第10話 夜のひと時
「フィア、頼みがあるんだ」
夜――食事を終えた後、カイトはフィアに声を掛けていた。
水浴びした後なのか、湿った髪の毛を乾かしていたフィアは、はい、とすぐに返事をして背筋を伸ばす。続けて、とカイトは手で合図しながら告げる。
「明日、エルフのミレーヌがもう一度、エルフの集落に発ち、またエルフたちを連れてくることになる。それに同道してくれないか? フィア」
フィアはその言葉に少しきょとんとしていたが、すぐに理解したように目を細める。
「カイト様の名代として、エルフの集落に行け、ということですね」
「ああ、そういうことになる。ついでに情報収集も、だな」
「はい、森の東部はまだ我々にとって未知の領域ですから」
打てば響くように、カイトの意図を察してくれるフィア。少し考え込んでから、彼女は顔を上げて訊ねる。
「そうなると数日間、留守にすると思いますが、ダンジョンの守備は問題ないでしょうか」
「それについては問題ないと考えている。現状、大きな軍の動きは観測できていないし、万が一来たとしても遅滞戦術が取れる魔力は確保できている」
ちなみにその魔力の一部を使い、シャドウウルフの斥候部隊を強化していた。ダンジョンの領域外にまで派遣し、冒険者たちの動きを観測している。
大軍の動きがあれば、彼らによって事前に察知が可能であり。
少数の冒険者であれば、新たにエルフが加わったダンジョンならば余裕で全滅させることが可能だろうと考えていた。
「だから、安心して任務に専念して欲しい」
「分かりました」
カイトの言葉にフィアは頷き、真っ直ぐな目つきで告げる。
「明日、ミレーヌさんと共に東部に向かいます。しばらく留守に致しますので、ローラを傍から離さないようにしてくださいね」
「あ、ああ――」
すんなりと頷いてくれたことに、カイトは少しだけ面食らう。フィアはそれに首を傾げたが、カイトの内心をやはり察したのか、苦笑を返してくる。
「分かっています。この任務で最適なのは私かローラ――であれば、私が行くべきだと思います。であれば、傍にいたいから、と我が儘は言いません」
「……ありがとう。本当はフィアに傍にいて欲しいんだが……」
「お言葉だけでも嬉しいです。ですが、ローラやソフィーティアさんがきっとお役に立ってくださるかと」
「例えそうだとしても、傍にいて欲しいのはフィアなんだけどな」
「……ありがとう、ございます」
その言葉にフィアの表情が少しだけ揺れた。だが次の瞬間には表情は引き締められ、真剣な眼差しで告げる。
「いち早くカイト様の元に戻れるように、お役目を全うしてきます」
「ああ、ありがとう」
礼を言いながらもフィアの反応に少しだけ不安を抱いてしまう。
(――ローラ曰く、また拗らせている、とのことらしいし)
できるだけ気に掛けて欲しい、と先ほどローラに言われたくらいだ。それなのに自分の傍から離すのはあまりにも心苦しい。
今からでも計画を変えるべきでは――そんな考えが頭を過ぎり。
その思考をすぐに打ち消し、カイトは口を噤んだ。フィアも無言で視線を逸らし、手持無沙汰に自分の髪の毛を弄っている。
その髪が湿っているのを見て、ふとカイトは口を開いた。
「――髪、乾かそうか?」
「え、ぁ……髪、ですか?」
「うん、まだ濡れているだろう?」
カイトは立ち上がり、戸棚から団扇を取り出す。
時々、フィアとローラは互いの髪を乾かしている。それを真似てカイトはフィアの後ろに立つと、フィアは少し戸惑いながらもこくんと小さく頷いた。
「あ、ありがとうございます――でもカイト様の手を煩わせるわけには」
「僕がやりたいんだ。それともフィアは嫌かな」
「嫌なんて滅相もないです……っ」
フィアは慌てて首を振り、遠慮がちに椅子に座り直した。それからちら、とカイトを見ながら顔を伏せさせる。
「お願い、してもいいですか?」
「ああ、もちろん」
カイトはフィアの後ろに回ると、彼女の髪に指先で触れる。いつも撫でている髪の毛だが、湿っていると感触がやはり違う。それを指で梳きながら、団扇で風を当てていく。髪を梳いていくと、フィアは心地よさそうに吐息をこぼした。
「こんな感じで大丈夫か?」
「はい――丁寧で気持ちいいです」
「それは良かった。続けるな」
「お願いします」
丁寧に彼女の髪にいろんな角度から風を当てていく。そうしながら彼女の髪を梳くようにして頭を撫で、その感触を楽しむ。
フィアも最初は少し緊張していたが、やがて彼の手つきに身を委ねて力を抜いていた。その様子に目を細めながら、カイトは言葉をかける。
「なら、折角だからマッサージもするか?」
「マッサージ、ですか?」
「ああ、少し触れるよ」
フィアの首筋に手を当て、軽く指圧をしていくと、彼女は気持ちよさそうに喉を鳴らした。ふふ、とカイトは笑って片手で団扇を仰ぎつつ、片手で首や肩を揉む。
「いつもフィアには世話になっているからな」
「そんな……私なんて、全然なのに……」
「そんなことはないぞ。一回、きちんと話さないとな。どれくらい僕がフィアに頼っているか、ってことを」
「ふふ、お手柔らかにお願いします……んぁ、そこ……っ」
フィアの艶めかしい声に少しどきっとしてしまう。後ろから見えるうなじも綺麗で、彼女の横顔も色っぽい。一瞬だけ手が止まりかけ、だが、すぐに気を取り直してマッサージと髪を乾かす手を動かし続ける。
(なんでこんなに自己肯定感が低いのかね、フィアは)
カイトはか細い彼女の肩を親指で指圧しながら思う。
言うまでもなくフィアは火竜。実力は充分に備わっており、前回は隊長クラスの侵入者を撃退することに成功している。また最初の頃に比べると思慮深くなり、カイトの考え方に合わせられるようになった。
カイトとしてもこの世界で一番信頼を寄せているのは、フィアなのだ。
(それに――こんなにかわいいのに)
髪をさらりと指で梳き、団扇で乾かす。それを味わうフィアの顔はもう見慣れてきたものの、それでもその笑顔や何気ない表情に目を奪われることがある。
それは今もそうで――。
「……あ」
「ん……」
カイトとフィアの目が何気なく合う。そのまま合わさった目は逸らすのが惜しくなり、食い入るように互いの瞳を見つめ――。
「……っ」
二人は同時に弾かれたように視線を逸らした。それからカイトは手元の髪を軽く梳きながらごまかすように告げる。
「か、髪が乾いたぞ。フィア」
「あ、ありがとうございます。カイト様――髪、乾かすのお上手ですね」
「見様見真似だけどな」
そう言いながらカイトはフィアの髪から手を離す。それが何となく名残惜しく感じていると、フィアは自身の髪に触れながら上目遣いで告げる。
「――その、カイト様……帰ったらまた、髪を乾かしていただけますか?」
「無論、いくらでも」
カイトが即答すると、フィアは嬉しそうに表情を綻ばせた。ありがとうございます、と再び礼を口にしてから、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「それを励みに、明日から行ってきます」
「ああ――早く帰ってくることを期待しているよ」
その言葉には、少しだけカイトの本音が入り交じる。
それにはフィアは少しだけ目を見開き――やがて頬を朱に染めて、こくんと頷き。
必ずや、と誓ってくれたのだった。




