第三十話:巡行!王都の休日は兄の包囲網!?
王立アカデミーに入学してから数週間。ようやく訪れた初めての休日、私は寄宿舎の鏡の前で、お母様から贈られた外出用のドレスを整えておりました。
「……ふぅ。テオ。今日のお姉様は、貴方のための『最高級の毛糸』を探しに王都へ出かけますわ。冬休みに貴方を包むためのマフラー、その素材に妥協など一切許されませんからね」
私は、鏡の中の自分――深紅の髪と、決意を秘めた紫の瞳――に満足げに頷きました。
学園内での「絶対序列」は既に盤石なものとなりましたが、王都という広い海には、まだ私の、そしてハルトマン家の威光を正しく理解していない「汚れ」が残っているかもしれません。テオへ贈る品を汚すような雑音は、事前に排除しておくに越したことはありませんわ。
私が部屋を出ようと扉を開けた、その瞬間でした。
「――全機、配置につけ! ターゲット……リリアの周囲半径五十メートル以内への不審者の接近は、一秒たりとも許さん!」
「魔導索敵班、感度最大。王都中のマナの揺らぎを監視しろ。リリアの歩く道に、小石一つ落ちていることも許容しない」
廊下に響き渡る、あまりにも聞き慣れた、そしてあまりにも重苦しい二つの声。
扉の先には、騎士科の正装に身を包み、腰に儀礼用ではない実戦仕様の長剣を帯びたシオン兄様と、数え切れないほどの探知用魔導具を全身にぶら下げたカイル兄様が、軍の司令官のような形相で立っておりました。
「…………。兄様たち。私はただの買い物に出かけるだけですわよ? なぜ、これから国境を越えて敵陣に突撃するかのような装備を整えていらっしゃるの?」
「何を言うんだリリア! 王都は危険に満ちている! お前のような、歩く国宝、ハルトマン家の至宝が一人で歩くなど、砂漠にダイヤを放り投げるようなものだ!」
シオン兄様が、鼻息荒く一歩踏み出しました。その拍子に、彼の周囲の空気が「熱気」で物理的に歪みます。
「リリア。僕が調べたところによると、今日、君が行こうとしている商店街の犯罪発生率は、昨日より〇・〇二パーセント上昇している。……念のため、僕が裏で警備兵をすべてハルトマン家の私兵に入れ替えておいたよ。安心していい」
カイル兄様が、眼鏡をキラリと光らせて淡々と告げました。
……安心? いえ、それは「占領」と呼ぶのが正しいのではありませんかしら。
「リリア様ぁーーー!! お供させていただきますわ!!」
さらに影から飛び出してきたのは、私のために「王都中の高級店リストと不評店ブラックリスト」を自作したアイリスでした。彼女の背後には、昨夜「改宗」を遂げたばかりのセレスティア様とベアトリス様も、震える足取りで、しかし必死の面持ちで控えております。
「……はぁ。もう好きになさい」
私は諦めて、彼らを引き連れて王都の街並みへと踏み出しました。
しかし、それは「休日のお出かけ」と呼ぶにはあまりに異様な光景でした。
私が一歩、王都の目抜き通りに足を踏み入れた瞬間。
シオン兄様を先頭にした護衛陣が、あたかも王族の巡行、あるいは重装騎兵の進軍のようなプレッシャーを全方位に放ち始めたのです。
シオン兄様が、すれ違う通行人の一人ひとりを「不審者ではないか」と眼光鋭く射抜き、そのたびに一般市民が悲鳴を上げて道を開けていきます。
カイル兄様は常に魔導羅針盤を睨みつけ、私の進路上にある全ての建物に「悪意の残響」がないかを確認し、少しでも不審な影があれば、指先一つで不可視の「圧力の結界」を張り巡らせて排除していきます。
さらに背後では、アイリスが「リリア様の御姿を直視するなど不敬ですわ! 頭を垂れなさい!」と、周囲の野次馬たちに凄まじい「信者の覇気」を撒き散らしておりました。
(…………。これは、もはや包囲網ですわね。私が買い物をしているのではなく、王都が私という『嵐の目』によって蹂躙されているようにしか見えませんわ)
かつての私、剣聖アルスが戦場を歩いた際も、これほどの圧迫感はございませんでした。
周囲の店舗の店主たちが、私たちが近づくたびに「ひっ……!」と悲鳴を上げてシャッターを閉めようとし、それをシオン兄様が「不審な動きだ! リリア、俺の背後に隠れろ!」と剣の柄を握って威嚇する。……地獄絵図ですわ。
「兄様。……あのお店ですわ。テオに相応しい、最高級の羊毛を扱っているのは」
私が指差した、王都でも老舗中の老舗である毛糸店。
私たちが店内に入った瞬間、格式高いはずの店主が、腰を抜かしてカウンターの向こうに沈んでいきました。
