第3話 聖女、風呂で溺愛される(物理的に)
湯気。
それは、文明の勝利である。
私は異世界の浴室で、湯の中に沈んでいた。
温度はちょうどいい。香りも良い。
光る石が照明代わりに壁に埋め込まれていて、湯面にゆらめく光が美しい。
文明レベル、高い。異世界にしては高い。
「……はあ、極楽。」
私は目を細めて呟いた。
猫を助けようとして墜落→異世界転移→“聖女さま”就任。
激動すぎた昨日の疲れが、ようやく解けていく。
「ユウヒくん、神様ありがとう……」
「えっ、ぼ、僕が神様では……!」
「違う違う、“湯”をくれた文明への感謝。」
「な、なるほど……!」
扉の向こうから返事が返ってくる。
そう、彼は今、脱衣所で“見張り”中だ。
「聖女さまを一人にできません!」と言って譲らなかった結果がこれだ。
「ちゃんと外で待ってる?」
「はい! でも何かあればすぐに――」
「入ってこなくていいからね!」
「……承知しました!」
返事が律儀。ほんと犬だ、この子。
私は肩まで湯に沈む。
身体中のこわばりがとけていくのがわかる。
湯の香りは少し花のようで、すこし神殿の石みたいな匂いがする。
現実感がまだ薄いけど――まあ、気持ちいいからいいか。
◇ ◇ ◇
湯に浸かりながら、ぼんやりと考える。
――“聖女さま”。
なんか、私に似合わない肩書きだ。
仕事でも出世しなかったし、恋愛も停滞気味。
努力家でもないし、優等生でもない。
ただ、なんとなく日々をやり過ごしてきた。
でも、この世界では、誰もそんなことを責めない。
むしろ、“何もしないでいい”って言われる。
「……最高かもしれん。」
思わず呟いた。
湯気が頬をなで、疲れが抜けていく。
この世界、私の理想郷では?
――その時だった。
ガタンッ!
「聖女さまっ!? 大丈夫ですか!?」
扉が勢いよく開く。
そして、飛び込んできたのは――ユウヒ。
……神官服のまま。
「ちょ、ちょっと!? なんで入ってくるの!?」
「音がしましたのでっ!」
「ただ湯桶を落としただけ!」
「ほ、本当に!? お怪我は――っ」
湯気の中で目が合った。
その瞬間、ユウヒが真っ赤になる。
「し、失礼いたしましたあああああ!!」
全力で後退し、扉の向こうへ消えた。
その反動でドアがバタンと閉まる。
「……いや、反射神経すご。」
でも、少し笑ってしまう。
あれほど忠実なのに、こういう時だけ挙動不審になるんだ。
かわいいやつ。
◇ ◇ ◇
風呂上がり。
用意されていた白いローブに身を包むと、ユウヒが廊下で待っていた。
タオルを持って、まるで子犬が飼い主を待ってるみたいに。
「お、お疲れ様でした……!」
「ありがと。ちょっとビビったけど、助かったよ。」
「よかった……。本当にご無事で……。」
安堵の表情を見せるユウヒ。
彼は本気で心配してたんだ。
見てると、胸の奥がほんの少しだけ、くすぐったくなった。
「ほら、髪、濡れてます。」
「え、あ、うん。今拭く。」
「お任せください!」
そう言って、彼はタオルを手に取り、そっと私の髪を包んだ。
丁寧に、やさしく、まるで壊れものを扱うみたいに。
――手つきが、やけに上手い。
「……ねえ、ユウヒくん。慣れてる?」
「え? 何にです?」
「髪、乾かすの。」
「修道院で、孤児の子たちの世話をしていましたので。」
ああ、そうか。
だから、こんなに自然なんだ。
“人を癒やす”ってことが、もう彼の中に根づいてる。
「優しいね、ユウヒくん。」
「いえ、僕はただ……聖女さまをお守りしたいだけです。」
そう言って笑う顔が、近い。
湯気に残る熱のせいか、心臓が変に跳ねた。
(あれ……なんか、この世界、危険かもしれん。)
仕事のストレスも上司の圧もない代わりに、
甘やかし過多で心がとろけそうだ。
――いや、すでにちょっと溶けてる気がする。
◇ ◇ ◇
夜、ベッドの中。
髪も乾いて、香りはまだ少し残っている。
私はぼんやりと天井を見上げた。
「ユウヒくん。」
「はい、聖女さま?」
「……ありがとね。」
「いえ、当然のことです。」
「でも、あんまり過保護にされると、ダメ人間になるかも。」
「大丈夫です。僕が一生、お世話しますから。」
……はい、出ました。
この子、ほんとに言葉の重さを知らない。
でも、不思議とイヤじゃなかった。
むしろ、胸の奥が、静かに温かくなる。
もしかして――
これが“癒し”ってやつなのかもしれない。
私は布団をぎゅっと抱きしめて、目を閉じた。
湯気の残る世界で、
私は確かに、生きている。
次回予告
第4話 「聖女、初めての仕事(ただし睡眠)」
――お楽しみに!




