第二十四話:談笑!兄上たちの苦悩と末娘の助言
六歳。世間一般では泥遊びに興じ、ようやく読み書きの基礎を学び終える頃だろうか。
だが、ハルトマン邸の庭園にある優雅なガゼボ(東屋)では、王国の武の未来を左右しかねない、あまりに濃密な「お茶会」が繰り広げられていた。
(……ふむ。やはり焼き立てのスコーンには、このベリーのジャムが一番合う。前世の戦場では、カビの生えた硬パンすら御馳走だったことを考えれば、今の俺は王侯貴族も裸足で逃げ出す贅沢の中にいるな)
俺ことリリア・ハルトマンは、特製のお茶会用椅子に深く腰掛け、上品に紅茶を啜っていた。
向かいには、九歳になった長男シオンと、八歳になった次男カイル。二人は出されたお菓子には目もくれず、真剣な、それでいてどこか縋るような面持ちで俺を凝視している。
「……それで、リリア。さっきの僕の演武、どうだったかな。父上には『気迫は認めるが、一撃が軽い』と一喝されたのだけど、自分ではかなり手応えがあったんだ」
シオンが、拳を握りしめながら問いかけてくる。
九歳のシオンは、すでに大人の騎士顔負けの体格になりつつある。ハルトマン流の重厚な剣技を継承し、訓練場では日々、巨大な木人を粉砕し続けている猪突猛進の少年だ。
「お兄様。……そうですね。力強さは申し分ありません。ですが、力が入りすぎていて、打突の瞬間にわずかに『呼吸』が止まっていますわ。……それでは、二太刀目が一呼吸分、遅れます。実戦ならそこが命取りになりますわよ」
俺は紅茶のカップをソーサーに戻し、落ち着いた口調で応えた。
六歳も後半になり、俺の発声は劇的に安定した。たどたどしさは消え、意識して「気品ある令嬢」らしい喋り方を演じているが、その内容は依然として歴戦の武人のそれである。
「呼吸……。やっぱり、そこか! リリアに指摘されると、いつも自分の盲点を突かれた気分になるよ。……よし、次は一振りごとに『吐く息』に意識を乗せてみる!」
「……シオン兄上。リリアが言いたいのは、ただの肺の呼吸だけではないはずですよ」
カイルが眼鏡をクイッと上げ、シオンの興奮を冷静に嗜めた。
八歳のカイルは、すでにハルトマン邸の書庫にある魔導書の多くを読破し、理論においては母エリナすら一目置くレベルに達している知略派だ。
「リリア。君が先日見せてくれた、あの『重圧』。……あれを僕の術式に組み込もうとしたのだけど、どうしても魔力回路が逆流してしまうんだ。君はどうやって、体内のマナをあの密度で固定しているんだい? 物理法則を無視したあの質量、僕の計算式にはどうしても当てはまらないんだ」
(……出たな。次男坊の、知的好奇心という名の追求だ。数式で捉えようとするのはあいつの美徳だが、武の極意は時に理屈を超えるものだ)
俺は、カイルが広げた難解な文字だらけのノートに目を落とした。
カイルは俺の「纏う魔力」を体系化しようと躍起になっている。
「カイルお兄様。マナは計算に従う僕ではありません。……それは、己の肉体の一部であり、流れる血液と同じですわ。……流れる場所を指定するのではなく、そこにあるのが当たり前だと、ただ意識を『置く』のです。お兄様の回路が逆流するのは、『動かそう』という意志が強すぎて、マナの反発を招いているからではありませんか?」
「……置く? 動かそうとせずに、そこに在るように、認識を固定する……ということかい? つまり、ベクトルによる制御ではなく、場としての定義……。なるほど、その発想はなかったな」
カイルが震える手でペンを走らせる。
一を言えば十を理解する。この兄弟の才能は、前世の俺が育てたどんな弟子よりも凄まじい。……まあ、俺の直接指導を受けているのだ、当然と言えば当然だがな。
「……リリア。君と話していると、時々、自分が本当に兄なのか分からなくなるよ。君の方が、何十年も先を歩いている聖者のように見えるんだ」
