第十四話:知識!次男の本棚は宝の山!
二歳を目前に控え、俺ことリリア・ハルトマンは、ある深刻な事実に直面していた。
――情報が、圧倒的に足りない。
(……フン。これまでの二年間、生き残ることに必死で世界の情勢を確認するのを忘れていた。前世の俺が死んでから、この国はどうなった? かつての俺の『弟子』や『敵』はどうしている?)
宿敵ゼフや元宮廷魔術師エリナとの平穏(という名の過保護)な生活は、俺の牙を鈍らせるには十分すぎた。だが、俺はあくまで剣聖だ。いつまでもこの箱庭の中で「パパ、あっこ(抱っこ)」などと抜かしているわけにはいかない。
しかし、俺に与えられるのは、フワフワのぬいぐるみや、カラフルな絵本ばかり。
『おひさま、キラキラ』だの『森のくまさん、こんにちは』だの、そんな情報、元剣聖の俺にとっては何の価値もない。俺が知りたいのは、最新の兵法書であり、大陸の勢力図であり、魔導理論の最前線なのだ。
(……となると、狙いはあいつしかいない。知略派の次男坊、カイルだ)
カイルの部屋。そこはハルトマン邸における唯一の『知の聖域』である。
あそこには、王国騎士団長であるゼフですら「難しすぎて頭が痛くなる」と敬遠するような蔵書が山積みになっているはずだ。
決行は、昼下がりの休憩時間。
ゼフとシオンは庭で汗を流し、エリナはテラスでハーブティーを楽しんでいる。
俺は「纏う魔力」で気配を極限まで薄め、音もなく廊下を這い、いや、今や堂々と二本足で歩いてカイルの部屋の前へと到達した。
(よし。カイルは今、書斎で別の調べ物をしているはずだ。……潜入開始!)
俺はドアノブを魔力で操り、音もなく扉を開けた。
部屋に一歩踏み込むと、微かなインクの匂いと古い紙の香りが俺を歓迎した。
壁一面の本棚。そこには、俺が求めていたお宝がぎっしりと詰まっていた。
「……おお、これだ。これだよ。これこそが俺の求めていた『餌』だ」
俺は狂喜乱舞した。……もちろん、心の中でだ。
『王国軍事戦術概論』『大陸地理:失われた五十年の変遷』『魔力循環と神経系への干渉』……。
前世の俺なら涎を垂らして食らいつくような名著の数々。
(まずは地理だ。大陸はどう変わった?)
俺は踏み台を使い、棚の中段から分厚い地図帳を引き抜いた。
一歳児の腕力では無理な重さだが、魔力強化(纏う魔力)を使えば羽毛のように軽い。俺は床に地図を広げ、食い入るように見つめた。
(……ほう。北方の帝国は三つに分裂したか。あそこは昔から内紛が絶えなかったからな。そして我が王国は……南の海域まで領土を広げているのか? 流石はゼフの代だ、国防は万全というわけか)
地図の上に小さな指を走らせ、かつての戦場を辿る。
俺が最期を迎えたあの丘は、今は平和な宿場町になっているらしい。……悪くない。俺が守ろうとした世界が、こうして形を変えて残っている。
「……次は、魔導理論だ。エリナのデタラメな魔法の正体を暴いてやる」
俺は次に『高等魔導回路:その構築と破棄』という本を手に取った。
ページをめくる。……難解だ。
だが、今の俺にはエリナから受け継いだ(と思われる)強大な魔力がある。知識さえあれば、この「放出できない魔力」をさらに効率よく運用できるはずだ。
(……なるほど。魔力の放出には『体外マナとの共鳴』が必要なのか。俺が放出できないのは、俺の魔力が純度が高すぎて、外のマナを拒絶しているから……? ならば、共鳴させずに『強制介入』させれば……)
夢中だった。
一歳児が、床に這いつくばって難解な魔導書をめくり、時折「ふむふむ」と頷いたり、「チッ、理論が古い」と眉を潜めたりする。
その姿が、どれほど異様であるかに気づかないほど、俺は知の奔流に身を任せていた。
カチャリ、と背後で音がした。
(……っ!?)
