序章
ダンジョン――それはこの世界における魔物たちの棲息域を指す。
森、山、海、氷原、砂漠。ありとあらゆる場所に存在し、その中心にはダンジョン全体に魔力を行き届かせる希少な鉱石、ダンジョンコアが存在する。
それを始めとした、ダンジョンから産出される資源は人間社会において欠かせず、毎日のように冒険者たちが一攫千金を夢見て挑み続けている。
そして、今日もまた、とあるダンジョンに六人の年若い冒険者たちが侵入する。
実力を伸ばしつつある冒険者たちであり、一人はかなりの実力者である若者――だが、運の悪いことにそのダンジョンは狡猾な罠が仕掛けられていた。
それを知らずに足を踏み入れた彼らは、その報いを受けようとしていた。
「くそ、なんてダンジョンだッ!」
洞窟内を足音と荒い息が反響する。その先頭を駆ける冒険者は満身創痍――鎧はぼろぼろになり、切り傷や擦り傷に覆われている。
後に続く三人の冒険者たちも血を流し、息を切らしている。後ろを振り返りながら必死に足を動かす。だが、その足取りは明らかに重く、その目には余裕はない。
それもそのはず――今、彼らは魔獣たちの追撃を受けつつあるからだ。
(思えば、大分不気味だった――)
冒険者の一人が苦々しく思いながら振り返る。
順調に進んだ道は思えば枝分かれが少なく、魔獣との遭遇も少なかった。たまたまだと思っていたが、どうやらそれは誘い込まれていたらしい。
気づけば、冒険者たちはこのダンジョンの中層まで足を踏み入れ。
そこで魔物たちの待ち伏せを受けたのである。
それも、周到に構築された陣地から一方的な投石や矢によって。
彼らが見たことも聞いたこともないダンジョン。
魔物たちの陣地構築はもちろん、伏兵や追撃などは組織立っており、魔獣の動きも軍隊のようで――ダンジョンというよりは、城や砦のような防衛拠点。
(まるで、何者かの意思によって統率、指揮されているような――)
その得体の知れなさに冒険者は身震いし、思考停止してしまう。
このダンジョンに挑むには、彼らはあまりにも若すぎた。想定外の事態に浮足立ち、その隙を衝かれ、彼らは二人の仲間を失っている。
もはや彼らは必死にここから逃げ出すしかない。
だが、そんな彼らを逃がすつもりはないとばかりに、魔物たちの足音が響き渡る。近づきつつある気配に舌打ちを一つこぼし、先頭を駆けていた剣士が足を止めて振り返る。
「お前たち、先に行け――! ここは俺が足止めする」
「だけど……っ!」
その声に冒険者たちは足を止めかける。だが、それを叱咤するように剣士は激しい声と共に足を強く踏み慣らした。
「いいから行け……! 命あっての物種だ……!」
その声から伝わってきたのは激しい覚悟だ。
冒険者たちは悲痛そうに表情を歪めたが、頷き合ってダンジョンの出口を目指して駆ける。三人の冒険者が駆ける背後からやがて響き渡ったのは、剣戟の音――。
だが、それはやがて聞こえなくなり、三人の冒険者たちは表情をさらに歪める。
仲間を見捨ててしまった。その重責が心に圧し掛かり。
罠の存在を、見逃してしまった。
「――っ!?」
微かな悲鳴と共に、前を駆けていた冒険者の姿が消える。二人の冒険者が慌てて踏みとどまれば、目の前にぽっかりと空いていたのは落とし穴。
その底に冒険者は落とされ、身動きが取れなくなっている。
助けるか、見捨てるか。一人の冒険者の思考が揺れ、止まりそうになる。その一方でもう一人の冒険者は助け出そうと決意し、ロープを取り出そうとして。
その背が、蹴り飛ばされる。
「あ――」
落とし穴に落ちる冒険者。驚愕と絶望に満ちた顔で落下していくのが、何故かゆっくりと見えた。残された冒険者は一瞬で我に返ると、横を振り返る。
その目に入ったのは、一人の少女の姿だった。
燃えるような紅い瞳で冒険者を見据え、長い金髪を揺らしながら踏み込んでくる。迫り来る回し蹴りを、冒険者は為す術もなく見るしかなく。
衝撃が頭に迸った瞬間、視界が真っ暗になった。
◇
「……無事終わり、か」
ダンジョン最奥――そこの椅子に腰かける青年は掌で片目を抑えていた。
その覆われた目に映っているのは、ダンジョン内の様子だ。その視界では無力化された冒険者たちが縛られ、運ばれていく光景が見えている。
彼は安堵の吐息をこぼすと、掌を外した。それだけで視界が元通りになる。
程なくして部屋の扉が軽く叩かれる音に、青年は軽く声を返す。
「入っていいよ。フィアルマ」
「はい、失礼いたします」
その声と共に入ってきたのは、つい先ほどまで水晶玉に映っていた金髪紅眼の少女だ。汗一つも見せず、彼女は青年の目の前まで歩むと、跪いて頭を垂れる。
「制圧が完了しました。カイト様」
