第十二話:初歩!パパの技術を盗め!
これまでの俺は、己の『一撃』をこの肉体で再現することばかりに躍起になっていた。
だが、二度にわたる自爆――道場での回転暴走と、縁側の撃沈――を経て、俺は認めざるを得なかった。今の俺に足りないのは、筋力でも魔力でもない。この矮小な肉体という『器』を使いこなすための、全く新しい身体運用理論だ。
(……フン。前世では見向きもしなかったが、まさか宿敵の泥臭い技術に活路を見出すことになるとはな)
一歳半。俺ことリリア・ハルトマンは、縁側(昨日のうちにゼフが泣きながら修理した)に腰掛け、庭で一人、盾を持たずに型を繰り返すゼフの姿を凝視していた。
今日のゼフは、いつもとは違う『柔』の動きを見せている。
かつての戦場で俺を苦しめた、あの不壊の防御。それは単に筋力で攻撃を止めているのではなく、受け流し、逸らし、衝撃のベクトルを大地へと逃がす、極めて緻密なエネルギー操作の結晶だったのだ。
(見ていろ……。元剣聖の眼力を侮るなよ、ゼフ。貴様のその、一見隙だらけに見えて鉄壁な重心移動……全て俺の血肉にしてやる)
ゼフがゆっくりと掌を押し出す。
空気の層が、彼の動きに合わせて僅かに歪むのが見える。俺は魔力を視神経に集中させ、彼の筋肉の収縮、重心の推移、そして足裏から地面へと流れる魔力の『道』を、スローモーションのように脳内へ焼き付けていった。
(……ほう。腰を落とすのではない、膝の力を抜くことで瞬間的に沈み込むのか。そして、敵の力を受ける瞬間に、肩から肘へ、肘から掌へと魔力を円環させる……)
理解した。
俺の剣技が『点の爆発』なら、ゼフの防御は『円の循環』だ。
非力な俺が巨剣を御し、強敵の猛攻を凌ぐためには、この円の動きこそが不可欠。
俺は脳内で、自分の小さな体を使い、ゼフの動きを完璧にトレースしてみる。
(纏え……。内に籠もる魔力を、一点に留めるな。全身を巡る、絶え間ない大河の流れに変えろ)
じわり、と俺の小さな体に熱が宿る。
これまでは鋼鉄のように固めていた魔力の鎧。それを今日は、流動的な『水の衣』へと変質させていく。
俺が自己満足の極地(バブバブと頷く)に浸っていた、その時だ。
「おーい、リリア! 今日もパパを見守ってくれているのかい? 愛しの我が娘よ!」
訓練を終えたゼフが、爽やかな汗を振りまきながら駆け寄ってきた。
この男、切り替えの速さは天下一品だ。戦鬼の顔から一瞬で、鼻の下を伸ばした愚父の顔へと戻る。
「ははは! そんなに熱心に見つめられると、パパ照れちゃうなぁ。よしよし、今日はパパが特別に、お腹をこちょこちょしちゃうぞぉ〜! 『ハルトマン流・秘技・無慈悲な指先』だぁ!」
(……来たか。絶好の試験体め。……受けて立とうではないか、その軟弱な一撃を!)
ゼフの大きな手が、俺の柔らかな腹部に向かって伸びてくる。
通常の赤ん坊なら、その巨大な質量に圧倒され、なす術なく笑い転げるしかないだろう。
だが、今の俺は違う。
俺は魔力の『循環』を維持したまま、ゼフの手首が俺の肌に触れる刹那、小さな掌を添えた。
(……回れ! パパの力を、俺の円の中に引き込め!)
ゼフの指先が俺の腹に触れる。その瞬間、俺は自らの重心を僅かにずらし、掌を螺旋状に動かした。
――スッ。
「……えっ?」
ゼフの驚愕の声。
彼の大きな手は、俺の腹を捕らえることなく、まるで氷の上を滑るように外側へと逸れていった。
受け流し。
非力な幼児が、王国最強の騎士の指先を、完璧に無力化した瞬間である。
(クハハハ! どうだ、ゼフ! 貴様の技術は、すでにこの俺が盗み取った! 一歳児の掌一つで、貴様の攻撃は空を切るのみ!)
