第二十八話:降臨!その少女、最強につき!
廊下に立ち込める鉄錆の匂い。十一歳の兄、シオンが流した鮮血は、冷たい石床を無残に汚していた。その血溜まりの中に膝をつき、必死に兄の傷口を押さえるカイルの指は、恐怖と無力感で激しく震えている。
「……シオン兄上、しっかりしてください! 嫌だ、こんなの……。魔法が、魔法が出ないんだ……!」
カイルの悲痛な叫びが、夜の静寂を切り裂く。暗殺者たちが持ち込んだ魔封石の波動は、まだ幼いカイルの魔力回路を強引に遮断し、治癒の光さえも許さない。
だが、その絶望の渦中にあって、唯一、物理法則すらも捻じ曲げるような『異質』な存在が、静かに一歩前へ出た。
「…………下がって、カイルお兄様。シオンお兄様のことは、私が死なせません」
俺の声は、自分でも驚くほど冷徹に響いた。八歳の少女の、高く澄んだ鈴のような声。しかしそこには、数多の戦場を支配した王者の重圧が宿っている。
(……シオン。貴様の命、この俺が繋ぎ止めてやる。……カイル、動け。お前ならできるはずだ)
俺は歩みを止めず、背後のカイルへ向けて、左手から微かな魔力の波動を送った。それは「魔法」ではない。俺の体内で極限まで圧縮されたマナの一部を、カイルの麻痺した魔力回路に直接叩き込み、無理やり再起動させるための『電気ショック』だ。
「……っ、あぁ!? 魔力が……熱い……!? リリア、今のは……」
「カイルお兄様。今だけ、お兄様の魔力回路を私のマナで『保護』しました。魔封石の干渉は、私の重圧で上書きしてあります。……今すぐ、シオンお兄様の止血を」
カイルは目を見開いた。魔術師として、自分の内のマナが、リリアという巨大な『太陽』の引力によって、周囲の阻害を無視して燃え上がっていることを悟ったのだろう。
「……分かった。……任せて、リリア……っ!」
カイルが杖を振るい、シオンの脇腹に治癒の青い光を灯し始める。
それを見届けた俺は、ようやく正面――自分を取り囲む四人の暗殺者たちへ、視線を戻した。
「……さて。お掃除の続きをしましょうか」
俺の手には、廊下の飾り棚から拝借した一本の木の杖。本来は足の悪い老人が使うような、ただの樫の木の棒だ。
暗殺者たちは、シオンを切り裂いた時の傲慢な笑みを消し、顔を引きつらせていた。彼らの本能が叫んでいるのだ。目の前にいるのは、愛らしい幼女などではなく、理不尽を形にしたような『死神』であると。
「……化け物め、何をした! 死ねぇぇっ!!」
恐怖に耐えきれなくなった一人が、毒塗りの短剣を手に、俺の喉元へと肉薄した。
プロの暗殺者特有の、無駄のない、そして目にも止まらぬ刺突。
だが。
――スッ。
俺は半歩、体をずらした。
それと同時に、手に持った杖を、敵の短剣の腹にそっと添える。
(……ゼフ。貴様が八年間、俺に見せ続けたあの『受け流し』。……そして前世で俺が極めた『理』を、今ここで融合させてやる)
パパの技術は、強固な盾で相手の力を大地に逃がすものだ。
対して俺の技術は、最小限の接触で、相手の力のベクトルをそのまま円環させ、自分自身へと返してやる。
キィィィィィィィン!!
「……なっ!?」
男の放った渾身の刺突は、俺の杖に触れた瞬間、磁石に吸い寄せられるようにその軌道を逸らされた。それだけではない。俺が杖に込めたわずかな魔力振動が、敵の筋肉の動きと共鳴し、彼は自らの突進の勢いを制御できず、そのまま自分の背後の壁へと、短剣を握りしめたまま突っ込んでいった。
ドゴォォォォン!!
