微かな光源の中で見えたのだった。

 そんな中で屋敷から見慣れない男たちが姿を現わす。就寝中を起こされたのか誰もが寝間着姿だったものの、常盤家の人間ではないのは一目瞭然だった。碧樹が話していた常盤家に不審を抱く朝廷の要人だろうか。

 千紘はなるべく腹の負担にならないように早歩きで彼らに近付くと「お願いします」と一礼したのだった。


「事情は全て守り神様より聞きました。私に神木の復活の儀を任せていただけませんか?」

「……すでに晩刻の時に『神ノ巫女』殿に儀式を行ってもらったが、神木に変化は起こらなかった。それを君が代わりにやってくれると?」

「私は守り神様より『天縁ノ神花』に選ばれました。『天縁ノ神花』は守り神様の子を産むだけの『神ノ巫女』とは違って、守り神様の花嫁となれる者。そして今の私は守り神様の子供を身籠り、“心眼”の異能にも目覚めました。必ずやお役に立ってみせましょう」

「でたらめよっ! そんな化け物の言うことなんて耳を傾けないでっ!! この国で守り神様の子を身籠っているのは『神ノ巫女』に選ばれたわたくしだけ。子供なんて偽っているだけよ!」


 大股で近寄ってきた寿々葉が千紘の手首を掴むときつく握りしめる。そして取り巻きのように従わせる女中たちの手を借りて、罪人のように千紘を後ろ手で捻り上げたのだった。


「どうせ腹に詰め物をしているだけよ。子供なんて真っ赤な嘘っ!! たまたま邪神の生贄にならずに済んだから頭がおかしくなったのだわ!!」

「違いますっ!! 私は……」


 千紘が言い返そうとすると寿々葉に頬を叩かれてしまう。次いで足で腹を蹴られそうになったので咄嗟に避けたが、その弾みで尻もちをついてしまったのだった。


「貴女達、こいつの着物を脱がせてっ!! せっかくよ、大勢の人が集まっているこの場で恥をかかせて二度と表舞台に出てこられないようにしましょう!!」


 そんな寿々葉の言葉を合図に押し倒されると、帯締めに手を掛けられて乱暴に脱がされてしまう。足をバタバタさせて地面を蹴りながら「やめてっ、くださいっ!!」と抵抗する千紘だったが、その時に寿々葉の腹から禍々しい光を帯びていることに気付く。そして突然の出来事に役人たちが千紘を羽交い絞めにする使用人たちを止めてくれた隙をついて千紘は寿々葉の元に向かうと、ぎょっとする寿々葉を放って帯締めと帯を強く引っ張る。

 寿々葉の両親や取り巻きたちの制止も間に合わず、寿々葉の帯締めと帯を強く引っ張った千紘の足元には丸められた布の塊が転がり、そして乱れた寝巻の下の寿々葉の腹は何の膨らみの無い、平らな形をしていたのだった。


「『神ノ巫女』殿……!? その腹はいったい!?」

「これはその……お腹の子がなかなか大きくならないから、周りに心配を掛けないように布で大きくみせていただけよ……!」

「いいえ。寿々葉様は嘘をついています」


 寿々葉が役人たちに詰め寄られている間に枯れ木となった神木までやってきた千紘はふうっと息を吐き出す。

 朽ちるのを待つだけというように枝だけを伸ばす神木の幹に片手をついて目を瞑ったのだった。


「何をしようというんだ……!?」

「ご当主様は黙ってください」


 ぴしゃりと千紘が返すと水を打ったように静まり返る。幹に触れる掌を通して、これまでこの神木が見てきた数々の常盤家の悪行が頭の中に流れ込んでくる。どうにかしてこれを公表できないかと千紘は考えるが、まずはこの神木を復活させることが先決だ。

 千紘は掌に巫女の力を込めると、薄く目を開ける。その目はいつもの黒色ではなく、碧樹と同じ翡翠色に染まっていた。


「……お願い。咲いて……」


 囁くような願い事を口にした瞬間、神木が内側から白い光を放つ。植物の成長を早送りしているかのように葉が生え始めたかと思うと、あっという間に蕾が膨らんで白い花を咲かせる。桜の花びらに似た白い花が神木全体を包むと甘い香りのする白い花びらが夜風に乗って宙を舞ったのだった。


