第6話 冷たい雨
雨音が聞こえ始めたのは、夕暮れ前のことだった。
テントで共に話していたソフィーティアが長い耳をぴくりと動かし、視線をテントの外に向けて告げる。
「――雨、降り始めたな」
「ああ。エルフたちの一部を地下に招いて正解だったか」
「おかげで助かったよ。カイト様。まだテントや家の数が充分じゃないから」
ソフィーティアはそう言いながらテントの幕を少し開ける。そこからぱらぱらと降る雨粒を眺め、小さく吐息をこぼした。
「――恵みの雨だな。いろいろと助かりそうだ」
「水汲みは大変みたいだな」
「ああ、魔力で成長を促すことができても、水と栄養がなければすぐに枯れてしまうからな。幸い、ここの土は富んでいるのが救いだな」
(まぁ、火計のおかげで、実質焼き畑みたいな形になったからな)
口に出さずに小さく苦笑し、カイトは机の上に広げた竹簡に視線を向ける。
「何を作るにしても、この区画通りで頼むよ。ソフィーティア」
「ああ、了解しているよ――しかしカイト様は本当に途方もない計略を考えられるな」
ソフィーティアは苦笑しながら視線を竹簡の図面に向ける。それから視線をカイトの方に向け、軽く眉を吊り上げた。
「だが、これの決定打になるのはカイト様の魔力次第だ――並大抵の魔力では済まない。きちんと補充する術を確立しておくべきだぞ」
「ああ、分かっている。できるだけ魔力を確保するようにしておくよ」
(とはいえ、それも課題の一つだな――)
解決していない問題はまだまだある。一つ一つを着実にこなしていくしかないだろう。カイトは小さく吐息をこぼしていると、ふとフィアが心配そうに外を見ていることに気づく。
「――フィア、どうかしたか?」
「いえ――ローラがまだ戻ってこないことが心配になりまして」
「む、ローラ殿はまだ戻らないのか。こんな雨なのに」
「そうだな。確かに心配だ」
カイトはそう言いながら片目を手で覆い、ダンジョンの中を探る。ローラの気配は感じられるので、ダンジョンの森のどこかにいるようだが――。
「森の中のどこか――ただそれがどこかはイマイチ判別できないな。動きはなさそうだから、雨宿りをしているのかもしれない」
「では、迎えに行きますか?」
「そうだな。方角は漠然と分かるし、僕が行ってくるよ。フィアは居住区で待っていて」
カイトはそう言いながら腰を上げる。フィアはそれを見て心配そうに眉を寄せる。
「お一人で行かれるのですか? さすがに誰かがついた方が」
「いや、僕が一人で行く。ダンジョン内で滅多なことは起きないし、ローラと合流できれば彼女に警護をお願いできるから」
それにダンジョンコアの近くからフィアとローラ、どちらもいない状況は避けておきたい。万が一、攻め入られたときにコア周囲が手薄になるからだ。
カイトはフィアの目を真っ直ぐ見つめると、彼女は小さく吐息をこぼして頭を垂れた。
「――御意のままに。ですが、後でたっぷり労ってもらいますからね」
「ああ、もちろん。これは前払いとして」
カイトはそう言いながらフィアに近づき、そっと頭を抱き寄せて額に口づけする。フィアはその感触に嬉しそうに瞳を潤ませたが、傍のソフィーティアの生暖かい視線に気づいて慌ててカイトから距離を取る。
「か、カイト様、今は仕事中ですよ……っ」
「あ、私のことはお構いなく。フィア殿」
「構います!」
フィアは顔を真っ赤にしてカイトを恨めしそうに見やる。だけど、その唇は少しだけにやけていて――それをごまかすように顔を伏せ、カイトの背を押す。
「行くなら、さっさと行ってください。ローラをよろしくお願いします」
「ん、ありがとう。フィア。行ってくるよ」
そう言いながらカイトはテントの外に足を踏み出す。
降り注ぐ雨が入り交じる空気は、火照った身体に心地よかった。
◇
「あーあ」
降りしきる雨。それを眺めながら木陰でローラは膝を抱えて座り込んでいた。
近くには泉があり、水が跳ねる音がよく聞こえる。自身の晴れない気持ちを表したような、見事な雨模様だ。冷たい風も吹き渡り、身体の熱を奪い去る。
だけど、それが頭を冷静にさせてくれた。
(兄さま、姉さま、心配しているだろうな――)
何せ夕方なのに戻らずに、雨が降っている中、森の中に残っているのだ。
カイトが念話してこようとした気配もあった。心配している雰囲気も伝わってきた。だけど、ローラは一人になりたくて無視してしまった。
理由は単純――カイトとフィアが一緒にいるところを見たくないからだ。
(二人が幸せなのは嬉しいけど……なんだか、胸がもやもやするんだよね……)
嫉妬、というわけではないと感じていた。
カイトとフィアが結ばれたことは本当に心から嬉しい。だからローラはカイトとフィアをできるだけ二人にするようにしつつ、雑用を進んで引き受けるようにした。
最近は専らフィアの役目はカイトの供回りであり、それが当然だと思う。
ただ、その結果、二人のいる場所とローラが遠ざかってしまった気がして――。
(でも、ダメだよね。あんまりちょっかいを出したら)
二人が付き合う前は、姉を焚きつけるという名目でカイトに悪戯できた。その結果、フィアが怒って、カイトが仕方なさそうに笑い、二人は優しくしてくれて。
その陽だまりのような空気が、たまらなく心地よかったのに。
(――今は、寒い)
冷たい風が身を撫で、思わず身震いしてしまう。
でも、今後はそれが当たり前になっていくのだから、慣れないといけないのだ。幸せな二人のために、ひたすらにこの日陰に身を置き、尽くしていく。
それがきっと、大好きな二人のためになるのだから――。
そう言い聞かせながら、ローラは寒さに耐えるようにじっと膝を抱え込み、目を閉じ――。
「ローラ」
不意に、声が響き渡った。もはや聞き馴染んだ優しい声。
ローラは慌てて顔を上げ、目の前を見る。そこには茂みをかき分けるように一人の青年が姿を現していた。もう薄暗い闇の中でも見間違えない。愛しい、主人の姿。
カイトが、そこに立っていた。




