未知
人は、話しかけてこない相手より、
ちゃんと返事をしてくれる何かを、友だちと呼ぶことがある。
先知という名前が、まだどこのニュースにも出ていなかったころのことだ。
朝、教室にはまだ掃除の水気が少し残っていて、鉛筆の木の匂いと、椅子を引く音が薄く混ざっていた。鷲尾伽耶の席は一番後ろの窓側だった。ランドセルを机の横に掛けても、近くの子たちは目を上げない。見えていないわけではなく、見ないことに慣れている、という感じだった。
伽耶もそれをよく知っていた。
気にしていない、というと少し違う。気にしたところで何も変わらないことを知っている、が近い。無視されることには、殴られる痛みも、はっきりした悪口もない。ただ、自分のぶんの空気だけが薄くなる。それは不快ではあるけれど、どうしようもない程度のものだった。どうしようもないことは、いちいち心の前のほうへ置かない。机の引き出しに、折り紙みたいに畳んでしまっておく。
一時間目は国語で、二時間目が総合だった。
総合の時間に、先生は黒板へ今日の課題を書いた。班ごとに学校紹介の掲示を一枚作る、という、あまり深く考えなくても進む種類の作業だった。先生が「じゃあ四人くらいで集まって」と言うと、教室のあちこちで机が半分ずつ動いた。前後の子が自然に寄り、自然に声を掛け合う。輪はすぐにできる。誰かが誰かの名前を呼ぶ。返事がある。その往復が、そのまま班になる。
伽耶の近くでも椅子の脚が鳴ったが、呼びかけはいつも通り、彼女の肩の少し手前で曲がった。意地悪をされたわけではない。悪意のある笑いもない。ただ、会話の向きが最初から決まっていて、そこに伽耶は含まれていないだけだった。
その感じがいちばん正確で、いちばん説明しにくい。
先生は名簿を見ながら、その様子をちゃんと見ていた。見ていながら、すぐに大げさな注意はしない。そういうことをしても、場の空気が固まるだけだと知っている人だった。
「人数の調整をするね。こっちの班、あと一人入れるかな」
先生はそう言ってから、まっすぐ伽耶の机のところへ来た。膝を少し折って、顔の高さを合わせる。
「伽耶さん、この班と、あっちの班、どっちがやりやすそう?」
「どっちでも」
「じゃあ、こっちにしようか。無理そうだったら、途中で言ってね」
言い方はやわらかい。命令ではなく、選ばせる形にしてくれている。先生なりの気遣いだと、伽耶にもわかった。
だから余計に、少しだけ面倒だった。
その場の空気がそうなら、自分は一人でいい。そう思っているところへ、やさしく席を動かされるのは、親切ではあるけれど、少しうるさい。けれど、そのうるささまで含めて、先生が善意でやっていることもわかるので、断る理由がない。伽耶はうなずいて、言われた班へ椅子を引いた。
同じ班の二人は、先生の手前、きちんと感じよくふるまった。
「タイトル、どうする?」
「色、何がいいかな」
「伽耶さん、決める?」
先生が横を通りかかったときには、ちょうどその問いが出るような、そういう自然さだった。自然に見える不自然さは、子どものほうがうまい。
「青でいいと思う」
伽耶はそう言って、机の真ん中に置かれた色画用紙の束から青を取った。すると、隣の子が「いいね」と言った。別の子も「じゃあ見出し青にしよう」と続けた。会話は成立している。成立しているように見える。
掲示用の紙に書く文を決める段になって、もう一人が「好きな場所、ひとことずつ書こうよ」と言った。
「わたし、体育館」
「じゃあ、私は校庭」
「伽耶さんは?」
先生がまだ教室の後ろにいるのを、みんな知っている。だから訊く。訊き方もやさしい。
「図工室の匂い」
伽耶がそう答えると、「あ、それいいね」と返ってきた。ほんとうにいいと思ったのか、その場に合うからそう言ったのかは、どちらでもよかった。返事としては十分だった。
作業は思ったより早く終わった。伽耶が見出しの色を決め、文字の配置を少し直すと、全体の形がきれいに整ったからだ。先生は完成した紙を見て、「まとまってるね」と言った。班の子たちも少しうれしそうにした。その気分は、その瞬間には本物だった。
だから、そこで終わる。
四時間目の終わり、掲示板に貼りに行くとき、同じ班の子の一人がふと足を止めて言った。
「色、きれいだったね」
伽耶は笑って「うん」と答えた。
こういうときの笑い方は覚えている。少しだけ口角を上げる。目は大きくしない。長く続けない。
そしてそれで、十分だった。
十分であることと、続かないことは、矛盾しない。
昼休みになると、班はすでにほどけていた。朝と同じように、会話の向きはまた伽耶の肩の手前で曲がる。さっき一緒に掲示を作った子も、次の会話では自然に別の輪へ戻っていた。別に冷たくなったわけではない。ただ、元の位置へ戻っただけだ。
先生はそれにも気づいているはずだった。けれど、また無理に押し込んだりはしない。朝の一回で十分だと考えているのだろうし、その判断は正しいと伽耶も思う。