「ああ、お疲れ様。フィアルマ。顔を上げて」
カイトは軽く頷きながら労いの言葉を掛けつつ、目の前の少女を見つめる。
彼女はすぐに顔を上げ、少しだけ嬉しそうに目を細めた。
顔の輪郭は、わずかに幼さを残しているものの、小さく可憐な唇、すっきりと整った鼻梁、さらに透き通るような白い肌が、神秘的な美しさを表している。
何より目を惹くのは、焼けるような真紅の瞳。その瞳には強い光を宿しており、つい見入ってしまう。
彼女の名は、フィアルマ。このダンジョンを護る仲間であり、カイトが最も信頼を寄せる相棒だ。彼女の瞳を見つめ返し、彼は口角を吊り上げて告げる。
「状況はダンジョンコアを通じて見ていた。見事だったよ」
「この程度、造作もないことです。私が出る間もなく終わりましたので」
彼女はこほんと咳払いを一つし、経過を報告してくれる。
「侵入者は総員で六名でしたが、罠で分断して一人一人確実に制圧しました。一人手強い剣士がいましたが、ローラを投入して完封です」
「死傷者は?」
「牽制に投入したシャドウウルフが被害を受けています。重傷が一体、軽傷が三体。死者はいません」
「うん、良かった。見事な手際だよ、フィアルマ」
ダンジョンの損害はほとんどゼロに等しい。
その結果に手放しで褒めると、彼女は少しくすぐったそうに表情を緩める。
「カイト様の指揮あっての賜物ですよ」
「でも前線できちんと判断し、適切に判断したのはフィアだ。よくやったね」
愛称で彼女を呼ぶと、心の底から嬉しそうにフィアは頬を染めた。彼女はつんつんと指を突き合わせると、上目遣いで見上げる。
「その……もし、ご評価されていただけるのなら、お願いが」
「ん、どうぞ」
「その……よろしければ、ご褒美を――」
フィアが言いかけた瞬間、ばん、と音を立てて部屋の扉が開いた。視線を上げると、金髪をなびかせて一人の少女が飛び込んでくるところだった。
そちらに向き直ると、少女はカイトの胸に飛び込み、抱きついてくる。
「カイト兄さま、ただいまっ」
「――っと、ローラ、おかえり」
ぐりぐりと胸板に顔を擦りつけて全力で甘えてくる少女。軽く背に手を回して叩くと、彼女は顔を上げて嬉しそうにはにかんだ。
フィアに似通った顔立ちの少女――それもそのはず、ローラはフィアの妹だ。大人しく控えめなフィアと違い、天真爛漫さを隠そうとしない無邪気な笑顔が魅力的だ。二つに結った金髪を揺らしながら、彼女は弾んだ声で告げる。
「兄さま、今日は剣士を仕留めたよっ、兄さまから教えてもらった不意打ちで!」
「そりゃ良かった。少しは役に立ったか?」
「とっても!」
彼女はこくこくと頷くと、褒めて欲しそうに目を輝かせる。
仕方ない、とカイトは苦笑をこぼしながらその髪を梳いていると、こほん、と一つ咳払いが響く。視線を上げると、目の前ではフィアが引きつった笑みを浮かべていた。
「……ローラ、少しはしたないですよ。カイト様もご迷惑されています」
「あ……迷惑だった?」
姉の言葉に少ししゅんとするローラに、カイトは目を細めながらその頭に手を置いた。
「迷惑ではないけど、今、フィアと話をしていたからな」
「あ、ごめんなさい、フィアルマ姉さま」
ローラは姉を振り返り、素直に頭を下げる。それに仕方なさそうにフィアは表情を緩めながら歩み寄り、ローラに柔らかく声を掛ける。
「……いいんですよ。ローラ。今日はお疲れ様でした――汗は流してきましたか?」
「あ、まだだったっ」
ローラはぱっとカイトから身を離すと、頬を染めながら恥ずかしそうに笑みをこぼした。カイトは小さく笑いながら頷いた。
「先に汗を流しておいで。その後にゆっくりお喋りしよう。ローラ」
「うんっ、行ってくるね、兄さま、姉さま」
ローラは頷くと、ぱたぱたと駆け足で部屋から出ていく。それを見てフィアはため息をこぼした。
「全く入るときも出るときも忙しない――すみません、カイト様」
「いや、気にしていないよ。むしろ頑張ったローラは労ってあげないとな」
「はい、後でぜひよろしくお願いします」
「ん。それと」
目を細めながらカイトはフィアに手を伸ばす。その頭にぽんと手を載せ、髪の毛を優しく梳くと、彼女は大きく目を見開いた。
「あ――」
「フィアも、お疲れ様だ」
「……はいっ」
嬉しそうに表情を緩ませた彼女は、心地よさそうに目を細める。それを見やりながら、カイトはふと内心で苦笑を浮かべた。
(こんな可愛い子が、魔獣だとはな……)
フィアルマとローラ――この姉妹はカイトにかけがえのない相棒であり。
同時にダンジョンを護るために現れた火竜の人間体である。
その出会いは今から一年前。
カイトが、この世界に転移したときに遡る。




