第十一話:撃沈!重すぎる宿敵の剣!?
昨夜の失態は、剣聖としての俺のプライドに深い傷を残した。
道場の中央で独楽のように回転し、壁に激突するという屈辱。一歳児の肉体という『物理的な限界』は、俺が想像していたよりも遥かに高く、そして分厚い壁だった。
夜が明け、ハルトマン邸の庭園には爽やかな朝の空気が満ちている。だが、俺の心境は泥のように濁っていた。
(……質量だ。圧倒的な質量が足りん。どれだけ魔力で出力を上げようとも、支点となるこの体が軽すぎては、剣の慣性に振り回されるだけだ)
俺は縁側に座り、短すぎる足を投げ出して庭を眺めていた。
庭の中央では、パパことゼフ・ハルトマンが朝の素振りを始めている。
彼が手にしているのは、昨夜俺が手に取った長剣ではない。さらに一回り大きく、厚みのある訓練用の『素振り刀』だ。鉄の芯が入ったその重厚な得物は、成人男性でも持ち上げることすら苦労する代物だろう。
ブン……。
ブン……。
ゼフが剣を振るたび、空気が重く振動し、地面から微かな震動が伝わってくる。
かつての宿敵が見せるその動き。それは俺が得意とした『神速』とは対極にある、地響きを伴う『剛』の剣筋だった。
(……チッ。相変わらず、岩石のような男だ。ただ振るだけで、周囲の空間を威圧してやがる)
ゼフの足元を見れば、一歩踏み込むたびに芝生が深く沈み込み、彼がどれほどの重圧を地面に逃がしているかが分かる。
俺に必要なのは、ただの筋力ではない。あのゼフのように、大地と一体化し、剣の重さを己の力へと変換する『土台』の作り方だ。
「おや、リリア。今日もパパの格好いい姿を見に来てくれたのかい?」
素振りを終えたゼフが、汗を拭いながら俺の方へ歩み寄ってきた。
その顔は、先ほどまでの冷徹な武人のそれではなく、デレデレに溶けきった親バカの顔に戻っている。この男、切り替えの速さだけは一流だ。
「リリア、この剣が気になるのかい? ははは、これはパパでも重い特注品なんだよ。お前にはまだ……いや、一生早いかな。お前は重い剣なんて持たなくていい、パパが一生守ってあげるからね!」
ゼフはそう言って、巨大な素振り刀を俺の目の前の縁側に、ドスンと置いた。
床板がミシリと悲鳴を上げる。相当な重さだ。
(……一生早いだと? 言わせておけば……。今ここで、俺がその言葉を撤回させてやる)
俺の心に火がついた。
昨夜の失敗は、あくまで『振り回そうとした』からだ。ならば、振らなければいい。
ただ、この場でこの剣を『御して』見せれば、それで俺の勝ちだ。
俺はヨチヨチと立ち上がり、素振り刀の柄へと手を伸ばした。
「あ、危ないよリリア! それは指を挟んだら大変だ……」
ゼフが手を差し伸べるが、俺はその前に柄をガッチリと掴んだ。
(纏え……。俺の意志を、大地へと繋ぐ杭に変えろ。……一歳児の体重を、魔力の加重によって十倍、百倍へと擬似的に引き上げるんだ!)
俺は体内の魔力を、足裏から床下へと突き刺すイメージで展開した。
放出はできないが、内側で『指向性』を持たせることは可能だ。
重力。俺は自らの肉体を、一点に留まる巨大な質量体として定義し直した。
(上がる……。上がるぞ。昨夜とは違う。今の俺は、大地そのものだ……!)
俺は、巨大な素振り刀をゆっくりと、だが確実に持ち上げ始めた。
ミシミシ、ミシリ。
俺の小さな腕が魔力によって膨れ上がり(見た目は変わらないが、内側の密度は爆発している)、巨剣が床から浮いていく。
「……なっ!? り、リリア……!? それを、持ち上げるというのか……!?」
ゼフの目が驚愕に見開かれる。
そうだ、見ろ。これが貴様が守ろうとしている『ひ弱な娘』の真実だ。
俺はさらに魔力を練った。剣を水平に保ち、そのまま正眼に構えようとし――。
(……ぬっ!?)