「い、いらっしゃい……ませぇっ……! ひ、ハルトマン家の皆様……! いったい、どのようなご用件でしょうか……っ!?」
「テオドール・ハルトマンに贈るための、最高級の糸を出しなさい。……一分以内に。もし、質の悪いものを差し出せば、この店ごと『清掃』させていただきますわよ?」
私は、淑女としての完璧な微笑みを浮かべながら、少しだけ、本当に少しだけ「元剣聖としての威圧」を言葉に混ぜました。
――ピキッ、パキィン……。
店内の棚に並んでいたガラスの装飾品が、私の放ったプレッシャーに耐えきれず微かな悲鳴を上げました。
店主はもはや言葉を発することもできず、ガタガタと震えながら店の奥から「これ以上はございません」という、神話の獣の産毛でも使ったかのような、神々しいまでに真っ白な糸の束を差し出してきました。
「……ふむ。合格ですわ」
私がその糸に触れ、テオの柔らかな頬に触れた際の感触をシミュレートして満足げに頷くと、店内の空気は一気に弛緩……はせず、兄様たちの「防犯センサー」が最高出力で稼働し続けました。
「リリア。その糸、僕が分子レベルで不純物がないかスキャンして、ついでに『迷子防止の追跡魔法』と『致死量の毒物への耐性付与』を上書きしておいたよ。これでテオドールが噛みちぎっても安心だ」
「カイル。甘いぞ。俺は今、この糸の生産地にいたるまで、騎士団の調査班を派遣して『テオ様に相応しくない環境で育てられていないか』を確認させている。もし不備があれば、その羊の群れごと俺が教育し直してやる!」
……兄様たち。
それはもはや、テオへの愛ではなく、世界に対する宣戦布告に近いものではありませんかしら。
買い物を終え、再び街へ出た際。
一人の不運なスリが、あまりの人の多さに混乱したのか、あるいは私のドレスの豪華さに目が眩んだのか、私の鞄へ手を伸ばそうとしました。
――ッ!!
私が動くよりも早く、周囲の空間が物理的に「停止」しました。
シオン兄様の放った「熱波」が男の衣服を焦がし、カイル兄様の「重力結界」が男を地面に叩きつけ、アイリスの放った「神聖なる毒舌(という名の精神圧力)」が男の自尊心を木っ端微塵に粉砕しました。
わずか一秒。
私の前には、もはや人としての形を保っているのか怪しいほどに「お掃除」された、哀れな男が転がっているだけでした。
「……あら。騒がしいですわね。せっかくテオのマフラーの編み図を考えていたのに、集中が途切れてしまいましたわ」
私が冷徹な視線を一瞥だけ向けると、周囲で見守っていた群衆たちは、本能的な恐怖で一斉に跪きました。
その光景は、もはや「休日」などではなく、ハルトマン家による「王都の支配権の再確認」に他なりませんでした。
「リリア様。……お疲れ様でございました。さあ、学園へ戻りましょう。……テオドール様の糸、私が魂を込めて運びますわ!」
アイリスが恭しく糸の入った箱を抱え、私たちは再び、割れた道を王者のように歩いて帰路に就きました。
学園への帰り道。
夕焼けに染まる王都の街並みを見渡しながら、私は心の中でテオへの想いを馳せました。
(テオ。……お姉様は、今日、あなたのための最高の素材を手に入れましたよ。……兄様たちは相変わらず暑苦しくて、王都の治安を数カ月分くらい悪化(浄化)させてしまいましたが、それもすべて、あなたのための安全を確保するためです。……待っていてくださいね。この冬、世界で一番温かな愛を、あなたの首元に巻いて差し上げますから)
私の紫の瞳には、愛しき弟を想う深い慈愛と、その平穏を乱す者すべてを塵へと還元せんとする、絶対的な「序列」の頂点としての冷徹な輝きが宿っておりました。
ハルトマンの絶対序列。
それは、ただの買い物の時間が、王都全体を「ハルトマン家の包囲網」の中に閉じ込めるという、理不尽なまでの家族愛によって完遂されたのでした。
「……さて。次は、この糸を編み上げる際に、私の『剣聖としての気』を込めて、物理的な防御力を十倍ほどに高める術式を組み込みましょうか」
私は、もはや「マフラー」ではなく「特級の防具」へと変貌しようとしている未来の品に思いを馳せ、淑女らしい(そして極めて苛烈な)微笑みを浮かべながら、夕暮れの学園の門を潜るのと同時に、第二部の一つの節目を、静かに、そして圧倒的に締めくくるのでした。
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次回お楽しみに。




