第二十四話:交錯!父の剣戟にかつての影を見る!?
訓練場内を支配していたのは、もはや「教育」と呼ぶにはあまりに不条理な、甘ったるくも禍々しい沈黙でした。
お父様は、私の足元で未だに悦びに浸っておりましたが、ふと何かを思い出したように顔を上げました。その瞳の奥には、先程までのデレデレとした輝きとは異なる、鋭い「武」の燐光が宿っておりました。
「……だが、リリア。お前がハルトマンの血を引く者として、そして……俺の愛娘として、その身に秘めた才を同級生たちに見せつけるのも、父親としての務めかもしれんな」
お父様はゆっくりと立ち上がりました。その拍子に、白銀の甲冑が重厚な音を立てて鳴り、彼の周囲の大気が物理的な「質量」を持って渦巻き始めました。
「どうだ。……一本だけ、このパパと打ち合ってみないか? もちろん、お前のその繊細な指先に傷一つつけさせはしない。俺のすべてを賭けて、お前の『純粋な力』を受け止めてやろう」
周囲の生徒たちが「無謀だ……」「死ぬぞ……」と絶望的な溜息を漏らす中、私は手にしていた扇を静かに閉じました。
(……ふむ。いいでしょう。お父様。貴方が今の平和な生活で、どれほどその牙を錆びつかせたのか……この機会に、私が直々に確かめて差し上げますわ)
私は、壁際に置かれていた何の変哲もない練習用の木剣を一本、手に取りました。
私がその柄を握った瞬間、訓練場内の空気が「凍結」しました。魔力ではありません。それは、数多の戦場を血で染め、最強の座を不動のものとした「剣聖」としての魂が、木剣という媒体を通じて世界に浸透した結果です。
「……リリア。お前、その構え……」
お父様の表情から、完全に「父親」の色が消え失せました。
彼は、自らの腰に差した大剣――王国の守護を象徴する、厚い鉄板のような刃をゆっくりと抜きました。構えは最小限。ただ、そこに存在するだけで一切の侵入を許さない、絶対的な「壁」の化身。
私は、無造作に一歩、踏み出しました。
――ッ!!
瞬間、私の視界から景色が消えました。
元剣聖アルスの極致。知覚を加速させ、因果をねじ伏せる「神速」。
私は一瞬にしてお父様の懐へと潜り込み、木剣をその首筋へと振り抜きました。
――キィィィィィィン!!
鼓膜を劈くような、硬質な金属音が響き渡りました。
木剣が叩きつけられたのは、お父様の首ではなく、寸分の狂いもなくそこに差し込まれた大剣の腹でした。
(……ほう。この速度に、反応いたしますか)
私は心の中で口角を上げました。
続いて、私は物理法則を無視した連続攻撃を繰り出しました。
右上段から、そのまま重力を無視した左下段への切り返し。さらに、その勢いをすべて旋回エネルギーへと変換し、背後からの刺突。
私の動きに合わせて、周囲の大気は真空の刃となって舞い、訓練場の壁や天井に幾重もの斬痕を刻んでいきます。
しかし。
お父様は、一歩も、一ミリも、その場所から動きませんでした。
ガガガガガガッ!!
私の放つ猛烈な打撃を、彼は最小限の剣捌きですべて正面から弾き、流し、無効化していました。
その姿は、かつて「黄昏の平原」で私と対峙した時のあの男そのもの。
どれほど鋭い刃を突き立てようとも、その鋼の意志によって世界そのものを「硬質化」させ、あらゆる理不尽を撥ね退ける、王国最強の盾。
(……ああ。これですわ。これこそが、私が認めた唯一のライバル。ゼフ・ハルトマン)
一瞬、私の脳裏に前世の記憶がフラッシュバックしました。
砕け散る剣。飛び散る火花。そして、互いの魂を削り合うような、あの至福の死闘。
お父様の剣から伝わってくるのは、重厚で、かつ一切の迷いがない「守護」の重圧。
私は、最後の一撃を放つべく、全身の魔力を木剣の先端へと収束させました。
(お掃除の時間は、終わりですわ――お父様!)
ドォォォォォン!!
木剣と大剣が交錯した瞬間、訓練場全体を揺らすほどの衝撃波が爆発しました。
爆風によって周囲の生徒たちがドミノ倒しのように転倒し、訓練場の窓ガラスがすべて一斉に粉砕されました。
静寂。
土煙が晴れた中心で、私は木剣をピタリとお父様の喉元数センチの位置で止めていました。
そして、お父様の大剣もまた、私の額の前で静止していました。
「……リリア。お前……。今の一撃、もし木剣でなければ……」
お父様の声は、微かに震えていました。
彼の頬には、私の放った風圧によって、一本の細い切り傷が刻まれていました。
「……あら。少々、本気になりすぎてしまいましたかしら? ごめんなさい、お父様」
私は、憑き物が落ちたような清々しい気分で木剣を下ろし、完璧な淑女のカーテシーを披露しました。
お父様は、呆然と私を見つめていましたが……。
数秒後、その瞳に再び「父親」としての、そして「変態」としての熱い涙が溢れ出しました。
「リ、リリア……っ! 今の……今の剣筋、まさしく死神……! いや、俺の魂を直接刈り取りに来る、究極の愛の形……っ! ああ、なんという美しさだ! 今の衝撃で俺の肋骨が二、三本イッた気がするが、そんな痛みすら愛おしい……っ!!」
「お父様。……とりあえず、剣を仕舞ってください。生徒たちが恐怖で石化しておりますわ」
私は溜息をつきながら、再び扇を広げました。
周囲を見渡せば、訓練場内の生徒たちは、もはや「人間同士の戦い」を見ていたとは思っていない様子で、魂が抜けたように口を開けて固まっていました。
一瞬だけ、交錯したかつての影。
お父様が「王国最強」であることを、そして私が「剣聖」であることを、言葉ではなく武によって再確認した瞬間。
(テオ。……お父様は、まだ錆びついてはいませんでしたわ。……でも、安心してくださいね。あのような『ただ硬いだけの男』を越えるのは、お姉様だけで十分。あなたには、もっとしなやかで、優雅な最強を目指してほしいのですから)
私は、修復が必要になった訓練場を背に、再び優雅な足取りで立ち去りました。
ハルトマンの絶対序列。
それは、親子による「神話規模の手合わせ」によって、この学園に存在するいかなる武勇伝をも、過去のものへと追いやってしまったのでした。
私は、お父様の熱い視線(と、アイリスの狂信的な叫び)を背中で受け流しながら、テオへの八通目の手紙に、「今日はお父様と少しだけ運動をしました。あの方も、少しくらいは運動不足を解消できたようですわ」と、慈愛に満ちた(辛辣な)一筆を加えることに決めるのでした。