異変は、俺の肉体ではなく、俺の足元で起きた。
魔力によって擬似的に重さを増した俺の肉体。そして、その俺が抱える巨大な素振り刀。
その合計重量は、もはや縁側の床板が耐えられる限界を遥かに超えていた。
バキィィィィィィン!!
乾いた破壊音が響き渡る。
次の瞬間、俺の視界がガクンと下がった。
(……あ、あれ?)
俺は、床を突き破っていた。
正確には、俺が踏みしめていた床板が粉々に砕け散り、俺はそのまま縁側の下の土壌へと、文字通り『撃沈』したのである。
「リ、リリアーーーーーッ!!」
ゼフの悲鳴が庭園を揺らす。
俺は床下に開いた穴の中に、素振り刀を抱えたままスッポリと埋まっていた。
幸い、魔力の鎧を纏っていたため怪我はない。だが、頭から床下の埃を被り、完全に身動きが取れなくなっていた。
「大丈夫かい!? 今助けるからね! ああ、なんてことだ! 床が抜けるなんて……リリア、お前、パパの剣を上げようとして、そんなに気合を……!」
ゼフは慌てて俺を穴から引き抜こうとするが、俺がまだ素振り刀をガッチリと掴んでいるため、なかなか持ち上がらない。
結局、ゼフが必死の形相で床下の柱を支えつつ、ようやく俺を救出した。
「ふぅ……ふぅ……。怖かったね、リリア。もう大丈夫だよ。……それにしても、どうして急に床が抜けたんだろう。昨日の点検では異常なかったはずなのに……」
ゼフは首を傾げながら、穴の開いた縁側を見つめる。
俺はゼフの腕の中で、埃を「ぺっ」と吐き出し、深く、深く絶望していた。
(……重すぎた。剣ではなく、俺の『気合(魔力加重)』が……)
一歳児が重い剣を持つ。その物理的な矛盾を解消しようとした結果、家を破壊してしまった。
これでは剣聖どころか、ただの『お騒がせ幼女』ではないか。
「あらあら、まあ……。随分と派手なことになったわね」
縁側の惨状を見て、エリナがリビングから顔を出した。
彼女は俺と、穴の開いた床を交互に見て、ふっと意味深な笑みを浮かべた。
「あなた、リリアちゃんにはその剣、やっぱり早すぎたみたいね。……でも、床を突き抜けるほどの『重み』を持とうとするなんて、面白い子」
「エリナ、笑い事じゃないよ! リリアが怪我をしていたらどうするんだ! よし、明日から縁側は全部、鉄板で補強しよう。……いや、リリアを近づけないようにするのが先か」
(……鉄板補強はやめてくれ。さらに足場が硬くなったら、俺の膝が保たん)
俺はゼフの胸元で、情けなさにバブバブと呪詛を呟いた。
撃沈。物理的にも、精神的にも。
俺の『重み』への挑戦は、ハルトマン邸の床に風穴を開けるという、何とも締まらない結果に終わった。
だが、俺は穴の中から見上げたあの瞬間に、一つだけ理解したことがある。
ゼフの剣の重さは、ただの魔力加重ではない。それは、足腰の粘りと、重心の移動によって生み出される『流動的な重み』なのだ。
俺がやろうとしたのは、ただの石像になること。だがゼフがやっているのは、流れる大河のような圧力。
(……負けた。……だが、次はこうはいかんぞ)
俺はゼフの首筋をペチペチと叩き、床の修理代を(心の中で)謝罪しつつ、次なる修行のステップを見据えた。
重すぎる宿敵の剣。
それを本当の意味で使いこなす日はまだ遠いが、俺の中に宿った『重み』への渇望は、砕けた床板のように鋭く、俺の魂を突き動かし続けるのだった。
「だぁー、ばぶ!(修理代はパパのお小遣いから出しておけ!)」
「ははは! リリアが慰めてくれているよ! やっぱりリリアは天使だなぁ!」
全く噛み合わないまま、ハルトマン家の朝はまた一つ、賑やかな(破壊的な)思い出を刻んでいくのだった。
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次回お楽しみに。




