フレンドリーな森下くん
佳奈はベッドに潜り込み、スマホを握っていた。 毛布の中、心臓の鼓動がまだ落ち着かない。
画面には、彼のアカウント。
フォロワーは36人
ヘッダーは、自作らしきキャラの落書き絵
プロフィールには「社会の底辺から推しに愛を送ります」と書いてある。
(……ほんとに、mori だったんだ……)
いつも、推しCPの絵をあげるたび、 一番に「いいね」してくれて、 一番にRTしてくれて、 一番に、「尊い」「神」「死んだ」と言ってくれた人。
その人が――同じクラスのチー牛くんだったなんて。
しかも、あんな優しい目で……私を見てたなんて。
(……やだ、寝れない……)
佳奈はついに、彼のツイート欄をスクロールした。 自分が描いた絵に言及している投稿が、たくさん。
「カナナン さんの新作……涙でスマホが壊れるかと思った」
「今週も供給されてる……神は実在した……」
「この構図、天才。天才以外の語彙がない。天才(語彙力)」
(……全部、わたしに向けてだったんだ……)
佳奈は自分の絵を貼ってくれた引用RTを見つけた。
「この線の柔らかさ、髪の光、まぶしすぎて直視できない。カナナンさんの絵を美術館に飾る条例、はよ成立して」
「…………や、やめてよ、もー……」
顔を真っ赤にして、毛布にくるまって足をばたばたする。
(こんなこと、言われたら……意識するに決まってるじゃん……)
画面が震えた。 DM通知。差出人は――森下くん
心臓が跳ね上がった。 顔をタオルで隠しながら、そっと内容を見る。
【mori】 佳奈ちゃん、明日って暇だったりする? 本屋、行こうと思って。 ○○駅の近くの、あのデカいとこ。 よかったら、付き合ってほしいなって…… その、あの、もちろん無理にとは言わないけど!
「…………っ!?」
深夜の静寂に、思わず布団を蹴り上げそうになった。 頭の中で、爆発音が鳴り響く。
(お、お、お出かけのお誘い……!?!?)
(か、買い物……?本屋……?)
(それってデートってこと!? いや、まだ違う……けど、でも、ふたりきりで……!)
深呼吸を5回、返信画面を開いて閉じてを7回。
ようやく、短い一文を送信。
" ……いいよ。行く。"
即レスで返ってきた。
【mori】 やった!嬉しい! じゃあ、現地集合にしよ? ○○駅の改札前、13時とかどう?
"……うん。13時。了解。"
「……あ、うわ、今日クマすご……」
鏡の前で、佳奈は寝不足顔を確認して絶望する。 夜、興奮で1時間しか眠れなかった。
「これじゃ……出かけられない……」
「これだとオタクすぎる……これは逆に清楚ぶってる……これは地味すぎる……ああああ!!」
結果、佳奈は黒い魔女みたいなワンピースでまとめた。
地味だけど、ちょっとだけ可愛い。 “オタク女子感”を残しつつ、清潔感だけは意識したコーデ。
「……大丈夫、きっと大丈夫……!」
──────
時計の針は、13:00を指していた。
佳奈は改札前でキョロキョロしていた。 人混みの中、スマホを握りしめながら。
そのとき――
「おーい、佳奈」
聞き慣れた声。 振り向くと、悠真が手を小さく振って近づいてきた。
チェックシャツにシンプルなデニム。 ちょっとだけ、髪を整えてる。 いつもより、なんだか……男の子っぽい。
「……よかった、ちゃんと来てくれて」
「……うん、約束したし」
「……じゃあ、行こっか。オタクの楽園へ」
佳奈は、顔を赤くしながらうなずいた。
「……うん。……オタクの、楽園へ」
──────
「うわ、棚の配置、変わってる……」
悠真は店内を見回しながら言った。 エスカレーターを降りた佳奈は、緊張を紛らわせるように小さく相づちを打つ。
「……あ、ほんとだ。前、もっと入口側にラノベ置いてたよね」
「そうそう!あれで新刊探すのめっちゃ楽だったのに……配置変更、罪……」
「店員の罪は重い……」
2人は自然と歩幅を合わせながら、書棚を一つひとつ眺めていく。
そのうち――。
「あっ、あのタイトル!続刊出てたんだ!」
「どれ?」
悠真が近づいてくると、佳奈が指差した先にあったのは、
『幼馴染がヒロインになれないって、誰が決めた?』
「うわ、出てるじゃん!ジャケ絵かわいすぎ……あと、この作者の告白シーンの破壊力、えぐいよね」
「わかる……2巻ラストの、あの“ずっと見てた”ってセリフ、まだ心臓に刺さってるもん……」
「ちょ、やめて、今そのシーン思い出して鳥肌立ったから……」
「ごめんww」
気づけば、会話がノンストップになっていた。
「じゃあさ……お互い、これ読んでほしいって作品、1冊ずつ選ばない?」
「……えっ、なにそれ……なんか、楽しそう……」
「だろ?それで、今日の思い出に買い合うってことで」
悠真がそう提案すると、佳奈はちょっと頬を赤くしてうなずいた。
「……うん、やる。ちょっと待って、本気で選ぶ……」
「おっしゃ、こっちもガチでいくからな……」
二人は店内を離れ、それぞれ別の棚へ。
(何がいいかな……相手のこと考えながら本を選ぶって、なんか……変な感じ)
佳奈は少女漫画のコーナーに立ち、何冊かを手に取っては悩む。
(あんまり重くないやつがいいよね。でもちゃんと刺さってほしいし……!)