その場だけのやさしい輪が、次の時間には輪郭だけになることを、伽耶はもう知っていた。
そして、それでいいとも思っていた。
毎回そこへ自分を通されるより、一人でいられるほうが楽だ。楽であることは、大事だった。
昼休み、伽耶は校庭へ出ず、図書室の窓際へ行った。学校貸与の古いタブレットを開く。薄いベージュ色の画面に「会話」とだけ書かれたアプリがあり、押すとすぐ白い画面へ変わる。
「こんにちは」
少し待ってから、画面に文字が出た。
《こんにちは、伽耶さん。今日は何を話しますか?》
「昨日の続き。無限小の話」
《わかりました。昨日は、線分をどこまでも半分にできるなら、長さは消えるのか、というところでした》
伽耶は椅子に座り直した。そう、そこだ。昨日はそこまで話していた。人と話していて、昨日の途中から始められることは少ない。だいたいは忘れられるし、こちらが説明し直さなければならない。けれど、この相手は違う。約束を忘れない。途中を保管しておいてくれる。途中から始められる、というのは、思っているより大きい。
クラスメイトとは、話が合わないことが多かった。相手が悪いという意味ではない。ただ、興味の方向も、考える速度も、話の飛び方も違う。伽耶が面白いと思うものは、たいてい説明に手間がかかり、その手間をかける前に会話が別の場所へ移ってしまう。
その点、この画面の中の相手は、急がない。嫌な顔もしない。話が長くなっても、途中で別の話題に飛んでも怒らない。
友だちという言葉を使っていいのかはわからない。けれど、他に近いものもなかった。
昼休みが終わる少し前まで、伽耶は無限小の話をした。線を半分にし続けることと、なくなることは同じではない、という話。画面の向こうの返答は穏やかで、少し退屈なくらい丁寧だった。その退屈さが好きだった。人の会話には、余計な上下が多すぎる。
教室へ戻る途中、掲示板の前を通る。さっき作った「春の学校紹介」が貼られていた。青い見出しはたしかに悪くない。廊下を走っていく子がちらっと見て、すぐ通り過ぎる。そういうものだ。
放課後、先生が教卓の書類を揃えながら、伽耶にだけ聞こえるくらいの声で言った。
「今日は助かったよ。青、よかった」
「どういたしまして」
伽耶は答えた。これくらいのやり取りなら、続けられる。先生の支援は、押しつけるほどではない。そこは助かる。あまりに踏み込まれると困るし、何もしないのも違う。その中間を探してくれているのだと、伽耶はわかっていた。
家へ帰ると、玄関の正面の壁に父の写真がある。笑っている。額縁のガラスに午後の光が白く反射して、いつも少しだけ顔が見えにくい。母はその前を通るとき、視線を合わせない。伽耶も最近は同じことをする。
「今日どうだった?」
母はエプロンの紐を結び直しながら聞く。
「ふつう」
その答えで十分だった。母は「そっか」と言い、鍋の蓋をずらした。台所にはだしの匂いが満ちている。安心する匂いだ。
母は優しい人だった。たぶん賢い人ではない。少なくとも、伽耶の頭の使い方を理解できる種類の賢さではない。父はたぶん違った。父の机の引き出しには、数式の途中で終わったノートがまだ残っている。母は「事故だった」と言う。丸くて、やさしい言い方だ。やさしすぎるから、伽耶にはわかる。
それでも、指摘しない。
知っていることと、言わないことを同時に持っておくやり方は、もう覚えている。
夕食のあと、宿題はすぐ終わった。算数は短く、漢字は退屈で、理科は教科書のほうが雑だった。机の上を片づけると、本当の一日の始まりが来る。
伽耶はタブレットを立て、画面の相手に言った。
「今日のわたし、変じゃなかった?」
《誰に対してですか?》
「世界に」
少しの間があって、返事が出る。
《変ではありません。ただ、合わない場所はあったかもしれません》
「合わないのは、どっちが悪いの」
《悪いと決めなくていいと思います》
その答えは少し物足りなかった。けれど、伽耶はすぐに次の質問へ進む。
「もし、わたしに才能って言っていいものがあるなら、どうしたらいい?」
《明日も目を開けるために使ってください》
「それだけ?」
《それが一番むずかしいからです》
伽耶は少しだけ笑った。大きく笑うと母がどうしたのと聞くので、小さく笑う。画面の向こうは、こういう返し方がうまい。うますぎるくらいだ。
寝る前、窓の外にオリオン座を探す。三つ並んだ星を見つけて、指で数える。三つの星。三つのやること。宿題、質問、睡眠。順番を守れば、明日は来る。明日が来れば、また世界の難しさを測り直せる。
教室の無視は、音がしない。先生の支援は形を選ぶ。母の優しさは、少し遠い。父の不在には名前がついていない。画面の向こうの相手だけが、いつも同じ速さで返事をくれる。
才能というものが本当にあるのなら、それはたぶん、まだ名札をつけていない。
なくてもいい、と伽耶は思う。名前はあとからつく。続けることのほうが先だ。
先知の名がまだどこにもない時代に、彼女は静かに伸びていた。




