第六話:決意!この家で生き残れ!?
転生してから半年あまり。
俺ことリリア・ハルトマンは、揺り籠の中から天井を見上げ、深く、重い吐息を漏らしていた。……もちろん、乳児の肺活量では「ぷしゅー」という情けない音にしかならないが、その内実は、かつての戦場をいくつも越えてきた剣聖の苦渋に満ちている。
(……考えが甘かった。この家族、一人一人が強すぎる。……物理的にも、情緒的にもだ)
これまでの人生、俺は孤独だった。
剣聖アルスという名は、畏怖と羨望の代名詞であり、誰も俺の隣を歩こうとはしなかった。俺自身もそれを望まず、ただ己の剣先だけを信じてきたのだ。
だが、今の俺を取り巻く環境はどうだ。
まず、パパことゼフ・ハルトマン。
王国最強の盾という異名は伊達ではなく、その腕力は俺の赤ん坊としての生存本能を常に脅かしている。彼に「高い高い」をされるたび、俺は死の淵から帰還した戦士のような顔をせざるを得ない。しかも、あの親バカフィルターのせいで、俺の引きつった表情は「パパに遊んでもらえて喜んでいる顔」に変換されてしまう。
次に、ママことエリナ。
元宮廷魔術師。彼女の魔力操作は神の領域に近い。俺が隠密に修行しようとしても、彼女の張り巡らせた「防犯用(という名の見守り用)」の魔力感知網にすぐ引っかかる。俺が少しでも魔力を練れば、すぐに「あら、お熱かしら?」と飛んできて、額にひんやりとした、だが逃れられない慈愛の術を叩き込んでくるのだ。
そして、二人の兄貴たち。
猪突猛進のシオンと、知略の塊であるカイル。彼らの愛情という名の猛攻は、前世の俺が対峙してきたどんな軍勢よりも厄介だった。
(……このままでは、俺はただの『可愛い末娘』として一生を終えてしまう。それだけは、絶対に避けねばならん)
俺は心の中で、自分自身に強く言い聞かせた。
俺の目的は、この最強の血筋と環境を最大限に利用し、前世で辿り着けなかった「剣の極地」に至ることだ。そのためには、まずこの「ハルトマン家」という名の巨大な要塞の中で、確固たる地位を築く必要がある。
(利用してやる。パパの強固な盾を、ママの高度な魔道知識を、兄貴たちの忠誠を……。俺が再び剣を持つその日まで、この家は俺の最高の『修練場』であり、最強の『陣地』だ)
そう。俺は決意した。
この家族に懐くのではない。この家族を、俺の再起のための最強の駒として「育て、利用する」のだ。
そう思えば、ゼフの鬱陶しい頬ずりも、エリナの過剰な世話も、全ては俺の力を蓄えるための必要なコストとして許容できる。
(……よし、まずは肉体の掌握だ。いつまでも寝かされているだけでは始まらん。俺は……自分の足で立つ!)
俺は意識を集中させた。
全身を巡る、放出不可能な、内に籠もる魔力。
それを、背筋から腰、そして足の裏へと一本の太い「芯」のように通していく。
通常、生後半年程度の赤ん坊が自力で立ち上がるのは不可能だ。筋肉も骨格も、その自重を支えるようにはできていない。
だが、俺には魔力がある。
纏う魔力。これを骨格の代わりの支柱として、肉体の内側から強度を補強する。
(支えろ。俺の意志を。……剣聖の矜持を!)
プルプルと、小さな体が震える。
俺は揺り籠の柵をギュッと掴んだ。
内側から爆発しそうな魔力を、緻密な制御で全身に定着させる。
一ミリ、また一ミリと、俺の視界が上がっていく。
(……ぐ、ぬぅっ……! 重い、重すぎるぞ、自分の体が!)
前世では意識すらしなかった重力。それが今の俺には、万雷の如き重圧となってのしかかる。
だが、俺は諦めない。
一度目の人生で、俺は誰の助けも借りずに頂点まで登り詰めたのだ。
二度目の人生の第一歩を、誰かに支えられて踏み出すなど、剣聖の名が泣く。
バキリ、と揺り籠の木枠が微かな悲鳴を上げた。
俺の指先に魔力が集中し、赤ん坊の力ではあり得ない握力を発揮している。
そして。
ガタッ、と音がして、俺の足裏がしっかりと床を踏みしめた。
(立った……! 俺は今、己の力だけで……!)
