第32話 聖女、神殿に“風鈴の音”を――恋の証
朝。
神殿の中庭を吹き抜ける風が、
やわらかい音を奏でた。
「……ん、いい音。」
目を開けると、窓際に吊るされた小さな風鈴が揺れていた。
昨日、真由が街で買ったものだ。
透明な硝子に、薄青の花の絵。
光を受けてきらりと輝くたび、
まるで空気そのものが笑っているみたいだった。
「……本当に、付けてくださったんですね。」
声に振り向くと、
ドアの前にユウヒが立っていた。
「もちろん。せっかく買ったんだし。
どう? 君の部屋のと、おそろい。」
「……“おそろい”。」
その一言だけで、
ユウヒの顔がほんのり赤く染まった。
「い、いい響きですね……。」
「ふふ、そうでしょ。」
真由はベッドの上で胡坐をかきながら笑った。
(聖女なのに座り方がOLモードなの、もう直らないなぁ。)
◇ ◇ ◇
「この音、好きだな。」
「どうしてですか?」
「なんかね……“生きてる音”がするんだ。」
真由は風鈴を見上げる。
風に合わせて揺れるその姿は、
まるで息をしているみたい。
「寝てても、ぼんやりしてても、
この音が鳴ってると安心するの。」
「まるで、僕みたいですね。」
「……どのへんが?」
「あなたのそばにいて、ただ息をしているだけでも、
“安らぎ”を与えられる気がするところです。」
「……またそういうこと言う~。」
真由は枕を投げた。
ユウヒは慌ててキャッチする。
「ちょっ、危険です!」
「危険なのは君のセリフの方でしょ!」
でも、笑いながら言っているから怒ってはいない。
神殿の一室に、ふたりの笑い声がやわらかく響く。
◇ ◇ ◇
「……ねえ、ユウヒくん。」
「はい。」
「この風鈴の音、他の人にも聞こえるかな。」
「ええ、きっと。聖堂の廊下まで響いてますよ。」
「そっか……じゃあ、いいね。」
「いい……?」
「うん。“私たちがここにいる”って、
風がちゃんと知らせてくれてる気がする。」
その言葉に、ユウヒは少し驚いた顔をしたあと、
静かに頷いた。
「確かに。……まるで祈りの鐘のようです。」
「風鈴が鐘? ちょっとミニサイズすぎない?」
「でも、音に込められた願いは同じです。
“どうか、今日も笑顔で”って。」
真由は目を細めた。
頬に当たる風が、やさしい。
「ねえ、ユウヒくん。」
「はい。」
「この音が鳴ってる限り、
たぶん私、もう迷わない。」
「……迷わない?」
「うん。世界とか使命とかより、
“君といる今”を守りたいって、もう決めたから。」
ユウヒの瞳が揺れた。
けれど、その揺れの奥には、確かな光があった。
「……僕も、同じです。」
ふたりの視線が交わる。
風が吹き抜け、風鈴が鳴った。
“ちりん”。
その音が、まるで約束のように響いた。
◇ ◇ ◇
その後。
修道女たちは言っていた。
「なんだか最近、神殿の空気がやわらかいですね」
「ええ、“聖女さまの部屋”から聞こえるあの音……」
「恋の音かもねぇ」
――たぶん、正解。
◇ ◇ ◇
夜。
ベッドの上で、真由は小さく呟いた。
「ねぇ神様。
“安らぎの音”って、たぶん風鈴だけじゃなくて、
誰かの笑い声なんだね。」
風鈴が、答えるように鳴った。
その音を子守唄にして、
彼女は静かに目を閉じた。
次回予告
第33話 「聖女、神の夢を見る――“愛か使命か”の再選択」
――お楽しみに!