最終的に選んだのは、 『月曜日の君は寂しげに笑う』
主人公の女の子が、月曜日だけ異常にテンションが低い理由を、クラスメイトの男子が知っていく話。 絵が綺麗で、心理描写が丁寧。読後感はあったかい。
(これなら……好きになってもらえるかも)
一方悠真も、めっちゃ悩んでいた。
(佳奈ちゃん、どこまでが地雷ラインなんだ……? グロ系は避けよう。けど恋愛要素は欲しい。日常寄りで……泣けて、萌えるやつ……)
最終的に彼が選んだのは――
『ここでキスして、また明日』 男女の友情の微妙な距離感が描かれるラブコメ短編集。 感情が交差する瞬間がリアルで、淡い切なさが特徴。
「じゃ、せーので渡そっか」
「……うん」
「せーのっ」
「……はいっ」
(……あっ)
ふたりが本を同時に差し出したその瞬間、 手が、ちょっとだけ、触れた。
「――――っ!」
「…………っ、う、うわ……」
ふたりとも一瞬硬直し、 目をそらしながら、それでも笑った。
「ちょ、照れるやんけ……」
「……言わないで……心臓出るかと思った……」
本屋を出た後、カフェで少しだけお茶して、 オタクトークはとどまるところを知らず―――
「推しカプの修学旅行編、あれもう、供給の海で溺れたよね」
「いやほんと。旅館で布団が隣とか、勝訴……しかもあの手の描写、指の距離がっっ」
「そこ!!さすが……ほんとにわかってる……!」
「いや、だってそれ、カナナンさんの絵で死ぬほど感じたもん」
「ええええ!?や、やめて……そこ褒められるの、ほんとダメ……!」
いつしか佳奈は、自分のことを“わたし”じゃなく、カナナンとして語られることに慣れつつあった。
(でも、ちゃんと“わたし”を見てくれてるって、わかる……)
──────
「ん……?」
佳奈がふと、道の角で立ち止まる。 「じゃ、またね……」と振り返る悠真に、
「……あそこ、なんだよね。うち」
「えっ」
「……家。あのマンションの、4階」
「……まじで!?」
悠真は目を見開いた。
「うわ、近!!ていうか、ご近所レベルどころじゃないじゃん」
「……ね」
顔を見合わせて、ふふっと笑う。
マンションの下に着いた時、 佳奈が名残惜しそうに言う。
「……なんか、今日……ずっとしゃべってたね」
「うん、めちゃくちゃ会話弾んでた」
「……自分でもびっくりするくらい……普通に話してた」
「なーんかさ、オタク用語とか言いやすい相手って、貴重だよね」
「“布教ありがとう”とか、“感情の骨が折れた”とか言っても、引かれないし……」
「それな……わかる、ほんとに。マジで“オタク界の安住の地”みたいな空気あったもん」
佳奈は笑いながら、スカートの裾を握って、
「……じゃ、また明日」
と言おうとしたその時。
悠真が、ふと小さな声で言った。
「……明日、一緒に行かない?学校」
「――えっ」
佳奈の目が、少し見開かれる。
「その……電車、同じ時間だし。どうせなら一緒に……」
「……わたしで、いいの?」
「なに言ってんの。むしろ、お願いしたいくらいなんだけど……」
佳奈は、ちょっとだけ間を置いてから、 ほんの少しだけ笑って――
「……じゃあ、何時集合?」
「んー……7時45分、改札前とかどう?」
「……うん、わかった。7時45分。遅れたら、描いてもらうからね」
「えっ、なにを!?」
「恥ずかしい推しカプのR-18絵」
「無理無理無理!?」
2人は笑い合いながら、別れを告げた。
それぞれの胸の奥に、 小さな恋と、小さな秘密を抱えて。
──────
次回予告 第5話
「一歩踏み出す」
「……あれ、森島くんって案外……フレンドリー?」
朝の電車。並んで座るだけで、
心臓の音がうるさく感じる。
そして降りた先で告げられる言葉――
「アニメ部、来てみない?」
“カナナン”だってことは、まだ秘密。
けど、不思議と居心地がよかった。
そこにいたのは、
テンション爆高の部長・天野、
動画職人・村田、
無口な背景担当・小松、
音楽好きの中井、
そして……衣装コスプレ担当・江藤。
「ここって……なんか、すごいね」
ドキドキと、わくわくと、
ちょっとの不安を胸に――
彼女は新しい“居場所”を見つける。
次回、「一歩踏み出す」
きっとこの先、何かが変わっていく。