第二十三話:絶叫!特別講師のパパはデレる!?
昨日のシオン兄様の「熱すぎる」暴走によって、騎士科の演習場は現在、大規模な修繕工事を余儀なくされております。そんな騒がしい学園に追い打ちをかけるように、今朝から一つの不穏な噂が全校を駆け巡っておりました。
「――今日の『対人格闘演習』には、王国騎士団から最高位の騎士が特別講師として派遣されるらしいわ」
「なんでも、現国王陛下が唯一『背中を預けられる』と仰った、あの伝説の武人が来るのだとか……」
廊下ですれ違う生徒たちが、怯えと興奮の混じった声で囁き合っています。
私はそれを聞き流しながら、お母様から贈られた最高級のシルクのハンカチで、そっと唇を拭いました。
(……やれやれ。お父様、結局お見えになるのですね。昨晩、カイル兄様が『親父が我慢の限界を超えたようだ』と溜息をついていたのは、このことでしたか)
私は重い足取りで、修復が終わったばかりの屋内第一訓練場へと向かいました。
そこには、既に騎士科と魔導科の合同クラスが集まっておりましたが、その静寂はいつにも増して異常なものでした。全員が、まるで死刑執行を待つ囚人のように、入口の重厚な扉を注視しています。
そして。
――ドォン。
地鳴りのような足音が一つ。
それだけで、訓練場内の大気が物理的に「重く」沈み込みました。
魔法に敏感な生徒たちが、一斉に胸を押さえてその場に跪きます。
扉がゆっくりと開き、逆光を背負って現れたのは、もはや人間という枠組みを超えた巨大な「壁」そのものでした。
「――本日の指導を担当する。ゼフ・ハルトマンだ」
低く、地平線を揺らすような声。
そこに立っていたのは、全身を白銀の重装甲冑で包んだ、我が父ゼフ・ハルトマンその人でした。
かつての私――剣聖アルスが、その生涯において唯一「正面から斬り伏せることができなかった」と言わしめた、王国最強の『盾』。彼が纏う闘気は、もはや目に見えるほどの密度となって渦を巻き、訓練場の石床をじりじりと削り取っています。
「ひ……っ、あ、あの人が……王国最強の……」
「空気が……吸えない……。これが、本物の戦士の殺気……っ!」
生徒たちは、もはや蛇に睨まれた蛙。
バルタザール教授さえもが、壁際に張り付いて震えております。
お父様は、鋭い眼光で整列した生徒たちを一瞥しました。その瞳は、獲物を値踏みする猛禽のように冷徹で、一分の隙もありません。
(……ふむ。流石はお父様。外向きの顔は、かつての『宿敵』としての威厳を辛うじて保っていますわね。これなら、今日の授業も少しは――)
私がそんな淡い期待を抱いた、その瞬間でした。
お父様の冷徹な視線が、最後列にいた私を捉えました。
瞬間。
――ピキッ、パキンッ!!
訓練場内に張り詰めていた、あの鋭利な「殺気」が、目に見えるほどの音を立てて崩壊しました。
それと入れ替わるように、もはや致死量を超えるほどの「ピンク色の熱気」と「度を越した慈愛の魔力」が、濁流となってお父様から溢れ出したのです。
「………………ッ、リ、リリア……っ! リリアたぁぁぁーーーーーーーん!!」
鼓膜を突き破らんばかりの絶叫。
お父様は、先程までの王国最強の威厳など、ゴミ箱にでも捨ててきたかのような形相で私に突進してきました。
「あああああ! 俺の愛しきリリアたん! 寄宿舎での生活は辛くないか!? 食事は喉を通っているか!? 兄貴たちが変な虫を近づけてはいないか!? ああ、なんて健気なんだ! 学園指定の制服さえも、お前が着れば女神の法衣に見える! おいで、パパの胸に今すぐダイブしてくるがいい!!」
ドォォォォォン!!
