第八話:封印!テオの力を隠すための「姉の細工」
庭園の噴水が粉砕され、離れの壁が抉り取られたあの日から、ハルトマン邸の空気は、これまで以上に「重く」なっていた。
犯人である一歳の末弟テオは、自分が何をしたのかも分からぬまま、俺の膝の上で「ねぇね、あしょぼ!」と無邪気に笑っている。その瞳は澄み渡り、一点の曇りもない。だが、彼の内側で渦巻くマナの密度は、日に日に増しており、もはや一般的な『神童』の枠を遥かに超えていた。
(……ふむ。一歳にしてこれほど明瞭に言葉を操り、俺の技術をコピーする。……冷静に分析すれば、これは俺の失策と言わざるを得んな)
俺ことリリア・ハルトマンは、十一歳。学園入学という人生の大きな節目を一年後に控え、俺は自室で机に向かい、複雑な魔導術式の構成図を描き込んでいた。
テオがこれほどまでに早期の成長を見せている理由。それは、俺が赤ん坊の頃から彼に施してきた『重圧子守唄』……つまり、俺の高密度な魔力を彼の体内に循環させ、マナの暴走を抑え込んでいた行為そのものに原因があった。
(良かれと思って行っていた魔力の調律。……それが、テオの幼い脳に過剰な刺激を与え、神経の発達を異常な速度でブーストしてしまったわけだ。加えて、この末弟は俺の挙動を『技』としてコピーしようとする本能的な模倣能力を持っている。……結果として、肉体年齢に精神と技術が追いついていない、アンバランスな『怪物』を俺自身が作り上げてしまったというわけか)
俺は、描き上げた術式を眺めながら、密かにため息をついた。
前世の俺であれば、「強ければそれで良い」と断じたであろう。だが、今の俺はハルトマン家の長女であり、この子の「ねぇね」なのだ。
テオの魔力は、今や隠しきれないレベルに達している。このままでは、王宮の魔導師たちにその異質さを嗅ぎつけられ、研究対象にされるか、あるいは隣国の刺客たちに「若芽のうちに摘むべき脅威」として狙われることになるだろう。
(俺が学園に行っている間に、この子を危険に晒すわけにはいかん。……それに、本人が無意識に放つ魔力で、パパやママを……あるいは自分自身を傷つけてしまうのも防がねばな)
俺は、机の引き出しから、北方の雪山でしか採れないという希少な『霊銀』のインゴットと、俺が自ら山で狩った魔獣の骨を削り出したパーツを取り出した。
これから行うのは、ハルトマン家の秘蔵の魔導具作成――ではない。
元剣聖リリアが、自らの知識の粋を集めて作り上げる、世界で唯一の『封印具』の作成である。
作業は深夜にまで及んだ。
俺は細い金槌を使い、霊銀に目に見えないほどの微細な術式を刻み込んでいく。
それは単に魔力を抑えるためのものではない。テオ自身の魔力の「揺らぎ」を感知し、一定以上の出力が出そうになった瞬間に、俺の『重圧』が自動的に発動して魔力を内側へ押し戻す、自己完結型の調整回路だ。
(……良し。……仕上げに、俺の直接の魔力を『核』として封じ込める)
俺は右手の指先に、これまでで最も緻密に圧縮したマナを凝縮させ、それを霊銀のブレスレットの中央に埋め込まれた小さな魔石へと流し込んだ。
青白かった石が、俺の魔力に染まり、漆黒に近い深い紫色へと変色する。
完成したのは、一見するとただの精緻な銀細工のブレスレットだ。だが、その内部には国一つを滅ぼしかねないほどのエネルギーを抑え込むための、『理』が詰まっていた。
翌朝。
俺は、リビングで機嫌よくパパの髭を引っ張っていたテオを呼び寄せた。
「……テオ。おいでなさい」
「ねぇね! だっこ!」
テオが、短い足をバタつかせながら俺に飛びついてくる。
俺は、その小さな体を受け止め、優しく抱き上げた。この温もりを、あと一年で物理的に離さなければならないという事実に、胸の奥がわずかに痛む。だが、それゆえにこの『贈り物』は必要なのだ。
「テオ。……これは、お姉様からのプレゼントですわ。……貴方がもっと格好良くなるための、大切なお守りです」
俺は、テオの左手首に、作成したブレスレットを嵌めた。
ブレスレットは、テオの腕の太さに合わせて自動的にサイズを変え、吸い付くように固定される。
「……あ、……きれい……。ねぇね、ありがと!」
テオが、腕を振り回して喜ぶ。
その瞬間、彼の周囲に漂っていた「刺すような魔力」が、ピタリと消失した。
ブレスレットの封印が正常に機能し、彼の異常なマナの漏出を完璧に遮断したのだ。
(……ふむ。成功だな。……これで、外部からは『少し魔力が多い元気な子供』程度にしか見えんはずだ。……それに、これにはもう一つの機能がある)
俺は、テオの耳元で、甘く、そして逃げ場のない声で囁いた。
「……テオ。……そのブレスレットには、私の一部分が封じられています。……貴方がもし、悪いことをしたり、無闇に力を使おうとすれば……。……お姉様の『重圧』が、いつでも貴方を地面に埋めて差し上げますからね?」
テオの体が、ビクッと震えた。
一歳児にして、姉が放つ「本気の微笑み」の恐ろしさを、彼は本能的に理解している。
「……う、……うー……」
「ふふ。……良い子ですわ。……お姉様は、貴方が大好きですからね。……ずっと、見守っていますわよ」
俺は、怖がるテオを抱き寄せ、その柔らかな金髪に顔を埋めた。
(……このブレスレットがあれば、俺が学園にいても、テオが魔力を暴走させればすぐに俺に伝わる。……通信機能、位置把握、そして緊急時の強制鎮圧。……姉としての管理は完璧だ)
ゼフとエリナは、その光景を遠くから見守っていた。
「……ねぇ、あなた。……あのブレスレット、すごく綺麗だけど……。……リリアちゃんが嵌めた瞬間、テオの気配が消えた気がしない?」
「ああ……。……リリアのことだ、きっと『世界一高価なお守り』でも作ったんだろう。……それにしても、リリアがテオを抱いている時のあの顔……。……美しすぎて、……少しだけ、魔王軍を率いている時の女神様に見えるのは僕だけかな……?」
ゼフの呟きを、俺は聞こえないふりをして流した。
十一歳の俺にできる、テオへの最後の、そして最大の「愛の封印」。
これが、俺が学園へと旅立つための、決意の証でもあった。
俺は、手首のブレスレットを不思議そうに眺めるテオを抱いたまま、窓の外の遠い空を見つめた。
王立アカデミー。
そこへ行くための準備は、着々と整いつつある。
テオを「普通の子供」として守り抜き、同時に「俺の忠実な弟」として育て上げるための、長い長い教育の序章。
(……テオ。……貴方の力は、お姉様のために使うものですわ。……それまでは、その小さな檻の中で、じっくりと力を練り上げておきなさい)
俺の、あまりに独占欲の強い微笑みに、テオは再び「ねぇね……しゅき……」とか細い声で呟き、俺の胸に顔を埋めるのだった。
ハルトマン邸に、一時の「見かけ上の平穏」が戻った。
リリアの旅立ちまで、あと一年。
最強の姉弟の物語は、この小さな銀の輪を媒介に、より深く、より密接に絡み合っていく。
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次回お楽しみに。




