第十六話:毒見!学食はアイリスの独壇場!?
入学式という名の「宣戦布告」を終え、学園内に心地よい(私にとっては)静寂が定着し始めた頃。
私の胃袋が、淑女らしからぬ微かな抗議の声を上げました。
「……ふぅ。慣れない演説などは、精神を摩耗させますわね。テオの寝顔を思い出して補給しなければ、午後の講義を乗り切る自信がございませんわ」
私は自室で愛しき弟への二通目の手紙を書き終えると、優雅に立ち上がりました。
目指すは、学園の胃袋たる中央食堂。そこは王国中から集まった貴族の子女たちが、家柄や派閥を忘れて食事を楽しむ唯一の社交場……であるはずの場所です。
私が廊下へ出ると、そこに控えていたのは、もはや私の影そのものと化したアイリス・バルガスでした。
「リリア様! お待ちしておりましたわ! さあ、初登校の昼食。このアイリス・バルガス、リリア様の清らかなお体に、塵一つ、不純物一個たりとも通さぬよう、万全の体制を整えておりますわ!」
「……アイリス。ただの食事ですわよ? あまり大仰に構えないでくださる?」
私は苦笑しながら彼女を促しました。
しかし、食堂の重厚な扉が開かれた瞬間、私は自分の考えが甘かったことを痛感させられました。
――静寂。
そこには、数百人の生徒が席についているはずの喧騒など欠片もありませんでした。
私が足を踏み入れた瞬間、カチャカチャというカトラリーの音が止まり、咀嚼の音さえもが消失したのです。全員が、箸……ではなくフォークを止めて、私の姿を恐怖と敬畏の混じった眼差しで見つめていました。
まるで、武装した軍勢の中に、一振りの「死神の鎌」が迷い込んできたかのような、そんな空気。
「あら。皆様、お食事の邪魔をしてしまいましたかしら?」
私が優雅に微笑むと、数名の生徒が「ひっ……!」と短く悲鳴を上げ、慌てて視線を皿に落としました。しかし、その手は震えており、サラダの葉一枚さえ満足に掴めていません。
いけませんわね。これでは食事が美味しくありませんわ。
私が適当な席を選ぼうとした、その時でした。
「どいてください! 道を空けなさい! リリア様の聖なる食事の時間が始まりますわよ!!」
アイリスが、どこから取り出したのか、白銀に輝く巨大なアタッシュケースを抱えて、食堂の中央へと突き進みました。彼女は、最も見晴らしが良く、かつ「安全」が確保された中央の円卓を、凄まじい魔力による威圧で確保します。
そこには、既に兄様たちの「防犯」の余波でしょうか、他の生徒を寄せ付けない見えない壁……物理的な重圧の結界が張られていました。
「さあ、リリア様。こちらへ。……おい、厨房の者たち! リリア様がお選びになるメニューをすべて、今すぐここに持ってきなさい!」
アイリスの号令に、普段は王族にも等しい態度をとるはずの食堂スタッフたちが、顔を真っ青にして整列しました。
彼らが震える手で運んできたのは、最高級の肉料理から、色鮮やかなサラダ、そして贅を尽くしたスープの数々。
しかし、私の食事が始まる前に、アイリスの「儀式」が始まりました。
「まず、第一段階! 視覚および嗅覚による異常検知!」
彼女はアタッシュケースから、虹色に光る魔導レンズを取り出し、皿の上にかざしました。
「このスープ……ほう、見た目は完璧。ですが、香りの奥に微かな不協和音を感じますわ。……成分分析! 現代の毒物は当然として、失われた古代の呪術的毒素、さらにはリリア様の機嫌を損ねるような低質な調味料が含まれていないか、徹底的に洗いますわ!」
シュバババッ! と。
アイリスの指先から放たれた極細の魔力糸が、すべての料理を貫き、瞬時に成分を読み取っていきます。彼女は一人で、国家規模の鑑識官並みの分析を、鼻息荒くこなしていくのです。
「アイリス。……スープが冷めてしまいますわよ?」
「リリア様! 毒は熱いうちの方が検知しやすいのです! ――よし、毒物反応、皆無! 続いて、第二段階。物理的毒見!」
アイリスは、自分の懐から取り出した銀の自前のスプーンで、すべての料理を一口ずつ、真剣な、それこそ処刑台に向かう戦士のような表情で口に運んでいきました。
