第二十六話:狂奔!女子寮の夜はテオ談義!?
王立アカデミーの寄宿舎『薔薇の宮』に、静謐な夜が訪れました。
窓の外では銀色の月が微笑み、学園を包む騒がしい喧騒も、今は深い眠りの中に沈んでおります。
本来であれば、淑女たちが一日の出来事を振り返り、心地よい夢路に就くべき時間。……ですが、私たちの302号室だけは、異質な「熱量」に支配されておりました。
「……ふぅ。テオ。今日も一日、お姉様は貴方のことを想わない瞬間などございませんでしたわ」
私は、カイル兄様が設置してくださった『テオの等身大魔法肖像画』の前に、椅子を引いて座っておりました。肖像画の中のテオは、時折「あうー」と愛らしい声を漏らしながら、ぷにぷにとした頬を動かしております。
かつての私、剣聖アルスが、戦場の静寂の中で研ぎ澄ませていたのは「殺意」でした。しかし今の私が、この深夜の静寂の中で研ぎ澄ませているのは、ただ一点――「テオの愛らしさという名の真理」です。
背後では、ルームメイトのセレスティア様とベアトリス様が、毛布にくるまりながらガタガタと震えておりました。私の背中から漏れ出す、無意識の「慈愛(という名の濃厚な魔力圧)」が、彼女たちの安眠を物理的に妨げていることには気づいておりましたが、止める術を知りません。
「あ、あの……リリア様?」
セレスティア様が、消え入りそうな声で私を呼びました。
「あら、セレスティア様。まだ起きていらしたの? 睡眠不足は淑女の敵ですわよ。……何か、お困りかしら?」
「い、いえっ! 困ってなどおりませんわ! ただ……その、リリア様がずっとその肖像画を見つめて、時折『吸いたい……』と呟いていらっしゃるのが気になりまして……。……その、弟君のテオドール様とは、どのようなお子様なのですか?」
……その問いは、禁忌に触れる一言でした。
私はゆっくりと、椅子を回して彼女たちに向き直りました。私の紫の瞳には、かつての宿敵を追い詰めた時よりもずっと深い、狂気的なまでの「輝き」が宿っていたはずです。
「……よくぞ聞いてくださいましたわ、セレスティア様」
私の声が一段低くなり、部屋の中の大気が「重く」変質しました。
「テオ……。あの子は、この世界に舞い降りた唯一の奇跡。いえ、概念そのものです。まず、その御髪を見てください。陽光をそのまま紡いだような金糸の輝き。指を通せば、天界の雲に触れたかのような錯覚を覚えるほどに柔らかく……。そして、あの瞳! 私の紫とは対照的な、すべてを浄化するような碧眼! あの瞳で見つめられた瞬間、私は前世で犯したすべての罪を許されたような気さえいたしましたわ」
「ひっ……! ぜ、前世……!?」
「あの子の魅力は外見だけに留まりません。その『力』もまた、王国の至宝。……一歳にして『音速ハイハイ』を習得し、私の放つ微かな威圧を『心地よい微風』として受け止めるその器の大きさ! お父様の剛腕と、お母様の魔力、そして私の『武』をすべて呑み込み、再構築する天才性! ……見てください、この肖像画。この右頬の曲線美、これは黄金比さえも超越した、神の筆致によるデザインですわよ!」
私は立ち上がり、壁一面に広がる肖像画を愛おしそうに指差しました。
私の熱弁に合わせて、部屋の中には「ミルクの香り」を伴った濃厚な魔力の奔流が渦巻き始めました。セレスティア様とベアトリス様は、あまりのプレッシャーにベッドの上で折り重なるようにして、呼吸を乱しております。
「……リリア様、もう、お腹いっぱいですわ……っ! お願いです、休ませてください……っ!」
ベアトリス様が涙ながらに訴えましたが、一度解き放たれた私の「姉バカ」という名の言霊は、止まることを知りません。
「休む? とんでもありませんわ。まだあの子の『クシャミの際のエコーの素晴らしさ』と、『離乳食をこぼした際に見せる、世界を滅ぼしかねないほど可愛い困り顔』についての講義が終わっていません。……さあ、座りなさい。ここからは、テオが初めて私の指を握った際の、あの肉球のような掌の感触について、一時間ほど詳しくお話ししますわ」
私が指先をパチンと鳴らすと、二人の周囲の重力がわずかに増し、彼女たちはベッドから立ち上がることさえできず、ただ私の言葉という名の「衝撃波」を正面から受け続けるしかなくなりました。
夜は更けていきます。
私がテオの将来の教育方針(という名の、全世界を彼に捧げるための軍事計画)について語り始めた頃には、時計の針は午前三時を回っておりました。
「……そしてね、ベアトリス様。あの子が歩き始めた時の、あの第一歩。あれは人類にとっての大きな飛躍……いえ、ハルトマン家における新時代の幕開けでしたわ。あの一歩で床板が三枚砕けましたが、私はその亀裂さえも家宝として保存するよう、カイル兄様に命じたほどですの」
「は、はは……。床が砕ける、一歩……。素敵、ですわね……(白目)」
「……あ、ああ……。テオドール様、万歳……。リリア様、万歳……(虚脱)」
二人の瞳からは既にハイライトが消え、もはや彼女たちの精神は、私の語る「テオ神話」の波に呑み込まれ、ある種の「悟り」の境地に達しておりました。
やがて、窓の外が白み始めました。
私は、テオの『寝返りにおける重力操作の妙』についての解説を終えると、窓を開けて朝の冷たい空気を吸い込みました。
「……あら。もう朝ですわね。皆様、楽しい時間は過ぎるのが早いですわね」
私は、清々しい笑顔で振り返りました。
そこには、一晩中私の重圧を浴び続け、顔色を土気色に変えたまま、幽霊のような姿で座り込む二人の令嬢がおりました。
「……リリア様。私……、私、テオドール様の素晴らしさが、骨の髄まで理解できましたわ……。あの方は、もはや人間ではなく、宇宙の法則そのものなのですね……」
セレスティア様が、もはや狂信者の一歩手前のような表情で呟きました。
「私も……ですわ。あの方の前に平伏し、その足元の砂利になりたい……。……リリア様、素晴らしい教えを、ありがとうございました……っ!」
ベアトリス様もまた、恍惚とした表情で涙を流しております。
……ふむ。どうやら、私の想いは正しく彼女たちに伝わったようですわね。
かつての宿敵相手であっても、これほどまでに完璧な「教化」を行ったことはございませんわ。
「あら、ご理解いただけて光栄ですわ。……さあ、朝食に行きましょうか。今日は食堂で、皆様にもテオの素晴らしさを布教……いえ、お話しして差し上げなくては」
「「……喜んで!!」」
一晩で完全に「テオ教」へと改宗させられた二人のルームメイトを連れ、私は意気揚々と部屋を出ました。
廊下ですれ違う生徒たちが、ゾンビのような足取りのセレスティア様たちと、その後ろで神々しいばかりの覇気を放つ私を見て、一斉に逆方向へ逃げ出していきましたが――私は気にしません。
ハルトマンの絶対序列。
それは、武力や権力だけでなく、私の「弟への重すぎる愛」という名の精神汚染によっても、確実に学園を侵食し始めていたのでした。
(テオ。……見ていましたか? あなたのファンが、また二人増えましたよ。……さあ、今日も一日、あなたのために学園を磨き上げておきますからね)
私は、寝不足による微かな高揚感を、すべて「慈愛の波動」へと変換し、登校する生徒たちに物理的な重圧を振り撒きながら、優雅に学園の廊下を闊歩するのでした。




