第十八話:崇拝!私のファンが熱すぎる!
二歳になった俺、リリア・ハルトマンに、新たな試練が訪れようとしていた。
それは「社交」という名の、貴族社会における面倒な義務である。
「リリア、じっとしていてね。今日は大切なお客様がいらっしゃるのよ」
母エリナの手によって、俺はまたしてもフリフリのドレス(今回は淡いブルーだ)に包まれていた。
鏡に映る自分を見る。……完璧な美幼女だ。中身が五十過ぎの剣聖だとは、神でも気づくまい。
(……フン。客だと? ゼフの知人なら、どうせ筋肉達磨の騎士か、腹の出た貴族だろう。適当に愛想笑い(バブバブ)でもしておけばいい)
俺は高を括っていた。だが、リビングに現れた人物を見て、俺の心臓は一瞬だけ止まった。
「やあ、よく来てくれたね、バルガス卿! 久しぶりじゃないか!」
ゼフが出迎えたのは、白髪の老騎士だった。
背筋は槍のように伸び、その眼光は老いてなお鋭い。
(……バルガス!? 生きていたのか、古狸め!)
バルガス。かつて俺、剣聖アルスが率いた部隊の副官を務めていた男だ。真面目で、融通が利かず、俺の無茶な突撃のたびに胃薬を飲んでいた苦労人。
まさか、こんな形で再会することになるとは。
「ハルトマン殿、お招き感謝する。……今日は孫娘を連れてきたのだ。挨拶しなさい、アイリス」
バルガスの後ろから、一人の少女が姿を現した。
四、五歳くらいだろうか。燃えるような赤髪をポニーテールにし、意志の強そうな吊り目をしている。ドレスよりも稽古着が似合いそうな、活発そうな少女だ。
「初めまして! バルガス家のアイリスです! 将来の夢は、伝説の剣聖アルス様のような、最強の騎士になることです!」
ビシッ! と音が鳴りそうな直立不動の敬礼。そして、開口一番飛び出したその名前に、俺は盛大に噴き出しそうになった。
(……ブフォッ!? ……おいおい、嘘だろう。こんなところに俺の熱狂的な信者がいるとは)
アイリスの目は、キラキラと輝いている。それは純粋な憧れと、少しの狂気を孕んだ「オタク」の目だった。
大人たちが談笑を始めると、俺とアイリスは子供部屋で遊ぶことになった。
二人きりになった途端、アイリスの熱量はさらに上がった。
「ねえねえ、リリアちゃん! あなたのお父様、最強の盾ゼフ様なんでしょう!? すごいね! でもね、私はやっぱり剣聖アルス様派なの!」
アイリスは持参した絵本――『英雄譚・剣聖アルスの伝説』という、事実が五割増しで脚色された代物――を俺に見せつけてきた。
「見て! この『神速の一撃』! アルス様はね、雷よりも速く剣を振れたんだって! あとね、目にも止まらぬ速さで敵のパンツの紐だけを切断した逸話とか、最高にクールだと思わない!?」
(……やめろ。その逸話は捏造だ。俺はそんなセクハラじみた技は使わん。……誰だ、こんな本を書いた奴は)
俺は心の中で頭を抱えた。自分の死後、まさかこんな形で神格化(一部歪曲)されているとは。恥ずかしさでドレスの下から火が出そうだ。
「私ね、アルス様の技を研究しているの! 見ててね、リリアちゃん! これが私の『アイリス流・神速剣』よ!」
アイリスは部屋にあったおもちゃの杖を手に取ると、いきなり素振りを始めた。
ブン! ブン!