「……ん、んんっ。この肉の焼き加減……わずかにハルトマン家の好みの焼き色より三秒早い。ですが、許容範囲。スープの塩加減……リリア様の今日の体調を考慮すると、あと一粒、岩塩を足すべきですわね。……よし。……合格です!」
アイリスが満足げに頷くと、周囲で見守っていた生徒たちの間から、ふぅ……と安堵の吐息が漏れました。……なぜ、関係ない貴方たちが安堵するのですか。
「さあ、リリア様! 安全は確認されました! 心ゆくまで、ハルトマン家の誇りを汚さぬ食事をお楽しみくださいませ!」
「……ありがとう。いただきますわ」
私は優雅に椅子に座り、ナイフとフォークを手に取りました。
確かに、味は悪くありません。
しかし、一口運ぶたびに、隣に座っている(はずの)テオの姿がないことに、胸が締め付けられるような感覚を覚えます。
(テオ……。あの子は今頃、お母様が作った栄養満点の離乳食を、お顔中をぐちゃぐちゃにしながら食べているのかしら。あの子が食べ残したものを、私が『おったべ』してあげる楽しみがないなんて、この食事には決定的な何かが欠けていますわ……)
私がテオのことを想い、無意識のうちに切なさを滲ませた、その時でした。
――ガタガタガタッ!!
私の思考に同期するように、食堂全体の空気が物理的に「重く」沈み込みました。
テオに会いたいという切なる欲求が、元剣聖としての強大な精神エネルギーとなって、周囲の大気を押し潰したのです。
近くの席に座っていた生徒たちの皿の上で、スープが不自然に同心円状の波紋を描き、ワイングラスがキィィ……と悲鳴を上げました。
「ひ、ひぃっ……!? リリア様が……リリア様が、お怒りだ……っ!」
「今日のメニューが、お気に召さなかったのか……!? す、すぐに追加の献立を……!」
パニックが静かに、しかし確実に広がっていきます。
厨房の責任者は、あまりの圧力に耐えきれず、その場に膝をついて祈り始めました。
「……あら。失礼。少々、食事に集中しすぎてしまいましたわね」
私は慌てて思考を切り替え、周囲に放っていた「重圧」を収束させました。
ふと見れば、ルームメイトのセレスティア様とベアトリス様が、私の円卓から数メートル離れた席で、震える手でパンを握りしめたまま石化していました。
「セレスティア様にベアトリス様。そちらの席は寒くありませんか? よろしければ、こちらへいらしては?」
「い、いえっ! 滅相もございませんわ! 私たち、この『末端の席』がお似合いですから!」
「そうですわ! リリア様と同じ空気を吸えるだけで、お腹いっぱいですわ! お気になさらず、どうぞお続けくださいませぇっ!」
……なぜでしょう。
私はただ、ルームメイトとして親睦を深めようとしただけなのですが。
どうやら彼女たちの目には、私が「この食事の邪魔をする者は、この場で塵にして差し上げますわ」とでも言っているように映ったようです。
私の周りには、アイリスという名の狂信者と、兄様たちが事前に設置した見えない防犯装置、そして私自身の無自覚なプレッシャーによって作り上げられた、不可侵の「聖域」が完成していました。
周囲の生徒たちが、恐怖で嚥下さえ困難な状況にある中。
私は、アイリスの完璧な毒見と、テオへの重すぎる愛をスパイスにして、学園で最初の昼食を、誰よりも優雅に、そして誰よりも孤独に完食するのでした。
「ごちそうさまでした。……アイリス。午後の講義の前に、テオへ出す荷物の確認をしたいの。準備してくださる?」
「御意にございます、リリア様! テオドール坊ちゃまへの『お姉様の残り香付き特製マフラー』の梱包、既に完了しておりますわ!」
「……それは、やりすぎではなくて?」
私はため息をつきながら、再び畏怖の眼差しで割れた道を進み、食堂を後にしました。
私の背後では、ようやく息を吹き返した生徒たちが、「生き延びた……」と呟きながら崩れ落ちる音が響いていました。
ハルトマンの絶対序列。
それは、食事の時間においてさえ、揺るぎない「恐怖」という名の平穏をもたらしたのでした。
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次回お楽しみに。




