第二十六話:迎撃!エリナの魔法が火を噴く!
正面玄関の、重厚なオークの扉が音もなく崩れ落ちた。
それは力任せの破壊ではなく、幾重にも張り巡らされていた防衛術式を瞬時に「解体」された結果だった。ハルトマン邸に仕掛けられた結界は、王宮魔導師団の団長クラスでなければ突破不能なはず。それをこれほど鮮やかに無効化するとは、侵入者たちの背後にいる存在の底知れなさを物語っていた。
「……侵入を確認。……庭園から玄関ホールへ、第一陣、十二名。全員が魔力抑制の外套を纏っていますわね。……ふふ、随分と舐められたものですわ」
吹き抜けになった二階の回廊から、母エリナが静かに階下を見下ろしていた。
その手には、先ほどまで俺をあやすために使っていた、あの大きなピンクのリボンがついた「マジカル・ベビー・ロッド」が握られている。普段なら滑稽に見えるその杖も、今の彼女が持つと、伝説の魔王を屠るための神具のような威圧感を放っていた。
「殺せ。……ハルトマンの血筋は、一人として生かして帰すな」
黒装束の男たちが、影の中から染み出すように現れた。
彼らが手にするのは、光を反射しない特殊な加工が施された双剣。その刃には、微かな紫色の光――神経を麻痺させ、魔力回路を焼き切る猛毒が塗布されている。
男たちが一斉に跳躍した。
重力を無視したようなその跳躍は、身体強化の魔法によるものだ。十二の影が、蜘蛛のように壁や天井を蹴り、一気に二階のエリナへと殺到する。
「――無礼者が。私の庭で、誰に口を利いているのかしら?」
エリナが、優雅に杖を振るった。
瞬間、玄関ホールの空気が「凍りついた」。
比喩ではない。物理的に、大気中の水分が一瞬で結晶化し、零下百度を超える極低温の渦がホールを埋め尽くしたのだ。
「『氷蓮華』」
虚空に咲いたのは、美しくも残酷な、氷の散弾。
空中で回避不能となった暗殺者たちに対し、数千、数万の氷の針が、音速を超えて叩きつけられた。
「ぎゃあああああっ!?」
「が、はっ……!?」
悲鳴は一瞬で途絶えた。
肉体を貫かれた者、四肢を凍結させられ重力に従って床に叩きつけられた者。先頭にいた六人が、一瞬で物言わぬ氷の彫像へと変えられ、砕け散った。
(……流石だな、ママ。術式の展開速度、マナの収束率、どれをとっても現役の宮廷魔術師を凌駕している。……だが、敵も二枚腰だ)
俺は一階の食堂の影、天井の梁の上に潜み、状況を冷静に観察していた。
砕け散った仲間の屍を顧みず、残りの六人が懐から「それ」を取り出した。
どす黒い、嫌な光を放つ鉱石。
魔力を無差別に吸い込み、空間の理を捻じ曲げる禁忌の道具――『魔封石』。
それも、一つや二つではない。男たちは一人で複数の石を掲げ、エリナの周囲に投げ込んだ。
「――『吸魔の檻』、発動!」
投げ込まれた魔封石が、エリナを中心とした三角形の陣を形成した。
そこから放たれた黒い雷が、エリナの周囲に展開されていた防御障壁を、猛り狂う獣のように喰らい始める。
「……っ!? 魔封石の複数共鳴……。随分と高価なものを用意してきたわね」
エリナの表情に、初めて険しさが混じった。
魔術師にとって、魔力を吸い取られる空間は、水中にあるのと同義だ。呼吸をするようにマナを練ることができず、放った魔法は霧散し、魔力回路には激痛が走る。
「ガハハ! 『氷炎の魔女』も、この檻の中ではただの女だ! さあ、首を差し出せ!」
魔封石の影響を受けない物理的な暗器が、死角からエリナを狙う。
敵は、魔法が封じられるこの瞬間こそが最大の勝機だと確信していた。
(……フン。甘いな。……ママを、ただの魔術師だと思っているのか?)
俺は指先を弾いた。
魔法として放つのではない。俺の『重圧』を、目に見えないほどの魔力の礫として、エリナを狙う暗器の軌道上に置いただけだ。
カキンッ!
何もない空間で、暗殺者の放った針が弾かれた。
エリナは、その一瞬の隙を見逃さなかった。
彼女は杖を逆手に持ち直し、魔封石による干渉を受ける『外部のマナ』ではなく、自身の『体内にある魔力』を爆発させた。
「――魔力が足りないなら、私の命を燃やせばいいだけの話よ」
エリナの全身から、紅蓮の炎が噴き出した。
魔封石の吸引能力を遥かに上回る、圧倒的な熱量。
それは彼女自身の生命力の一部を魔力に変換する、文字通りの禁忌術――『魂の燃焼』。
「『紅蓮の回廊』」
エリナが床を強く踏みしめると、二階の廊下から一階のホールにかけて、巨大な火柱が奔流となって駆け抜けた。
魔封石そのものが熱で溶け、吸魔の結界が内側から吹き飛ばされる。
逃げ場を失った暗殺者たちは、声もなく灰へと変わっていった。
静寂が、再び屋敷を支配する。
炎の残滓が、パチパチと壁を焼く音だけが響く。
エリナは荒い息をつきながら、膝に手を置いた。
その肩は激しく上下し、美しかった金色の髪は汗で張り付いている。
今の一撃で、彼女の魔力の七割が削られたはずだ。
「……はぁ、……はぁ……。ふぅ、……これで、全部かしら……」
(……いいえ、ママ。……まだよ。……これは、ただの『先遣隊』に過ぎない)
俺の感知網は、さらに絶望的な事実を捉えていた。
正面の激闘は、陽動に過ぎない。
敵の本当の本命――精鋭中の精鋭二十人が、裏口と二階のテラス、そして俺が寝室から繋がる隠し通路として使っていたダストシュートの排出口から、すでに内部へと潜入していた。
そしてその先には。
シオンとカイルがいる、子供部屋のエリアがある。
(……ママを、これ以上戦わせるわけにはいかないな。……彼女の魔力回路は、今の過負荷で悲鳴を上げている)
俺は梁の上で、静かに立ち上がった。
手の中の木の杖が、俺の魔力に共鳴して微かに震える。
(……シオン。カイル。……待っていろ……今、俺が行く)
俺は闇に溶け込むように、音もなく梁から飛び降りた。
廊下の向こうから、兄たちの怯える気配と、無機質な殺気を放つ足音が聞こえてくる。
ハルトマン邸の戦いは、これからが本当の「地獄」の始まりだった。
そしてその地獄の門番は、八歳の少女という姿をした、古の剣聖が務めることになる。
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次回お楽しみに。




