第十五話:遠足!領地の中は敵だらけ!?
その日、ハルトマン邸は朝から異様な熱気に包まれていた。
理由は単純。今日は俺、リリア・ハルトマンの「お出かけデビュー」の日だからだ。
「リリア! 見てくれ、この新しいドレス! エリナが徹夜で刺繍してくれたんだよ! ああ、これを着たお前は、きっとどんな花よりも可憐なんだろうなぁ!」
朝からテンションが振り切れているパパことゼフが、フリフリのレース地獄みたいな服を俺に押し付けてくる。
俺は内心で深く溜息をついた。
(……フン。貴様らは「遠足」気分だろうがな。俺にとっては違う。これは「敵地視察」であり、ハルトマン領の防衛体制を確認するための重要な軍事行動だ)
二歳を目前にした俺は、ついに屋敷の外――「結界」の外へと足を踏み出す。
前世の記憶によれば、この辺りはかつて激戦地だった。今は平和に見えても、どこに敵国の間者や、俺(剣聖アルス)に恨みを持つ残党が潜んでいるか分からない。
(油断するなよ、ゼフ。貴様のその緩みきった親バカ面が、刺客を呼び寄せる最大の隙だぞ)
俺は着せ替え人形のようにドレスを着せられながら、密かに全身の魔力循環を戦闘モードへと切り替えた。
肌の下には鋼鉄の『鎧』を、四肢にはいつでも音速機動が可能な『バネ』を仕込む。見た目は天使のような幼女だが、中身は完全武装の歩く要塞だ。
準備が整い、俺たちは豪華な馬車に乗り込んだ。
ゼフの膝の上に座らされた俺は、馬車の窓から外の景色を油断なくスキャンし始めた。
(……御者の手綱さばき、悪くない。だが、右側の車輪の軸から微かな異音がする。整備不良か? それとも、誰かが細工を……?)
俺が目を細めて車輪の方を睨みつけていると、ゼフが俺の頭を撫でた。
「おや、リリア。馬車が珍しいのかな? 興味津々だねぇ。大丈夫だよ、この馬車は王家御用達の職人が作った最高級品だからね。揺れも少ないだろう?」
(……チッ。平和ボケしおって。この微細な振動が、時限発火式の魔導爆弾のカウントダウンだったらどうするつもりだ)
馬車は領都の中心街へと入っていく。
活気ある市場。行き交う人々。平和そのものの光景だ。
だが、剣聖の眼には、その全てが「脅威」として映る。
(……あそこの果物売りの老婆。リンゴの皮を剥くナイフの角度が鋭すぎる。あれは暗殺者の手つきだ。……そして、向こうの肉屋の親父。包丁を振り下ろす筋肉の動きに無駄がない。手練れの傭兵崩れか……!)
俺の視線が、次々と「仮想敵」をロックオンしていく。
市場の雑踏は、俺にとっては戦場そのものだった。いつ、どこから矢が飛んできてもおかしくない。
「わあ! 見てよリリア! 大道芸人がいるよ! 火を吹いてる!」
長男のシオンが窓の外を指差してはしゃぐ。
(……馬鹿め、シオン! あれはただの芸ではない。火炎魔法の詠唱破棄の隠れ蓑だ! あの距離なら、馬車ごと焼き払えるぞ!)
俺はゼフの腕の中で身を硬くし、いつでも防御態勢(魔力障壁の全開)に入れるよう身構えた。
「あらあら、リリアちゃん。そんなに怖い顔をして。初めての場所で緊張しちゃったのかしら?」
エリナが俺の頬をツンツンとつつく。
怖い顔ではない。これは歴戦の武人が見せる、警戒色のオーラだ。
「大丈夫よ。パパもママもいるんだから。リリアちゃんに手出しできる悪い人なんて、この国にはいないわ」
(……甘い。その慢心が命取りになるのだ、元宮廷魔術師よ。……俺が守らねば。この平和ボケした最強家族を、俺が!)
