第十四話:再会!宿敵のパパは鼻水を垂らす!?
王立アカデミーの大礼堂は、千人を超える生徒と来賓たちの熱気、そしてそれ以上に重苦しい「静寂」に包まれていました。
私が一歩、壇上へ続く階段に足をかけるたびに、空気の密度が一段階ずつ跳ね上がっていくのがわかります。整列している新入生たちが、まるで巨大な捕食者の足音を聞いた小動物のように、肩を震わせて道を開けていく。
無意識のうちに漏れ出しているのでしょうね。かつての戦場で、数多の英雄を塵に帰してきた私の――剣聖アルスとしての闘気が。
(いけませんわ、リリア。今は戦場ではなく式典の場。テオに「お姉様は怖かった」なんて噂が届いたら、あの子が泣いてしまいますわ……)
私は心の中で深く溜息をつき、淑女としての仮面をさらに強固なものにしました。
壇上に立ち、深紅の髪を揺らしながら全体を見渡します。そこには、私の「道普請」のおかげで完全に戦意を喪失した生徒たちと、伝説のハルトマン家の令嬢をひと目見ようと目を血走らせている教師陣の姿がありました。
そして、そのさらに奥。一段高い場所に設けられた貴賓席。
そこに、「彼」は座っていました。
王国最強の騎士団長であり、この国の「盾」と称えられる男。ゼフ・ハルトマン。
かつて私と平原で三日三晩斬り合い、互いの剣が砕け散ってもなお素手で殴り合ってきた不倶戴天の宿敵。あの時、私を射抜いていたのは、すべてを撥ね退けるような鉄の意志を宿した黄金の瞳でした。
ですが、今、私の視界に入ってきた「かつての宿敵」の姿は――。
「…………っ、うぐっ、リリア、たん……っ! ああ、なんて、なんて神々しいんだ……っ!」
……絶句しました。
そこには、王国最強の威厳など欠片も残っていない、ただの「壊れた親バカ」が鎮座していました。
ゼフは、自身の象徴でもある白銀の甲冑をこれ以上なく磨き上げ、胸を張って座っている……つもりなのでしょう。しかし、その顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃに濡れ、手にした高級な刺繍入りのハンカチは、すでに絞れるほどに湿っています。
あろうことか、彼は私が登壇した瞬間から、「ひっ、ひっ」と過呼吸気味に嗚咽を漏らし、隣に座る国王陛下さえも引き気味の視線を送っているというのに、一向に止まる気配がありません。
「見てくれ、陛下! あれが俺の娘、リリアだ! あの凛とした立ち姿、あの獲物を屠る直前の猛禽のような鋭い眼光! まさしく俺とエリナの結晶……! ああ、可愛すぎて胸が苦しい、もはやこれは物理的な攻撃だ……っ!」
大きな声ではありません。ですが、武人として鍛え上げられたその声は、静まり返った礼堂の隅々にまで「物理的な振動」を伴って響き渡っていました。
最前列に並んでいた新入生たちが、その威圧感(という名の親バカの熱気)に当てられ、数名ほど白目を剥いて膝をつくのが見えます。
(お父様……。いえ、かつての宿敵よ。貴方は、どこまで私に恥をかかせれば気が済むのですか……?)
私のこめかみが、ピクリと震えました。
あまりの情けなさに、抑えていた魔力がわずかに逆流します。私の足元の床板が、ミシミシと不吉な音を立てて軋み始めました。
壇上のマイク代わりの魔導具が、私の放つ無言の圧力に耐えきれず、不快な高周波を上げ始めます。
しかし、当の本人は、娘から放たれた明らかな「殺気」を、「俺への熱烈な視線」と勘違いしたようです。
「おおっ! 通じ合った! 今、リリアと心が通じ合ったぞ! あの突き刺すような視線、かつて戦場で死を覚悟した時と同じ……いや、それ以上の愛を感じる! リリアたぁぁーん! パパはここだぞぉぉー!!」
ついに彼は、鼻水を垂らしたまま、周囲の制止も聞かずに立ち上がり、大きく手を振り始めました。
その瞬間、礼堂内の温度が数度下がったような錯覚を覚えました。いえ、錯覚ではありません。私の怒りが、周囲の大気を物理的に凍結させ始めていたのです。
(……ああ、もう。テオ。ごめんなさい。お姉様、今日だけは「淑女」を辞めてもよろしいかしら?)
私は、深呼吸を一つ。
そして、優雅に微笑んだまま、視線だけを貴賓席のゼフへと固定しました。
言葉は発しません。ただ、一点に収束させた「重圧」を、針のように研ぎ澄ませて彼に向けて放ちます。
――ドォン!!
ゼフの座っていた豪華な椅子が、見えない巨大な槌で叩かれたかのようにひしゃげ、彼の足元の絨毯が円形に沈み込みました。
鼻水を垂らして手を振っていた巨漢が、ガクンと膝を折り、その場に四つん這いになります。
「……ぐ、おぉぉっ!? この、魂を直接、万力で締め上げるような……懐かしくも恐ろしい重圧……っ! これだ、これこそがリリアの愛……っ! ああ、たまらん……っ!」
……この男、この状況で悦びに浸っていやがります。
私は冷徹な視線を維持したまま、震える手でマイクを握り直しました。周囲の生徒たちは、もはや何が起きているのか理解できず、ただ壇上の少女から放たれる「神のごとき威圧」に平伏するしかありません。
「新入生代表、リリア・ハルトマン。……謹んで、ご挨拶申し上げますわ」
私が口を開いた瞬間、礼堂の空気が、まるで真空状態になったかのように張り詰めました。
私の声は、魔導具の増幅など必要とせず、一人ひとりの鼓膜に、そして魂に直接刻み込まれる「言霊」となって響き渡ります。
隣で国王陛下が「ハルトマンの娘……怪物か」と戦慄しているのも、シオン兄様たちが客席で「流石リリアだ!」と感涙に咽んでいるのも、すべて無視することに決めました。
今はただ、この茶番を早く終わらせて、テオに宛てた二通目の手紙を書くことだけを考えましょう。
鼻水を垂らしたまま、床に伏してなお「最高だ……」と呟いている宿敵の姿を見ないようにしながら、私は完璧な新入生代表の挨拶を、静かに、そして苛烈に続けるのでした。
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次回お楽しみに。