お父様が踏み出すたびに、訓練場の床板が文字通り「粉砕」され、爆風が発生しました。
彼はそのまま、私の数メートル手前でスライディング土下座をかましながら止まりました。その勢いだけで、周囲にいた生徒たちが衝撃波で吹き飛ばされ、壁にめり込んでいきます。
「…………。お父様。……とりあえず、その鼻水を拭ってからお話しになっていただけますかしら?」
私は、扇で口元を隠し、氷のような冷徹な視線を向けました。
かつての宿敵が、私の足元で「はぁはぁ」と荒い息をつきながら、感激の涙を流している。……この光景を、当時の戦友たちが見たら、間違いなく王国の滅亡を確信することでしょう。
「リリアたんが俺を罵ってくれた……! あの冷たい眼差し、まるでお母さんのエリナに初めて『この筋肉ダルマ』と言われた時のような至福の衝撃……っ! おお、ハルトマン家の血は、なんて気高く、そしてドSなんだ……っ!」
「お父様。授業中ですわよ」
私が少しだけ、元剣聖としての「重圧」を声に混ぜて放つと、お父様はハッと我に返ったように立ち上がりました。
「……コホン。失礼した。少々、我が愛娘の眩しさに目が眩んだだけだ。……さて、諸君」
お父様は、再び白銀の甲冑を鳴らして生徒たちに向き直りました。
しかし、その背後からは「リリアたんラブ」という文字が浮かび上がらんばかりの、どす黒く甘いオーラが消えていません。
「今日は対人格闘だ。……よし、まずはリリア。お前が手本を見せてくれ。パパが全力で相手をしてやろう。いや、むしろお前の放つ攻撃をすべて、この身体で受け止める喜びを――」
「お断りしますわ。……そんなことをしたら、学園が地図から消えてしまいます」
私は真顔で拒絶しました。
かつての私とこの男が本気でやり合えば、この王都さえもが無傷では済みません。ましてや今の私には、テオに授けた銀のブレスレットを遠隔で制御するという、繊細な魔力操作が必要です。このような暑苦しい場所で、無駄に力を使いたくはありませんわ。
「ならば、他の生徒たちよ! 誰でもいい、この俺に一撃でも入れてみろ! そうすれば、リリアたんのサインを……いや、それは俺が独り占めするからダメだ! よし、リリアたんと握手する権利を――」
「お父様。……消しますわよ?」
私の紫の瞳が、薄暗い訓練場の中で妖しく発光しました。
私が指先を軽く鳴らすと、お父様の足元の空間がピキリと凍りつき、彼の巨大な肉体を一瞬で沈黙させるだけの「圧力」が収束されました。
「……うおっ!? さ、流石は俺の娘……。挨拶がわりに俺の首を獲りに来るとは……。ああ、これだ、これこそがハルトマン流のスキンシップ……っ!」
お父様は悶えながら喜び、もはや授業としての体裁は完全に崩壊しました。
周囲の生徒たちは、王国最強の騎士が、一人の少女に「消しますわよ」と言われて悦んでいるという地獄のような光景を前に、もはや思考を停止させておりました。
結局、その日の授業は、お父様が「リリアの素晴らしさ」について三時間ほど熱弁を振るい、それに感動(恐怖)した生徒たちが涙を流して拝聴するという、宗教の儀式のような形式で幕を閉じました。
「リリア様……。貴女様のお父様、あんなに……あんなに深い『愛』をお持ちだったのですね……」
セレスティア様が、魂を抜かれたような顔で呟きました。
「ええ。……ただ、方向性が少々、理の外側へ逸脱しているだけですわ」
私はため息をつき、訓練場を後にしました。
背後では、お父様が「リリアたぁーん! 明日の弁当はパパが作るからなぁー!」と叫び続けておりましたが、私はそれに応えることなく、ただ愛しきテオへ送る七通目の手紙の構成に没頭することにいたしました。
(テオ。お父様は相変わらずですわ。……でも、安心してくださいね。あのような、暑苦しいだけの大人になってはいけませんよ。あなたには、もっとスマートで、そして私と同じくらい慈悲深い(圧倒的な)人間になってほしいのですから)
ハルトマンの絶対序列。
それは、世界最強の武人が、たった一人の少女の不機嫌によって、ただの「デレデレな父親」へと成り下がるという、究極の力関係を見せつける形で刻まれたのでした。
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次回お楽しみに。




