第二話:戦慄!リリア姉様の超重圧子守唄
末弟テオドール――愛称テオがハルトマン家に降臨してから、数ヶ月が経過した。
この数ヶ月間、我が家の修繕費は前年比で三〇〇パーセントの跳躍を見せ、専属の大工たちは「もういっそ、ハルトマン邸の隣に住み込みで働かせてくれ」と涙ながらに訴えてくる始末である。
(……ふむ。まさか赤ん坊の寝返り一回で、大理石の床板に亀裂が入るとはな。テオ、貴様はハルトマン家の希望というより、物理的な脅威だぞ)
俺ことリリア・ハルトマンは、十歳という節目を迎え、姉としての義務感……という名の、生命の危機管理に追われていた。
俺の膝の上で、テオは「ふー、ふー」と力強い鼻息を漏らしながら、俺の指を握りしめている。その握力は、すでに一般的な成人男性のそれを遥かに凌駕しており、俺が魔力で肉体を強化していなければ、今頃俺の指は複雑骨折を免れなかっただろう。
ハルトマン家の血筋は、元々強靭な肉体と膨大な魔力を有している。父ゼフの圧倒的な防御力と、母エリナの天賦の魔才。その二つが奇跡的な配合で混ざり合い、さらに俺という「規格外の姉」の魔力に当てられて育ったテオは、生後数ヶ月にして、歩く戦術兵器の雛形と化していた。
「リリア! 見てくれ、テオがまた笑ったよ! しかも今、笑いながら僕の指をへし折ろうとしたんだ! なんて力強いんだ、将来は僕を超える『最強の盾』になるに違いないぞぉぉぉっ!!」
鼻に包帯を巻いた(昨日のテオの「喜びの頭突き」の結果だ)ゼフが、これ以上ないほどの親バカな笑顔でテオを覗き込む。
「父上、それは力強いのではなく、単に魔力の制御ができていないだけです。このままではテオが歩き出す頃には、この屋敷は瓦礫の山になりますよ」
十二歳のカイルが、分厚い魔導書を片手に冷静に指摘する。彼の眼鏡には、テオの周囲から漏れ出す異常な数値のマナが反射していた。
「カイルの言う通りだ! 父上、テオに必要なのは甘やかしじゃない。……『稽古』だ!」
十三歳のシオンが、上半身裸で素振りをしながら吠える。
……ハルトマン家の男たちは、いつになっても極端だ。
(……やれやれ。パパは甘やかしすぎ、兄上たちは期待しすぎだ。……結局、この怪物の手綱を握れるのは俺しかいないというわけか)
俺は、膝の上で「あうー!」と元気よく声を上げ、無邪気に空間を殴って『衝撃波』を発生させているテオの額に、そっと掌を当てた。
「……テオ。静かにしなさい。……おねんねの時間ですわ」
俺の声は、可憐な姉の響き。だが、その掌からは、俺が十年の歳月をかけて練り上げた、極限密度の魔力が静かに流し込まれる。
これが、俺が考案したテオ専用の安眠法――『超重圧・魔力循環導引』である。
(纏え……。テオの荒れ狂うマナを、俺の『重圧』で包み込み、強制的に正しい回路へと押し戻せ。……放出するエネルギーを全て内側の肉体強化へと変換し、余剰分は眠りの深さへと転換しろ)
俺の掌から、漆黒に近い魔力の重圧がテオの全身を包み込む。
普通なら赤ん坊が泣き叫ぶほどの重圧。だが、規格外の魔力を持つテオにとっては、これが「母の胎内にいた時のような心地よい圧迫感」となるのだ。
「う、……うぅ……」
テオの瞳から、暴走していた魔力の光が引いていく。
彼は、俺が流し込む魔力の「重み」を全身で受け止め、それを自らの肉体を鍛えるための栄養剤として吸収し始めた。
(……そうだ。テオ、そのまま俺の魔力の波に乗りなさい。逆らうのではなく、委ねるのだ。……貴様のその膨大な魔力は、貴様を壊すためのものではなく、貴様を支えるための柱にしなければならない)
俺は心の中で、小さな弟に語りかける。
これは子守唄ではない。無言の、そして最も過酷な「魔力制御の英才教育」だ。
一分。
テオの荒い呼吸が、静かな、規則正しい寝息へと変わった。
「……おお、すごい! リリアが抱くと、あんなに暴れていたテオが一瞬で眠るなんて! やっぱりリリアは聖女だ、慈愛の化身なんだぁぁぁっ!!」
ゼフがまたしても感涙に咽んでいるが、俺はそれを無視して、眠ったテオをそっとベビーベッドへと運んだ。
だが、安堵したのも束の間。
眠りについたはずのテオが、無意識に「寝返り」を打とうとした瞬間だった。
――バキッ!!
