第14話 ただいまとおかえり
フィア視点
(――退きました、か)
フィアが火竜化した地点から少し離れた場所。そこで人間たちが撤退するのを遠目に見ていたフィアはゆっくりと身体を起こした。
その姿はすでに人間体――さらには全身泥に塗れ、森の暗がりに溶け込んでいる。火竜の姿で咆吼を放った後、すぐさま目星をつけた泥に飛び込み、迷彩を施したのだ。
(戦わずに、済みましたね)
ほっと一息つく。ここで人間たちがエルフを追撃する気配を見せれば、ここで再び火竜になり、奇襲を食らわせる魂胆だった。
だが、上空から駆けつけたローラが咆吼を響かせたこともあり、人間たちは戦意を喪失。干戈を交えることなく、人間たちを退いてくれた。
フィアは安堵の吐息をこぼしながら、金髪や白い肌にこびりついた泥をこそぎ落としていると、頭上から翼をはためかせる音と共にひらりとローラが舞い降りる。
「姉さま……っ!」
「ローラですか。助かりました」
ローラもすでに人間体に戻り、翼だけ生やした状態だ。彼女はフィアの傍に歩み寄ると、心配そうにフィアの姿を見つめて訊ねる。
「大丈夫? 姉さま。怪我は――」
「ないですよ。今回は一戦たりとも交わしていないので」
「そっか、そっか……良かったぁ」
ほぅ、とローラは安心したように吐息をこぼし、へにゃりと眉尻を下げる。
「ミレーヌから話を聞いたときはびっくりしたよ。それに聞いたところだと、姉さまが殿軍で残って戦うような口ぶりだったから――」
「最悪の場合は、それも覚悟していましたが。ただ、ローラのおかげで助かりました」
「ん、兄さまの指示で急いできたの。駆けつけたら、咆吼で存在を誇示して、人間たちを追い払って欲しい――って頼まれて」
(……え、それって)
図らずも、フィアが考えていた策と同じことをカイトは指図していたことになる。
思わず息を呑んでいると、ローラは悪戯っぽく笑って片目を閉じた。
「兄さまと姉さま、相変わらず息がぴったりだね」
(……いえ、これはきっとカイト様のおかげ――)
今までのフィアだったら、火竜の力に任せて人間を壊滅させようとしただろう。少なくとも戦わずに退くことなど認めなかったはずだ。
だけど、今回はカイトならどうするか――それを必死に考えて行動した。
これはきっとその結果なのだ。
フィアはこほんと咳払いすると、何気なく視線を逸らしながら告げる。
「まぁ、主従ですからね。当然です」
「本当にそれだけかなー?」
「何が言いたいのですか。ローラ……からかっていないで、帰りますよ」
「ま、それもそうだね。ここもまだ安全とは限らないし」
ローラはあっさりと頷くと、軽く口笛を吹き鳴らした。それを合図に茂みの中から漆黒の影が飛び出してくる――シャドウウルフの群れだ。
(森から遠吠えが聞こえましたが、この子たちも来ていましたか)
ローラは近くに寄ってきたシャドウウルフの背に跨り、フィアも首筋を撫でてから顔見知りのシャドウウルフの背に跨る。
「お願いします。みんな」
「オオオォォ――ンッ!」
シャドウウルフたちは遠吠えを上げると、すぐさま地を蹴り、森の中を疾駆していく。その速さに目を細めながら、ローラに声を掛ける。
「エルフの皆さんは、無事ですか?」
「一部はダンジョンにもう入ったみたい。残りも多分、直に入れると思う。姉さまのお手柄だね」
「私は私の役目を果たしたまでですけどね」
「でも、頑張り過ぎたんじゃない? 兄さま、すごく心配していたよ?」
「そうなのですか?」
「それはもう。今までにないくらい焦っていた。兄さま自身、ここに来ようとしたし」
その言葉にフィアは思わずぎょっとしてしまい、辺りを見渡す。ローラは苦笑しながら軽く首を振った。