壁に深々と突き刺さる短剣。自らの力で腕の骨を砕いた男が、悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「……一人」
俺は無機質に呟いた。
残る三人が、信じられないものを見るかのように絶句する。
「……貴様、何をした! 魔法か!? 無詠唱の偏向魔法なのか!?」
「いいえ。……ただの『技術』ですわ」
俺は優雅に、だが確実に死を予感させる足取りで、さらに一歩踏み出した。
「ふざけるな! 囲め! 同時に突け!!」
三人の暗殺者が、今度は死角を残さないよう、三方向から同時に襲いかかった。
正面からの一閃、左右からの挟み撃ち。
回避不能。防御障壁すら張らせない、完璧な連携。
だが、俺にとって、それは『三つの力』ではなく、ただの『大きな一つの渦』に過ぎない。
(纏え……。俺の意志を、この木片に。……一点を支点に、世界を回せ)
俺は杖を垂直に立て、その場で独楽のように静かに回転した。
――ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ!!
暗殺者たちの刃が、俺の服のレースをかすめる。……いや、違う。
彼らの刃は、俺の杖が描いたわずかな魔力の円環に捕らえられ、互いの武器を弾き合い、その威力は全て隣の仲間の得物へと叩きつけられた。
ガガギィィィィィィン!!
金属同士が激突し、火花が散る。
男たちは、まるで自分たちの影と戦っているかのような混乱に陥り、その隙を突いて俺は杖の先端で、彼らの鳩尾を、順番に、正確に突いた。
「……ぁ、……が、……っ」
ただの突きではない。俺の『重圧』を、一点の点に集約して流し込んだ衝撃。
三人の男たちは、まるで巨大な金槌で殴られたかのように、くの字に体を折って後方へと吹き飛んだ。
ドサリ、ドサリ、ドサリ……。
静寂。
廊下に残ったのは、気絶した男たちと、必死にシオンの治療を続けるカイルの荒い息遣いだけだった。
「……よし。……止血はできた。……あとは、縫合と、内臓の修復……」
カイルの額には、玉のような汗が浮かんでいる。彼の顔色は青白かったが、その瞳には「絶対にシオンを助ける」という強い意志が宿っていた。
カイルが放つ治癒の光が、シオンの傷口をゆっくりと塞いでいく。俺の魔力による保護が効いているおかげで、魔封石の妨害を無視した完璧な医療行為が行われていた。
(……カイル。お前、本当に立派になったな)
俺は、血の付いていない杖をそっと床に置き、シオンの側へ歩み寄った。
シオンの呼吸は、まだ浅いが安定し始めている。
「……り、……りあ……」
薄っすらと目を開けたシオンが、かすかな声で俺の名を呼んだ。
俺は、八歳の妹としての、一番優しい微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですわ、シオンお兄様。……悪い人たちは、みんなお昼寝をしていますから。……お兄様は、少しだけ休んでいてくださいね」
「……あぁ……。よかった、……リリアが、……無事で……」
シオンは安心したように、再び眠りに落ちた。
俺はカイルの肩をポン、と叩いた。
「カイルお兄様。シオンお兄様を、安全な場所へ。……後のことは、私に任せてください」
「……リリア。君は、下に行くんだね? 母上のところへ」
「ええ。……ハルトマン邸に不法侵入した対価を、まだ支払っていない連中がいますから。……一階で待っている連中のところへ、……『集金』に行ってまいりますわ」
俺は再び、一本の杖――今度はさらに重い、大理石の装飾が施された手すりの一部を、魔力で引き抜いて手にした。
カイルは、俺の背中に向かって、震える声で告げた。
「……パパが言ってたよ。……リリアは女神様かもしれないって。……でも、僕は違うと思う」
「あら、どう思われていまして?」
「……リリアは、僕たちの誇りだ。……世界で一番強くて、……世界で一番優しい、僕たちのリリアだ。……行ってきて。……悪い奴らを、こらしめてやって」
「――ええ、承知いたしました、お兄様」
俺は優雅に一礼し、戦場となった廊下を後にした。
階段を一段、下りるごとに、俺の内に眠る『剣聖アルス』の殺気が、一階で待ち構える者たちを絶望させるための、漆黒の炎となって燃え上がる。
一階の大広間。
そこでは、母エリナを窮地に追い込み、勝ち誇る敵のボスが待ち構えているはずだ。
(……待たせたな、首領殿。……元剣聖の、本当の『重み』。……その身に刻んでやる)
八歳の少女、リリア・ハルトマン。
杖を手に、伝説の降臨は最終局面へと突入した。
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次回お楽しみに。




