第17話 リースリングの闇市
ジェシカ視点
リースリングは大きく分けて三つの区画に分けることができる。
一つ目は中央区。領邦軍が治安を維持しており、そこには一部の高級店や住宅、そして役所などが置かれている。冒険者はあまり立ち入らない場所だ。
二つ目は商業区。文字通り、商店や飲み屋などが軒を連ねており、ここにギルドもいる。冒険者がいるのは大体ここであり、アリスティアはここらの店で働いている。
三つめは住宅区。ここも文字通り、住宅が並ぶ場所だ。ジェシカが借りている宿もここにあり、落ち着いた雰囲気が漂っている。
ジェシカが今歩いているのは、その内の中央区――。
小綺麗な通りを、リリスと共に二人で歩いていた。
「ここが中央区――商業区や住宅区と違って、なんだか雰囲気が違うね」
「そりゃあね。住んでいるのもお金持ちや騎士なんかよ……リリス、あまり目立たないでよ。領邦軍に目をつけられたら摘まみ出されるから」
「はーい、分かっているって」
「本当に分かっているの……?」
ふんふんと上機嫌そうにリリスはジェシカの腕を取り、抱き着くようにして歩いている。ジェシカは小さく吐息をこぼし、軽く肩を竦める。
「別にリリスはついてこなくて良かったのよ。私一人でも」
「いやぁ、もしかしたらジェシカも危ないかもしれないでしょ? そんなの、一人にできるわけないなーと」
「ふーん……で、本音は?」
「一人でお留守番は寂しくて」
ぺろっと舌を突き出しておどけるリリス。それにジェシカは呆れつつも、釣られて小さく笑ってしまう。
「後で遊んであげるって言ったのに」
「それはそれ、これはこれ――で、話は戻すけどさ、ジェシカ」
リリスは少しだけ声を潜め、耳打ちするように言葉を続ける。
「本当にこの中央区に闇市があるの? 商業区じゃなくて?」
「ん、らしいわよ。まぁ、商業区はギルドのお膝元――そこで非合法な商売ができるはずもないからね」
「それもそっか。で、ここは領邦軍の管轄下にあるから、ギルドは手を出せないと」
「そういうこと。とはいえ、私も来たのは初めてだけど――ここね」
ジェシカは一軒の店の傍で足を止める。そこは昼間から開いている酒場のようで、中から落ち着いた音楽が聞こえている。
よし、とジェシカは頷くと、リリスの手を引いて物陰に移った。それから荷物の中からマントを取り出し、彼女に羽織らせる。それから革の首輪を取り出した。
「つけるよ。リリス」
そう言いながら彼女の細い首に首輪を回す。んっ、と彼女はくすぐったそうに喉を震わせるが、身動きはしない。その従順な様子にぞくりと背筋に甘美なものが走る。
(いつもじゃじゃ馬みたいな子に、首輪をつけるなんて――)
まるで、彼女を自ら物にしているような征服感すらあり――。
「……ジェシカ?」
声を掛けられて我に返る。ジェシカはごまかすように咳払いし、彼女にマントのフードを被せた。
「いい? 私が主人、リリスは奴隷――それで私は新しい奴隷を買いにここに来た、という筋書き。これでいい?」
「ん、もちろん――でも、悪くないかも。ジェシカの奴隷になるにも」
「あんまりふざけないの――行くわよ」
リリスがちゃんと顔を隠したのを見てから、ジェシカはその手を取って物陰から出た。それから深呼吸を一つして、店の中へと足を踏み入れる。
店の中は昼だからか、空いていた。客は数人いるが、誰も彼も胡散臭そうで、入って来たジェシカたちに視線を一瞬だけ向けるが、すぐに顔を伏せてしまう。息が詰まるような雰囲気の中、ジェシカはカウンターに真っ直ぐ向かった。
カウンター内にいるマスターはグラスを拭きながら眉を寄せる。
「――女が来るような店じゃねぇぞ」
「生憎だけど、奥の方に用があるのよ」
「何が欲しいんだ」
「女を酔わせる酒」
「……ふん、物好きなこった」
ちら、とマスターはリリスに一瞬だけ視線をくれ、軽く鼻を鳴らした。それからカウンターの天板を跳ね上げ、中の扉を親指で差した。
「なら、自分で探してくるんだな」
「そうさせてもらうわ」
ジェシカは澄ました顔で答えながら、内心で安堵していた。
(――情報通り、上手くいったわね)
闇市の入り方は予め情報屋から聞いていた。正直、危ない橋であるので戦々恐々だったが――ここまでは問題なさそうだ。
後は、闇市の中を探るだけ。ジェシカはリリスの手をしっかり掴み、カウンターの奥の扉を押し開ける。そこに広がっているのは、地下へと続く階段。
「足元、気をつけなさい」
ジェシカはリリスにそう告げながらゆっくりと闇の中へと階段を下っていく。二人の足音が響き渡り、店内の音楽は遠ざかっていく――。
どれだけ地下に降りただろうか、ふと階段の先に光が見え始めた。
それと同時に、喧騒も伝わってくる。
(――音の反響具合から、かなり広い空間があるみたいね)
ジェシカは目を細めながら階段を下り切り、その空間に足を踏み入れる。後ろに続いたリリスも足を踏み入れ、わずかに息を呑んだ。
「地下に、こんな場所が……」
