第四話:密修!揺り籠の中のイメトレ!
深夜。ハルトマン邸が深い静寂に包まれる刻。
月明かりが窓から差し込み、豪華な揺り籠の中で眠る一人の赤ん坊を照らしていた。
リリア・ハルトマン。世間的にはハルトマン家の愛らしい末娘。だがその内側では、五十年の歳月を戦場に捧げた老練なる剣聖の魂が、ギラギラと眼光を放っていた。
(……好機だ。パパ(宿敵)もママ(魔女)も、ようやく眠りについたか)
俺は暗闇の中で、そっと意識の波を広げる。
生後数ヶ月。肉体的な自由は依然として乏しい。寝返りを打つだけで大騒ぎされるような身の上では、屋外での素振りなど夢のまた夢だ。ならば、今の俺にできることはただ一つ。
イメージトレーニング。それも、ただの妄想ではない。
脳内で完璧なる戦場を再構築し、己の魂を削り出すような実戦形式の精神修養である。
(まずは、敵を設定する。……相手は当然、あの男だ)
目を閉じると、暗闇の中に一人の騎士が形を成す。
全盛期のゼフ・ハルトマン。王国最強の盾。その重厚な全身鎧と、山をも受け止めるという巨大な盾。
俺は仮想の戦場に立ち、愛剣を構える。……いや、今の俺に剣はない。だが、魂には刻まれている。一撃必殺を旨とする、剣聖アルスの『最速の一振り』が。
(……行くぞ)
脳内での踏み込み。音を置き去りにする加速。
かつての俺なら、これで勝負は決まっていた。どんな防具も、俺の速さの前では紙同然だった。
だが、仮想敵であるゼフの盾が、吸い込まれるように俺の切っ先を弾き飛ばす。
(……ぬうっ、やはりこれか!)
ゼフの剣技の本質は、反射神経ではない。敵の殺気を読み、攻撃が届く位置をあらかじめ『面』で塞ぐ、予測と重力の支配だ。
俺の速さが一点に集中すればするほど、彼の盾はその一点を無力化する。
前世での俺たちの戦いは、常にこの平行線だった。俺の矛が刺さるか、彼の盾が折れるか。結局、俺たちは決着がつく前に、互いの寿命と状況によって矛を収めることになった。
(だが、今の俺には『これ』がある)
俺は仮想空間での修行を一時中断し、現実の肉体へと意識を戻した。
血管を流れる膨大な魔力。この世界に生まれて気づいた、放出不可能な、内側に籠もるだけの力。
俺はこの魔力を、一本の細い糸のように紡ぎ、右腕の神経へと通していく。
(纏え……極限まで密度を高め、細胞の一つ一つを魔力でコーティングするんだ)
じわじわと、右腕に熱が宿る。
赤ん坊の柔らかい筋肉が、魔力の圧力によって鋼鉄以上の密度に変質していく。
もし今、誰かが俺の腕を握れば、その硬さに驚愕するだろう。表面は赤ん坊のぷにぷにとした肌だが、その直下には神話の怪物のような剛力が秘められているのだから。
(この魔力の鎧を全身に定着させれば、俺の『速さ』は次なる領域へ到達する。……そして、その瞬間の衝撃を一點に集約できれば……!)
俺は夢中で修行に没頭した。
揺り籠の中で、俺の小さな右手は、無意識のうちに鋭い突きを繰り出すような動きを見せる。
脳内では、ゼフの盾を粉々に打ち砕くイメージ。
一撃。ただの一撃で、世界を分かつほどの絶技。
(……見える。見えるぞ。魔力による肉体強化を一点に爆発させる、新たな極意が……!)
その時だった。
「リリアたん、パパですよぉ〜! 寝顔を見に来ちゃいましたぁ〜!」
ガバァッ! と、寝室のドアが音を立てて開いた。
現れたのは、パジャマ姿で鼻の下を伸ばした、重度の親バカ騎士団長・ゼフであった。
(……貴様ぁああああ! 今、最高にいいところだったんだぞ!)
俺の集中力は、爆散した。
纏っていた魔力は行き場を失って霧散し、高ぶっていた精神は一気に現実に引き戻される。
ゼフは俺の殺気に満ちた(と本人は思っていない)視線など気にせず、揺り籠に顔を突っ込んできた。
「おやおや、リリア。まだ起きていたのかい? もしかしてパパがいなくて寂しかったのかな? よしよし、パパと一緒に寝ようねぇ〜」
(離せ! この髭面が! 修行の邪魔だと言っているのが分からんのか!)
俺は全力で抵抗した。
といっても、赤ん坊の抵抗などたかが知れている。ゼフの顔をペチペチと叩き、その高い鼻をむんずと掴む。
だが、魔力を無意識に込めてしまったのか、俺の指の力は赤ん坊のそれにしては少々強すぎた。
「……いでっ!? あ、あはは、リリアは力が強いなぁ。将来はパパと一緒に剣の練習ができるねぇ。嬉しいなぁ」
ゼフは鼻を真っ赤にしながらも、嬉しそうに俺を抱き上げる。
そのまま、彼は俺を自分のベッドへと連行し、大きな腕の中に閉じ込めた。
(くっ……宿敵の腕の中。なんという屈辱……!)
ゼフの体からは、革製品と微かな鉄の匂い、そして安らぐような父親の匂いがした。
前世の俺には、家族などいなかった。いたのは師匠と、敵と、そして一時的な戦友だけだ。
こうして誰かの体温を感じながら眠るなど、剣聖の人生には存在しなかった経験である。
「リリア。パパはね、お前が生まれてきてくれて、本当に幸せなんだ。お前がどんな道を選んでも、パパは全力で守ってあげるからね。……おやすみ、僕の宝物」
ゼフの囁き。その声には、戦場での覇気は微塵もなかった。
ただただ、一人の娘を想う父親の、深い愛情だけがそこにあった。
(……チッ。勝手なことを言いおって)
俺はゼフの胸板に顔を埋め、毒づいた。
守ってもらう必要などない。俺は剣聖だ。いずれ貴様を超え、この国の頂点に立つ男なのだ。
だが……。
(……今日は、このくらいにしておいてやる。この『盾』は、意外と寝心地が悪くないからな)
ゼフの一定のリズムを刻む心音。それが子守唄のように、俺の精神を鎮めていく。
修行で酷使した脳と、魔力によって熱を持っていた肉体が、心地よい眠りの誘いに抗えなくなっていく。
(……おい、ゼフ。……次は、負けんぞ……)
俺は心の中でライバルにそう告げ、深い眠りの淵へと沈んでいった。
揺り籠での秘密の修行は、こうして親バカの乱入によって幕を閉じたが、俺の中に宿った魔力は、着実にその根を張っていた。
剣聖の魂と、最強の魔力。
それが、宿敵の腕の中で静かに混ざり合い、未だかつてない怪物が誕生しようとしていることを、幸せそうに眠るパパはまだ知る由もなかった。
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次回お楽しみに。




