第二十八話:降臨!精神世界でも私はお姉様!?
深夜の静寂が戻った寄宿舎の一室。
先程まで部屋を揺らしていたテオの「イヤイヤ期」という名の物理的振動は収まりましたが、私の胸の奥に渦巻く熱情――愛しき弟を想うがゆえの焦燥感は、一向に静まる気配を見せませんでした。
「……ふぅ。銀の腕輪を通じた遠隔鎮圧だけでは、あの子の孤独を真に癒やすことはできませんわね。淑女たるもの、大切な家族の心のケアを怠るなどあってはならないことですわ」
私は、床に積み重なって気を失っているセレスティア様とベアトリス様の頭上を優雅に跨ぎ、再びベッドへと腰を下ろしました。
これから行うのは、魔道体系においてさえ禁忌に近い高位術式。離れた場所にいる対象の精神世界へ、己の魂を直接「投射」する深層同調。母エリナからは「下手をすれば魂の形が歪むわよ」と釘を刺されておりましたが、今の私にとって、テオの安眠を守ること以上に優先されるべき事象などこの世には存在しません。
私はゆっくりと瞼を閉じ、呼吸を整えました。
かつての私、剣聖アルスが瞑想の果てに辿り着いた、あらゆる雑念を削ぎ落とした「無」の境地。そこから、腕輪の残響を道標にして、一本の細い「糸」をテオの意識へと伸ばしていきます。
(……見つけましたわ。私の可愛い、小さな嵐の目)
――ッ!!
意識が急速に反転し、私は「世界」の境界を越えました。
そこは、テオの深層心理が作り出した精神世界でした。
見渡す限り広がるのは、黄金色に輝く荒野。ですが、その上空には真っ黒な積乱雲が渦巻き、理不尽なまでの破壊を伴う魔力の雷鳴が絶え間なく降り注いでいます。あの子の「寂しい」という感情が、そのまま世界の天災となって具現化しているのでしょう。
『――う、うわぁぁぁーーん! ねえね! ねえねが、どこにもいないのぉー!』
荒野の中心で、黄金のオーラを纏った巨大な「影」が泣き叫んでいました。それはテオの潜在能力が具現化した、いわばあの子の魂の守護獣。ですが、今は制御を失い、周囲の空間を物理的に歪め、破壊し続けています。
「やれやれ。……精神世界でさえ、これほどまでに苛烈な『力』を振り撒くとは。流石は私の自慢の弟ですわね。……ですが、テオ。お姉様の前で、そのようにお行儀の悪い真似をするものではありませんわよ」
私は、雷鳴が轟く荒原の上を、まるで舞踏会のフロアを歩くかのように優雅に進みました。
私の足が地面に触れるたび、荒れ狂っていた黄金の嵐が「畏怖」によって道を開けていきます。私の魂は、元剣聖としての純粋な闘気と、溢れんばかりの姉の慈愛によって再構築されており、この精神世界においては実体よりも遥かに巨大な「重圧」を放っていました。
泣き叫ぶ影が、私に気づいて振り返りました。
それは巨大な赤子の形をした、光り輝く熱量の塊。
『……だれ? ねえねを隠した、わるい人……? どいて! ねえねに会わせてぇぇーーー!』
影が、その巨大な拳を振り上げました。
一撃。ただの動作一つで、精神世界の地平線が割れ、虚無の裂け目から噴き出した魔力が私を呑み込もうと襲いかかります。
「……ふふ。お姉様に向かって、悪戯が過ぎますわね」
私は、一切の武器を持たず、ただ右手をそっと差し出しました。
――ズ、ゥン……。
衝突音すら発生しません。
私の放った「意志の壁」が、テオの放った魂の奔流を、文字通り正面から「圧し潰した」のです。
精神世界における戦いとは、すなわち意志の強固さの競い合い。数多の死闘を潜り抜け、理そのものを斬り裂く境地に達した私の魂にとって、幼子の感情の爆発など、凪いだ海に投じられた小石に過ぎません。
「いいですか、テオ。……『寂しい』という言葉を、破壊で表現してはいけません。……それは、お姉様に対する甘えが、少々歪んでいる証拠ですわよ?」
私は一気に距離を詰めました。
巨大な光の影を見上げ、その中心にある、あの子の「核」へと手を伸ばします。
私の指先が光に触れた瞬間。
荒れ狂っていた天災が、一瞬にして春の陽だまりのような温かさへと変質しました。
『……あ。この、こわいのに、あったかい感じ……。ねえね……?』
「ええ。お姉様ですよ、テオ。……よく頑張りましたね。寂しかったのでしょう?」
私は、巨大な光の影を、その魂ごと抱きしめました。
元剣聖としての苛烈な「威圧」を、すべて「慈しみ」の波長へと変換し、あの子の荒ぶる感情を優しく包み込んでいきます。
精神世界の空から黒雲が消え、穏やかな月の光が降り注ぎ始めました。
荒野には色とりどりの花が咲き誇り、先程までの地獄が嘘のような、安らかな庭園へと書き換えられていきます。
『ねえね……。ねえね、だいすき。……ずっと、いっしょ……』
「ええ。今はこうして、あなたの隣にいますわ。……さあ、安心しておやすみなさい。あなたが目覚めるまで、お姉様がこうして添い寝をして差し上げますからね」
私は精神世界の中に、柔らかなベッドを構築し、テオの小さな魂を抱いて横たわりました。
離れていても、魂は繋がっている。
テオの心臓の鼓動が、私の魂を通じて直接響き、心地よい安らぎを与えてくれます。
現実世界では、おそらくお父様たちが「テオ君が急に大人しくなった……!? 聖女のような安らかな顔で寝ているぞ!」と驚愕していることでしょう。
……ふぅ。
学園での「お掃除」も大切ですが、やはり私にとっての「真理」は、この腕の中の温もりにしかございませんわ。
「……おやすみなさい、テオ。良い夢を。……あなたの夢を汚す悪い魔物は、お姉様がすべてこの場で粉々に粉砕しておきますからね」
私は眠るテオの額にそっと唇を寄せ、精神世界の番人として、その静寂を守り続けるのでした。
数時間後。
朝日が寄宿舎の窓を叩く頃、私はゆっくりと目を開けました。
肉体は深い瞑想による疲労を感じておりましたが、魂はテオの純粋な魔力に触れたことで、これ以上ないほどに研ぎ澄まされておりました。
「……あら。おはようございます、セレスティア様にベアトリス様」
足元でようやく意識を取り戻し、「昨夜、私は恐ろしい夢を見ましたわ……。リリア様が神々しい光を放ちながら、巨大な何かと戦っていたような……」と震えながら呟く二人に、私は完璧な淑女の微笑みを向けました。
「それはきっと、良い夢の前触れですわよ? 私も、とても素敵な朝を迎えることができましたから」
私の紫の瞳には、かつてないほど穏やかで、そして逆らう者すべてを慈悲深く(徹底的に)排除せんとする、恐るべき愛の光が宿っておりました。
ハルトマンの絶対序列。
それは精神世界という「魂の聖域」においてさえ、私が絶対的な支配者であり、慈愛の守護者であることを決定づけたのでした。
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次回お楽しみに。