「大丈夫。私とソフィーティアで止めたから。危険すぎるもの」
「……良かったです。カイト様なら、前線に出てきてもおかしくないですし」
「あはは、私たちが無茶すると必ず出てくるからねぇ」
ローラは苦笑すると同時に、騎乗するシャドウウルフが大きく跳ねて倒木を乗り越える。木々をすり抜けてから再びフィアとローラは並走し、言葉を交わす。
「いずれにせよ、早く戻った方がいいよ。兄さま、姉さまがいなくて寂しがっていたし。時折、姉さまが傍にいないのに『フィア――フィア?』って呼んでいたし」
「……ローラ、冗談も大概になさい」
表情が緩み掛け、慌てて律する――ここでにやければローラの思う壺だ。
「冗談じゃないけどなー。ま、兄さまに聞けば分かることだし」
「そうですね――早くお会いしたいです」
彼から離れたのは一週間近く。短いようで長い時間だった。彼の顔を見ていないだけで心細く、何とも言えない道中だったのだ。
この心を埋めるには、いち早く彼の顔を見る必要がありそうだ。
(――っと)
駆ける内にエルフたちの最後列に追いついたらしい。それを見据え、ローラは軽くシャドウウルフの首筋を叩きながら告げる。
「私は殿軍を引き受けるね。姉さまは、早くカイト様を安心させてあげて」
「了解しました。お任せしますね」
ローラは速度を落とし、エルフたちに合流。一方でフィアが跨るシャドウウルフはエルフたちを追い抜かし、ダンジョンの方へ瞬く間に駆けていく。
気づけば、見覚えのある木々が目に入り始めていた。
それにほっと吐息をこぼした瞬間、ふっと空気の感触が変わる。
(ようやくダンジョンに着きましたか――)
長かった。特にエルフたちと合流してからの逃避行は。
載せてくれたシャドウウルフの首筋を軽く叩くと、脚を緩めてくれる。それでもそれなりの速さで木々を駆け抜けると、すぐに拓けた場所に到達する。
視界に入るのは、エルフのテント――その外側では、辿り着いたエルフが腰を下ろし、休息を取っている。それを迎えたエルフたちは慌ただしく動き回っているようだ。
フィアはシャドウウルフから降り、ゆっくりと洞窟入り口の方へ歩いていくと、そちらから急いで駆けてくる人影が見えた。
(あ、カイト様――)
その姿に帰ってきたことを実感しながら一礼する。それを前にカイトは足を緩めずに、フィアの方へと駆け寄り――。
気が付くと、その腕で力強く抱きしめられていた。
「ぇ、あ、か、カイト様――?」
「……良かった。無事で……っ」
震える声と共に、彼は何度も確かめるようにフィアの髪を撫でる。その優しくも力強い抱擁にフィアの心拍数は急速に高鳴り――。
ふと、自分の身体が泥まみれであることに気づいて慌てる。
「か、カイト様、汚れてしまいます――」
「気にするものか。こうしてフィアが無事に帰ってきてくれたから……っ」
フィアが離れようとしても、カイトは離してくれない。その身体も震えていることに気づき、フィアは息を呑む。
(カイト、様……)
いつになく頼りなく、縋るようなカイトの姿。それに気づけばフィアは腕を上げ、カイトの身体を抱きしめていた。大きく逞しい彼の身体。
それがしっかりと抱きしめてきて、抱きしめ返すと温かい。
その熱がフィアの心にも届き、思わず胸が温かくなってくる。
「――ただいま、戻りました。カイト様」
「……ああ、おかえり。フィア」
その言葉と共に彼は少しだけ顔を離し、笑みを見せてくれる。見慣れたはずの笑顔はどこか眩しくて――フィアは彼の笑顔に目を奪われてしまい。
そして、自覚してしまう。
(――ああ、私はこの人に)
恋をしていたのだと。