「これは……!? 神木が復活したのか?」

「それだけではないぞ」


 不意に隣に気配を感じたかと思うと、天から降りるように碧樹が姿を現わす。こうして人の世で見ると碧樹からは人間離れした清らかな気配を感じて、千紘は頬を緩めたのだった。


「我が『天縁ノ神花』が咲かせた神木の花びらを見よ。興味深い光景が写っておろう」


 地面に落ちた花びらは鏡のように表面がつやつや輝いていたかと思うと、急に人の姿が現れる。そこに映っていたのは寿々葉の父親と見たことがない政府の役人であった。寿々葉の父親は風呂敷包みを役人に渡しながら声を潜めて話す。


『……では、これで証言をお願いできますな』

『勿論でございます。神木への『神ノ巫女』のお伺い。寿々葉お嬢様の名前を発言していたと証言いたします……』

『あんな枯れ木が『神ノ巫女』を証言するとは思わんが念のためな。これで我が家も安泰。先代が押し付けてきたあんな『無能力者』をこれで追放できるのならせいせいする……』


 会話はそこで途絶えていたが、寿々葉の父親は真っ青な顔になって「こんなのはでたらめだ!」と花びらを踏みつける。しかしそこかしこの花びらから同じような光景が写り、中には寿々葉の母親が「見栄えが悪い」という理由で神木の枯れ木を切ってそれを下男の仕業にしたものや、寿々葉が神木を蹴って的当て遊びの的にした場面もあったのだった。

 これには役人たちも怒り心頭に発したのか千紘以外の常盤家の三人を拘束すると、使用人たちから詳しい事情聴取をすることになった。夜が明けて寿々葉たちが連行されてしまうと、屋敷には千紘と碧樹だけが残されたのだった。


「よくやった、千紘。これで俺はこの地の災厄を防ぐことができる」


 縁側から再び花を咲かせた神木を眺めながら、千紘と碧樹は静かに言葉を交わす。


「碧樹様はこうなることをご存じだったのですか?」

「まあな。“心眼”の異能の真の力は秘められた真実を明かす“眼”を意味する。ただ花びらにこれまでの常盤家の悪行が写ったのは間違いなく腹の子のおかげだ」


 碧樹は我が子を褒めるように千紘の腹に触れつつ千紘に顔を近付けると、「その澄んだ翠色の瞳もその証だ」と告げたのだった。


「これから常盤家はこれまでの悪事を暴かれて裁きを受けるだろう。使用人たちの刑は軽いかもしれないが、両親は国外に追放か……『神ノ巫女』を騙った義妹はもっと重いだろうな。他の神々への供物にされるに違いない」

「それは……」

「同情するな。相応の報いだ。それより懸念が無くなった以上、神花は腹の子を産むことに集中しろ。『天縁ノ神花』の存在が朝廷の役人たちに知られた以上、奴らは神花と腹の子供を帝の妻子にと考えるかもしれん」

「碧樹様は一緒にいてくださらないのですか?」

「……俺と暮らす理由なんてもう無いだろう」

「ありますよ。碧樹様はこの子の父親です。『天縁ノ神花』が産む子供には、天縁国の守り神様である父親が必要です」

「言うようになったな」


 満足そうに笑った碧樹は千紘の頬に軽く口付けると宣言する。


「俺は天縁国の神として、腹の子の父親として、そして『天縁ノ神花』の夫として誓おう。永遠に二人を愛することを……俺と共に生きてくれるか、千紘?」

「はい。私は碧樹様を夫として、お腹の子の父親として、貴方様と共に生きることを誓います」


 そして二人は深く唇を合わせる。柔らかな風に乗って陽光を受けた神木の白い花びらが祝福するように二人を包み、いつまでも変わらぬ愛を誓う守り神と「天縁の神花」の明るい未来を照らし続けることを約束したのだった。


 やがて天縁国の守護神が選んだ「天縁の神花」は一人の御子を産み落とす。

 国を守護する神が愛する唯一人の花嫁に選ばれた巫女と二人の間に産まれた御子の話は、国中の女性が憧れる恋物語としていつまでも語り継がれるのだった――。


 了


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