第十九話:炸裂!泥団子は一撃必殺!?
二歳。それは人類が言語という高度な通信手段を本格的に獲得し、社会性を爆発させる時期である。
俺ことリリア・ハルトマンもまた、その例外ではなかった。
(……ふん。ようやく、この未発達な声帯が俺の制御下に入り始めたか。長かった。言いたいことも言えず、バブバブと虚空に叫ぶ日々は、剣聖の誇りにとって最大の試練だったと言わざるを得ない)
俺は庭の隅で、湿った土を弄りながら独りごちた。
脳内では流暢な王国標準語で語り合えるのだが、現実は非情だ。肺活量は足りず、舌の動きは追いつかず、複雑な語彙を口に出そうとすれば即座に「かみまみた」状態に陥る。
だが、それでも。
俺は今日、このハルトマン家に『宣言』しなければならないことがある。
「……し、しお……。……に、……にちゃ」
俺の背後で木剣を振っていた長男シオンが、弾かれたように動きを止めた。
彼は目を見開き、信じられないものを見るかのように俺を振り返る。
「……えっ? リリア、今……なんて言ったの?」
「……に、……にいちゃ。……み、……みて」
たどたどしい。あまりにたどたどしい。
一文字ずつ、肺の空気を絞り出すような発声。だが、その言葉は確実にシオンの心臓を撃ち抜いた。
「パ、パパ! ママ! カイル! みんな来てくれ! リリアが……リリアが僕のことを『お兄ちゃん』って呼んだんだぁぁぁぁっ!!」
シオンの絶叫がハルトマン邸に響き渡る。
数秒後、地響きを立てて階段を駆け下りる足音と、優雅ながらも異様な速度で移動してくる気配、そして本を抱えたまま全力疾走してくる影が集結した。
「リリア! 今、今なんて言ったんだ!? パパだ! パパと言ってごらん! さあ、さあ!」
ゼフが鼻息荒く俺を覗き込む。顔が近い。髭が痛い。
俺は心の中で溜息をつき、おじさんのプライドを一時的にゴミ箱へ捨てた。
「……ぱ、……ぱぱ。……あー、……ちゅき」
ドゴォォォォン!!
ゼフの後ろで、物理的な爆発でも起きたかのような衝撃が走った。
ゼフはそのまま膝から崩れ落ち、庭の芝生に顔を埋めて号泣し始めた。
「……死んでもいい……。僕は今、人生の絶頂にいる……。リリアが僕をパパと呼び……好きだと……好きだと言ってくれた……。ああ、神よ……エリナよ……僕はもう、思い残すことはない……」
「あなた、死なれては困るわ。……それよりリリアちゃん、ママにも、ママにも聞かせて?」
エリナが期待に満ちた目で迫ってくる。俺は彼女の期待を裏切るほど愚かではない。
「……ま、……まま。……き、……き、……れい」
「あらぁぁぁっ! なんてお利口さんなの! そうよ、ママは綺麗よ! リリアちゃん、世界で一番大好きよ!」
エリナが俺を抱き上げ、狂喜乱舞する。
……ふぅ。家族の機嫌取りはこれで十分だろう。
俺の本題は、ここからだ。
俺はエリナの腕から降りると、先ほどまで作っていた『泥団子』を一つ、手にした。
それはただの泥ではない。
俺が数時間をかけて土を練り、余計な不純物を取り除き、さらに「纏う魔力」を限界まで注入して圧縮した、超高密度・物理干渉型投擲兵器である。
(……いいか、家族ども。俺はただ可愛いだけの置物ではない。……俺が本気になれば、泥団子一つで世界が変わるということを、ここで示してやる)
俺は庭の端にある、高さ二メートルほどの巨岩を指差した。
それはゼフが以前、力自慢のためにどこからか運んできた、極めて硬質な花崗岩だ。
「……ぱ、……ぱ。……あれ、……みて」
「ん? あの岩かい? それがどうしたんだい、リリア。パパがもう一回持ち上げて見せようか?」
ゼフが涙を拭いながら立ち上がる。
俺は首を振った。
そして、手の中の泥団子に、最後の魔力を込めた。
(纏え……。一撃必殺の意志を、この球体に。……臨界点まで、圧縮しろ)
俺の小さな手のひらの中で、泥団子が黒光りし始める。
周囲の空気が、その圧倒的な質量に引きずられて僅かに歪む。
カイルだけが、その異変に気づいて眼鏡を光らせた。
「……っ!? パパ、下がって! リリアの手の中のそれ……魔力密度が異常だ!」
「えっ? あぶっ……」
俺は投球フォームに入った。
二歳の短い腕。だが、魔力によるバネの加速は、音速の壁すら容易に超える。
「…………えい」
シュッ、という鋭い風切り音。
次の瞬間。
ズドォォォォォォォン!!