……酷い。
気合はいいが、フォームがめちゃくちゃだ。肩に力が入りすぎているし、手首のスナップが死んでいる。あれでは「神速」どころか「鈍足」だ。剣聖の名を語るには、あまりにお粗末すぎる。
(……見ていられん。俺の名を語るなら、最低限の基礎くらいは身につけておけ、小娘)
俺の中の指導者魂が、恥ずかしさを超えて着火した。
俺はヨチヨチとアイリスに近づいた。
「とぉーっ! ……あれ? リリアちゃん、危ないよ?」
アイリスが杖を振り下ろした瞬間、俺はその懐に入り込んだ。
そして、彼女の右肘を、小さな掌で「クィッ」と押し上げた。
「……えっ?」
アイリスの動きが止まる。
俺が修正したのは、肘の角度だ。そこをほんの数ミリ上げるだけで、肩の余計な力が抜け、手首の可動域が劇的に広がる。
「あうー。……ここ、すっ(力を抜け)」
俺は幼児語で精一杯のアドバイスを送った。
アイリスは狐につままれたような顔で、もう一度、俺が修正したフォームで杖を振ってみた。
――ヒュッ。
先ほどまでとは違う、鋭い風切り音。
杖の先端が走る速度が、明らかに上がった。
「……うそ。……すごい。今、すっごく軽く振れた……!」
アイリスが自分の手と、持っている杖を見比べる。
そして、次に俺の顔を凝視した。その目の中の「キラキラ」が、先ほどとは違う種類の熱を帯び始めた。
「……リリアちゃん。あなた、もしかして……天才?」
(……ギクリ)
「私、何百回振ってもできなかったのに。あなたがちょっと触っただけで……。……そうか! ハルトマン家は剣の家門! あなたも、ゼフ様から英才教育を受けているのね!?」
アイリスの中で、勝手な解釈が爆速で進んでいく。
「すごい! やっぱり本物の騎士の家は違うんだ! 二歳で剣の理を理解しているなんて! ……リリアちゃん、いや、リリア姉様! 私を弟子にしてください!」
(……は? 姉様? お前の方が三つも上だろうが!)
アイリスは俺の前で、ビシッと片膝をついて騎士の礼をとった。
「お願いします、姉様! 私のこの、アルス様への迸る情熱を、本物の剣技に変えてください!」
(……断る。面倒くさい。俺は静かに暮らしたいんだ)
俺はプイッと顔を背け、ぬいぐるみの山へと避難しようとした。
だが、アイリスは逃がさない。俺の後を金魚のフンのようについてくる。
「待ってよ姉様! まずはその歩法から教えて! そのヨチヨチ歩き、実は重心移動の極意なんでしょう!?」
(……違う。ただの幼児体型なだけだ!)
その時、部屋の扉が開き、ゼフとバルガスが入ってきた。
「おや、二人とも仲良く遊んでいるかい? ……ん? アイリスちゃん、なぜリリアに跪いているんだ?」
ゼフが不思議そうに尋ねる。
アイリスは顔を上げ、熱っぽい口調で宣言した。
「ゼフ様! リリア様は素晴らしいです! 彼女は、剣の天才です! 私は今日から、リリア様を『剣の姉』としてお慕い申し上げます!」
バルガスが目を丸くし、ゼフは――。
「おおお! そうだろう、そうだろう! リリアの可愛さとカリスマ性は、初対面の相手すら虜にしてしまうんだね! いやぁ、我が娘ながら恐ろしい才能だ!」
ゼフはいつもの調子で親バカ全開だ。
だが、バルガスは違った。老騎士の鋭い眼光が、一瞬だけ俺を捉えた。
「……ふむ。アイリスがここまで懐くとは珍しい。……ハルトマン殿の娘御、ただ愛らしいだけではない、何か『芯』のようなものを感じるな」
(……チッ。流石は元副官。耄碌してはいないようだな)
俺はバルガスの視線を、無邪気な「あうー」という笑顔で受け流した。
こうして、俺の平穏な生活に、新たな騒音源が加わった。
「剣聖オタクの弟子(自称)」。
かつての部下の孫娘は、俺の正体を知らぬまま、俺を通して俺の影を追いかけるという、奇妙な二重構造の崇拝者となったのだ。
「姉様! 次はこの絵本に載っている『回転斬り』をやりたいんですけど!」
「だぁー! めっ!(やめろ、それは腰を痛める!)」
俺はアイリスが差し出すデタラメな絵本をペチペチと叩きながら、自分の過去の清算(イメージ修正)という、予期せぬ仕事に追われることになりそうだと予感していた。
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次回お楽しみに。