しまった。集中しすぎて、背後の気配に気づくのが遅れた。
俺は慌てて本を閉じ、よだれを垂らしながら「ばぶぅ?」と首を傾げる無邪気な幼児のポーズを決めた。
「…………リリア? 君、僕の部屋で何をしているんだい?」
立っていたのは、次男のカイルだった。
彼は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、床に広げられた地図帳と、俺が手に持っていた魔導書を見比べた。
(マズい。……特にこの魔導書、カイルが一番大切にしていたやつだ!)
カイルはゆっくりと俺に近づき、俺の目の前で膝をついた。
彼の沈黙が怖い。知略派の彼は、パパのように「偶然だね」では済ませてくれない。
「……その本、僕でも理解するのに三ヶ月かかった最新の理論書なんだけど。……リリア。君、もしかして……読んでいたのかい?」
「あ、あうー? ……えー、あー、きー」
俺は必死に誤魔化した。本の表紙の金文字を指差し、あたかも「キラキラしているから興味を持っただけです」という風を装う。
「……地図も、君が開いたページは、五十年前の大戦の要衝だ。偶然にしては、あまりに出来すぎている……」
カイルの追求が止まらない。俺は冷や汗を流しながら、必死に「赤ん坊の純粋無垢な瞳」で彼を見つめ返した。
(頼む、カイル! ここは兄貴らしく、適当にスルーしてくれ!)
カイルは数分間、俺をじっと観察し続けた。
そして、彼はふっと表情を和らげ、俺の頭に優しく手を置いた。
「……そうか。分かったよ、リリア」
(お、分かってくれたか!?)
「君は、僕に構ってほしかったんだね? 僕がいつも本ばかり読んでいるから、君も同じことをすれば、僕が君を見てくれると思ったんだ。……寂しい思いをさせてごめんね」
(…………は?)
カイルの眼鏡の奥が、温かい兄の慈愛に満ちた。
「なんて健気なんだ、リリア。お兄ちゃんの気を引くために、わざと難しい本を持ってくるなんて。……よし、決めたよ。今日から、僕が君に『読み聞かせ』をしてあげよう。絵本じゃ物足りないみたいだし、この魔導書から始めてあげるね」
(いや……いや、待て。待ってくれカイル)
カイルは俺をひょいと抱き上げると、椅子に座らせ、俺の目の前で魔導書を広げた。
「さあ、まずはこの『第一章:マナの極性と魂の共振』からだ。……リリア、驚かないで聞いてね。マナっていうのは、実は意志の力で変質させることができるんだよ。……あ、言葉が難しいかな? えーと、マナさんはね、リリアちゃんの『お願い』を聞いてくれるんだよ〜」
(……屈辱だ。おじさんの魂を、そんな赤ちゃん言葉で教育しないでくれ!)
結局、その日の午後はカイルによる「高等魔導理論の赤ちゃん講義」に費やされた。
俺は内心で(そんなの知ってるよ!)とツッコミを入れつつ、カイルの熱心な、そして微妙にズレた解説を延々と聞かされる羽目になった。
だが。
「……でも、不思議だね。リリア。君にこうして説明していると、僕自身の理解も深まっていく気がする。君は、最高の聞き手だよ」
カイルは嬉しそうに笑った。
俺はカイルの楽しそうな横顔を見ながら、溜息を吐いた。
(……まあ、いい。情報収集はできたし、カイルの蔵書へのアクセス権も手に入ったようなものだ。……それに、こいつの教え方は、意外と論理的で分かりやすい)
元剣聖の俺にとって、知の宝庫への扉はこうして開かれた。
カイルという最強の「読み聞かせ役」を手に入れ、俺の知識は加速していく。
「あうー(よし、カイル。次は軍事戦術の章を読め。おじさんが赤ペン先生をしてやる)」
「ははは! リリア、やる気満々だね! よし、次はお兄ちゃんの自慢の蔵書、全部紹介してあげるからね!」
ハルトマン家の次男坊の部屋。
そこは、元剣聖が「天才幼女」としての仮面を被りつつ、世界を再攻略するための最強の作戦会議室へと変わっていくのだった。
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次回お楽しみに。