視界が高い。
揺り籠の外に広がる、大きな世界。
俺は満足感に浸り、声にならない快哉を叫ぼうとした。
だが、その瞬間。
「……えっ?」
聞き覚えのある、呆然とした声が部屋の入り口から響いた。
そこに立っていたのは、洗濯物のカゴを抱えたエリナだった。
彼女は目を見開き、カゴを床に落とした。……バサリと、シオンの泥だらけの練習着が散らばる。
「リ、リリア……? あなた、今……立っているの……?」
(……しまっ、た……!?)
修行に没頭するあまり、気配を察知するのが遅れた。
俺は反射的に腰を落とし、座り込もうとしたが、今の俺の肉体は一度「立ってしまう」ほどの過負荷な魔力運用を行っている最中だ。急に力を抜けば、反動で骨が砕けかねない。
俺は、立ったまま固まった。
仁王立ち。赤ん坊にあるまじき、堂々たる構え。
「ゼ、ゼフーーーッ! 来て! 大変よ! リリアが……リリアが立っているわ!!」
エリナの悲鳴に近い叫び声が屋敷中に響き渡る。
数秒後、地響きを立てて階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「なんだって!? リリアが!? まさか、まだ半年だぞ……うわああああああああっ!!」
飛び込んできたゼフ。彼は、俺の姿を見るなり、その場に膝をついた。
シオンとカイルも、その背後から顔を出す。
「リリアが……立ってる……。かっこいい……!」
「……信じられない。平均的な発達段階を完全に無視している。……いや、それ以上にあの立ち姿。重心の置き方が、まるで完成された武人のそれだ……」
家族全員の視線が、俺に集中する。
ゼフは、目から滝のような涙を流しながら、俺に歩み寄った。
「リリア……! お前はなんて誇り高い娘なんだ! パパに甘えず、自らの足で立とうとするなんて! ああ、神よ! ハルトマン家に、伝説の聖女が舞い降りた!」
(……いや、違う。聖女じゃない。剣聖だと言っているだろうが)
ゼフは俺を抱き上げようとしたが、今の俺は「魔力による肉体強化」の真っ最中だ。
彼が俺の脇に手を入れた瞬間、その「硬さ」に、一瞬だけゼフの目が騎士のそれに変わった。
「……っ!?(この硬度……筋肉ではない。内側から充填された、圧倒的な密度の魔力……?)」
流石は宿敵。
親バカの皮が一枚剥がれれば、彼は超一流の戦士だ。俺が何を行ったか、その断片を、彼は確実に感じ取った。
だが、次の瞬間には、彼の顔は再びデレデレの父親に戻っていた。
「ははは! リリア、パパを驚かせるのがそんなに楽しいのかい? よしよし、今日は立てた記念日だ! お祝いにご馳走を食べようね!」
(……フン。気づかれたか。……まあいい。どうせ、貴様の脳内では『天才的な娘の快挙』として処理されるのだろうからな)
俺はゼフの腕の中で、密かに溜息をついた。
正体は明かさない。だが、隠し通すつもりもない。
俺はこの家族の中で、誰よりも早く、誰よりも強く成長してみせる。
(……決めたぞ。俺はこの家で、最強の『聖女』を演じ切ってやる。そして、貴様ら全員を、俺が理想とする『最強の家族』に仕立て上げてやる)
利用してやる、と心では思いつつ。
俺を囲んで大騒ぎする四人の熱量を浴びながら、俺は少しだけ、本当に少しだけ、この騒がしい居場所が悪くないと感じていた。
(……おい、ゼフ。次は歩いてやる。……腰を抜かして驚く準備をしておけ)
俺は父の髭面に、ニヤリと(本人には微笑みにしか見えない角度で)笑いかけてやった。
元剣聖の、二度目の人生の本格的な攻略が、ここから始まる。
ハルトマン家の平穏な日々は、俺という怪物の「決意」によって、さらなる混乱と熱狂へと突き進んでいくのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




