第二十五話:納得!王国最強は伊達ではない!?
粉々に砕け散った第一訓練場。
天井のステンドグラスは一枚残らず消失し、そこからは皮肉なほどに清々しい午後の陽光が、土煙の舞う床を照らしておりました。
私は、手にした木剣――もはや私の魔力と衝撃に耐えきれず、目に見えない無数の亀裂が入ったそれを、静かに武器ラックへと戻しました。指先に残る、あの重厚で、かつ一切の揺るぎがない「鉄壁」の感触。それは、私の研ぎ澄まされた刃を、ただ「硬さ」だけで弾き返した、この世界で唯一の異能の証明でした。
「……ふぅ。少々、汗をかいてしまいましたわね」
私は懐から、テオの産着と同じ最高級の綿で仕立てられたハンカチを取り出し、額をそっと押さえました。
周囲を見渡せば、そこにあるのは阿鼻叫喚の図――ではなく、音さえ失われた「絶望的な沈黙」でした。生徒たちは壁際に積み重なるようにして倒れ、教官たちは震える膝を隠すこともできず、ただ中央で向かい合っていた「怪物親子」を、言葉を失って見つめていました。
無理もありませんわ。
今の交錯は、現代の魔導理論や剣術体系では説明のつかない、いわば「神話の再現」に近いものでしたから。
「リリア……。ああ、リリア、俺のリリアたん……っ! 今の最後の一閃、あの軌道、あの踏み込み……! ああ、俺の魂は今、お前の愛によって一度粉砕され、再構築されたぞ……っ!」
お父様は、私の足元に膝をつき、鼻水を垂らしたまま、震える手で私の靴を拝むようにして仰ぎ見ておりました。
先程までの、空間を物理的に圧迫していたあの「王国の盾」としての覇気はどこへ行ったのか。そこにいるのは、ただの「重度の親バカ」へと成り下がった、巨体の男でした。
しかし。
私はその醜態を見下ろしながら、内なる剣聖としての笑みを、わずかに深くいたしました。
(……認めざるを得ませんわね。ゼフ・ハルトマン。貴方はやはり、本物ですわ)
今の私が放った一撃は、たとえ練習用の木剣であっても、並の騎士ならば鎧ごと存在を抹消するに足るものでした。それを、あの男は「ただ剣を置く」という動作一つで、相殺してみせた。
彼が纏っていたのは、単なる防御の魔力ではありません。それは、彼自身の「家族を守る」という狂気的なまでの意志が、周囲の物理法則を書き換え、絶対的な不落の領域を構築していたのです。
かつての宿敵としての私が、死力を尽くしても抜けなかったあの守り。
それが今、私を慈しむための「過保護な障壁」として存在している。
……なんとも、皮肉で、そして少しばかり誇らしいお話ですわ。
「お父様。……立ち上がってください。皆様が、王国最強の騎士団長が発狂したのではないかと、本気で心配しておりますわよ」
「発狂などしていない! これは歓喜だ! リリア、お前はやはり俺の娘だ……。俺がかつて戦場で見た、あの伝説の剣聖の気配さえ霞むほどの、至高の輝きをお前は持っている……!」
お父様の言葉に、私は一瞬、心臓が跳ねるのを感じました。
流石は、私と幾度も死線を潜り抜けた男。その本能は、私の中に眠る「かつての影」を、無意識のうちに嗅ぎ取っているのでしょう。
「何を仰るのですか、お父様。私はただの、か弱い令嬢ですわ。……さあ、授業を続けてください。皆様、貴方の指導を(恐怖で)心待ちにしていらっしゃいますわよ」
「おおっ、そうだったな! よし、諸君! 今のリリアの一撃を見たか! ……いや、お前たち凡夫の目には捉えられなかっただろうな! だが、それでいい! お前たちはただ、リリアという神性がこの世に存在することに感謝し、その背中を守るための『盾の欠片』にでもなればいいのだ!」
お父様は再び立ち上がり、訓練場全体を揺らすほどの声で吠えました。
その瞬間、彼から放たれた「熱」が、冷え切っていた生徒たちの心(と恐怖)を無理やり再起動させました。
「いいか! 守るべきものがある男は強い! 俺にはエリナがいて、シオンがいて、カイルがいて……そして何より、天使のリリアたんがいる! この愛がある限り、俺の守りは神にさえ穿てん!! ……さて、まずは貴様だ! 構えろ、リリアたんの爪の垢でも煎じて飲ませてやる!!」
「ひ、ひいいいいいっ!!」
指名された哀れな騎士科の生徒が、お父様の「愛の説教(物理)」によって訓練場の端まで吹き飛ばされるのを見届け、私は優雅に訓練場を後にしました。
「リリア様! お疲れ様でございましたわ! ああ、あのお父様との交錯……。私、あまりの尊さに、鼻血で失血死するかと思いましたわ!」
影から現れたアイリスが、真っ白な手袋で私のマントの埃を払いました。彼女の瞳は、もはや信仰という言葉では足りないほどの「狂熱」を帯びております。
「ええ、アイリス。……お父様も、たまには役に立ちますわね。私の体が、少しばかり『鈍り』を解消できたようですわ」
「流石はリリア様! 王国最強を相手にして『準備運動』と仰るとは! ああ、その高慢でいて慈悲深いお姿、今すぐ全世界に配信したいほどですわ!」
私は、アイリスの騒がしい追従を受け流しながら、中庭を歩きました。
一歩踏み出すごとに、私の周囲の大気が、穏やかに、しかし確実に「再構成」されていきます。
お父様のあの圧倒的な守り。
それがあるからこそ、私はこうして安心して学園生活(という名のお掃除)に専念できる。
あの男が「王国最強」であることは、ハルトマン家の長女として、非常に好ましい事実であると認めざるを得ませんわ。
私は自室に戻り、すぐさま机に向かいました。
手元には、既に九通目となるテオへの便箋。
(テオ。元気ですか。今日はお父様と少しだけ、本気のお遊びをいたしました。……あの人は、相変わらず暑苦しくて、鼻水を垂らしている困ったパパですが、その腕っ節だけは、お姉様が少しだけ認めてあげてもいいと思う程度には、しっかりしていましたよ。……でも、心配しないで。あの方がいくら『盾』を構えようとも、お姉様はあなたの心へ、いつでも真っ直ぐに愛を届けて差し上げますからね)
私がペンを走らせると、インクに混じった魔力が、テオへの慈愛を乗せて優しく発光しました。
窓の外では、夕刻の鐘が鳴り響いています。
王国最強の父。
氷炎の魔女の母。
そして、過保護が過ぎる兄たち。
そんな家族に守られ、あるいは彼らを支配する「序列」の頂点に立つ私。
学園という狭い鳥籠の中で、私は改めて確信しました。
ハルトマンの絶対序列。
それは、世界最強の武人が、私の微笑み一つで膝を折るという、揺るぎない「事実」の上に成り立っているのだと。
(……ふふ。お父様。貴方のあの硬い守り、いつかテオが成長した時、良いサンドバッグになってくれそうですわね)
私は、未来のテオが父を圧倒する光景を想像し、淑女らしい(しかし極めて不穏な)微笑みを浮かべながら、手紙に最後の一筆を加えるのでした。
学園生活は、まだ始まったばかり。
ですが、私の「道普請」は、これ以上ないほど順調に、そして苛烈に進んでいくのでした。