ベビーベッドの柵が、テオの小さな腕が触れただけで粉々に粉砕された。
それだけではない。テオの体がわずかに跳ねた瞬間、彼の周囲の重力バランスが崩れ、ベッドごと宙に浮き始めたのだ。
「……っ!? 無意識での重力制御だと!?」
カイルが驚愕の声を上げる。
テオは眠りながら、俺が先ほど与えた『重圧』の感覚を模倣し、自ら重力を操作し始めていた。
(……このガキ、寝ながら俺の技術をコピーしたのか!? ……天賦の才が過ぎるぞ、テオ!)
俺は即座に踏み出し、宙に浮いたベッドの角を片手で掴んだ。
「……おやすみなさいと言いましたわよね、テオ?」
俺は、寝ているテオにだけ聞こえるような、地獄の底から響くような「お姉ちゃんの声」で囁き、掴んだベッドに全力の『重圧』を叩き込んだ。
ドンッ!!
浮いていたベッドが、物理法則を強制的に上書きされ、床へと叩きつけられる。
幸い、俺の魔力でベッド全体を保護していたため、テオに衝撃が伝わることはない。だが、その「重み」を感じたテオは、夢の中で俺に地面に埋められたと錯覚したのか、ビクッと体を震わせ、今度こそ完全に深い眠りへと落ちていった。
「…………リリア。今、ベッドを地面に叩きつけなかったかい?」
シオンが、引きつった笑みで俺に問いかける。
「あら、シオンお兄様。テオが落ちないように、少しだけ『固定』しただけですわ。……テオはとても元気ですから、これくらいしっかり守ってあげないと」
俺は、完璧な淑女の微笑みを浮かべて答えた。
シオンとカイルは、顔を見合わせ、同時に背筋を震わせた。
「……あ、ああ。そうだね。リリアがいれば、テオは……どんな意味でも、安全だね」
「……ええ。……将来、テオが道を踏み外そうとしても、リリアが物理的に引き戻してくれるでしょうし……」
兄たちの言葉を背に、俺は眠るテオの寝顔を見つめた。
十歳の俺にとって、この小さな命を守ることは、前世でのどんな国を守る戦いよりも重要で、そして難解な任務だ。
この子が成長し、自らの力を正しく制御できるようになるまで。
それまでは、俺がこの子の「お姉ちゃん」として、世界で一番厳しい、そして世界で一番重い壁となって立ち塞がってやらねばならない。
(……テオ。早く大きくなりなさい。……そうすれば、俺ももう少し、手加減なしに稽古をつけてやれるのだからな)
俺は、テオの丸い頬を指先でつつきながら、自分の中に芽生えた「教育者」としての喜び……という名の、少しだけ邪悪な期待を噛み締めていた。
ハルトマン邸に響く、赤ん坊の穏やかな寝息と、それを見守る家族の騒がしい声。
十歳のリリアと、最強の末弟テオ。
二人の姉弟の絆は、この「超重圧の子守唄」によって、どこまでも深く、そして文字通り「重く」刻まれていくのであった。
「よし、明日はテオにハイハイの姿勢での重心移動を教えるとするか!」
俺の野望は、誰にも悟られることなく、静かな夜の闇に溶けていった。
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次回お楽しみに。