轟音と共に、巨大な花崗岩が粉々に砕け散った。
いや、砕けたのではない。泥団子が直撃した一点を中心に、岩そのものが「蒸発」し、周囲には細かな砂塵だけが舞っていた。
余波の衝撃波が庭の木々を揺らし、ハルトマン邸の窓ガラスがガタガタと鳴る。
静寂。
砂塵が晴れた後には、岩があった場所には何も残っていなかった。
地面には、抉れたようなクレーターが一つ。
「…………な……」
ゼフの口から、魂が抜けたような声が漏れた。
シオンは腰を抜かして座り込み、カイルは持っていた本を地面に落とした。
エリナだけが、頬を引きつらせながら、俺の小さな手を見つめている。
「…………泥団子、よね? 今のは……ただの土、だったわよね……?」
(……フン。魔力を纏わせれば、土すらも神を殺す弾丸となる。……これが、俺の『一撃』の現在地だ)
俺は会心の出来栄えに満足し、家族の方を振り返った。
さあ、驚け。戦慄しろ。この二歳児の真の実力に、跪くがいい。
だが。
「…………す、……すごい……。……すごいよ、リリア!!」
ゼフが、再び号泣しながら俺に突進してきた。
「今の……見たかい、エリナ!? 『えい』って! リリアが、あんなに可愛い声で『えい』って言ったんだぞ!! あああああ! なんて、なんて力強い掛け声なんだ! リリアは世界一の投手だぁぁぁっ!!」
(……は? そこ?)
「本当ね……! 投げる時のフォームも、まるで舞い踊る妖精のように美しかったわ! それに『みて』だなんて……。ママ、一生見てるわよ、リリアちゃん!!」
「……いや、パパ、ママ。そこじゃない。注目すべきはあの岩の消滅具合だよ。……泥団子にこれだけの魔力を定着させるなんて、理論上は不可能……。……でも、リリアが『みて』って言ったのは、僕たちへの信頼の証だよね。……ああ、リリア。君の言葉は、魔法よりも僕の胸を熱くするよ……」
(…………どいつもこいつも、重症だ)
俺のデモンストレーションは、結局「リリアがお喋りした記念日」という巨大な親バカイベントの中に飲み込まれて消えた。
岩を粉砕した威力よりも、俺の発した「たどたどしい二語文」の方が、この家族にとっては重要だったらしい。
「リリア! もう一回、もう一回パパって言って! パパ、お小遣い全部あげるから!」
「リリア! お兄ちゃんとも呼んで! 僕、一生リリアの馬になるから!」
「あ、あうー。……ぱぱ、……めっ、……さい」
「ひゃぁぁぁっ! 叱られた! リリアに叱られたぞぉぉっ! ご褒美だぁぁぁっ!!」
(…………ダメだ、この家族。早くなんとかしないと)
俺は、熱狂の渦に包まれるハルトマン家の庭で、深く、深く溜息をついた。
たどたどしい会話。それは家族との意思疎通を容易にする一方で、親バカたちの暴走をさらに加速させる諸刃の剣であった。
俺の言葉が届くたびに、ハルトマン家は崩壊……いや、熱狂の極致へと進んでいく。
元剣聖の平穏な生活は、言語という翼を手に入れたことで、さらなる予測不能な混沌へと突入していくのだった。
「だぁー、あう!(よし、次は『酒、もってこい』を練習してやるからな!)」
俺の野望が達成される日は、まだ、少しだけ遠そうだった。
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次回お楽しみに。




