第九話:決意!リリア、十二歳の誕生日に誓う
窓の外に広がる王都への街道は、柔らかな春の陽光を浴びて白く輝いている。
ハルトマン邸の庭園には、今日という日を祝うために近隣の領主たちから贈られた稀少な花々が咲き誇り、屋敷内は朝から祝宴の準備で活気に満ちていた。
(……ふむ。十二歳か。……前世の俺であれば、もはや『伝説』と呼ばれ始め、一国の軍隊に匹敵する武名を得ていた頃だな)
俺ことリリア・ハルトマンは、姿見の鏡の前に立ち、完成された自分の姿を冷静に、そして少しの感興を持って眺めていた。
十二歳。王立アカデミーへの入学を控えた、少女から女性へと移り変わる入り口の季節。
鏡の中にいるのは、燃えるような深紅の髪を、シルクのような光沢を湛えたまま背中へと流した一人の少女だ。透き通るような白磁の肌は、触れれば壊れてしまいそうな繊細さを持ちながら、その奥には鍛え抜かれた鋼のような強靭さが潜んでいる。
アメジストのように深い紫の瞳は、成長と共にその理知的で神秘的な輝きを増し、その眼差し一つで周囲を黙らせるだけの圧倒的な「存在感」を放っていた。
父ゼフが心血を注いで誂えさせた、純白のシルクに金糸の刺繍を施した最高級のドレス。それが俺のしなやかな肢体を包み込み、まるで神話の世界から舞い降りた女神の幼少期のような、神々しいまでの美しさを完成させていた。
「……リリア。……ああ、リリア……。君はなんて……。……パパは、パパはもう、このまま君を地下室に閉じ込めて、一生世界に見せたくないよ……!」
ドアの隙間から、感極まった顔で覗き込んでいるのは、正装を纏ったゼフだ。
彼は俺のあまりの「完成度」に、誇らしさよりも先に「娘を外に出す恐怖」に襲われているらしい。……相変わらず、情けない騎士団長である。
「パパ。……縁起でもないことを仰らないでください。……今日は、私の十二歳の誕生日。……そして、当然のごとく決まっている『義務』への第一歩なのですから」
俺は優雅に裾をつまみ、一分の隙もない淑女の礼を見せた。
王立アカデミー。
王国の貴族子弟として、そこへ通うことは当たり前の道だ。兄のシオンもカイルもすでに通っているし、俺がそこへ行くことに疑問の余地はない。……正直に言えば、今さら子供たちに混じって初歩的な勉学に励むのは億劫でしかないが、ハルトマン家の長女として、その「手続き」を無視するわけにもいかない。
「リリア。学園生活は、貴女にとってきっと良い経験になるわ。……お友達もたくさんできるでしょうし」
母エリナが、優しく俺の肩に手を置く。
「……ええ、ママ。……それに、私が学園でそれなりの地位を築いておけば、将来テオが入学する時、誰もこの子をないがしろにはできないでしょうしね」
そう。俺が学園へ行く最大のモチベーションはそこにある。
テオのような規格外の怪物が、将来何の不自由もなく、そして変な輩に絡まれることなく学園生活を送れるよう、俺が先に行って「ハルトマンの絶対的な序列」を刻んでおく。いわば、愛する弟のための道普請だ。
祝宴の会場である大広間に降りると、そこには二歳になった末弟テオがいた。
テオは俺の姿を見るなり、短い足を必死に動かして駆け寄ってくる。
「ねぇね! ……りり、ねぇね! きれい! きれい!!」
テオが俺のドレスの裾に顔を埋める。
俺はしゃがみ込み、テオの柔らかな金髪を撫でた。
テオの左手首には、一年前、俺が授けた霊銀のブレスレットが鈍く輝いている。この一年でテオのマナはさらに膨れ上がっているが、ブレスレットの封印は完璧に機能していた。
だが、祝宴が終わり、旅立ちの準備が整うにつれ、広間の空気は一変した。
テオは、愛する「ねぇね」が自分を置いて、遠くの学園へと旅立とうとしていることを、本能的に理解したのだ。
「いやぁぁぁっ! ねぇね、いかないで! テオ、ねぇねといっしょ! ずっといっしょ!!」
テオが俺の腕に縋り付いて、激しく号泣し始めた。
――キィィィィィィィィ……!!
テオの腕のブレスレットが、激しく、紫色の光を放ちながら振動している。
ブレスレットは、テオの激情と共に溢れ出そうとする膨大なマナを、内側へ内側へと、文字通り「握りつぶす」ようにして抑え込んでいた。
屋敷は揺れない。
地響きも起きないし、窓ガラス一枚、亀裂は入らない。
だが、その代わりに――広間全体の空気が、物理的な「重み」を伴って沈み込んでいた。
封印されているがゆえに、逃げ場を失ったテオの純粋な悲しみが、見えない『質量』となって、そこにいる者たちの精神を圧迫する。
「……テオ……。ああ、なんて重い涙なんだ……」
ゼフが顔を歪め、テオを抱き寄せようとするが、テオはそれを拒み、俺の胸に顔を押し付けて泣き続ける。
「ねぇねぇぇっ! いかないでぇぇっ!!」
俺はテオの背中を優しく叩き続けた。
(……テオ。……お前の姉への執着は、俺が想像していたよりもずっと深く、そして重いようだな。……だが、泣くのはおやめなさい)
俺は、テオの耳元で、静かに、だが確かな魔力を込めた声で囁いた。
「テオ。……お姉様は、貴方の将来のために行くのですわ。……貴方が将来、何の心配もなく学園に来られるように、お姉様が最高の場所にしておいて差し上げます。……分かりますわね?」
「……う、……うぅ……」
「……このブレスレットが、貴方の腕にある限り。……私たちは、いつでも繋がっているのですわ」
俺はブレスレットの石に、俺の直接の魔力をさらに一滴、流し込んだ。
ブレスレットの振動が収まり、テオの全身を包んでいた張り詰めたような空気が、ふっと和らぐ。
テオは涙に濡れた瞳で俺を見上げ、震える声で呟いた。
「……ねぇね。……テオ、……がまん、する。……ねぇね、……まって……る」
「……ええ。良い子ですわ、テオ」
俺は、テオの額にそっと口づけをした。
十二歳の誕生日。
それは、誇り高きハルトマン家の長女として、当たり前の道へ踏み出すための記念日。
前世の剣聖としてではなく、ハルトマン家のリリアとして。
愛する弟が安心して歩める道を切り拓くために。
俺は、来たるべき王立アカデミーという名の「退屈だが重要な社交場」へ、その第一歩を踏み出す決意を固めた。
(……待っていろ、王立アカデミー。……テオのために、そこを世界で一番安全で、格調高い場所に作り替えてやるからな)
俺は、泣き疲れて眠りについたテオをパパに預け、窓から見える王都の灯りを、冷徹で、そして深い慈愛を秘めた微笑みで見つめるのだった。
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次回お楽しみに。