そこは天井がドーム状になった地下空間だった。その中には掘っ立て小屋のような建物が立ち並び、あたかも一つの街のようになっている。
その小屋からは酔客の声や嬌声が響き、酒に入り混じって饐えた匂いが漂う。
ジェシカはリリスの手を引いて歩きながら、小声で告げた。
「過去、この街には大規模なダンジョンがあったらしいのよ。そこを制圧するための拠点がそのまま流用されて、リースリングになった、ってわけ」
「じゃあ、ここはダンジョンの跡地――?」
「と、考えられているらしいわね。あるいは、地下墓地か」
それだけにならず者の拠点としては最適だろう。うろついている連中は明らかにまともじゃない雰囲気を漂わせている。それに目をつけられないように足早に移動し、目的の場所を目指していく。
(入ってすぐの路地。その突き当りを曲がった場所――)
ジェシカは迷いなく歩いていき、角を曲がった先で足を止める。
そこの通りは雰囲気が違っていた。その左右には檻が並んでいるのだ。檻の中では膝を抱えて座り込む人間、獣人――それが通り沿いにずらりと並んでいる。
まるで見世物。それにリリスが不快そうに告げる。
「ここが奴隷市場――?」
「そうみたいね。奴隷通り、と呼ばれているらしいけど」
それに二人は圧倒されていると、不意に甲高い声が響き渡る。
「おやおや、見慣れないお客様だ――誰にご紹介していただきましたかな」
思わず心臓が止まりそうになる。だが、ジェシカは平静を保ちながら振り返り、そこに立つ男に目をやる。目がぎょろついた男が不気味な笑みを見せていた。
(このセリフは引っかけね。だから――)
ジェシカは余裕たっぷりを演じながらゆっくりと告げる。
「詮索屋は嫌われるわよ」
「これは失礼。珍しいお客様でしたので。何をお探しですかな?」
「新しい女の子を探しているのよ」
そこで言葉を切ると、ちら、と奴隷通りを見て訊ねる。
「この闇市では、ここが最大の市場と聞いたけど」
「かつ、唯一の、でございますな」
男は自慢げに言いながら手を広げ、悠々とした口調で続ける。
「ここでは複数の商人が持ち込み、商品の値段がつくのを待っております。私はここの管理人かつ案内人、というところでして」
「――なるほどね」
(好都合ね。ここで全部の奴隷商人が集まるわけか)
ジェシカは相槌を打ちながら、客を演じるべく商談を切り出すことにする。
「実はこの子の友達になれる子を探しに来たのよ。相応しい子はいるかしら」
「ほうほう、なるほど」
値踏みするように男はリリスの方に視線を移す。その眼差しが不快で顔を顰めていると、男はわずかに困ったように首を傾げた。
「そちらと釣り合うような方は我が市場にいるかどうか――さぞお高かったと思われますが」
「値段はつけられるような子ではないわね」
「左様でございましょう。何かご紹介できる子はいるかどうか」
(……リリスの価値を高く見積もってくれたわね)
悩んでいる男を見て、ふむ、とジェシカはわずかに目を細めた。やがて男はふと思いついたように手を叩き、顔を上げた。
「お客様はエルフには興味はございますか?」
「――エルフ?」
その言葉にぴくりとリリスが反応する。彼女自身、エルフの村の出身だからだろうか。それを気に掛けながらジェシカは訊ねる。
「エルフなんて仕入れるの?」
「最近、新しい商人が参入してきましてな。近々、入荷する予定があるのです」
「へぇ――それは興味があるわね」
「その商人と打ち合わせて入荷日を決めるのですが、来週には入荷できる見込みがあります。無論、他にも奴隷はありますが……」
そう言いながら男が奥の方をちら、と視線を向ける。
(――気になるけど、あまり深入りはしない方が良さそうね)
この場所に足を踏み入れること自体、危険なのだ。充分に情報は得られた。ジェシカは目を細めながら軽く肩を竦めた。
「期待できないけど、そのエルフは気になるわ。また来させてもらいましょう」
「恐れ入ります。お待ち申し上げております」
恭しく一礼した男に軽く頷き返し、ジェシカは踵を返した。リリスと共に足早にその場を立ち去ると、リリスが身を寄せて小声で告げる。
「――ありがと。ジェシカ。いろいろ聞き出してくれて」
「さすがにこれ以上は限界ね……何か尾行がいるみたいだし」
「あー、確かに。面倒くさ」
とはいえ、仕方がないだろう。金を持っていそうな女が二人。しかも片方は奴隷商人が認めるほどの価値があるのだ。下心を出す者もいるだろう。
ただ、ジェシカはそれなりに場数を踏んだ冒険者――それなりに立ち回れる。
「撒きながらずらかるわよ。リリス、合わせなさい」
「了解。本当に頼りになるね。ジェシカは。惚れ直しちゃうかも」
「……っ、冗談は休み休み言いなさい」
「冗談じゃないんだけどなー」
軽口を叩きながらジェシカとリリスは足を速める。それと同時に迫り来る気配――それに冷や汗をかきながらも、リリスと一緒なら切り抜けられる気がして。
ジェシカはリリスの手を強く握り、一気に地下を駆け出していた。