馬車が広場に停まり、俺たちは外に出た。
ゼフに抱っこされた俺の視線は高い。周囲を見渡すには絶好のポジションだ。
「おお! あれはハルトマン騎士団長様だ!」
「奥様もご一緒だわ!」
「それに、噂の可愛いお嬢様も!」
領民たちが集まってくる。皆、笑顔だ。
だが、俺は騙されない。群衆の中に紛れて近づく刺客の手口を、俺は嫌というほど知っている。
(……来るか? 右斜め前の男。懐に手を入れている。暗器か? ……左の女、花束を持っているが、その中に毒針を仕込んでいない保証はない)
俺の緊張がピークに達した、その時だ。
「騎士団長様ぁぁっ! これ! うちの自慢の焼き串です! ぜひ食べてってくださいよぉぉっ!」
ドスの効いた声と共に、一人の巨漢の男が、湯気を立てる巨大な肉串を突き出しながら、ゼフに向かって突進してきた。
(……っ!? 出たな、刺客!!)
俺の脳内で警報が鳴り響く。
あの肉串。先端が鋭利に尖っている。あれは肉を装った『槍』だ! しかも、あの突進の勢い。ゼフの喉元を確実に狙っている!
「おっと、これは店主。すまないが今は両手が……」
ゼフが俺を抱いているため、対応が遅れる。
男の肉串(槍)が、ゼフの顔面に迫る。
(……させん!)
俺は動いた。
ゼフの腕の中から、小さな右手を閃かせた。
魔力を纏い、鋼鉄の硬度となった俺の手刀が、空を切り裂く。
――パァンッ!!
乾いた音が広場に響いた。
俺の手刀は、男が突き出した肉串の側面を正確に捉え、その軌道を真横へと弾き飛ばした。
串から外れた肉塊が、綺麗な放物線を描いて空を舞う。
「……へ?」
男が間抜けな声を上げて立ち止まる。彼の手には、肉のないただの串が握られていた。
(……フン。甘いな。その程度の間合い、目をつぶっていても捌ける)
俺はゼフの腕の中で、静かに残心をとった。
完璧な迎撃。ハルトマン家の平和は、俺の手によって守られたのだ。
広場に沈黙が流れる。
ゼフが、目を丸くして俺と、空を舞う肉の行方(野良犬が見事にキャッチした)を見比べた。
「……リ、リリア? 今、何をしたんだい?」
(何って、貴様を守ったに決まっているだろう。礼には及ばん)
だが、ゼフの解釈は違った。
「ああ! そうか! リリアは、パパがダイエット中だってことを知っていたんだね!? だから、誘惑を断ち切ってくれたんだ! なんて親思いの娘なんだぁぁっ!!」
(……は? ダイエット?)
ゼフが俺を抱きしめて号泣し始める。
「ごめんよ店主! 娘が僕の健康を気遣ってくれてね! その肉は、あの犬へのプレゼントだと思ってくれ! 代金は倍払うよ!」
店主も「は、はぁ。騎士団長様のお嬢様は、しっかり者ですなぁ……」と苦笑い。
「リリア、すごいね。あの速さで串だけを弾くなんて。……君、やっぱりただ者じゃないね」
横で見ていた次男カイルだけが、眼鏡の奥で鋭い光を宿していたが、ゼフの感動の渦にかき消された。
(……まあいい。結果として危機は去った。……それにしても、この街の連中、ゼフのことを本当に慕っているようだな)
俺は周囲の領民たちの顔を見渡した。
皆、ゼフの親バカぶりを見て、温かい笑声を上げている。そこには、俺が警戒していたような殺意や敵意は微塵もなかった。
(……そうか。ゼフ。貴様が守りたかったのは、この景色だったのか)
前世の俺には作れなかった、屈託のない笑顔が溢れる世界。
俺は少しだけ、肩の力を抜いた。
(……フン。悪くない。……だが、油心は禁物だ。俺が目を光らせている限り、この平和は誰にも壊させん)
俺はゼフの胸板に顔を埋め、再び周囲の警戒スキャンを開始した。
初めての遠足は、元剣聖の空回りと、家族の勘違いによって、賑やかに過ぎていった。
ハルトマン領の平和は、最強の騎士団長と、魔女と、そして誰よりも警戒心の強い二歳児(中身五十歳)によって、今日も盤石に守られているのだった。
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次回お楽しみに。




