第三話:震撼!ママは元宮廷魔術師!?
この家に来てからというもの、俺の驚きは絶えることがない。
宿敵ゼフの変貌ぶりにも呆れ果てたが、それ以上に俺の警戒心を逆撫でするのは、この家の女主人――俺の母となったエリナ・ハルトマンという存在だ。
「さあ、リリア。今日はお天気がいいから、お部屋に少しだけ『お花』を咲かせましょうか」
そう言って、エリナは俺を抱き上げたまま、何気なく指先を空に向けた。
呪文の詠唱も、大仰な儀式もない。ただ、呼吸をするように自然な動作で、彼女の指先から膨大な魔力が編み上げられていく。
(……チッ、相変わらずのデタラメな手際だ)
俺の目は、赤ん坊のそれでありながら、本質を見抜く剣聖の眼力を失っていない。
エリナの体内を巡る魔力回路は、まるで精緻な時計細工のように一点の曇りもなく、それでいて奔流のような熱量を秘めている。
彼女が指先を振るうと、何もない空間に光の粒子が舞い、瞬く間に色鮮やかな花々が実体化して、部屋の空気に甘い香りを振りまいた。
幻影魔法ではない。魔力によって物質を再構成する、高位の創造魔術だ。
前世の俺なら、これだけの魔法を使おうとする魔術師がいれば、術が完成する前にその首を撥ねていただろう。魔術師という人種は、距離を詰めさせれば最強だが、その発動には僅かながらの『ラグ』があるのが常識だった。
だが、この女にはそれがない。
「あら、リリア。そんなにじっと見つめて、不思議かしら? あなたも大きくなったら、きっと素敵な魔法が使えるようになるわよ」
エリナは俺の頬を優しく撫でる。
その指先から伝わる微かな熱量。俺は悟った。この母親、現役を引退したとはいえ、その実力はかつて俺が戦場で切り伏せてきた宮廷魔術師たちの誰よりも――ひょっとすると、その数倍は格上だ。
(『氷炎の魔女』。その二つ名は伊達ではないということか)
ゼフ・ハルトマンという男が、王国最強の盾として君臨できている理由の一つは、間違いなく背後にいるこの女の存在だろう。
最強の剣士と最強の魔術師が番になり、その子供として俺が生まれた。……血筋だけで言えば、これ以上の贅沢はあるまい。
俺はエリナの腕の中で、彼女が使った魔法の残滓を分析し始めた。
この体には、海のように深い魔力が眠っていることは分かっている。問題は、それをどう扱うかだ。
前世の俺は、魔力というものを『外部から飛んでくる厄介な爆発物』程度にしか認識していなかった。だが今、俺の血管にはそのエネルギーが滔々(とうとう)と流れている。
(やってみるか。魔法、というやつを)
俺は意識を集中させた。
エリナがやったように、体内の魔力を一点に集め、体外へと押し出すイメージ。
狙うのは、目の前を舞っている光の粒子の一つ。それをさらに輝かせるだけの、ごく小さな出力でいい。
(出ろ……!)
俺は精神の力を込めて、魔力の奔流を指先へと突き動かした。
だが。
(……ぐ、ぬっ!?)
出ない。
俺の指先まで到達した魔力は、皮膚という絶対的な壁に阻まれ、行き場を失って内側へ跳ね返ってきた。
それだけではない。外へ出ようとした莫大な魔力は、逃げ場を失ったことで俺の手のひらの内側で急激に圧縮され、激しい熱を帯び始めた。
(熱い……! いや、これは熱というより、過剰なエネルギーの圧力か!)
魔法が『発動』しない代わりに、俺の右拳は魔力によって限界まで強化され、凄まじい硬度と質量を帯びていく。
本来なら外へ飛び出して爆発するはずの力が、俺の薄い皮膚の内側に閉じ込められ、肉体を鋼鉄以上の何かに変質させていた。
「あら……? リリア、どうしたの? 急に顔を真っ赤にして」
エリナが異変に気づいた。
俺は慌てて魔力の集中を解く。行き場を失っていたエネルギーが、霧散するように全身の細胞へと吸い込まれていった。
ドクドクと、心臓が早鐘を打つ。
たった数秒の試行だったが、全身から汗が噴き出した。
(やはり、そうか。この体……魔力を外へ放つ回路が、根本から欠落しているのか、あるいは閉じている。その代わり……)
その代わり、内側への『定着効率』が異常なまでに高い。
普通の魔術師なら、魔力を肉体にこれほど高密度に留めれば、細胞が崩壊して自滅する。だが、俺の体はそれを平然と受け入れ、己の力として同化させてしまった。
(魔法使いにはなれん、ということだな。……クク、ハハハ!)
俺は声にならない笑いを漏らした。
魔法という遠距離からの卑怯な手段など、元より俺の性分には合わない。
この魔力の特性は、剣士にとって至高のギフトだ。
纏う魔力。内に籠もる力。
それは、究極の身体強化であり、不可視の鎧だ。
これを極めれば、前世で俺が辿り着けなかった『神速』の向こう側、音すら置き去りにする領域へ行けるのではないか。
「……ねえ、リリア。あなた、今、何をしたの?」
エリナの目が、一瞬だけ鋭くなった。
彼女は俺を抱き直すと、俺の瞳をじっと覗き込んできた。
宮廷魔術師としての鋭い観察眼。赤ん坊が放った一瞬の、だが異質な魔力密度を、彼女は聞き逃さなかったらしい。
「今の感覚……ただの魔力の揺らぎじゃないわね。まるで、山一つを押し潰すような圧力が、一瞬だけあなたの小さな手の中にあったような……」
(マズいな。流石に勘が良すぎる。あまりここでボロを出すわけにはいかん)
俺は咄嗟に、赤ん坊の最大の武器を繰り出した。
「あうー! ばぶっ、ばぶぅ!」
満面の笑みを浮かべ、エリナの豊かな胸元に顔を埋める。
おじさんの魂が悲鳴を上げているが、背に腹は代えられない。俺は無邪気な幼児を演じ切り、彼女の疑惑を霧散させるべく必死に甘えてみせた。
「ふふ、もう。びっくりさせないで。やっぱり、パパに似て力が強いのかしらね」
エリナの警戒心が解け、いつもの柔和な母親の顔に戻る。
俺は彼女の肩越しに、先ほど彼女が咲かせた花を見つめた。
エリナの魔法は、美しく、華やかで、そして効率的だ。
一方、俺の中に眠る力は、無骨で、凶暴で、一点にのみ特化した破壊の種。
(今はまだ、種でいい。だが、いつか俺がこの足で立ち、剣を握る時――)
その時、俺が纏う魔力は、どんな魔法よりも速く、どんな盾よりも硬く、世界を戦慄させることになるだろう。
俺を抱くエリナの温もりを感じながら、俺は己の肉体という名の最強の『器』を鍛え上げる計画を、さらに精緻なものへと練り上げていった。
「さあ、お花も見たし、お昼寝の時間よ。リリア、いい夢を見てね」
エリナが優しく歌う子守唄。
宮廷魔術師の魔力が編み出すその旋律には、微かな安眠の魔術が込められている。
抗うこともできたが、俺はその心地よい眠りの誘いに身を委ねることにした。
強い体を作るには、休息もまた修行の内だ。
(……待っていろよ、ハルトマン一家。この『聖女(仮)』が、貴様らの常識をすべてぶち壊してやる)
俺は、エリナの胸の温もりと、体内に渦巻く制御不能なほど強大な魔力の熱を感じながら、静かに、そして深く、二度目の人生の眠りに落ちていった。
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次回お楽しみに。