俺は心の中で不敵に笑い、二撃目に備えた。
ゼフは、信じられないものを見るかのように自分の手を見つめ、それから俺の顔を凝視した。
「い、今の……? 僕の手が滑ったのかい? それとも、リリア、君が今……?」
(そうだ。気づけ、宿敵よ。……いや、気づいても手遅れだがな!)
ゼフはもう一度、今度は少し慎重に、ゆっくりと指先を伸ばしてきた。
俺は再び、魔力の循環を掌に乗せる。
ゼフの力のベクトルを読み、最小限の軌道でそれを外へと誘導する。
――シュルリ。
またしても、ゼフの手は俺の横を空虚に通り抜けた。
完璧だ。俺の魔力操作と、ゼフの『柔』の理合が、一歳児の小さな体の中で一つになった。
ゼフの顔が、驚愕に引きつり――。
「……はわわわわわっ! 見てくれ、エリナ! リリアが……リリアが、僕の手を握ろうとして、照れて逃げちゃってるよぉぉぉっ!! なんて、なんて奥ゆかしくて可愛いんだぁぁぁ!!」
(……は? 奥ゆかしい? 逃げてる?)
ゼフは目から滝のような涙を流し、悶絶し始めた。
「僕が触ろうとすると、スルリと交わして恥ずかしがっている! あああ! 嫌がられているんじゃない、これは『好き避け』ってやつだね!? そうなんだね、リリア! パパ、もう胸がいっぱいだよぉぉぉっ!!」
(……正気か。どこをどう見れば、今の技術的防衛が『好き避け』に見えるんだ。……貴様、それでも王国騎士団長か!?)
俺の完璧な技術実証は、親バカフィルターによって「恥ずかしがる健気な娘の仕草」へと無残に変換された。
ゼフは再び、今度は強引に、俺を抱きかかえようと腕を広げる。
「おいで、リリア! パパが全身で受け止めてあげるよ! さあ、もう一度照れてごらん!」
(……うるさい! 抱きつくな! 修行の邪魔だ!)
俺は必死に魔力を循環させ、ゼフの抱擁を受け流そうとした。
だが。
――ベチャッ。
(……ぬぉっ!?)
ゼフの「愛の力(という名の無差別な物理的圧迫)」は、一点への攻撃ではなく、広範囲の面による制圧だった。
いくら指先を受け流したところで、丸太のような二本の腕で同時に囲い込まれれば、一歳児の掌では逃げ場がない。
俺はゼフの厚い胸板に、無念にも顔を埋められることになった。
「ははは! 捕まえたぞぉ〜、リリア! ほらほら、パパの胸でお休み」
(……くっ、面制圧か。……防御に特化した男は、これだから厄介なんだ。……だが、技術の手応えはあった。……次は、負けん)
俺はゼフの胸の中で、悔しさにバブバブと呪詛を呟きながら、今日の成果を反芻した。
盗んだ技術、第一段階完了。
俺は、ただ硬いだけの石から、受け流す水へと進化した。
一歳児リリアの修行は、宿敵パパの無意識の教育(と過剰なスキンシップ)によって、着実に、そして極めて不本意な形で加速していくのだった。
「だぁー、ばぶ!(次は貴様の喉元を受け流してやるからな!)」
「おやおや、リリアがお喋りしているよ! パパのこと、大好きだって言ってるんだね! ははは、パパも大好きだよぉ〜!」
ハルトマン家の庭園には、今日も勘違いに満ちた幸せな笑い声と、復讐に燃える赤ん坊の情熱が、奇妙な調和を保ちながら響き渡っていた。
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次回お楽しみに。