カイルが、尊敬と、少しの寂しさが混ざったような笑みを浮かべる。
俺は、おじさんの魂を隠すように、ニッコリと完璧な「天使の微笑み」を返した。
「何をおっしゃいますか。私は、お兄様たちの背中を追いかける、ただの妹ですわ。……こうしておやつが美味しいのも、お兄様たちが一緒にいてくださるからですもの」
あざとい。自分でも引くほどあざとい演技だ。
だが、この兄弟にはこれが劇的に効く。
「リリアァ……! なんていい子なんだ! よし、僕、次の試合で父上に勝ったら、リリアに一番綺麗なリボンを買ってくるよ!」
「……シオン兄上、リボンは僕がもうすでに予約してあります。それ以外に僕はリリアに、王都から取り寄せた最新の魔導論文をプレゼントするつもりです」
「リリアに論文なんて、重すぎて読めないだろう!? もっと女の子らしいものを選べよ!」
「いいえ、リリアなら理解できます。……リリア、リボンと、僕の論文、どっちがいい?」
(……究極の二択だな。……正直、論文の方がマシだが、六歳のフリをするならリボンと言うべきか。いや、カイルの論文も後の修行の役に立つな……)
二人の兄が俺を巡って、いつものように小競り合いを始める。
俺はそれを眺めながら、平和な午後のひとときを楽しんでいた。
九歳のシオン。八歳のカイル。
二人は今、このハルトマン家という殻を破り、外の世界へと羽ばたこうとする直前の、一番多感な時期にいる。
彼らが将来、俺の最強の味方となり、あるいは俺が守るべき大切な『家族』として完成するために、俺は今のうちに彼らの根幹を正しく導いてやらねばならない。
(……フン。この二人なら、俺がいずれ道場破りに繰り出す時、良い露払い(ガード)になってくれそうだな)
俺は、熱心に将来の野望を語り合う兄たちの姿を見ながら、前世の孤独だった剣聖の記憶を遠くに感じていた。
家族。
かつての俺には無縁だったその絆が、今は心地よい重みとなって、俺の魂をこの世界に繋ぎ止めている。
「――おやおや! 僕をのけ者にして、楽しそうなお茶会をしているねぇ!?」
ガゼボの外から、地響きを伴う声が響いた。
案の定、訓練を終えたパパことゼフが、汗だくのまま突進してくる。その後ろには、呆れた顔をしながらも優雅に歩いてくるママ、エリナの姿。
「パパも混ぜておくれ、リリア! パパ、今日はお前に見せたい新しい防衛術を思いついたんだ! 『ハルトマン流・極意・リリアたんを抱きしめて離さないの構え』だぁ!」
(……貴様は少し落ち着け、騎士団長。……その技、一歩間違えればただの事案だぞ)
ゼフが俺を抱き上げようと手を伸ばす。
俺は、最近覚えたばかりの『柔』の理合を使い、座ったままスッと重心をずらして、その豪腕を華麗に受け流した。
「あら。パパ、空振りですわね。……まずは、お体を清めていらしてください。汗臭くて、紅茶が台無しになってしまいますわ」
俺の、少し冷たくも気品のある指摘。
ゼフはショックでその場に膝をつき、滝のような涙を流し始めた。
「リ、リリアに拒絶された……! しかも、論理的に正論を叩きつけられた……! あああ! なんて賢い娘なんだ! パパ、今すぐお風呂に入って身を清めてくるよぉぉぉっ!!」
「ふふ、自業自得ね、あなた。……リリアちゃん、ママにはスコーン、一口くれるかしら?」
賑やかすぎるハルトマン家の午後。
六歳のリリアは、最強の家族を手のひらで転がしながら、着々と、そして着実に、二度目の人生の盤面を固めていく。
剣聖の魂と、美幼女の肉体。
その奇妙な共生は、家族という愛の熱量によって、ますます輝きを増していくのだった。
「ふふ、お兄様方。お茶のおかわり、いただけますかしら?」
俺の優雅な微笑みに、兄たちは再び、鼻血を出しそうなほどの歓喜に包まれるのだった。
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次回お楽しみに。




