第11話 フィアがいない日々
「フィア、聞きたいことが――」
昼過ぎ、竹簡に目を通していたカイトは何気なく声をかけながら振り返り。
苦笑いを浮かべているローラと目が合い、思わず口を噤んだ。
彼女は小さくため息をつくと、腰に手を当てて告げる。
「兄さま、まだ姉さまは帰ってきていないよ。当たり前だけど」
「……そう、だな。分かっているつもりだったんだが、つい癖で」
カイトも思わずため息をこぼし、竹簡を畳んで部屋の椅子に腰を下ろした。
そう、まだフィアは東部へ出かけてから帰ってきていない。まだ彼女たちが発ってから十日しか経過していない。時間的には確実にあちらにはついているはず。
だから、戻ってくるのは五日ほどかかる。それは分かっているはずなのに――。
カイトは再びため息をこぼすと、ローラはカイトの正面に腰を下ろして目を細める。
「姉さまがいないのが寂しい?」
「ん――そうだな。寂しいというか、物足りないというか」
カイトは頷きながら背もたれに深く背を預ける。
考えてみれば、この世界に転生してから、フィアは片時も離さず傍にいた存在だ。今は寝室が別だが、まだ石室しかなかった頃は二人で同じ部屋で雑魚寝していた。
もはや一緒にいるのが当たり前になっていた存在。
彼女が傍にいないだけで、カイトはどこか落ち着かない日々を過ごしていた。
「で、姉さまに何を聞こうとしていたの?」
「新しく召喚する魔物の候補について。人間社会に溶け込める魔物っていたかな」
「んん……? まぁ、人型の魔物はいくらか思いつくけど……なんで?」
「諜報員として使いたくてな」
この辺はフィアだったら言わなくても察してくれるだろうな――と思ってしまい、カイトはまた苦笑いをこぼしてしまう。
あー、とローラは納得したように頷きながら腕を組み、眉を寄せる。
「そういう意味だと魔物を選ぶよね。姉さまも知っているかな」
「やはり、難しいと思うか?」
「うん。人型の魔物ならエルフもそうだし、ドワーフとか、あと獣人とかもそうだね。だけどまず外見が違ったりする」
確かにエルフは耳が長いし、獣人は察するに獣の身体的特徴が出ているのだろう。人間社会は自然と異なる外見のものを排他する傾向があるため、彼らが社会に入り込むのは非常に難しいだろう。
それに、とローラは指を立てながら言葉を続ける。
「よくよく探知してみると、体内魔力の質や量が違う」
「体内魔力……というのがあるのか」
「そう。魔術に長けている人間はそれで種族を判別したりする。だから、魔物が街の中に入り込むのは至極困難なんだ。とはいえ、人間社会と交流している魔物もいるのは話に聞くから、社会に紛れ込むのは不可能ではないと思うけど」
そういえばソフィーティアも言っていた。昔は人間と交易していたエルフもいた、と。
(そして裏を返せば、今はそうではない――)
人間たちは奴隷としてエルフを狩るような真似もしているのだ。迷いの森東部の街はもちろん、西部も恐らく同じだと思われるが――。
そこにどうやって諜報を仕掛けるが、非常に悩ましい部分ではある。
「……ソフィーティアに聞いてみたら?」
「無論、聞いてみたよ。ただ、森に棲む魔物以外はあまり詳しくないらしくて。人間に化けることを考えたら、妖霊に近い魔物が良いとは聞いたけど」
「あー、サキュバスとかヴァンパイアとか、そっち系だね。薄暗い場所とか、瘴気が漂っている沼とかに棲んでいる魔物」
「なるほど、そういう子たちもいるんだな。さすがファンタジー世界」
カイトは頷きながら、今聞いた内容を竹簡の端にメモしてから、それを畳んだ。ローラはそれを眺めながら、少しだけ申し訳なさそうに告げる。
「ごめんなさい、姉さまならもっと意見を出せるのだろうけど」
「いや、気にしていないよ。ローラはローラで、傍にいてくれて楽しいし」
「えへへ、本当? それは嬉しいな」
ころころと笑ってみせるローラの笑顔は無邪気で、見ていると心が癒される。ただ、やはり妹だけあってその顔はフィアに似通っていて。
自然とフィアの存在を思い出し、少しだけ寂しさを感じてしまう。
カイトはそれを打ち消すように首を振ると、ふと気になったことをローラに訊ねる。
「そういえば、ここ数日、ローラは悪戯してこないな。どうした?」
ローラは何かとつけてスキンシップが激しい子だ。
特にカイトとフィアが話していると、横から急に抱き着いてきたりするのだが、ここ数日はフィアのように一線を引いた位置で傍にいるだけだ。
彼女の豊かな胸や柔らかい身体を押し付けられると、煩悩が増してしまうので、カイトとしては助かるのだが――急に距離を置かれると、それはそれで寂しい。
カイトは不思議に思ってローラに視線を向けると、たはは、とローラは笑いながら視線を泳がせた。
「その――姉さまがいないと、つまらないし」
「まぁ、いつもフィアはいい反応するからな」
「それに……あまり兄さまを困らせるつもりもないし。二人っきりのときは姉さまの言う通り、慎みを持った方がいいかな、って」
(……ふむ?)
何となく取ってつけたような理由に、カイトは首を傾げる。
嘘は言っていない気がするが、はぐらかされているような気もして。
カイトはローラをじっと見つめてみるが、彼女は視線を逸らしたまま、カイトを直視しない。仕方なしにカイトは腰を上げ、彼女の正面に向かう。
「に、兄さま、何かな?」
「いや、何か隠されているような気がして」
「に、兄さまに、隠し事なんてないよ……っ」
「なら、目を見て話してくれるか」
「う、うん――」
ローラはおずおずとカイトと目を合わせる。無邪気な表情は今はどこか神妙になり、そわそわと身動きしている。次第に真紅の瞳は少し潤み、頬も朱に染まり。
視線が、また逸らされてしまう。
その様子にまさか、とカイトは目を細めた。
(恥ずかしがっている――? ローラが?)
試しにカイトは手を伸ばし、彼女の二つ結いにされた髪に触れる。これはいつものスキンシップであり、事ある毎にやっている行為だが。
彼女は緊張するように身を強張らせ、視線をあらん方向に漂わせていた。
「に、兄さま、くすぐったいよ……」
「そうか? いつも通り撫でているだけだぞ?」
そう言いながらさらさらの髪を撫で続ける。ほんの少しだけ、いつもより丁寧に。そしてその延長で頬を指先で撫でてみると、ひゃんっ、とローラは上ずった声をこぼし。
慌てて身を引き、上目遣いでカイトのことを睨みつけてくる。
「に、兄さま、からかっているでしょ……!」
「はは、悪い。あまりにも反応が可愛らしくてな。いつもの仕返しだ」
「……っ、姉さまがいないからって……っ!」
「そういうわけじゃないけど――なるほど」
自分で積極的にスキンシップしてくる割に、ローラは恥ずかしがり屋らしい。相手から迫られると余計に戸惑ってしまうらしい。
予期せぬローラの一面を知り、思わず笑みをこぼしていると、ローラは拗ねたように唇を尖らせ、ふん、と鼻を鳴らす。
「兄さまがその気なら、姉さまに言いつけるから」
「何をだ?」
「兄さまが姉さまのこと、恋しがっていたって」
「まぁ、それは事実だけどな」
「じゃあ、兄さまに虐められたって」
「フィアがそれを信じるかな。日頃の行いを鑑みると」
「ぅぐ……っ」
言葉を詰まらせたローラはぐぬぬ、と悔しそうな顔をする。あまり見たことがないローラの顔に笑ってしまいながら、悪い、と軽く頭を叩いた。
「少しからかい過ぎたな。フィアがいないと、どうも調子が狂うな」
「うう……姉さま、早く帰ってきて欲しいな……」
「本当に。そうしないと、またローラをからかうしかないからな」
「もうっ、兄さま……っ!」
怒ったように両手を振り上げるローラだったが、本気で怒っている様子はなく、口元は少し緩んでいて。カイトは笑いながら、悪い、と謝り続ける。
その一時を過ごしながらも――ふと思う。
(フィアも一緒に、こんな時間を過ごせたらな――)
フィアが不在の日々。それを過ごすたびに、彼女がいないことが身に染みていて。
どれだけ彼女の存在が大きかったか、思い知らされる。
早く帰って欲しい――そう願いながら、カイトはローラと他愛もない時間を過ごす。
そして――その一報は不意に訪れた。
『カイト様! 一大事だ!』
「……っ」
唐突に響いたソフィーティアの念話に、笑みが引っ込む。手を挙げてローラとの会話を切り上げ、意識をソフィーティアに集中させる。
『一体どうした。ソフィーティア』
『ミレーヌが戻った。緊急事態につき、彼女だけ先行して駆けたらしい』
(ミレーヌが……?)
その言葉に思わず目を見開き、片手で目を塞いだ。念視でダンジョン内に視界を飛ばす。ミレーヌの姿を探すこと数秒、地表が視界に飛び込んでくる。
土に塗れ、その場に座り込むミレーヌ。その頬には傷が走っている。
周りにはエルフたちがいて、彼女を介抱している。ミレーヌは呼吸を整えると、傍のソフィーティアと目配せし――瞬間、念話にミレーヌの意識が割り込んでくる。
『私たちの集落が焼き討ちに遭いましたの……っ』
その言葉と共に、彼女が見た光景も共有される。
焼けた集落から落ち延びるエルフたち。それを連れ、フィアとミレーヌたちは来た道を引き返し、急いでダンジョンへと向かう。
だが、その後ろから追撃してくる人間たち。それを感じたフィアは足を止め――。
『フィアさんが殿軍を引き受けています――至急、援軍を……っ!』




